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番外編

公爵夫人のお出かけ 中編

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 「リーンハルト様、今日は何が何でもエルベの視察に行かねばなりませんよ。丁度お仕事も早く終わりましたし、寄って行きましょう。」
 
 城での仕事を早めに終わらせ、屋敷でエミーリアとお茶をしようとうきうきしていた僕は、そのままヘンリックに街へ引きずられていった。
 
 見ぬふりを続けていたけれど、現地に直接行かねばならないものが溜まっているのは僕も分かっていたから、大人しくそれに従う。
 
 
 領地関係のことは今までエミーリアに任せていたけど、彼女が妊娠したことで僕がやらなくてはいけなくなった。
 
 結婚前までは一人でやっていたし、やること自体は問題ないのだけど、妻との時間が減ることが大いに辛かった。
 
 書類仕事ならエミーリアと一緒にやったり、彼女の寝顔を見ながらでもできたけど、現地確認が必要なものはちょっと溜め気味になっていたんだ。
 
 ・・・仕方ない、覚悟を決めて今日全部終わらせていこう。
 
 
 いつものように街の入口で馬車を降りて順に用を済ませて行く。
 
 ほとんど終わり街の中心に近づいた時、道端で立ち話をしているご婦人方が、僕に気づいて軽く会釈をしつつ話しかけてきた。
 
 「ご領主様、こんにちは。奥方様も先程お見かけしましたけれど、お元気そうで安心しました。今日は久しぶりに待ち合わせてデートですか?いいですねえ。」
 
 「こんにちは。いや、彼女は屋敷に居るはずなんだけど。本当にエミーリアだった?」
 
 あり得ない話に驚きつつ返せば、ご婦人は買い物かごを持っていない方の手を頬に当てて首を傾げた。
 
 「あら、そうなのですか?じゃあ見間違いだったのかしら。奥方様に似た方がとても楽しそうに街を歩いてらしたから、てっきり。」
 「その人はどっちへ歩いて行った?」
 「広場の方へ向かってましたよ。帽子で髪が見えなかったから断定は出来ませんが、瞳は灰色に見えました。」
 
 その言葉に僕は隣のヘンリックと顔を見合わせて首を捻った。
 
 灰色の瞳の人は皆無ではないけれどこの街にそう多くはない。
 もしかして、本当にエミーリアが街にいる?
 いるとしたらどうして?
 
 主治医のゾフィーからはいつでも外出して大丈夫と言われているけど、僕が心配で彼女には公爵邸内に居てもらっている、はずだ。
 
 
 ご婦人方に別れを告げた僕は狐につままれたような気持ちのまま、最後の視察場所に向かった。
 
 「あ、ご領主様だー!」
 「フリッツは急いで帰っちゃったよ。」
 「やあ、君達。いつも元気そうだね。通りがかっただけで、フリッツに用があるわけではないからいいんだ。」
 「そうなの?じゃあ、奥方様を探してるの?ボク、さっき会ったよ。」
 「あっ言っちゃダメだって!」
 「エミーリアと会ったの?!」
 「うーん、会ったような、会ってないような・・・。」
 「ここにあるクッキーいる?」
 「欲しい!・・・です。」
 「エミーリアと会った?」
 「会い、まし、た!僕等に言っちゃダメだよって言って走ってったよ。」
 「エミーリアは走ってたの?!」
 「うん、早足くらいだったけど。」
 
 フリッツの友人達に出会って賑やかに話しかけられた。
 彼等はいつも元気いっぱいで、お菓子と引き換えに大人が知らないことや秘密にしていることを教えてくれる。
 
 どうやらエミーリアは本当に街に来ているらしい。
 
 彼等に口止めしたということは、多分、一人でこっそり抜け出したのだろう。あの厳重警戒の中、よく出てこられたと感心する。いや、さすがエミーリアというべきか。
 
 僕はため息をついてどうするべきか悩んだ。
 彼女を捕まえて帰って、また閉じ込めれば僕は安心できるけど、それは正解じゃない気がする。
 
 どうするべきか考えつつ最後の用を済ませ、彼女が向かったという広場へ行ってみることにした。
 
 
 エルベの街の中心に位置するこの広場は、いつも屋台が複数出ており、街の人のみならず他所からも数多くの人が訪れる。
 
 今日も賑わうその場所で、僕は直ぐに大事な人を見つけた。
 
 大きな帽子を不自然なほどに目深にかぶり、ベンチに座って休んでいる。
 
 ああ、本当にエミーリアがいた。
 
 どこにいたって、どんな格好をしていたって僕の目には彼女しか映らない。
 
 僕はそのまま向こうからは分からないように建物の影に隠れて彼女の様子を窺った。
 
 あの格好は散歩用の軽装だ。どうやったかわからないけれど、どうやら邸内の散歩中に抜け出してきたらしい。
 
 座ったままリズムを取るように伸ばした足をパタパタさせながら、本当に楽しそうに周りを見渡している。
 
 あんな嬉しそうな明るい表情、最近見てないなと思った瞬間、冷や汗がどっと出てきた。
 
 彼女と赤ちゃんのためといって彼女を邸から出さないなんて、僕はなんて酷いことをしていたのか。
 
 でも、妊婦の彼女が自由に外出することを想像すると心配でたまらない・・・。
 
 それでも、彼女の過去を考えればやっていいことじゃなかった。
 
 僕は底の底まで落ち込む気持ちを奮い立たせながら、彼女のあの笑顔をどうすれば守れるか考える。
 
 僕に気がついていない彼女は、お腹に手を当てて優しく微笑みながら話し掛けていた。
 
 僕の幸せを凝縮したその光景に目を奪われる。
 
 今すぐ彼女の所に走って行って抱きしめたい。だけど、僕はまだ彼女に言うべき言葉が見つからない。
 
 
 「旦那様、ご無沙汰しています。奥様の所に行かれないんですか?」
 
 ふらりと『何でも相談所』のカールがやって来て僕に声を掛けてきた。
 
 ふむ。彼はこの時間いつもなら依頼をこなすかぬいぐるみ店に居るはずなのだけど。
 
 「やあ、カール。君がここにいるってことは、彼処に座っているのはエミーリアで間違いないんだね。彼女がどうやって街に来たか知ってる?」
 「いえ、それは知りません。奥様が頑として仰らなかったので。店にお一人でいらしたので、念の為ヴォルフがお屋敷に知らせに行ってます。」
 「そっか、ありがとう。二人とも手間を掛けさせてすまなかったね。後は僕が引き受けるよ。」
 
 エミーリアを見守ってくれていたカールに詫びて解放したつもりが、彼は何か言いたげに僕と彼女を交互に見てから人差し指で頬をかいた。
 
 「俺が言う事じゃない、と分かっているんですが。旦那様、今から僭越なことを言いますけど、怒らないでくださいよ。」
 
 ふうと大きく息を吐いた彼がへらりと笑って僕を見た。
 
 「此処まで奥様をずっと後ろから見ていたんですがね、そりゃもう楽しそうでした。ねえ、旦那様。心配なのは分かりますが、たまには奥様を街に出してあげてもいいんじゃないですかね?この街なら住民達で奥様を見守ることができますし。旦那様だけで守ろうとされなくても、皆で協力したらいいんですよ。」
 
 それは、僕が悩んでいたことの答えだった。
 
 「そうだね。ありがとう、カール。僕もあのエミーリアを見て、このままじゃいけないって思っていたんだ。」
 
 「それは良かったです。ようやくできたお子様ですし、旦那様が過度に心配なさるお気持ちは分かります。でも、それは奥様だって同じで今日は以前よりずっと慎重に行動されておられましたよ。」
 
 「そっか。エミーリアはもうお腹の赤ちゃんの母親なんだものね。僕も早く父親にならなくちゃ。」
 「まあ、奥様もまだまだ危なかっしいですけどね。」
 「結局、どっちなのさ。まあいい、カールありがとう。今からエミーリアの所に行って来るよ。」
 「行ってらっしゃいませ。俺はこれでお暇しますよ。」
 
 そう言ってさっさと背を向けて去って行ったカールを見送って、僕は後ろに控えていたヘンリックにいくつか頼み事をしてから広場ヘ足を踏み入れた。
 
 久々に制服姿の僕が現れたことで、その場が少しざわついた。何事かと見てくる人々に目線だけで挨拶しつつエミーリアに目を向けると、彼女はぎゅっと帽子を掴んで顔を隠すように横を向いていた。
 
 うーん、それじゃあ逆に、めちゃくちゃ目立ってるよ、かわいい奥さん。
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