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最終章 公爵夫妻の宝物

6−6

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※エミーリア視点
 
 
 母が待ってくれるわけがないので、私は二人の説得を諦め渋々左にデニス、右にミアを置いて向き合った。
 
 母は優雅にドレスの裾を捌くと、護衛を従え近付いて来た。それから無言で私を上から下までじろじろと眺め、顔を歪めた。
 
 「あら、さすがにお金がある所はいいわねえ。ドレスに相当お金が掛かかっているじゃない。それに見合う中身ではないのがとても勿体ないけれど!」
 
 確かに今着ているものは良い物なので安くはない。しかし、公爵夫人の外出着としてはほどほどレベルだとロッテが言っていた。
 でも、母はそんなことは関係なく最後の台詞が言いたかっただけに違いない。
 
 私は母の嫌味を笑顔で聞き流そうとしたけれど、少し引きつったものになってしまったらしい。横のデニスが心配そうに私を見ている気配がする。
 
 これくらい大丈夫、社交界でそれなりに修行を積んできたもの。
 
 黙って笑顔を浮かべているだけの私に母がさらに言い募ってきた。
 その顔は久々に私を見下し馬鹿にすることが出来て心底楽しそうだった。
 
 「いつまで私をこんな所に立たせっぱなしにするつもり?実の母を蔑ろにして相変わらず貴方は酷い人間ね。よくもまあ、それでハーフェルト公爵夫人なんてやってるわねえ。貴方がこの国一番の貴族だなんて、間違いなく公爵家だけでなく、この国の社交界の品位も下げてるわよ。私、社交界にいなくて本当によかった。嫁いだ娘の評判が最低だなんて恥ずかしくてたまらないもの。」
 
 四年振りの母の毒舌に心が萎縮していく。私、まだ笑顔を保っていられてるかしら。
 早く何か言い返さねば、何の為にここに残ったのか分からないと自分を叱咤するも口は凍りついたままだ。
 
 母は恥ずかしくてたまらないと言いつつ、口元は笑いを抑えきれず、その目は私をどれだけ傷つけることができているか探っている。
 
 ダメだ。社交界で自分に向けられるものを正しく知る感覚も身につけたから、以前より母からの悪意が真っ直ぐに突き刺さってくる。
 
 「こんなに駄目なのだから、そろそろあの王子も、いえ今は格落ちして公爵だったわね、現実が見えてお前に愛想を尽かして離縁するのではないかしら?噂ではもう既に他所の女に子供を産ませたらしいじゃない。」
 
 アレクシアに聞いた噂はこんな所まで浸透しているらしい。知らなかったデニスが、ぎょっとした顔で向こうとこちらを忙しく見ている。
 
 母の方は私が全く動揺しなかったので、機嫌を損ねたらしく、ばちんっと大きな音をさせて扇を閉じた。
 
 それから嫌な笑い声を上げて、また扇を開いて口元を隠した。
 
 「でもねえ、いくら出来が悪すぎる娘とはいえ、それはさすがに可哀想だと思って迎えに来てあげたのよ。さあ、他の女に気持ちを移した夫なんて捨てて、私と一緒に帰りましょう。出ていけと言われてからでは貴方に傷が付くわ。」
 
 ・・・何を言われたのか、直ぐには理解出来なかった。
 この人は今、何と言ったの?私にリーンを捨ててノルトライン侯爵家に戻れと言ったの?
 
 私が傷つかないために?
 
 なんて嘘くさい発言かしら。
 
 多分、ディルクのように私を使ってお金を得る方法でも思いついたのね。それもかなり高額な案件なんだわ。そうじゃなきゃリーンに出会う危険を冒してまでこんなとこまで来ないわよね。
 
 そんな風にしか考えられない自分を心の内だけで冷ややかに笑う。
 
 仕方ないわよ、この人は私をずっと要らないものとしか見てくれなかった。ゴミがお金になれば誰だって喜ぶ。
 それが高額であれば少々危険な場所に捨てたゴミだって拾い直しに来るだろう。
 
 ゴミにも意思があるなんて思いもせずに、優しいフリをすれば直ぐに戻って来ると考えたに違いない。
 
 私の心が萎縮から怒りへと変わりつつあったその時、隣からヒソヒソ声がした。
 
 『この方、もしかして物凄く世間に疎いのでしょうか?社交界での奥様の評判は一部の頭の硬い方々を除いてとても良いですし、旦那様が奥様を離縁するなんて、世界中の夫婦が別れても有り得ないのに。』
 
 『全くだ。奥様はハーフェルト公爵夫人を立派に務めていなさるし、旦那様が愛想を尽かすなんて、世界が滅亡してもありえない。この方の考えはかなり自分に都合よいように歪んでいるようだ。』
 
 ミアが前を向いたまま私達にだけ聞こえるようにぼそりと呟き、それを受けてデニスもぼそっと返す。
 
 何もなければ社交界のトップグループにいるはずの母を世間知らず扱いするとは。母が聞いたら憤死してしまいそうだ。
 
 二人の私への励ましも含まれたその手酷い感想に思わず吹き出してしまった。
 
 「まああ!私が貴方のことを思ってこんなに心配してあげているのに笑うなんて。やはり大事な実の弟を国外追放にするような子だもの、家族への情が無いのね。」
 
 その台詞に下を向いていた目線を母の顔へと向ける。
 
 国外追放も何も、ディルクは既に結婚と同時に帝国人になっていたので、この国としては入国禁止にしただけだとリーンは言っていた。
 
 それに、私に家族への情がないと言うけれど貴方は私ヘ家族の情とやらを向けたことがあるかしら?
 
 そこではたと気がつく。
 
 そうだ、結婚した時にリーンが『徹底的に絶縁しといた』と言っていたのだから、この人はもう私の母でもなく家族でもない。
 ただの他人の前ノルトライン侯爵夫人だ。
 
 社交界でご夫人がたにいつもの嫌味を言われた時のように、適当にあしらって帰って貰えばいいんだわ。
 
 気持ちが軽くなった私は外交用の笑顔を浮かべ、一歩踏み出すと扇を開いて口元を隠した。
 
 さあ、大きく息を吸ってー、いくわよ!
 
 「前ノルトライン侯爵夫人、貴方と私は家族でもなんでもありません。ディルクはこの国で人身売買に関わっていた帝国人で、国王陛下がこの国への入国を禁止なさったと聞いております。本日の用件がそのことでしたら、私には全く関係のないことですので、お引き取りください。」
 
 「何を言っているの?!貴方は私が産んであげたんじゃない。それを忘れて自分だけいい暮らしをしようたってそうはいかないわ。戻って来ないと言うなら、持参金名目で持っていったお金を返して、私が言うだけのお金も毎月寄越しなさい!」
 
 それを聞いて頭痛がしてきた私はこめかみを人差し指で揉みほぐす。
 ディルクといい、この人といい、なんでそんなに他人のお金を欲しがるのかしら。自分の所の分でやりくりして欲しいわ。
 
 どう考えてもハーフェルト公爵家のお金を無関係のノルトライン侯爵家へ渡す理由が見つからない。
 私は大きくため息をついて彼女をきっと睨みつけた。
 
 「なるほど。本当のご用件はお金の無心でしたか。それこそ当家には関わりないことです。今すぐにお引き取りください。」
 
 私の心は静かだった。なんだ、この人と話すのはこんなに簡単なことだったんだわ。全然怖くない。
 だって、両隣には頼もしい侍女と護衛がいてくれる。
 
 それに結婚前と違って私には信頼出来る夫のリーンがいる。
 彼ならここで私がこの人とどうなろうと助けてくれる。そう思えば、あれ程怖いと思っていた母と対峙することに全くためらいがなくなっていた。
 
 私から自分への恐怖がなくなり、家族であることを否定されたことで、当然、彼女は激高した。
 なんと怒りのあまり全身を震わせ、私へ扇を投げつけてきた。
 
 瞬時にそれはデニスによって叩き落され、彼は出番とばかりに私の前へ出る。
 
 「お前のような出来損ないが、私よりいい思いをするなんて許されないのよ!」
 
 叫ぶその人に向かって私も叫び返した。
 
 「私は出来損ないじゃないわ!私だってちゃんと意思のある一人の人間なのよ!」
 
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