空読み姫の結婚

橘ハルシ

文字の大きさ
上 下
10 / 26

10、イェッセ、考える

しおりを挟む
「ネイリッカ、今の暮らしはどう? 随分と貧しい領地に行かされたと聞いて心配していたんだ。確かに着ているものは粗末で汚れているけれど、君自身は伸び伸びと楽しそうだね」

 イェッセと一緒に馬に乗っていたネイリッカは、声の方へ首を巡らして破顔した。

「そうなのです。聞いてください、イェッセ。なんとびっくり、私はお父さんとお母さんとヴィーとカイさんとティクルさんの『家族』なのですよ!」

 ほう、と感嘆の息を吐き出したイェッセは心の底から喜んでいるネイリッカを見下ろしてそれは凄い、と微笑んだ。

「そうか、家族か。君が幸せそうで私も嬉しいよ。で、そのティクルさんという人が君の夫のアルヴィ殿の『奥の花嫁』かい?」
「いいえ! ティクルさんは猫さんです。とてもふわふわで素敵な方で、いつも一緒に寝てくださるのです」
「猫・・・? そうか、アルヴィ殿はまだ十四だから結婚していないのか。『奥の花嫁』になる人と顔合わせは済んでるの?」
「いいえ! 『奥の花嫁』様はまだいらっしゃらないので、現在のところ私は『唯一の花嫁』なのです」

 ネイリッカの輝くような笑顔へ王族スマイルを返しつつ、イェッセの頭は忙しく働いていた。

 これは想定外だ。まさか、領主の息子なのに婚約者がいないとは。
 もし、ネイリッカを生涯『唯一の花嫁』にするつもりだったらどうしよう。

 予定が大幅に狂っていきそうな予感にイェッセの顔が険しくなった。

「イェッセ様、何かございましたか?」
「いや、大丈夫だ」

 主の気配に馬を寄せてきた部下へ首を振りつつ、声には出さず唇の形だけで『予定を変更する』とだけ伝える。
 部下はハッとしたように苦渋の顔をしている主と笑顔のまま前を向いているネイリッカを見比べた後、軽く礼をして下がった。


「あっ! イェッセ、あそこにいるのが領主のお父さんです! お父さーん、お客様ですよ」

 領主一家が住むという館は、そこら辺の民家に毛が生えた程度で壁も柵もない防御力0の建物だった。さらに、その前のちっぽけな畑で鍬を振るっている土まみれの大男が領主、だと?!

 馬上から大きく手を振ってはしゃぐネイリッカにイェッセの顔がますます険しくなった。

 ここまでの道中、出会った領民全てが気軽にネイリッカに声を掛け、彼女もまた全員の名を呼んで親しく挨拶を交わしていた。

 この短時間でイェッセは彼女が想定以上にこの土地と人々へ愛着を持ち、領主一家とも大変親密であることを感じ取って自分の立てた計画が全て使えないことを知った。
 彼は、今から始まるヤルヴィの領主との交渉に丸腰で挑むことになり、穏やかに挨拶を交わしつつも頭の中では必死で次の対策を練っていた。

■■

「『空読み姫』様の共有?! そんなことができるのですか?!」

 最大限に目を丸くし、声を上げたヤルヴィ領主のオリヴェルにイェッセの部下が再度、丁寧に分かりやすく説明する。

「ええ、先程申し上げたように陛下の許可は得ております。昨今、『空読み姫』様の生まれる数が激減しており、特に『地の加護』を持つ方は三人しかおられません。そこで、我がメッツァの隣の地の『空読み姫』様であり、力が豊富なネイリッカ様に、こちらの土地にも加護を頂きたいということなのです」

 要は『お前の領地は小さいから空読み姫の力が余っているだろう、よこせ』ということかと一緒に話を聞いていたアルヴィは内心ため息をついた。

 父に呼ばれて挨拶を交わして以来、メッツァの領主だというキラキラしい王子様から敵意ある視線を向けられている気がする。

 隣に座っているネイリッカも何か感じるのか、ソワソワしている。いや、ソワソワしているのはその膝の上のティクルだ。彼もイェッセと名乗った垢抜けた姿の王子に時折睨まれているのが分かるのだろう。それでもネイリッカの膝から下りないのは、一人前に彼女を守っているつもりなのかもしれない。

 アルヴィは驚き過ぎて固まっている父の横で、ガタついたテーブルを挟んで威圧感たっぷりに居並ぶメッツア御一行を眺めた。

 第四王子のイェッセの右隣に老年の男、左隣に壮年の騎士。老年の方は態度が横柄で、王子の側役という地位をカサにきて、いかにも貧しいこの領地全てを見下していることが態度に出まくっている。はっきり言って大変不愉快だ。
 ネイリッカも悪意を感じているのだろう、彼が喋るたびに落ち着かなさそうに瞬きをしている。壮年の騎士は護衛以外はしないのか、話には加わらず周囲を鋭い目で見回している。ネズミくらいしかいないと思うが。

 アルヴィはもう一度王子を盗み見てからネイリッカに目を移した。
 実は王子一行が到着する少し前、アルヴィのところに葉っぱだらけのリュリュとサッラが飛び込んできて『ヤバい! 王子がお前からネイリッカを奪おうとしているぞ』『ネイリッカはなんにも気がついてないから騙されちゃいそう』と口々に報告してきていたのだった。

 実際は『奪う』ではなく『共有』だったわけだが、油断は出来ない。隣で思考が迷宮入りしている父に代わってアルヴィが交渉の席についた。

「父に代わって僕からお尋ねしたいのですが、彼女が両方の領地へ加護を授けるというのは具体的にどういう方法で行うのですか?」

 共有する、などというネイリッカを物のように扱う言い方はしたくなかった。まだ一年しか一緒に過ごしていないが、彼女はアルヴィの妹であり、妻であり、一番大事にしたい女の子だった。

 そのアルヴィの小さな反抗のような気概は直ぐにイェッセに通じたようで、彼の眉間に皺が寄った。

「まずは私とも契約してもらう。その後、我が領内に専用の屋敷を用意するつもりだ」

 ここよりずっといい生活ができる、とつけ足したイェッセへ真っ先に異を唱えたのは意外なことにネイリッカだった。

「私の家は此処です。イェッセと契約すれば、ここに住んでいても加護はメッツァへも届くと思います」
「バカを言うな! ここにお主が住んだら我がメッツァが属領だと思われるだろうが! お前は国の物なのだから、イェッセ殿下の言うことに大人しく従っていればいいのだっ」

 老年の男がバンとテーブルを叩いて立ち上がり、顔を真っ赤にして大口を開けてネイリッカに向かって怒鳴った。直ぐに隣のアルヴィがネイリッカを庇うように抱きしめる。それを見たイェッセの心が痛んだ。

「ヤミ、止めろ! 廊下で頭を冷やしてこい」

 イェッセが鋭い声で叱り、壮年の騎士が慌ててヤミと呼ばれた男を部屋の外へ連れ出したが、ネイリッカはすっかり怯えきっていた。
 アルヴィの腕の中で猫を抱きしめ目に涙をためて唇を震わせつつ、彼女はイェッセを真っ直ぐに見つめて言った。

「確かに私は国によって育てられました。けれども、物ではありません。私はこのヤルヴィの地を富ませるために此処にいます。私にとってはメッツァもヤルヴィも同じように大事な土地です」

 零れそうになる涙を堪えながら訴えるネイリッカにイェッセが頭を下げた。

「部下がすまなかった。私は今回の件でどちらかが属領になるなどとは、考えていない。ただ、メッツァの方が広いし蓄えがあるから、君はうちで暮らした方がヤルヴィの負担にもならなくていいかと思っただけだよ」

 ヤルヴィの負担、と聞いた途端ネイリッカが勢いよくアルヴィを見る。イェッセも彼がどう反応するか注意深く見守った。

「リッカが負担だなんて、僕達もこの村の人達も全く思ってないから気にしなくていいよ。それより、君の楽しそうな姿を見られないことの方が辛いかな」

 前髪が長すぎて全く表情が窺えない男だが、声だけでもどれほどネイリッカを慈しんでいるかが分かって、イェッセはこっそりと唇を噛み締めた。

 こんな状態で無理やり引き離したら、こちらが嫌われてしまう。だが、属領扱いというわけではないが、ずっとヤルヴィで暮らされるのも気分が悪い。

 こんなはずではなかった。もっとすんなりと喜んで彼女は幼馴染の自分の元へ来ると思っていた。『空読み姫』である彼女がこんなにもヤルヴィの人々に受け入れられ、愛されていると思っていなかった。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

【完結】長い眠りのその後で

maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。 でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。 いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう? このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!! どうして旦那様はずっと眠ってるの? 唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。 しょうがないアディル頑張りまーす!! 複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です 全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む) ※他サイトでも投稿しております ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

婚約破棄すると言われたので、これ幸いとダッシュで逃げました。殿下、すみませんが追いかけてこないでください。

桜乃
恋愛
ハイネシック王国王太子、セルビオ・エドイン・ハイネシックが舞踏会で高らかに言い放つ。 「ミュリア・メリッジ、お前とは婚約を破棄する!」 「はい、喜んで!」  ……えっ? 喜んじゃうの? ※約8000文字程度の短編です。6/17に完結いたします。 ※1ページの文字数は少な目です。 ☆番外編「出会って10秒でひっぱたかれた王太子のお話」  セルビオとミュリアの出会いの物語。 ※10/1から連載し、10/7に完結します。 ※1日おきの更新です。 ※1ページの文字数は少な目です。 ❇❇❇❇❇❇❇❇❇ 2024年12月追記 お読みいただき、ありがとうございます。 こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。 ※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~

サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――

冤罪による婚約破棄を迫られた令嬢ですが、私の前世は老練の弁護士です

知見夜空
恋愛
生徒たちの前で婚約者に冤罪による婚約破棄をされた瞬間、伯爵令嬢のソフィ―・テーミスは前世を思い出した。 それは冤罪専門の老弁護士だったこと。 婚約者のバニティ君は気弱な彼女を一方的に糾弾して黙らせるつもりだったらしいが、私が目覚めたからにはそうはさせない。 見た目は令嬢。頭脳はおじ様になった主人公の弁論が冴え渡る! 最後にヒロインのひたむきな愛情も報われる逆転に次ぐ逆転の新感覚・学内裁判ラブコメディ(このお話は小説家になろうにも投稿しています)。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

処理中です...