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7、過去編2

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「あの、ルキウスさんですか?」

 あれから数日後の朝、教室に行くと、艷やかな黒髪をニつのみつあみにして後ろで一つに束ねた可愛らしい女の子が、こちらに大きな緑の瞳を向けて尋ねてきた。

「ルキウスは俺だけど、君、誰?」

 心の中でこんな印象的な瞳の子、一度会ったら、忘れないんだけどなと思いつつ、聞き返す。

 女の子は、ちょっとはにかむと一冊の本を差し出しながら言った。

「私、先日助けていただいたラシェルです。うっかり、水分補給を数日忘れてまして、死ぬところだったと校医の先生に怒られました。ルキウスさんは、命の恩人です。ありがとうございました。これ、お礼と言ってはなんですが、大変貴重な古代魔術文字の本なんです。良かったらもらってください。」

 俺は口をぽかんと空けたまま、言葉が出なかった。
 
 この子が、あのごちゃごちゃ部屋で倒れてた、ちょっと臭ったぼさぼさ髪の子だって? まるで別人じゃないか。女の子って変わるんだな。

 あまりの変わりように衝撃が強すぎて、俺は黙ったまま彼女の頭のてっぺんから爪先まで見ていた。

 彼女は差し出したものの、いつまで経っても受け取られないので、途方にくれてこちらを見ていたが、「あの、この本、お気に召しませんか?」
本を抱きしめるとおずおずと聞いてきた。

 その悲しそうな声に我に返った俺は、慌てて本を受け取ろうとして思いとどまった。

「あのさ、それ、とても貴重な本だと言ってたよね? そんな大事な物をどうして俺に?」

 彼女の様子から本当は手放したくないと思っているのがわかったので、不思議に思って聞いてみた。

「あの、寮監さんが命の恩人にはお礼をしないといけないと。それで、私の一番大事なものがいいのではと思ったのですが…。」

 大事なものが古代魔術文字の本!

 貴重さだけで選んだか、はたまた古代魔術文字が読めない俺に対する当てつけかと思ったが、様子を見た限り、本気で自分の宝物をくれるつもりだったようだ。

 小柄なせいもあるが、大きな本を抱えて困る彼女が可愛らしい小動物に思えてきて、つい構ってみたくなった。

「その気持ちは嬉しいんだけど、俺は古代魔術文字がまだ読めないし、君ほど好きじゃないと思うんだよね。だからその本は君が持ってるのが一番良いと思うんだ。」

 そう告げると、彼女はあからさまに嬉しそうな顔をして、本をぎゅっと抱きしめた。
 それから、はっと気が付いて、上目遣いに見上げてくる。

 リスが大きなクルミを抱えて見上げて来たようでかなりツボに嵌まった。

「でも、この本が駄目なら、ルキウスさんに助けてもらったお礼は、どうしたらいいのでしょうか。」

 その言葉を待っていた俺は、にっこりと笑いながら言った。

「こういう時はね、美味しい物を、奢ればいいんだよ。ちょうどいい場所を知っているから、次の日曜一緒に行こう? そこで俺にケーキ奢って? それがお礼で。」
「ケーキ・・・。」

女の子なら喜ぶかと思っていた提案に、彼女の困惑が深まったように見えて、俺も困惑した。

「もしかして、嫌い?」

恐る恐る聞いてみたら、

「いえ、食べたことがないのでわからないのです。」

 という予想外の答えに、禁止事項なのを忘れて、何処から来たのか聞きそうになってしまった。

 本当にこの子はリスで、山奥から来たのかも。

 
 日曜午後。安くて美味しいと聞いた五番街のケーキ屋で、テーブルに置かれたケーキを前にラシェルが震えている。

「これが、ケーキですか。お名前はなんでしたっけ?」
「フルーツタルト。」
「フルーツタルト。・・・ぴかぴかで華やかできれいですねえ。これ、本当に食べ物なんですか?」
「うん、食べないと腐るからな。とっとと食え。それから、そろそろお互い丁寧に話すのやめよ。同い年だし。」
「わかった。じゃ、これどうやって食べるの?」

 こう、と俺は自分の前に置かれたフルーツタルトに、ぐさりとフォークを刺して一口サイズに切り、口に入れる。

 それを見ていたラシェルが、ひゃーと言いながら口に手をあてて慄いている。
 今日の彼女は、上半分だけ纏めて、あとは下ろす形で髪を結っている。見た目だけは、お淑やかな感じだ。

 惜しいことに服が、制服の焦げ茶色のズボンにクリーム色のシャツなのだ。せめて制服のスカートにしてくれたら良かったのに。

 後日聞いたら、ズボンしか持ってないと言われた。

 この髪型なら、ふわっとしたワンピースなんか似合いそうなのになあ。彼女が着るなら、緑か黄色くらいがいいか。
 街へ行く時用に、華美でない私服を数枚持つことは許可されているが、ラシェルは持っていないらしい。

 俺は数枚持っていて、今日は一番、いいやつを着てきたんだが。

 待ち合わせ場所に、彼女がいつもの制服姿で現れた時、目立ち過ぎるからと、思わずローブを剥ぎ取ったのは仕方ないと思う。

 そいや、あのローブ、彼女は今持ってないけど、どこいったんだ?

 まあ、デートじゃないし、服装についての文句は言うまい。俺は彼女の髪型を話題にしてみることにした。

「その髪型も似合ってるな。いつも自分でやってるのか?」

 ケーキの何処からフォークを入れるか、真剣な表情で考えている彼女に何気なく尋ねると、
「まさか。私は一つに結ぶことしか出来ないわ。出掛けに貴方と街に行くといったら、寮監さんがしてくれたの。」
ケーキを睨んだまま、床にぶっ倒れていた彼女らしい返答だけが返ってきた。

 彼女は、大事そうに少しずつ、削るようにケーキを食べながら自分のことについて話してくれた。

 あれ以来、寮監さんが気にかけてくれること、自分でも気をつけているが、夢中になるとついつい寝食を忘れてしまうこと、住んでいた建物の壁に古代魔術文字があり、そこから興味を持ち、その研究がしたくて魔術師になろうと思ったこと。

 特に古代魔術文字の話になるとフォークが止まり、いつまでも話している。
 残念ながら話していることが専門的過ぎて、今の俺にはほとんど理解できない。でも、一生懸命話す姿が可愛いので、そのまま眺めていたら自分の皿は空になって、彼女の方はほとんど手つかずということになってしまった。

 一生懸命、口を開けて話す彼女の姿に、ふと悪戯心が湧いた。俺は彼女の皿からフォークを取ると、ケーキを小さく切って、話し続ける彼女の口元に運んでみた。

ぱくり

もぐもぐ

なんのてらいもなく口を開けて彼女は食べた。

 これってうさぎに、葉っぱとかやる感じ?

 そういえば、昔から小動物が好きでいつか飼ってみたかったんだよな。今まで機会はなかったけれど。
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