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第一章 イザベル 前編

7、友の助言は適切か

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 秋の始まりの空気が冷たくてさわやかな朝。
 
 私はその空気を胸いっぱいに吸い込んで、大きなため息にして吐き出した。
 
 「はあぁー。登園したくない。」
 「あら、お姉様。私は嫌だけれど周囲からしたら国一番の貴族の次男であるパットは、垂涎の婿候補なのよ?自慢してくればいいじゃない。」
 
 朝食後のお茶を優雅に飲みながら妹のクラリッサが宣う。
 昨日あんなに反対してパットの頬をつねっていじめていたくせに、自慢してこいとはどういうことだ。
 
 でもまあ、彼女の言うことは正しい。あれほど身分よし、見た目よし、能力よしという最強の婿はそう居ない。
 ・・・七つも年下でなければ。
 
 イザベルはたっぷりと注がれたお茶に映った自分の顔を眺めて更に深いため息をついた。
 
 私は母のように可愛くも、パットの母のように美しくもない。父似の厳つい顔の大柄で平凡な女だ。
 別にそれを恥じても嫌だとも思っていないが、大きな目と輝く淡い金の髪のお人形さんのように可愛らしいパットの隣に並ぶのはなんだか気が引けるのだ。
 せめて向こうが年上だったらなあ、と何度も繰り返したどうしようもないその一点で思い悩む。
 
 でも、彼の婚約の申込みを受けたのは私。いずれは解消するとしても、今は笑顔でパットの横に立たなくては。
 
 イザベルはお茶とともにゆらゆらと揺れる自分を一気に飲み干して立ち上がった。
 妹はまだ学園に入る歳ではないので家で家庭教師に学んでいるから、登園するのは自分一人だ。
 
 「よし、学園に行ってくるわ。」
 「あ、待ってお姉様!私、お見送りする!」
 「別にいいわよ?ちゃんと食べなさい。もうすぐ家庭教師の先生が来る時間でしょ。」
 「大丈夫。宿題は終わっているわ。」
 「そんな当然のことを胸を張って言わないで頂戴。」

 ■■
 
 あちらこちらで朝の挨拶が交わされている学園の門前。
 奥の停車場で馬車を降りる人が多いけれど、混むので私は手前で降りて歩いて行く。
 
 その方が早いし、か弱い可憐なお嬢様達とは違って、私は騎士団長の娘で体力はある。
 ただ、体力はあっても武術の才能は全くないどころか、どれだけやっても身に着けられなかった。
 だから、自在に剣を操ったり無駄のない動きで相手を組伏せられるパットや妹のクラリッサを羨ましく思っている。
 
 私は昨日のパットの鮮やかな動きを思い出しながら歩いていた。何度思い返してもあの動きは素晴らしかった。
 ぼうっとしていたら、突然、後ろからどんと柔らかい衝撃がぶつかってきた。
 
 「おはよう、イザベル!」
 「ノア。おはよう。」
 「なんだ、驚いてはくれないのか。私への愛が足りないんじゃないか?」
 
 後ろからいきなり抱きついてきた友人に動ぜず挨拶を返せば膨れられた。
 
 毎朝同じことをしていれば、慣れるでしょうが。と私は胸の前で結ばれた彼女の手を解いてくるっと後ろを向いた。
 
 真っ黒の真っ直ぐな髪を肩で切り揃え、銀縁眼鏡を掛け、これまた真っ黒の瞳でこちらを見てくる彼女はれっきとした子爵令嬢だ。
 
 彼女は男の子が欲しかった母親から女の子の服を買うのがもったいないという理由で、子供の頃からずっと男装をさせられていたらしい。それで学園に入ってからも、兄のお下がりの男装で通し周りから奇異の目で見られている(一部の女性には人気)。
 
 今頃になって、このままでは嫁の貰い手がないと気づいた家族が女性の服を勧めるも、あんな動きにくそうな服は嫌だと断固拒否。今に至るまで一度も女性の格好したことがないそうだ。
 
 私とは入学時に隣の席で会話したのをきっかけに仲良くなり、今では常に一緒に居る親友だ。
 
 「ノア、大丈夫。足りてると思うわ。」
 「私は毎朝驚いて欲しいのだが。」
 「じゃあ、少しは変化つけなさいよ。」
 「凝り性な私が変化をつけると、君が驚きすぎて寿命が縮んではいけないという私からの配慮だ。」
 「あーハイハイ、ご心配ありがとうございます。明日からは驚いてみせるわ。」
 「ああ、二人の友情の確認のためによろしく頼む。ところで昨日、街のカフェで君がゲラルト・ヴィスワを華麗に叩きのめして婚約破棄したという噂が耳に入ってきたのだが?」
 
 きたか、と私は顔をしかめた。この親友はちょっと変わっているけれど、情報に関する感度が高く真実に近いものから嘘しかないものまでありとあらゆる噂を手に入れてくる。そして、それらの分析が三度の食事より好きらしい。
 
 「ノア、私が武術体術共に全く出来ないことは知ってるでしょ。」
 「うむ。だからこれが一番真実から遠いものだと思った。ただ、昨日から今朝までの間に君に関する噂が激増し、その全てに婚約破棄が入っていたから、それは事実なのではと推測する。婚約破棄おめでとう、イザベル!次は私と婚約してくれ!」
 
 ノア、お前もか。と私は額に手をやった。彼女はいつも二言目には『好きだ』だの『結婚しよう』と言ってくる。もはや挨拶の一種だ。
 
 私は努めて冷静に肩をすくめて事実のみを告げた。
 
 「ノア、ありがとう。だけど、もう新たに婚約しちゃったの。」
 「ふむ。なるほどそれも事実か、残念だ。相手は行きずりの少年やハーフェルト公爵家令息という噂が出ているが、どっちだ?」
 
 そっちも、もう噂になってるのかー!
 
 私の表情を見たノアが頷いた。
 
 「よし、それは後でゆっくり聞こう。では、もうすぐ授業が始まるから教室へ急ぐか。」
 
 言うなり、私の手を掴んで走り出す。その途端、周りから一斉にブーイングが上がった。
 
 「もー、ノア!そこが肝心なのよ!」
 「イザベル、テオドール様と婚約したって本当?!」
 「少年趣味だったっていうのは?!」
 
 驚いて周りを見回せば人垣ができていて、主に同じ制服を着た女子達が、私とノアの会話を固唾をのんで聞いていたらしい。
 
 自分がこういうふうに注目を浴びるのは初めてだから驚いた。残念ながらネタ的にちっとも嬉しくない。
 しかし、二つ目のテオとの婚約の噂に関しては即否定しないと相手が人気者だけに不味い。
 
 「テオドール様とは婚約してないわよー!」
 
 ノアに引っ張られながら、集まっていた女性陣にそれだけ言って私も教室へと走りだした。
 
 これ以上アレコレ聞かれてなるものか!私だってまだ飲み込みきっていないのに!
 
 ■■
 
 昼食後、余人に聞かれないよう談話室を借りた私とノアはお茶を手に並んでソファに腰掛けていた。
 
 「ほう、ではかのパトリック・ハーフェルト殿が次代ヴェーザー伯爵になるのか。なるほど、いい婿が決まってよかったな。」
 「うーん、でも多分、今度も解消されると思うわ。」
 「何故?偽装か何かなのか?」
 
 私としては当然のことを言ったつもりだったが、ノアは心底不思議そうな顔で尋ね返してきた。その余りにも真剣な顔に私はたじろいで言い訳のような説明をしてしまう。
 
 「いえ、本気というか何というか。でも、ほら、パットは七つも下なのよ?いずれ行動範囲が広がって他のもっと若くてかわいい令嬢を好きになると思わない?」
 
 「思わない。だってイザベルのことを四歳から今まで六年間もずっと好きだったんだろう?しかも、その間君は他の男達と婚約してた。ハーフェルト公爵令息なら城の茶会にも呼ばれるし、同年代の令嬢達とは一通り顔合わせは済んでいるはずだ。」
 
 ノアの真っ当な指摘に私は言葉に詰まる。
 固まった私を放置して、彼女はお茶を一口飲み、冷めてきたな、と呟いた。
 
 「でも、彼女達だって今からどんどん変わって綺麗になるわけだし。」
 
 ようやく無理やり見つけた理由を口に出せば、ついにノアがため息をついた。
 
 「なんだ、イザベル。君はパトリック殿に捨てられた時に傷つかないための言い訳を考えてばかりなんだな。その前にやることがあるだろう?」
 
 「え?何をすればいいの?」
 
 親友の意外な指摘に、私は彼女の言の前半を否定するより先に聞き返していた。
 
 身を乗り出した私にその中性的な優しい顔を近づけたノアは口の端を上げて言った。
 
 「新しい婚約者を、好きになる努力。」
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