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番外編3 来訪者 前編
しおりを挟むゴロンゴロンとひと抱えもありそうな大きさの緑や赤、紫の珠が丘の上から転がり落ちてきた。
「おおっ!?」
「そこの人、逃げてー!」
「あああっ、すみません!」
運悪く丘の下を通りかかった人が逃げる間もなくその珠に跳ね飛ばされて宙を舞った。
運良く近くに積まれていた干し草の上に落ちた不運の人を、慌てて駆け寄ったサッラが助け起こし、追いついてきたネイリッカが土下座せんばかりに頭を下げた。
「あなた、大丈夫!? ……あれ?」
「申し訳ございませんっ、お怪我は……あれ?」
サッラは首を傾げ、ネイリッカは目を見張ってその人を見つめた。
目の前の女性はこのあたりでは見かけたことがない人物で、手入れの行き届いた長い豪奢な金髪を無造作に帽子に突っ込み、上質な男物の服を着ている。目を閉じていればハッとするような美しさなのだが、目を開ければ気怠げな雰囲気で、トロンとした目はネイリッカと同じように左右で色が違っていた。ただ、彼女の瞳は左が緑で右が空色だった。
「……もしかして、ヌルミ姉様ですか!?」
「おや、ネイリッカにちょうどよく会えた。これぞ天のお導き。ネイリッカ、お前に会うために私はこんな所まではるばるやって来たのだよ」
「ヌルミ姉様、ご無沙汰致しております。お元気そうで嬉しく思います」
森を歩いて汚れた麻のスカートをドレスのように摘んでお姫様のような礼をするネイリッカへヌルミと呼ばれた女性が軽く頷いて応える。そのやり取りにサッラは周囲を見渡して草地と森の中にいきなり宮廷が現れたみたいだわ、と違和感を醸し出す二人を眺めた。
「で、このお嬢さんはお前の侍女、というわけではないのだろう?」
「はい、彼女は私の友人のサッラです」
「なるほど、『友人』ね……」
どこか空虚な緑と空色の目にジッと見つめられてサッラは思わず一歩下がる。
この人、ネイリッカと同じ『空読み姫』なのに感情がなさそうでなんだか不気味!
「やあ、初めましてサッラ。私はヌルミ、ネイリッカと同じ『空読み姫』だ。これからよろしく頼むよ」
棒読みのような平坦な話し方で内容を理解するのに時間がかかった。しかも、彼女は言い終わらぬうちにズンズン歩いてくると、サッラの様子などお構い無しに綺麗なスベスベの手で草やベリーの汁で汚れたサッラの手をとりブンブンと振った。
……ナニコレ。こんなに感情のない挨拶をされたのは初めてだわ。
サッラは呆然として握られた自分の手を見つめ、ヌルミはそれに頓着することなくこれで良しとばかりに頷くと、側に転がっている青い実を叩いた。
「これはネイリッカが巨大化させたブルーベリーだな? 想定以上に大きいな……」
ヌルミは珍しげにペタペタと触って匂いを嗅いでいる。次いで近くのスグリやコケモモの実も同じように確認して回り、その流れでネイリッカの顔もペタペタ触ってじっくり眺め回した。
「……あのう、ヌルミ姉様。私の顔に何か」
ついていますか? とネイリッカが続ける前にヌルミの手が離れ、そこに誰かが飛び込んできた。
「どこのどなたか存じませんが、僕の婚約者に気軽に触れないでもらえますか!?」
ネイリッカを背にかばうように立ちふさがったのはアルヴィで、彼はヌルミと目が合うなり固まった。
「え、女性!? え、目の色が違うってことはネイリッカの友達!?」
慌てて振り返って尋ねる彼の顔は真っ赤で、ネイリッカは思わず吹き出してしまった。
「うふっ。ヴィー、この方は私の友達ではなく、姉様です。空読みの塔では年上の人は皆、姉様とお呼びするのです」
「ヴィー……ああ! 君がネイリッカの元夫か! ……ふーん、なるほど本当に普通だね」
『普通』を貶されたととったアルヴィは顔を歪めた。
「普通で悪かったですね」
「いや、気を悪くさせてすまない。私が言った普通は態度についてだよ。空読み姫相手に威圧するでも阿るでもなく、他の皆と同じように接している。なるほどネイリッカは本当に稀な所に嫁いだのだな」
ああ、私はこんな格好をしているがネイリッカの姉なので嫉妬はしなくてもいい、と付け足したヌルミにアルヴィは慌てて謝罪した。
「大変失礼致しました。男物の服を着ておられたので、つい見間違ってしまいました」
「うん。私は旅用に動きやすさ重視でこの姿なのだが、女であることを隠してはいない。元夫殿はネイリッカが自分以外の男に触られていると思った途端、嫉妬で頭に血が上って何も見えなくなったのだろう」
仲良きことは麗しきかな、と一人頷くヌルミに何も言い返せず、口をパクパクさせているだけのアルヴィを見てサッラがニヤニヤしている。その横でネイリッカが口を尖らせヌルミへ抗議の声を上げた。
「ヌルミ姉様、アルヴィは『元夫』ですが、今は『婚約者』なので、元夫と連呼しないでください」
いずれ夫に戻るのです、と頰を膨らませたネイリッカへヌルミは楽しそうに目を細めた。
「ネイリッカも言うじゃないか。では、親愛の情を込めて『ネイリッカの未来の夫殿』と」
「姉様、長過ぎです!」
「では、ネイリッカに習ってヴィーと呼ぼうか」
「それはお断りします。村の人には『アル』と呼ばれているのでそちらでお願いします」
ネイリッカが何かを言う前にアルヴィがきっぱり断る。
承った、と頷いたヌルミが周囲へ首を巡らせて帽子を取り、艶たっぷりの金の髪を空中に振りまきながらアルヴィに笑いかけた。
「では、アル。早速だが、私を皆へ紹介してもらえまいか?」
その言葉でネイリッカ達が周りを見ると、近くにいた村人達が集まって人垣を作っていた。
「……凄え、美女がいる」
「コリャ、ドレスを着せたら美し過ぎて目が潰れるんでないかい?」
「ネイリッカちゃんといると忘れちまうけど『空読み姫』様って本当はこんなに豪華な美女なんだねえ」
村人達の遠慮のない会話にネイリッカが震え、ヌルミのほうは称賛されることに慣れているようでゆったりと手を振って愛想を振りまいていた。
アルヴィが俯くネイリッカを慰めようと手を伸ばした途端、顔を上げたネイリッカが叫んだ。
「皆さん、確かにヌルミ姉様は素晴らしい美しさですが! 私だって『空読み姫』なのです、大人になればこーんなふうな美人になるに違いありません!」
フンッ、と腰に手を当て胸を反らせたネイリッカに周りの人々は顔の前に出した手を盛大に横に振った。
「あと三年くらいじゃろ? ナイナイ」
「そりゃ、無理だわな」
「ネイリッカちゃんはなー……」
「大丈夫、ネイリッカちゃんはすっごく可愛いからね!」
ちびっこのひと声に皆、揃って頷く。アルヴィは先を越されたと伸ばした手を引っ込め自分の頰をかきつつ、胸の前で手を組んで感動しているネイリッカへ柔らかい笑みを向けた。
「リッカはもうすでに素晴らしく可愛いから、美しい『空読み姫』になるんじゃなくて、そのまま可愛い『空読み姫』になってくれたらいいんだよ」
「そ、そうですか!?」
赤くなって照れるネイリッカの横でスミレが巨大化し、ヌルミが目を剥いた。
「えっ!? ネイリッカ、お前、いつ加護を使った!?」
「ネイリッカはいっつもこうよ? なにか変なの?」
ヌルミの隣にいたサッラが聞きつけて不思議そうに問い返すと、彼女は顔を顰めて何かを払うように首を横に振った。
「何かって……こりゃ、規格外も規格外、とんでもないことだよ」
「どう、変なの?」
「変というか、通常はね、地の加護はこういうふうに手をかざして念じてやっと発動するものなんだ。ネイリッカも塔にいる頃はそうやっていた。それがこれは大きさもさることながら、発動の仕方も見たことがない。加護が無意識に垂れ流されるなんて前代未聞だよ」
腕を組んで目の前の巨大スミレを睨むヌルミの説明に、今度はサッラが目を丸くした。
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