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10、イェッセ、考える
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「ネイリッカ、今の暮らしはどう? 随分と貧しい領地に行かされたと聞いて心配していたんだ。確かに着ているものは粗末で汚れているけれど、君自身は伸び伸びと楽しそうだね」
イェッセと一緒に馬に乗っていたネイリッカは、声の方へ首を巡らして破顔した。
「そうなのです。聞いてください、イェッセ。なんとびっくり、私はお父さんとお母さんとヴィーとカイさんとティクルさんの『家族』なのですよ!」
ほう、と感嘆の息を吐き出したイェッセは心の底から喜んでいるネイリッカを見下ろしてそれは凄い、と微笑んだ。
「そうか、家族か。君が幸せそうで私も嬉しいよ。で、そのティクルさんという人が君の夫のアルヴィ殿の『奥の花嫁』かい?」
「いいえ! ティクルさんは猫さんです。とてもふわふわで素敵な方で、いつも一緒に寝てくださるのです」
「猫・・・? そうか、アルヴィ殿はまだ十四だから結婚していないのか。『奥の花嫁』になる人と顔合わせは済んでるの?」
「いいえ! 『奥の花嫁』様はまだいらっしゃらないので、現在のところ私は『唯一の花嫁』なのです」
ネイリッカの輝くような笑顔へ王族スマイルを返しつつ、イェッセの頭は忙しく働いていた。
これは想定外だ。まさか、領主の息子なのに婚約者がいないとは。
もし、ネイリッカを生涯『唯一の花嫁』にするつもりだったらどうしよう。
予定が大幅に狂っていきそうな予感にイェッセの顔が険しくなった。
「イェッセ様、何かございましたか?」
「いや、大丈夫だ」
主の気配に馬を寄せてきた部下へ首を振りつつ、声には出さず唇の形だけで『予定を変更する』とだけ伝える。
部下はハッとしたように苦渋の顔をしている主と笑顔のまま前を向いているネイリッカを見比べた後、軽く礼をして下がった。
「あっ! イェッセ、あそこにいるのが領主のお父さんです! お父さーん、お客様ですよ」
領主一家が住むという館は、そこら辺の民家に毛が生えた程度で壁も柵もない防御力0の建物だった。さらに、その前のちっぽけな畑で鍬を振るっている土まみれの大男が領主、だと?!
馬上から大きく手を振ってはしゃぐネイリッカにイェッセの顔がますます険しくなった。
ここまでの道中、出会った領民全てが気軽にネイリッカに声を掛け、彼女もまた全員の名を呼んで親しく挨拶を交わしていた。
この短時間でイェッセは彼女が想定以上にこの土地と人々へ愛着を持ち、領主一家とも大変親密であることを感じ取って自分の立てた計画が全て使えないことを知った。
彼は、今から始まるヤルヴィの領主との交渉に丸腰で挑むことになり、穏やかに挨拶を交わしつつも頭の中では必死で次の対策を練っていた。
■■
「『空読み姫』様の共有?! そんなことができるのですか?!」
最大限に目を丸くし、声を上げたヤルヴィ領主のオリヴェルにイェッセの部下が再度、丁寧に分かりやすく説明する。
「ええ、先程申し上げたように陛下の許可は得ております。昨今、『空読み姫』様の生まれる数が激減しており、特に『地の加護』を持つ方は三人しかおられません。そこで、我がメッツァの隣の地の『空読み姫』様であり、力が豊富なネイリッカ様に、こちらの土地にも加護を頂きたいということなのです」
要は『お前の領地は小さいから空読み姫の力が余っているだろう、よこせ』ということかと一緒に話を聞いていたアルヴィは内心ため息をついた。
父に呼ばれて挨拶を交わして以来、メッツァの領主だというキラキラしい王子様から敵意ある視線を向けられている気がする。
隣に座っているネイリッカも何か感じるのか、ソワソワしている。いや、ソワソワしているのはその膝の上のティクルだ。彼もイェッセと名乗った垢抜けた姿の王子に時折睨まれているのが分かるのだろう。それでもネイリッカの膝から下りないのは、一人前に彼女を守っているつもりなのかもしれない。
アルヴィは驚き過ぎて固まっている父の横で、ガタついたテーブルを挟んで威圧感たっぷりに居並ぶメッツア御一行を眺めた。
第四王子のイェッセの右隣に老年の男、左隣に壮年の騎士。老年の方は態度が横柄で、王子の側役という地位をカサにきて、いかにも貧しいこの領地全てを見下していることが態度に出まくっている。はっきり言って大変不愉快だ。
ネイリッカも悪意を感じているのだろう、彼が喋るたびに落ち着かなさそうに瞬きをしている。壮年の騎士は護衛以外はしないのか、話には加わらず周囲を鋭い目で見回している。ネズミくらいしかいないと思うが。
アルヴィはもう一度王子を盗み見てからネイリッカに目を移した。
実は王子一行が到着する少し前、アルヴィのところに葉っぱだらけのリュリュとサッラが飛び込んできて『ヤバい! 王子がお前からネイリッカを奪おうとしているぞ』『ネイリッカはなんにも気がついてないから騙されちゃいそう』と口々に報告してきていたのだった。
実際は『奪う』ではなく『共有』だったわけだが、油断は出来ない。隣で思考が迷宮入りしている父に代わってアルヴィが交渉の席についた。
「父に代わって僕からお尋ねしたいのですが、彼女が両方の領地へ加護を授けるというのは具体的にどういう方法で行うのですか?」
共有する、などというネイリッカを物のように扱う言い方はしたくなかった。まだ一年しか一緒に過ごしていないが、彼女はアルヴィの妹であり、妻であり、一番大事にしたい女の子だった。
そのアルヴィの小さな反抗のような気概は直ぐにイェッセに通じたようで、彼の眉間に皺が寄った。
「まずは私とも契約してもらう。その後、我が領内に専用の屋敷を用意するつもりだ」
ここよりずっといい生活ができる、とつけ足したイェッセへ真っ先に異を唱えたのは意外なことにネイリッカだった。
「私の家は此処です。イェッセと契約すれば、ここに住んでいても加護はメッツァへも届くと思います」
「バカを言うな! ここにお主が住んだら我がメッツァが属領だと思われるだろうが! お前は国の物なのだから、イェッセ殿下の言うことに大人しく従っていればいいのだっ」
老年の男がバンとテーブルを叩いて立ち上がり、顔を真っ赤にして大口を開けてネイリッカに向かって怒鳴った。直ぐに隣のアルヴィがネイリッカを庇うように抱きしめる。それを見たイェッセの心が痛んだ。
「ヤミ、止めろ! 廊下で頭を冷やしてこい」
イェッセが鋭い声で叱り、壮年の騎士が慌ててヤミと呼ばれた男を部屋の外へ連れ出したが、ネイリッカはすっかり怯えきっていた。
アルヴィの腕の中で猫を抱きしめ目に涙をためて唇を震わせつつ、彼女はイェッセを真っ直ぐに見つめて言った。
「確かに私は国によって育てられました。けれども、物ではありません。私はこのヤルヴィの地を富ませるために此処にいます。私にとってはメッツァもヤルヴィも同じように大事な土地です」
零れそうになる涙を堪えながら訴えるネイリッカにイェッセが頭を下げた。
「部下がすまなかった。私は今回の件でどちらかが属領になるなどとは、考えていない。ただ、メッツァの方が広いし蓄えがあるから、君はうちで暮らした方がヤルヴィの負担にもならなくていいかと思っただけだよ」
ヤルヴィの負担、と聞いた途端ネイリッカが勢いよくアルヴィを見る。イェッセも彼がどう反応するか注意深く見守った。
「リッカが負担だなんて、僕達もこの村の人達も全く思ってないから気にしなくていいよ。それより、君の楽しそうな姿を見られないことの方が辛いかな」
前髪が長すぎて全く表情が窺えない男だが、声だけでもどれほどネイリッカを慈しんでいるかが分かって、イェッセはこっそりと唇を噛み締めた。
こんな状態で無理やり引き離したら、こちらが嫌われてしまう。だが、属領扱いというわけではないが、ずっとヤルヴィで暮らされるのも気分が悪い。
こんなはずではなかった。もっとすんなりと喜んで彼女は幼馴染の自分の元へ来ると思っていた。『空読み姫』である彼女がこんなにもヤルヴィの人々に受け入れられ、愛されていると思っていなかった。
イェッセと一緒に馬に乗っていたネイリッカは、声の方へ首を巡らして破顔した。
「そうなのです。聞いてください、イェッセ。なんとびっくり、私はお父さんとお母さんとヴィーとカイさんとティクルさんの『家族』なのですよ!」
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「いいえ! ティクルさんは猫さんです。とてもふわふわで素敵な方で、いつも一緒に寝てくださるのです」
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ネイリッカの輝くような笑顔へ王族スマイルを返しつつ、イェッセの頭は忙しく働いていた。
これは想定外だ。まさか、領主の息子なのに婚約者がいないとは。
もし、ネイリッカを生涯『唯一の花嫁』にするつもりだったらどうしよう。
予定が大幅に狂っていきそうな予感にイェッセの顔が険しくなった。
「イェッセ様、何かございましたか?」
「いや、大丈夫だ」
主の気配に馬を寄せてきた部下へ首を振りつつ、声には出さず唇の形だけで『予定を変更する』とだけ伝える。
部下はハッとしたように苦渋の顔をしている主と笑顔のまま前を向いているネイリッカを見比べた後、軽く礼をして下がった。
「あっ! イェッセ、あそこにいるのが領主のお父さんです! お父さーん、お客様ですよ」
領主一家が住むという館は、そこら辺の民家に毛が生えた程度で壁も柵もない防御力0の建物だった。さらに、その前のちっぽけな畑で鍬を振るっている土まみれの大男が領主、だと?!
馬上から大きく手を振ってはしゃぐネイリッカにイェッセの顔がますます険しくなった。
ここまでの道中、出会った領民全てが気軽にネイリッカに声を掛け、彼女もまた全員の名を呼んで親しく挨拶を交わしていた。
この短時間でイェッセは彼女が想定以上にこの土地と人々へ愛着を持ち、領主一家とも大変親密であることを感じ取って自分の立てた計画が全て使えないことを知った。
彼は、今から始まるヤルヴィの領主との交渉に丸腰で挑むことになり、穏やかに挨拶を交わしつつも頭の中では必死で次の対策を練っていた。
■■
「『空読み姫』様の共有?! そんなことができるのですか?!」
最大限に目を丸くし、声を上げたヤルヴィ領主のオリヴェルにイェッセの部下が再度、丁寧に分かりやすく説明する。
「ええ、先程申し上げたように陛下の許可は得ております。昨今、『空読み姫』様の生まれる数が激減しており、特に『地の加護』を持つ方は三人しかおられません。そこで、我がメッツァの隣の地の『空読み姫』様であり、力が豊富なネイリッカ様に、こちらの土地にも加護を頂きたいということなのです」
要は『お前の領地は小さいから空読み姫の力が余っているだろう、よこせ』ということかと一緒に話を聞いていたアルヴィは内心ため息をついた。
父に呼ばれて挨拶を交わして以来、メッツァの領主だというキラキラしい王子様から敵意ある視線を向けられている気がする。
隣に座っているネイリッカも何か感じるのか、ソワソワしている。いや、ソワソワしているのはその膝の上のティクルだ。彼もイェッセと名乗った垢抜けた姿の王子に時折睨まれているのが分かるのだろう。それでもネイリッカの膝から下りないのは、一人前に彼女を守っているつもりなのかもしれない。
アルヴィは驚き過ぎて固まっている父の横で、ガタついたテーブルを挟んで威圧感たっぷりに居並ぶメッツア御一行を眺めた。
第四王子のイェッセの右隣に老年の男、左隣に壮年の騎士。老年の方は態度が横柄で、王子の側役という地位をカサにきて、いかにも貧しいこの領地全てを見下していることが態度に出まくっている。はっきり言って大変不愉快だ。
ネイリッカも悪意を感じているのだろう、彼が喋るたびに落ち着かなさそうに瞬きをしている。壮年の騎士は護衛以外はしないのか、話には加わらず周囲を鋭い目で見回している。ネズミくらいしかいないと思うが。
アルヴィはもう一度王子を盗み見てからネイリッカに目を移した。
実は王子一行が到着する少し前、アルヴィのところに葉っぱだらけのリュリュとサッラが飛び込んできて『ヤバい! 王子がお前からネイリッカを奪おうとしているぞ』『ネイリッカはなんにも気がついてないから騙されちゃいそう』と口々に報告してきていたのだった。
実際は『奪う』ではなく『共有』だったわけだが、油断は出来ない。隣で思考が迷宮入りしている父に代わってアルヴィが交渉の席についた。
「父に代わって僕からお尋ねしたいのですが、彼女が両方の領地へ加護を授けるというのは具体的にどういう方法で行うのですか?」
共有する、などというネイリッカを物のように扱う言い方はしたくなかった。まだ一年しか一緒に過ごしていないが、彼女はアルヴィの妹であり、妻であり、一番大事にしたい女の子だった。
そのアルヴィの小さな反抗のような気概は直ぐにイェッセに通じたようで、彼の眉間に皺が寄った。
「まずは私とも契約してもらう。その後、我が領内に専用の屋敷を用意するつもりだ」
ここよりずっといい生活ができる、とつけ足したイェッセへ真っ先に異を唱えたのは意外なことにネイリッカだった。
「私の家は此処です。イェッセと契約すれば、ここに住んでいても加護はメッツァへも届くと思います」
「バカを言うな! ここにお主が住んだら我がメッツァが属領だと思われるだろうが! お前は国の物なのだから、イェッセ殿下の言うことに大人しく従っていればいいのだっ」
老年の男がバンとテーブルを叩いて立ち上がり、顔を真っ赤にして大口を開けてネイリッカに向かって怒鳴った。直ぐに隣のアルヴィがネイリッカを庇うように抱きしめる。それを見たイェッセの心が痛んだ。
「ヤミ、止めろ! 廊下で頭を冷やしてこい」
イェッセが鋭い声で叱り、壮年の騎士が慌ててヤミと呼ばれた男を部屋の外へ連れ出したが、ネイリッカはすっかり怯えきっていた。
アルヴィの腕の中で猫を抱きしめ目に涙をためて唇を震わせつつ、彼女はイェッセを真っ直ぐに見つめて言った。
「確かに私は国によって育てられました。けれども、物ではありません。私はこのヤルヴィの地を富ませるために此処にいます。私にとってはメッツァもヤルヴィも同じように大事な土地です」
零れそうになる涙を堪えながら訴えるネイリッカにイェッセが頭を下げた。
「部下がすまなかった。私は今回の件でどちらかが属領になるなどとは、考えていない。ただ、メッツァの方が広いし蓄えがあるから、君はうちで暮らした方がヤルヴィの負担にもならなくていいかと思っただけだよ」
ヤルヴィの負担、と聞いた途端ネイリッカが勢いよくアルヴィを見る。イェッセも彼がどう反応するか注意深く見守った。
「リッカが負担だなんて、僕達もこの村の人達も全く思ってないから気にしなくていいよ。それより、君の楽しそうな姿を見られないことの方が辛いかな」
前髪が長すぎて全く表情が窺えない男だが、声だけでもどれほどネイリッカを慈しんでいるかが分かって、イェッセはこっそりと唇を噛み締めた。
こんな状態で無理やり引き離したら、こちらが嫌われてしまう。だが、属領扱いというわけではないが、ずっとヤルヴィで暮らされるのも気分が悪い。
こんなはずではなかった。もっとすんなりと喜んで彼女は幼馴染の自分の元へ来ると思っていた。『空読み姫』である彼女がこんなにもヤルヴィの人々に受け入れられ、愛されていると思っていなかった。
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