上 下
26 / 57
第二章 ノア

26、本音

しおりを挟む
 雨が降りそうなどんより曇った朝。
 
 私は通園鞄を前に立ち尽くしていた。手には昨日買ったクマのぬいぐるみ。
 
 「見られて詮索されるのは嫌だが、クラウスを悲しませるのは本意ではない・・・。」
 
 皆も鞄に色々つけているが、私のものにぬいぐるみが下がれば直ぐ噂になるだろう。
 
 まさかこのぬいぐるみだけで、クラウスと私が婚約したなどと誰も想像しないと思うが、このぬいぐるみが意味するところを聞くまで特に女の子達は引かないに違いない。
 
 イザベルとお揃いというわけでもないし、身近にこの髪色と瞳の人物もいない。
 
 「うーん・・・」
 「ノア、何やってんだよ、遅刻するぞ?!」
 
 悩んでいるところに、弟のシュテファンが飛び込んできて私の腕を掴んで家を飛び出した。
 
 もう出発寸前の馬車に乗り込み、隣の弟が間に合ったと大きく安堵の息を吐いた。
 
 
 我が家には馬車が一台しかなく、たった一人の男の使用人が御者もしている。だから朝は兄が登城するのに一緒に乗って行かないと学園までニ時間以上歩く羽目になるのだ。
 
 ちなみに帰りは兄の終業に合わせて城の前で待ち合わせ、三人一緒に乗って帰っている。
 
 今朝は歩いてもぎりぎり始業に間に合うし、考えたいこともあったのでそれでも良かったんだが、わざわざ呼びに来てくれた弟の親切には礼を言わねばなるまい。
 
 「ありがとう、助かったシュテファン。」
 「ホントだよ。何ぼーっとしてたんだ・・・って、それ、恋人同士で持つやつじゃん?!え、昨日買ったの?絶対自分の好きな物にしかお金を使わないノアが?!」
 
 目敏く私の手の中にあるぬいぐるみを見つけた弟が騒ぎ立てた。
 向かいに座っている兄も、覗き込んでくる。
 
 そういえばこの二人も親がいい加減なせいで未だ婚約者がいない。よって誰かとお揃いのぬいぐるみとの縁もない。
 
 兄はもう成人しているので早急に考えないといけない問題だと思うのだが・・・。
 
 「おお、これが噂の。もしやノア、殿下に買って頂いたのか?」
 「自分で買いました!・・・チャームは、頂きましたが。」
 「マジ?!チャームって今一番流行りのやつじゃん!これ、宝石付いてるの一番高いやつだわ、さすが王子。」
 「そうなのか?!しまった、断わればよかった。しかし、イザベルとお揃いと言われたらつけたくなってしまったんだ。」
 「うわあ、王子ってば、この短期間で完全にノアのこと把握してるんじゃん。ノアも嫌がってないし、もう即結婚じゃね?」
 「何を言うか。今日から始まる妃の勉強が終わらないと無理だ。」
 「終わったら結婚でいいんだ?!」
 
 目を丸くした弟をひと睨みする。
 
 「良いも悪いもないだろう?もう国が認可しているんだぞ。吹けば飛ぶような零細子爵家のうちからやめるなんて言えるわけがない。」
 
 そう言って私はため息をついた。
 
 「ただ、相手は身分も見た目も性格も悪くない、全く瑕疵のない人で、私は男装していて家は領地のない貧乏子爵家で、性格も良いと思えず瑕疵ばかり、というのが気になっている。」
 
 私はずっと心に燻っていたことを吐き出した。
 
 「どう見ても、誰が聞いても、おかしい組み合わせではないか?」
 
 そう、ずっと思っていた。
 
 「ノアにもいいとこあるし別に欠点だらけでも、王子に好かれてんだからいいじゃん?」
 「好意なんてあやふやで頼りにならない。いつかなくなって、私やお前も家ごと消されてしまうかもしれないんだぞ。」
 「大丈夫じゃね?この国の王族って皆一途で愛したら最後、何処までも追いかけてあらゆる手段でモノにして死ぬまで大事にするって有名だし。」
 
 それに加えて愛が重すぎることでも有名だな。だが。
 
 「一族がそうだからといって、クラウスもそうだとは限らない。大体、あんな短期間で好きになったなんて信じられないだろう?」
 
 そもそも、初恋を諦めさせたからなんて、そんなことで好きになるものだろうか?他の人はどうなんだ?
 
 「兄様は誰かを好きになったことがありますか?シュテファンは?」
 「俺はかわいいなと思うことはあるけど、好きってのはまだないなー。」
 「私は、ないことはない、が・・・」
 「「えっ?!」」
 
 恋愛事から遠そうな兄からの想定外の返事に弟と二人で固まる。
 
 兄は私達の反応に片眉を上げ、やや気恥しそうに咳払いをした。
 
 「私の場合は元々叶わぬものだったんだ。相手のことは聞くなよ。もう結婚してる人だ。」
 
 そのままふいっと窓の外へ視線を向けた兄は、その恋を思い出したように柔らかく微笑んだ。
 
 「ノア、恋なんて人から見ればどうということもない、ほんの些細なことで始まるものだ。お前達の場合、今のところ何の障害もないのだから悩まず王子の愛を受け取っておけ。ノアが嫌いではないと言うのなら、もう好きなのだろう?」
 
 兄に真剣に諭されて私は目を伏せた。
 
 確かに嫌いの反対語は好き、らしいが・・・。
 
 「釣り合わなさ過ぎて、怖いのです。」
 
 私はついに本音を口にした。
 
 あれだけ想いを隠さず大事に扱ってもらって、好意を持たないなんて出来るはずがない。
 
 私はとっくに彼のことが好きになっている。
 
 だけど、彼の愛だけを頼りに王家に嫁ぐのはあまりにも心細い。
 
 両手で顔を覆った私に兄が優しい声でそうだな、と言った。
 
 「ロサ家は弱小過ぎて、他の大きな家に妬まれて潰されたら、クラウスに嫌われたら、終わりだと思うと踏み出せません。」
 
 「それはその時だ、なんとかなるさ。家は大事だが、お前達は囚われすぎなくていい。どうなろうと跡取りの私の責任だ。」
 「兄上、かっこいー!でも、めっちゃ『王子に嫌われたらお終い』とか言ってたのに?」
 「実は昨夜の殿下を見ていたら、それは無さそうな気がしてな。」
 「分かるー。ノアと一分一秒でも一緒にいたそうだったもんな。」
 
 カッと私の顔が熱を持った。クラウスの好意は思っていた以上にだだ漏れらしい。
 
 「ということで、ノアは王子に『私も好きです』って言ってあげろよ。そりゃもう喜ぶと思うぜ。」
 
 弟の台詞に心臓が跳ねた。
 
 クラウスに、私から『貴方を好きになった』と言えと言うのか?!
 
 考えただけで頭が沸騰しそうだ。
 私は鞄を抱きかかえてその上に顔を伏せると、小さな声で尋ねた。
 
 「言わなきゃダメ、だろうか?」
 「あの方のことだから気付いておられるかもしれないが、あれだけしていただいているのだから言って差し上げろ。」
 「そうだよ。直に言われるのって嬉しいと思うぜ。」
 
 そうか、私もクラウスに言われるのは嫌じゃなかった。彼が喜ぶなら自分の素直な気持ちを伝えてみよう・・・いや、言う努力はしよう。
 
 「善処、する。」
 
 兄と弟へなんとかそう返事した私は、ふと手の中のぬいぐるみのことを思い出した。
 
 「ところで、このぬいぐるみはどうしたらいいと思う?鞄につけると目立って騒がれそうで悩んでいたんだ。」
 「あ、それで遅れたのか。」
 「なるほど。確かにお前と殿下のことは公表されてないし、残り少ない学園生活は穏やかに過ごしたいものだな。」
 
 二人も朝の私のように腕を組んで首を傾げる。
 
 「そうだ、鞄に入れていつでも出せるようにしておけばいいんじゃね?王子に文句言われたら『汚れたら嫌なので』って言っとけば許されるだろ。」
 「なるほど。今日のところはそうするか。」
 「わお、ノアが俺の意見を採用した!」
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

伝える前に振られてしまった私の恋

メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

噂の悪女が妻になりました

はくまいキャベツ
恋愛
ミラ・イヴァンチスカ。 国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。 その名前は国中に知れ渡っており、田舎の貧乏貴族ローガン・ウィリアムズの耳にも届いていた。そんな彼に一通の手紙が届く。その手紙にはあの噂の悪女、ミラ・イヴァンチスカとの婚姻を勧める内容が書かれていた。

処理中です...