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2 貴方のお名前は何ですか?
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フッと目が覚めた。口を開けて寝ていたのか、喉が渇いている。薄暗く静まり返った部屋で水を求め身体を起こそうとして激痛にうめき声が漏れた。
「気がついた?身体は・・・痛いよね。ああ、喉が渇いたの?今用意するね。」
枕元から低く穏やかな声が聞こえ、驚いてそちらを見れば小さな明かりで本を読んでいた人が立ち上がった。
「動かない方がいい。幸い骨は折れてなかったけれど、酷い打撲で当分安静だってさ。」
暗がりになって顔など全く分からなかったが、声や匂いからすると水を飲ませてくれたその人が助けてくれた人のようだった。
そして知らないうちにお医者様による手当を受けたようで、身体中に湿布と包帯が巻いてあった。
「あの、助けていただいて、お医者様まで呼んでくださりありがとうございます。」
掠れて小さな声しか出なかったが、必死でそれだけ告げればその人の方が辛そうな声になった。
「僕の方こそ、謝らないと。もっと早くに君を見つけていれば、こんな目にあわさずに済んだのに。本当に申し訳ない。」
「そんな、謝っていただくなんてとんでもないことです。私を助けて頂いただけで十分です。死にたくなかったので本当に助かりました。」
「うん、君の命が無事でよかった。君は自分の身体にたくさん布を巻きつけて自分を守っていたんだね。よく頑張った、もう二度とあんな目にあわせないから安心して朝までもう少しお休み。」
優しい声で告げられると、すうっとまぶたが降りてきた。まだ聞きたいことがたくさんあるのに身体は休息を欲していて、私はそのまま眠りに吸い込まれていった。
■■
翌朝、目が覚めて知らない場所に寝ていることに驚いた。
しばらく目をパチパチ瞬いていたら、少しずつ思い出してきた。
そういえば私、知らない人に助けられたのだった。あの人はただの親切な人なのか、それともなにか他に目的があるのか。
もし後者だとしても、兄に暴力を振るわれ続けるより幾分かマシになればいいのに。全く期待はしてないけれど、と室内を見回した私は息を呑んだ。
生まれ育った城の王の間よりも豪華絢爛な天井、壁、床。調度品も何もかもが最高級品だ。
「ここは、どこ?」
答えは返って来ないと分かっていても漏れてしまったその言葉は、ちょうど部屋へ入って来た誰かの耳に入ったらしかった。
「おはよう。ここは、本城内だよ。僕が自由に使える部屋だから気がねなく使って。それで、気分はどう?」
その言葉に耳を疑う。本城内、つまりこの部屋は帝国の本城の中?!
学院も広大な城内の端っこだし、昨夜の学院生の夜会も城内ではあったが、ど真ん中にそびえ立つ帝国の中心である本城に入ったのは入学する前の謁見の時、ただ一度きりだ。しかも、その時は他の学生達と一緒で私は例のごとく隅っこで小さくなっていて皇帝陛下のお姿すら見えなかった。
「まさか、そんな。私のようなものが恐れ多い・・・」
「何言ってるの、君達は皇帝陛下が各国から預かっている大事な人なんだよ。本来ならこういうことが起こらないように監視する義務があるんだ。とりあえず今回の件は伝えておいた。まあ、善処するとは言っていたけれど、国が大きくなると動きが鈍くなって困るね。」
世界最大の版図を誇る帝国の皇帝へ平然と文句が言えるこの青年は一体誰なのだろう。
疑問が顔に出ていたのか、彼はハタと気がついたように手を打った。
「そういえば、まだ名乗ってなかったね。僕はテオドール・ハーフェルト。帝国領ではない国からの留学生だよ。」
この人があの有名な隣国の貴族、ハーフェルト次期公爵閣下なの?!
私は驚愕して風の噂で名前だけは知っていた目の前の人物をマジマジと見た。
珍しい灰色の短い髪はサラサラで薄青の切れ長の目は真っ直ぐこちらを見ている。それからとても背が高い。見た目は優しげだけど性格は大変キツく、下心を持って近づけば手酷いしっぺ返しをくらうという話だ。
また、彼の父親は『溺愛公爵』の異名をとるほどの愛妻家で、息子の彼と結婚すれば同じように大事に愛されて、その莫大な資産を使いたい放題になるという話がまことしやかにささやかれている。
それで、猛吹雪より凄い勢いであちこちから婚約の話が降り注いでいるらしいが、未だお相手が決まっていないとも聞く。そして彼は大変計算高く無駄が嫌いらしい。
ということは、きっと何か目的があって私を助けてくれたのだろう。これまでの親切と優しさは何か魂胆があってのことなんだ。
私にどんな利用価値があるのか全くわからないけれど、助けてもらったお礼ができるかもしれない。私は何も持ってない人間だから返すものがないと困っていたのでホッとした。
彼はベッドから起き上がれず寝たままの私の側に椅子を運んできて座り、じっと私の目を見て小首を傾げた。
「それで、君の名前は?」
「私の名前・・・?」
生まれてこの方、名前など呼ばれたことはない。いつもオイ、とかゴミクズ、マヌケ、今なら綿ぼこりが多いだろうか?
「ゴミクズか綿ぼこり・・・?」
「は?何を言ってるの?」
「あの、誰からも名を呼ばれたことが無いので分かりません・・・。それに私はあまり文字が読めないのです。」
「一度も呼ばれたことがない?!文字が読めない?!」
驚いて口を開けっ放しの彼に頷けば、その目が一瞬キュッと閉じられた。そして直ぐに紙とペンを持ってきて私へ差し出した。
「ペンは持てる?入学時の書類へは直筆の署名が必要だったからサインはしたよね?その時に書いた文字をこの紙に書いてみて。」
確かに学院に入る時、たくさんの書類にサインをさせられた。私は読み書きが出来ない為、紙切れを渡されてこの綴りをそのまま書け、と言われたものをよく分からないまま黙って写して書いた記憶がある。
確か、こんな綴りだったかな・・・これが、私の名前なの?
私が思い出しながらたどたどしく書く文字を食い入るように見ていた彼が、優しい顔になった。
「君の名前はシルフィア、だ。シルフィア、これからは誰が呼ばなくても僕が君の名前を呼ぶ。いいね?」
生まれて初めて自分の名前を呼ばれた。
綿ぼこりやゴミ、と呼ばれるより何だかくすぐったくて胃の辺りがほわほわする。
初めて名前を呼ばれてどう反応していいか分からず目を瞬いている私を見て、彼が目元を緩ませた。
「そうそう、シルフィア。昨夜、僕は本当に君を探していたんだよ。」
「私は何をしでかしましたか?!」
やはり、理由があったと慄けば、彼は緩く頭を振って続けた。
「先日、僕が落とした万年筆を拾ってくれたでしょ。」
そういえばそんなことがあった。前を歩く人が落とした万年筆は、見るからに年代物で大事に使われていた。それで、こんな嫌われ者の私に声を掛けられたら物凄く嫌がられるに違いないとは思ったけれど、勇気を振り絞って声を掛けたのだった。
もちろん、緊張しすぎて相手の顔など見ていない。
「実はその時に君の袖から痣が見えてね。それからずっと気になっていたのだけど、一度も会えなくて。夜会は全員参加だから絶対にいると思って探していたんだ。間に合わなくて本当にごめんね。」
私はとんでもない、と首を横に振った。彼は困ったように笑った後、真剣な顔つきになった。
「ところで兄のヒリスからの暴力は今回が初めてじゃないよね?随分古い傷や治りかけの打撲痕があると医者に聞いたけど。」
正直に答えるのは国の恥を晒すようで憚られて、私は目を泳がせた。
「ええと・・・その、診察に掛かったお金は時間がかかるかもしれませんが、いつか必ずお返し致します。」
態度でバラしたようなものだったが、テオドール様はそれ以上は聞かず、ため息だけで済ませてくれた。
「お金のことは気にしなくていいよ。それより今は君のこれからを考えよう?」
「私の・・・これから?」
そんなものは考えたことがない。逃げようと試みたこともあったけれど、直ぐに無理だと悟って後は日々、どう生き延びるかだけを考えてきたのだ。
「シルフィア、僕は君をヒリスの手から救いたい。そのために、僕の頼みを聞いてくれないだろうか?」
彼に名前を呼ばれるたびに耳が熱くなる。
この人なら、私を今よりマシな場所に連れて行ってくれる気がする。私はこくっと一つ頷いた。
◆◆◆◆◆
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次期公爵閣下のテオ君は拙作『色褪せ令嬢』シリーズに出てきます。
はい、宣伝にもならないお知らせです…。
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「動かない方がいい。幸い骨は折れてなかったけれど、酷い打撲で当分安静だってさ。」
暗がりになって顔など全く分からなかったが、声や匂いからすると水を飲ませてくれたその人が助けてくれた人のようだった。
そして知らないうちにお医者様による手当を受けたようで、身体中に湿布と包帯が巻いてあった。
「あの、助けていただいて、お医者様まで呼んでくださりありがとうございます。」
掠れて小さな声しか出なかったが、必死でそれだけ告げればその人の方が辛そうな声になった。
「僕の方こそ、謝らないと。もっと早くに君を見つけていれば、こんな目にあわさずに済んだのに。本当に申し訳ない。」
「そんな、謝っていただくなんてとんでもないことです。私を助けて頂いただけで十分です。死にたくなかったので本当に助かりました。」
「うん、君の命が無事でよかった。君は自分の身体にたくさん布を巻きつけて自分を守っていたんだね。よく頑張った、もう二度とあんな目にあわせないから安心して朝までもう少しお休み。」
優しい声で告げられると、すうっとまぶたが降りてきた。まだ聞きたいことがたくさんあるのに身体は休息を欲していて、私はそのまま眠りに吸い込まれていった。
■■
翌朝、目が覚めて知らない場所に寝ていることに驚いた。
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もし後者だとしても、兄に暴力を振るわれ続けるより幾分かマシになればいいのに。全く期待はしてないけれど、と室内を見回した私は息を呑んだ。
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「ここは、どこ?」
答えは返って来ないと分かっていても漏れてしまったその言葉は、ちょうど部屋へ入って来た誰かの耳に入ったらしかった。
「おはよう。ここは、本城内だよ。僕が自由に使える部屋だから気がねなく使って。それで、気分はどう?」
その言葉に耳を疑う。本城内、つまりこの部屋は帝国の本城の中?!
学院も広大な城内の端っこだし、昨夜の学院生の夜会も城内ではあったが、ど真ん中にそびえ立つ帝国の中心である本城に入ったのは入学する前の謁見の時、ただ一度きりだ。しかも、その時は他の学生達と一緒で私は例のごとく隅っこで小さくなっていて皇帝陛下のお姿すら見えなかった。
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世界最大の版図を誇る帝国の皇帝へ平然と文句が言えるこの青年は一体誰なのだろう。
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「そういえば、まだ名乗ってなかったね。僕はテオドール・ハーフェルト。帝国領ではない国からの留学生だよ。」
この人があの有名な隣国の貴族、ハーフェルト次期公爵閣下なの?!
私は驚愕して風の噂で名前だけは知っていた目の前の人物をマジマジと見た。
珍しい灰色の短い髪はサラサラで薄青の切れ長の目は真っ直ぐこちらを見ている。それからとても背が高い。見た目は優しげだけど性格は大変キツく、下心を持って近づけば手酷いしっぺ返しをくらうという話だ。
また、彼の父親は『溺愛公爵』の異名をとるほどの愛妻家で、息子の彼と結婚すれば同じように大事に愛されて、その莫大な資産を使いたい放題になるという話がまことしやかにささやかれている。
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「それで、君の名前は?」
「私の名前・・・?」
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態度でバラしたようなものだったが、テオドール様はそれ以上は聞かず、ため息だけで済ませてくれた。
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「私の・・・これから?」
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「シルフィア、僕は君をヒリスの手から救いたい。そのために、僕の頼みを聞いてくれないだろうか?」
彼に名前を呼ばれるたびに耳が熱くなる。
この人なら、私を今よりマシな場所に連れて行ってくれる気がする。私はこくっと一つ頷いた。
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