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2、ドキドキの対面
しおりを挟むネイリッカは夫となる相手のことを聞くのに緊張し過ぎて、手をぐるぐるし続けた結果、髪がどんどん巻き上げられ、ついには手が髪の繭に包まれて解けなくなって痛さのあまり半べそをかき始めた。
今日までの間、テキパキと自分のやるべきことをこなし、ややもすればオリヴェルのことまでやってしまう勢いだった、しっかり者に見えたネイリッカの中に女の子らしい恥じらいと年相応な表情が垣間見えたことでオリヴェルは笑みをこぼした。
たった数日一緒に過ごす内に、彼の中で彼女は娘のような存在になっていた。(まあ実際、義娘になっているわけだが)
オリヴェルは巻きついた髪からネイリッカの手を解放してやりながら、温かな声で答えた。
「ネイリッカ殿、うちの息子はアルヴィといって十三歳でね。まだ結婚していないから『奥の花嫁』はいないよ。だから、気を遣わなくていい。私の妻も貴方が来てくれてきっと娘が出来たと大喜びするだろう」
ネイリッカは新しく得た夫の情報に顔をぽっと上気させた。
「お名前はアルヴィ様、私の三つ年上ですか!『奥の花嫁様』はまだおられないんですね。・・・では、来たるべき同居の日に備えて、私はアルヴィ様の婚約者様と頑張って友好を育みたいと思います!」
「いや、息子に婚約者はまだいないんだ」
「そうなのですか?!」
「うん。ほら、うちはつい最近まで庶民だったから。前の領主殿が何をやっても貧しさから抜け出せないことに嫌気が差して、遠い昔に縁戚だったという口伝だけでうちに領主職を押し付けて他国に行っちゃったんだよねえ」
「まあ、そうだったのですね」
口に手を当てて目を丸くしながらネイリッカはチラッと考えた。
もしかして、しばらくの間アルヴィ様の妻は私一人なのでは? もしかしてそのまま『唯一の花嫁』に・・・いえ、そんなことを考えてはダメ。私は『表の花嫁』なのよ、お飾りなのだから。夢見ちゃダメ。
ぶんぶんと首を振って邪な考えを霧散させたネイリッカは車窓の外へ視線を向けた。
馬車はひたすら荒野の中の細い土の道を走り続けていたのだが、気がつけば疎らに民家や畑が目に入りだした。
しばらくして簡素な民家の中にそこそこ大きな木造二階建ての家が見えてきた。ささやかな丘の上に立つその家の赤い屋根には、可愛らしい風見鶏がついていた。
どうやらこの馬車はそこに向かっているようだった。ということは、あれがヤルヴィの領主館ということになる。
ネイリッカはこれから暮らす場所をよく見ようと窓ガラスに手を当てた。
彼女の視線が上がるとともに馬車の速度が落ちていき、ついに館の前に止まった。
ネイリッカはパッと顔を輝かせ、オリヴェルを振り返った。
「着いたみたいですよ! 降りましょう、ご領主様」
「いや、ちょっと待って! ネイリッカ殿、言い忘れたことがっ、うわあっ?!」
馬車が止まると同時に、扉を開けて外へ飛び出たネイリッカを引き止めようと手を伸ばしたオリヴェルは、そのまま頭から転げ落ちてしまった。
「あなた!」
迎えに出ていた黒髪の女性が、駆け寄って片手でひょいとオリヴェルの襟首を摘んで助け起こす。
オリヴェルもずいぶんと逞しい身体つきだったが、この女性もかなり筋肉がついて頼れる風貌をしている。
「おお・・・力持ちですね!」
小さく手を叩いて感嘆の声を上げたネイリッカに、女性の手をとって立ち上がったオリヴェルが照れながら紹介した。
「ネイリッカ殿、彼女が私の大切な妻のユッタだよ。見ての通り、とても力持ちで素敵な人なんだ。ユッタ、彼女がうちの『空読み姫』になってくれたネイリッカ殿」
そう言ってオリヴェルは妻のユッタを愛しそうに見つめた。
(ご領主様は奥様をとても愛していらっしゃるのね。これが愛のある夫婦というものなんだわ!)
ネイリッカは初めて間近で見た、愛し合う夫婦に感動して二人を見上げた。
紹介されたユッタはというと少し赤くなったものの、ネイリッカへの驚きが勝っているようで、彼女に視線が釘付けになっていた。
ユッタと目があったネイリッカは仕込まれた挨拶用の笑みを浮かべ、丁寧にお辞儀をすると、挨拶の口上を述べた。
「はじめまして、ユッタ様。私、この度ヤルヴィの『空読み姫』になりましたネイリッカと申します。大変若輩者で至らぬ点が多々ございましょうが、末永くよろしくお願いいたします。」
「こ、こちらこそよろしくお願いいたします、ネイリッカ様。・・・ええと、その本当に貴方様が夫の『表の花嫁』なのですか・・・?」
ぎこちなく、どこかおどおどと尋ねてきたユッタの顔は半ば青ざめていて、目の前の少女が同じ夫を分け合う相手になったことを受け入れられずにいることが窺えた。
ああ、とネイリッカとオリヴェルが顔を見合わせた。
「いえ、その、陛下のご命令により私はご子息のアルヴィさまの『表の花嫁』となることに決まりました。あの、もしやあちらの方がアルヴィさまでしょうか? キレイな銀髪の方ですが、想像より随分と大人の方でびっくりしています」
目をぱちくりとさせて言うネイリッカの視線をたどったオリヴェルとユッタは、同時に吹き出した。
「あははっ、ネイリッカ殿。彼はうちの手伝いをしてくれているカイだよ。年も私より随分と上だから貴方にとってはおじいちゃんくらいじゃないかな。」
「あら、そうなのですね。私、男の人はあまり知らないものですから、勘違いしてしまいました。では、アルヴィさまは何処に・・・?」
ネイリッカはカイに向かってお辞儀をしてから、不安気に辺りを見まわした。
一面に広がる畑と牛やヤギが寝転ぶ草っぱら。奥の方に森があるのも見える。正面の建物が領主館なのだろうが、予想以上に小さく木造で古い造りのものだった。
玄関前にいるのは先程教えてもらったカイ一人だけ。もしかして領主の館にいるのはこの人数だけなのだろうか。
想像していたよりずっと貧しい様子にネイリッカの不安は増した。
(私はこの土地に『空読み姫』として、どれだけのことができるのでしょうか)
初めて王宮を出て、導いてくれる人も頼る人もいない一人ぼっちで、ここの天気を予知し、災害から人々を守り、地を豊かにし領民を富ませる。
それをこれからたった一人でやるのだ。ネイリッカは今やっと、その責任の重さに気がついた。
そして気がついたことで、自分への皆の期待も認識した。あの時王はオリヴェルが『地の加護』を熱望していると言っていた。
確かにこの土地は痩せすぎている。眼前に広がっている畑の野菜達からは覇気が感じられない。
王宮内にいる間は全く気にしていなかったのだが、自分に備わっている『地の加護』はどれほどのものか、皆の期待に応えられるようなものなのか。
この土地を自分の力でどれほど富ませることができるのだろうか。
少しは持っていた自信が全くなくなったネイリッカは、無意識にぎゅっと両手を握りしめた。
その時、彼女の背後から爽やかな声が響いた。
「父さん、おかえりなさい。出迎えに遅れてごめん。・・・あれ? 『空読み姫』様は何処なの? まさか、うちを見て怒って帰ったんじゃないよね?」
それを聞いたネイリッカは逃げ出したくなった。
アルヴィらしい男の子の口調からは、『空読み姫』に対する皮肉げな感情が伝わってきたからだ。
そういえば、自分の能力と引き換えに際限ない贅沢を望む『空読み姫』は、豊かではない土地では歓迎されない場合があると噂に聞いたことがある。
彼はネイリッカを贅沢を望む女だと思っているのではないだろうか。
(私、もしかしたらアルヴィさまに歓迎されてないんじゃないでしょうか?!)
その可能性が大であると悟ったネイリッカの顔から血の気が引いた。
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