空読み姫の結婚

橘ハルシ

文字の大きさ
上 下
21 / 23

番外編1 夜空を見上げて

しおりを挟む

 目が覚めて、見上げた天井が黒い梁と白い漆喰であることにホッと息を吐く。それから直ぐ側で聞こえる小さな寝息に頬が緩む。そうっと手を伸ばしてその柔らかくて温かい毛を撫でれば、目を閉じたまま猫のティクルが身体をぐっと伸ばし可愛らしい頭をこちらへすりつけてきた。

 ・・・ティクルさんはお日様に干したようななんとも言えない良い匂いがします。

 フカフカのお腹に顔を埋もれさせて大きく息を吸い込む。その毎朝の幸せな習慣の後、顔に張り付いた毛を払ったネイリッカはベッドに身体を起こして伸びをした。


 王都から戻ってきて一月が経った。ヤルヴィとメッツァの領主となったオリヴェルと契約をし直したネイリッカは、アルヴィの婚約者として相変わらずこの古い領主館で暮らしていた。


 ガタついている木枠の窓を左右いっぱいに開けて眼下の畑を眺めれば、お父さんのオリヴェルと婚約者のアルヴィが人参の間引きをしていた。抜いた若葉は今日の朝ごはんになるのだろう。お母さんのユッタが作ってくれる人参の葉のサラダを思い浮かべたネイリッカのお腹がくぅーっと鳴る。

「ティクルさん、急いで朝ごはんのお手伝いに行きましょう!」

 寝間着をスポンと脱いでベッドの上に放り投げ、素早く綿のワンピースを被ったネイリッカに促されたティクルがベッドから飛び降りた。

「台所まで競争です!」

 一人と一匹がお互いの全速力で階段を駆け下りていく。

「お母さん、カイさん、おはようございます! 寝坊してすみません」

 飛び込んだ台所ではユッタと同居人のカイが出来上がったばかりの料理をテーブルに並べていた。

「あらおはよう、ネイリッカちゃん。寝坊なんてとんでもない。昨日も遅くまで頑張ってたんでしょ、もう少し寝ててもよかったくらいよ。でもちょうどよかったわ、手と顔を洗ったらアル達を呼んできて」

 はーい、と元気よく返事をして身体の向きを変えたネイリッカの視線の先では、ティクルがカイの背に乗って自分の餌が用意される様子をを見守っていた。


「アルー、お父さーん、おはようございます! ごはんですよー」
「おはよう、ネイリッカちゃん。今日も元気で何より」

 立ち上がったオリヴェルが首にかけた手拭いで顔をふきふき、朝日のようにきらめく笑顔を返した。その近くで人参の葉でいっぱいになったザルを抱えたアルヴィが爽やかな笑顔を浮かべた。

「やあ、リッカ。おはよう。昨日かなり遅くまで刺繍してたでしょ、目の下に隈ができてる。ヴェールは完成した?」
「はい! なんとか間に合いました。今日花嫁様にお届けしたいと思います」
「お疲れ様! じゃあ、午後でよければ僕がメッツァの館まで送って行くよ」
「いいのですか!? あ、サッラも髪飾りを完成させていたら一緒に乗せていってもらってもよろしいですか?」

 もちろん、と快諾したアルヴィはネイリッカの隣にやってくるとニコリ、と笑った。
 途端、ネイリッカの心臓がぴょんと跳ねた。
 
 アルヴィの前髪という壁がなくなって以降、彼に真っ直ぐ見つめられるとネイリッカは落ち着かなくなる。笑顔なんて向けられた日には顔が熱くなって心臓はドキドキして、自分が何を話しているのか分からなくなって、手足の動かし方すら忘れてバラバラになってしまうくらいだ。

 そういうわけで現在、ネイリッカの顔は真っ赤で挙動は不審なものになっており、さらにそんな彼女が可愛くて仕方ない彼からの満面の笑みで追撃を食らってしまった。

「これ、朝ごはんのサラダですよね?! 私、お母さんの所に持っていきますねっ」

 ついに限界を超えたネイリッカは、彼の持っていたザルを奪ってユッタの元へと逃げ出した。

「いやー、何度見ても初々しいなあ」
「僕の婚約者が可愛すぎてたまらないっ・・・!」

 目の上に片手をかざして駆けていくネイリッカを見送ったオリヴェルは、口元を覆って悶えている息子の横に来て穏やかに尋ねた。

「そう言えばアルの前髪、また伸びてきたよね。このまま元のように伸ばすの? その珍しい瞳を見られるのが嫌なんだろ?」

 その言葉にアルヴィは自分の前髪をつまみ、真面目な顔になった。

「確かにこの目の色をジロジロ見られるのは嫌なんだけど、ネイリッカだって珍しい瞳なのに堂々としているのだから僕も切らなきゃ、とずっと思ってたんだ。きっかけはどうあれ、もう隠すのはやめる。何にも遮られずにネイリッカの目を見て話したいしね」

 それだけ言って、先戻るね、とネイリッカの後を追って全速力で走って行く息子の背をオリヴェルは嬉しそうに見つめた。

 その背後で人参が一本、熊ほどの大きさに育っていたが誰ももう気にしていなかった。

■■

「・・・ねえ、あなた達二人は元夫婦で今は婚約者なのよね? なんでそんなに距離があるの?」

 荷馬車の御者台と荷台の最後尾に別れているアルヴィとネイリッカを見比べたサッラが呆れた。

 手綱を握るアルヴィの隣ではサッラの兄のリュリュが楽しそうに喋っており、荷台にはメッツァへ運ぶ巨大な野菜や果物が積んである。それらを挟んだ馬車の最後尾にネイリッカとサッラがいるのだ。二人は迎えに来てくれた時からこの位置で、知らない人が見たら仲が悪いのかと思うだろう。

「アルとケンカしているわけじゃないんでしょ?」
「ケンカなんてとんでもない! ヴィーは、その、以前より大変優しくて何でも希望を聞いてくれて・・・一緒にいると眩しくてドキドキが止まらないのです!」

 離れている理由をネイリッカが胸の前で握りこぶしを作って力説してくれたが、ただの惚気にしか聞こえない。馬を操るアルヴィの後ろ姿をデカい人参越しに見つめては頬を染めているネイリッカに、これでは婚約者じゃなくて片恋中の少女じゃないかとサッラは肩を竦めた。


 目的地のメッツァの領主館は賑やかな音に満ち溢れていた。新領主のオリヴェル達が住まないのなら館はホテルにすればいいとカティヤが提案し、ただいま館はあちこち改修工事中なのだ。

 アルヴィとリュリュは、ホテル開業に向けて巨大野菜を活かした料理の開発が進められているレストランへ荷を下ろしに行き、ネイリッカとサッラは館に程近い小さな家へ向かった。

 その家にはサッラの長兄のエンシオとその婚約者が暮らしていて、ネイリッカ達は来週に控えた二人の婚礼を前にやっと完成させたヴェールと髪飾りを届けにきたのだった。

「まあ、なんて素敵な刺繍かしら! お二人共ありがとうございます」
「いえ、こんなぎりぎりまでお待たせしてしまい申し訳ありませんでした」
「いやいや。これはまた見事なヴェールと髪飾りじゃな。こんなに丁寧に刺繍を施してくれて、ネイリッカさん、サッラ、ありがとう」

 二人は渡されたその品を大事そうに手に持って目を細めて見入っている。幸せそうに寄り添い合う二人はネイリッカの目に輝いて見えた。

 その後、今度はヤルヴィへの荷を馬車に積んできたアルヴィとリュリュが合流し、皆でエンシオが腕をふるった夕食を御馳走になって帰路に着いた。
 
 行きと同じ配置で荷馬車に乗り込もうとする二人にサッラが小さく叫んだ。

「また離れて座るつもりなの?!」
「えっ、なんだよサッラ。ネイリッカとアルは同じ家に住んでるのに馬車でも隣じゃないといけないのか? 俺はアルと話したいからこれでいいじゃん」

 一理あるのか自分本位なのか、リュリュの主張が通ってまた最後尾に座ったネイリッカへサッラは頰を膨らませた。

「ネイリッカ、リュリュ兄ちゃんのことは気にしなくていいのよ? 兄ちゃんこそ、いっつもアルと喋っているんだから」
「いいのです。私は隣にいても緊張して上手く話せないので・・・」
「それでもアルはネイリッカに隣にいて欲しいんじゃない? エンシオ兄ちゃんだってお義姉さんと話してなくても、隣で幸せそうだったでしょ」
「そうでしょうか・・・」

 大きく頷いたサッラにネイリッカは思案顔でアルヴィの背を見つめた。


「じゃ、また明日なー」

 リュリュとサッラの家の前で二人を降ろし、荷馬車にはネイリッカとアルヴィだけになったものの、移動するきっかけを掴めないままネイリッカは最後尾で足をプラプラさせていた。

 ヴィーの隣に座りたい。だけど、どう言えばいいのか、思いつかない。

 もうすぐ館についてしまう、と焦りながら見上げた天には星々が煌めいていて、思わず言葉がこぼれ出た。

「「星が・・・」」

 同時にアルヴィの声も重なって、顔を見合わせた二人は笑い声も重ねた。その雰囲気に押されたネイリッカは、アルヴィを見つめたまま一気に喋った。

「星が綺麗なので、ヴィーの隣で見てもいいですか?!」

 頭の天辺から湯気がでそうなくらい全身が熱くなったけれど、言えた喜びで身体は浮き上がりそうだった。アルヴィもパッと顔を輝かせて弾んだ声を返す。

「もちろん! 僕もリッカと一緒に見たいと思ってたんだ。せっかくだから遠回りして帰ろうか」
「はいっ!」

 嬉しくなったネイリッカは返事と同時にアルヴィの隣へぴょんと飛び乗った。 






■■■■■■■■
たくさんの方に読んでいただきとても感謝しております。
他に連載中の作品もあるので新たに連載を立ち上げるのは難しいと思い、こちらは細々と不定期で番外編を更新していくスタイルにしました。よろしければ引き続き読んでやってください。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹と婚約者の逢瀬を見てから一週間経ちました

編端みどり
恋愛
男爵令嬢のエリザベスは、1週間後に結婚する。 結婚前の最後の婚約者との語らいは、あまりうまくいかなかった。不安を抱えつつも、なんとかうまくやろうと婚約者に贈り物をしようとしたエリザベスが見たのは、廊下で口付をする婚約者と妹だった。 妹は両親に甘やかされ、なんでも姉のものを奪いたがる。婚約者も、妹に甘い言葉を囁いていた。 あんな男と結婚するものか! 散々泣いて、なんとか結婚を回避しようとするエリザベスに、弟、婚約者の母、友人は味方した。 そして、エリザベスを愛する男はチャンスをものにしようと動き出した。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】 王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。 しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。 「君は俺と結婚したんだ」 「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」 目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。 どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

誰の子か分からない子を妊娠したのは私だと義妹に押し付けられた~入替義姉妹~

富士とまと
恋愛
子爵家には二人の娘がいる。 一人は天使のような妹。 もう一人は悪女の姉。 本当は、二人とも義妹だ。 義妹が、私に変装して夜会に出ては男を捕まえる。 私は社交の場に出ることはない。父に疎まれ使用人として扱われているから。 ある時、義妹の妊娠が発覚する。 義妹が領地で出産している間、今度は私が義妹のフリをして舞踏会へ行くことに……。そこで出会ったのは ……。 ハッピーエンド!

【完結】優しくて大好きな夫が私に隠していたこと

恋愛
陽も沈み始めた森の中。 獲物を追っていた寡黙な猟師ローランドは、奥地で偶然見つけた泉で“とんでもない者”と遭遇してしまう。 それは、裸で水浴びをする綺麗な女性だった。 何とかしてその女性を“お嫁さんにしたい”と思い立った彼は、ある行動に出るのだが――。 ※ ・当方気を付けておりますが、誤字脱字を発見されましたらご遠慮なくご指摘願います。 ・★が付く話には性的表現がございます。ご了承下さい。

妹に人生を狂わされた代わりに、ハイスペックな夫が出来ました

コトミ
恋愛
子爵令嬢のソフィアは成人する直前に婚約者に浮気をされ婚約破棄を告げられた。そしてその婚約者を奪ったのはソフィアの妹であるミアだった。ミアや周りの人間に散々に罵倒され、元婚約者にビンタまでされ、何も考えられなくなったソフィアは屋敷から逃げ出した。すぐに追いつかれて屋敷に連れ戻されると覚悟していたソフィアは一人の青年に助けられ、屋敷で一晩を過ごす。その後にその青年と…

え?わたくしは通りすがりの元病弱令嬢ですので修羅場に巻き込まないでくたさい。

ネコフク
恋愛
わたくしリィナ=ユグノアは小さな頃から病弱でしたが今は健康になり学園に通えるほどになりました。しかし殆ど屋敷で過ごしていたわたくしには学園は迷路のような場所。入学して半年、未だに迷子になってしまいます。今日も侍従のハルにニヤニヤされながら遠回り(迷子)して出た場所では何やら不穏な集団が・・・ 強制的に修羅場に巻き込まれたリィナがちょっとだけざまぁするお話です。そして修羅場とは関係ないトコで婚約者に溺愛されています。

処理中です...