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番外編1 夜空を見上げて
しおりを挟む目が覚めて、見上げた天井が黒い梁と白い漆喰であることにホッと息を吐く。それから直ぐ側で聞こえる小さな寝息に頬が緩む。そうっと手を伸ばしてその柔らかくて温かい毛を撫でれば、目を閉じたまま猫のティクルが身体をぐっと伸ばし可愛らしい頭をこちらへすりつけてきた。
・・・ティクルさんはお日様に干したようななんとも言えない良い匂いがします。
フカフカのお腹に顔を埋もれさせて大きく息を吸い込む。その毎朝の幸せな習慣の後、顔に張り付いた毛を払ったネイリッカはベッドに身体を起こして伸びをした。
王都から戻ってきて一月が経った。ヤルヴィとメッツァの領主となったオリヴェルと契約をし直したネイリッカは、アルヴィの婚約者として相変わらずこの古い領主館で暮らしていた。
ガタついている木枠の窓を左右いっぱいに開けて眼下の畑を眺めれば、お父さんのオリヴェルと婚約者のアルヴィが人参の間引きをしていた。抜いた若葉は今日の朝ごはんになるのだろう。お母さんのユッタが作ってくれる人参の葉のサラダを思い浮かべたネイリッカのお腹がくぅーっと鳴る。
「ティクルさん、急いで朝ごはんのお手伝いに行きましょう!」
寝間着をスポンと脱いでベッドの上に放り投げ、素早く綿のワンピースを被ったネイリッカに促されたティクルがベッドから飛び降りた。
「台所まで競争です!」
一人と一匹がお互いの全速力で階段を駆け下りていく。
「お母さん、カイさん、おはようございます! 寝坊してすみません」
飛び込んだ台所ではユッタと同居人のカイが出来上がったばかりの料理をテーブルに並べていた。
「あらおはよう、ネイリッカちゃん。寝坊なんてとんでもない。昨日も遅くまで頑張ってたんでしょ、もう少し寝ててもよかったくらいよ。でもちょうどよかったわ、手と顔を洗ったらアル達を呼んできて」
はーい、と元気よく返事をして身体の向きを変えたネイリッカの視線の先では、ティクルがカイの背に乗って自分の餌が用意される様子をを見守っていた。
「アルー、お父さーん、おはようございます! ごはんですよー」
「おはよう、ネイリッカちゃん。今日も元気で何より」
立ち上がったオリヴェルが首にかけた手拭いで顔をふきふき、朝日のようにきらめく笑顔を返した。その近くで人参の葉でいっぱいになったザルを抱えたアルヴィが爽やかな笑顔を浮かべた。
「やあ、リッカ。おはよう。昨日かなり遅くまで刺繍してたでしょ、目の下に隈ができてる。ヴェールは完成した?」
「はい! なんとか間に合いました。今日花嫁様にお届けしたいと思います」
「お疲れ様! じゃあ、午後でよければ僕がメッツァの館まで送って行くよ」
「いいのですか!? あ、サッラも髪飾りを完成させていたら一緒に乗せていってもらってもよろしいですか?」
もちろん、と快諾したアルヴィはネイリッカの隣にやってくるとニコリ、と笑った。
途端、ネイリッカの心臓がぴょんと跳ねた。
アルヴィの前髪という壁がなくなって以降、彼に真っ直ぐ見つめられるとネイリッカは落ち着かなくなる。笑顔なんて向けられた日には顔が熱くなって心臓はドキドキして、自分が何を話しているのか分からなくなって、手足の動かし方すら忘れてバラバラになってしまうくらいだ。
そういうわけで現在、ネイリッカの顔は真っ赤で挙動は不審なものになっており、さらにそんな彼女が可愛くて仕方ない彼からの満面の笑みで追撃を食らってしまった。
「これ、朝ごはんのサラダですよね?! 私、お母さんの所に持っていきますねっ」
ついに限界を超えたネイリッカは、彼の持っていたザルを奪ってユッタの元へと逃げ出した。
「いやー、何度見ても初々しいなあ」
「僕の婚約者が可愛すぎてたまらないっ・・・!」
目の上に片手をかざして駆けていくネイリッカを見送ったオリヴェルは、口元を覆って悶えている息子の横に来て穏やかに尋ねた。
「そう言えばアルの前髪、また伸びてきたよね。このまま元のように伸ばすの? その珍しい瞳を見られるのが嫌なんだろ?」
その言葉にアルヴィは自分の前髪をつまみ、真面目な顔になった。
「確かにこの目の色をジロジロ見られるのは嫌なんだけど、ネイリッカだって珍しい瞳なのに堂々としているのだから僕も切らなきゃ、とずっと思ってたんだ。きっかけはどうあれ、もう隠すのはやめる。何にも遮られずにネイリッカの目を見て話したいしね」
それだけ言って、先戻るね、とネイリッカの後を追って全速力で走って行く息子の背をオリヴェルは嬉しそうに見つめた。
その背後で人参が一本、熊ほどの大きさに育っていたが誰ももう気にしていなかった。
■■
「・・・ねえ、あなた達二人は元夫婦で今は婚約者なのよね? なんでそんなに距離があるの?」
荷馬車の御者台と荷台の最後尾に別れているアルヴィとネイリッカを見比べたサッラが呆れた。
手綱を握るアルヴィの隣ではサッラの兄のリュリュが楽しそうに喋っており、荷台にはメッツァへ運ぶ巨大な野菜や果物が積んである。それらを挟んだ馬車の最後尾にネイリッカとサッラがいるのだ。二人は迎えに来てくれた時からこの位置で、知らない人が見たら仲が悪いのかと思うだろう。
「アルとケンカしているわけじゃないんでしょ?」
「ケンカなんてとんでもない! ヴィーは、その、以前より大変優しくて何でも希望を聞いてくれて・・・一緒にいると眩しくてドキドキが止まらないのです!」
離れている理由をネイリッカが胸の前で握りこぶしを作って力説してくれたが、ただの惚気にしか聞こえない。馬を操るアルヴィの後ろ姿をデカい人参越しに見つめては頬を染めているネイリッカに、これでは婚約者じゃなくて片恋中の少女じゃないかとサッラは肩を竦めた。
目的地のメッツァの領主館は賑やかな音に満ち溢れていた。新領主のオリヴェル達が住まないのなら館はホテルにすればいいとカティヤが提案し、ただいま館はあちこち改修工事中なのだ。
アルヴィとリュリュは、ホテル開業に向けて巨大野菜を活かした料理の開発が進められているレストランへ荷を下ろしに行き、ネイリッカとサッラは館に程近い小さな家へ向かった。
その家にはサッラの長兄のエンシオとその婚約者が暮らしていて、ネイリッカ達は来週に控えた二人の婚礼を前にやっと完成させたヴェールと髪飾りを届けにきたのだった。
「まあ、なんて素敵な刺繍かしら! お二人共ありがとうございます」
「いえ、こんなぎりぎりまでお待たせしてしまい申し訳ありませんでした」
「いやいや。これはまた見事なヴェールと髪飾りじゃな。こんなに丁寧に刺繍を施してくれて、ネイリッカさん、サッラ、ありがとう」
二人は渡されたその品を大事そうに手に持って目を細めて見入っている。幸せそうに寄り添い合う二人はネイリッカの目に輝いて見えた。
その後、今度はヤルヴィへの荷を馬車に積んできたアルヴィとリュリュが合流し、皆でエンシオが腕をふるった夕食を御馳走になって帰路に着いた。
行きと同じ配置で荷馬車に乗り込もうとする二人にサッラが小さく叫んだ。
「また離れて座るつもりなの?!」
「えっ、なんだよサッラ。ネイリッカとアルは同じ家に住んでるのに馬車でも隣じゃないといけないのか? 俺はアルと話したいからこれでいいじゃん」
一理あるのか自分本位なのか、リュリュの主張が通ってまた最後尾に座ったネイリッカへサッラは頰を膨らませた。
「ネイリッカ、リュリュ兄ちゃんのことは気にしなくていいのよ? 兄ちゃんこそ、いっつもアルと喋っているんだから」
「いいのです。私は隣にいても緊張して上手く話せないので・・・」
「それでもアルはネイリッカに隣にいて欲しいんじゃない? エンシオ兄ちゃんだってお義姉さんと話してなくても、隣で幸せそうだったでしょ」
「そうでしょうか・・・」
大きく頷いたサッラにネイリッカは思案顔でアルヴィの背を見つめた。
「じゃ、また明日なー」
リュリュとサッラの家の前で二人を降ろし、荷馬車にはネイリッカとアルヴィだけになったものの、移動するきっかけを掴めないままネイリッカは最後尾で足をプラプラさせていた。
ヴィーの隣に座りたい。だけど、どう言えばいいのか、思いつかない。
もうすぐ館についてしまう、と焦りながら見上げた天には星々が煌めいていて、思わず言葉がこぼれ出た。
「「星が・・・」」
同時にアルヴィの声も重なって、顔を見合わせた二人は笑い声も重ねた。その雰囲気に押されたネイリッカは、アルヴィを見つめたまま一気に喋った。
「星が綺麗なので、ヴィーの隣で見てもいいですか?!」
頭の天辺から湯気がでそうなくらい全身が熱くなったけれど、言えた喜びで身体は浮き上がりそうだった。アルヴィもパッと顔を輝かせて弾んだ声を返す。
「もちろん! 僕もリッカと一緒に見たいと思ってたんだ。せっかくだから遠回りして帰ろうか」
「はいっ!」
嬉しくなったネイリッカは返事と同時にアルヴィの隣へぴょんと飛び乗った。
■■■■■■■■
たくさんの方に読んでいただきとても感謝しております。
他に連載中の作品もあるので新たに連載を立ち上げるのは難しいと思い、こちらは細々と不定期で番外編を更新していくスタイルにしました。よろしければ引き続き読んでやってください。
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