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第三章 公爵夫人、落ちる。

3−4

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※エミーリア視点
 
 
 「まま・・・」
 
 私が運び出されるチーズを眺めていたら、ドレスがちょんっと引っ張られた。
 振り返ると小さな男の子が私を見上げている。
 黒に近い灰色という珍しい髪色のその子供は、もう一度『まま』と私に言った。
 ままって何・・・?
 
 「ライナー、ここにいたのか。」
 
 声がしたほうを見ると、十くらいの痩せた黒髪の男の子が私の服を掴んでいる子の側につかつかとやってきた。
 この子のお兄ちゃんかな?
 
 見ると彼はこれから寒くなる季節だというのに、ところどころ破れた薄汚れた服を着ている。
 対するライナーと呼ばれた男の子は健康的な体つきで、暖かそうな服を着ている。
 なんだろう・・・もしや、彼等も親が差をつけて育てているのかしら。
 私の胸に子供の頃、母親に粗末にされていた嫌な思い出がじわりと浮き上がってきた。
 急いで首を振ってそれを霧散させ、笑顔を保つ。
  
 ここが自領のエルベの街なら、詳しく聞いてそれなりに対策を打てるのだけれど、ここは他所の街。
 なんと声を掛けたらいいのかとっさに思いつかず、黙って二人の様子を見守ることになってしまった。
 
 黒髪の男の子がライナーと呼ばれた子の空いている手を強く引っ張る。
 
 「この人は灰色の髪だけどお前のママじゃない。離れろ、ライナー。」
 
 ママ?
 
 あ、もしかして『まま』は、お母さんを意味する『ママ』のこと?
 理解した私の顔にぽわっと熱が集まった。こんな小さな子に、ママって呼ばれた!
 
 泣いて嫌がられるどころか、ママに間違えられるなんて、光栄だわ。
 それに、彼等の話からすると、もしかして、お母さんは私と同じ灰色の髪なんじゃないかしら。
 最近知ったのだけど、灰色の瞳の人はそれなりにいるのに、生まれつきこの色の髪という人は珍しいらしい。確かに、私は今まで自分以外に見たことがない。
 
 私の心に彼等の母親に会ってみたいという気持ちがむくむくと湧いてきて、うっかりそのまま口に出してしまった。
 
 「ねえ、迷子なの?私も一緒にお母さんをさがしましょうか?」
 「エミィ?!」
 
 それまで黙って見守っていたリーンが叫んだけれども、一度口から出たらもう止まらなかった。
 
 「いいでしょ?だってこんな小さな子供達だけで探すなんて無理よ。」
 
 リーンは何か言いたげに子供達と私を見比べていたけれど、ついに両手を挙げて降参のポーズをした。
 
 「わかったよ。君達は兄弟なの?名前は?お母さんはどこにいるの?」
 
 ため息を吐き出しながら大きい方の男の子をじっと見つめて、リーンが矢継ぎ早に質問をする。
 リーンの圧に押されながら、彼が小さな声で答えるのをわたしはハラハラしながら見守る。
 もう、リーンってば子供に対する態度じゃないわ。
 
 「兄弟。俺はフリッツ、弟はライナー。迷子じゃない。向こうの大きな橋の上で待ってろって言われてたんだけど、いつの間にかこいつが勝手にどっか行っちまって探してたんだ。」
 
 私の頭の中に捨て子、という単語が浮かぶ。リーンをちらっと見ると彼もまた、眉をひそめていた。多分、同じことを思っている。
 彼はそのまま周囲を見回し何かを確認すると、チーズの手配をしているデニス達に何か言付け、私達へ向き直った。
 
 「デニス達にも別で探してもらうね。お母さんの特徴教えてくれる?」
 「えっ、特徴・・・。えと、この人みたいな髪が灰色の女の人。」
 「へえ。」
 
 なんだかそのすごく雑な説明に、それではわからないとフリッツへ再度聞き直そうとしたら、リーンに止められた。
 彼はそのままデニス達に探して来るよう言い、私達はミアと五人で待ち合わせ場所という橋へ向かった。
 
 
 聞くところによるとライナーは二歳くらいらしい。
 さっきから私のドレスをぎゅっと握って離さない。兄のフリッツが無理矢理引き離そうとしたら、泣いて嫌がり破れそうになったので諦めた。
 しかし、歩きにくい。
 私は立ち止まり、ライナーの前にしゃがむと恐る恐る話しかけてみた。
 
 「ライナー、あの、嫌じゃなければ抱っこしてもいいかしら?」
 
 泣かれないかとどきどきしながら手を差し伸べてみたところ、彼はよほど疲れていたのか直ぐに私の腕の中にやってきた。
 
 アレクシア、私はついに泣かれずに小さな子を抱っこできたわ!
 そう心の中で叫んだものの、次の瞬間、私は絶望した。
 ・・・ライナーが予想以上に重くて、持ち上げられない!
 え、二歳ってこんなに重いの?!
 
 動かない私に事態を悟ったリーンが笑いながら、私に代わってライナーを抱っこしてくれた。
 フリッツは大慌てしていたけれど、ライナーは嬉しそうにしている。
 私の抱っこであの笑顔にさせたかったけれど、できないものは仕方ない。
 明日から筋トレをしよう。
 
 「奥様、流石にもう少し鍛えたほうがいい気がします。十数キロを持ち上げられないとは・・・。」
 「わかってる。私だってショックなのよ!」
 
 ミアにも突っ込まれ、私は更に落ち込んだ。片手で軽々とライナーを担いで横を歩いているリーンを羨ましいと思いながら見ると、にこっと笑い返された。
 
 「重いものは僕が持つから、エミィは必死に筋トレなんてしなくてもいいと思うけど?」
 
 そんなことを言われても嬉しくない。
 
 「いいえ、めちゃくちゃ筋トレ頑張るわ。自分の子供を抱っこできないなんて悲しすぎるもの。」
 「え、まさか、子供ができたの?!」
 
 いきなり叫んだリーンに、周りの視線が集中する。私は慌てて彼の口を手で押さえた。
 
 「なんで大声出すの!子供なんてできてないけど、そういう日が来たときのためによ!」
 「あ、そうなの・・・。でも、驚いたよ。君はその、あまり子供を欲しいと思ってない気がしてたから。」
 
 マズイ。避け続けていた話題を自ら振ってしまった。
 こんな場面でこんな重たい話題はいかがなものか。しかし、いきなり逸らすのもわざとらしいし、いずれは話さねばならないことだったし、ここは流されて話してしまおう。
 私は覚悟を決めた。
 
 「ええ、そうね。今もそう思っているわ。だって私は子供にどう接していいか、愛することができるのかすら、わからないんですもの。」
 「それは・・・。」
 
 軽く言ったつもりだったが、リーンが言葉に詰まった。
 失敗した、どう話しても重すぎる内容だったわ。
 
 私は親の愛情というものが全くわからない。なぜなら、母親からこの髪と目の色のせいで疎まれ、暴言を浴びて育ったし、父親はそんな私を守るという建前で屋敷の一室に隔離して学園へ通う以外の時間、そこに閉じ込めた。だから兄弟達とは疎遠どころか交流もなかった。
 
 でも、現在他国にいる姉は私に優しくしてくれたし、今も気にかけてくれて手紙のやり取りをしている。それに、もう亡くなってしまったけれど、父方の祖父母は私を愛してくれていた。
 
 「だけど、私は愛情を知らないわけでもないし、イザベルや他の子供を見ればかわいいと思うわ。それに・・・生まれてくるのはリーンの子供なんだから、愛せるんじゃないかと思っているのよ・・・。だから、全く欲しくないわけじゃないの。」
 
 リーンは完全に黙ってしまった。どうしよう、怒らせたか、悲しませたか、どっちだろう。
 
 「あれ食べたい。」
 
 私達の間に落ちた沈黙を気にせずライナーが屋台の揚げ菓子を指して発した言葉に、その場の雰囲気が戻された。
 密かにホッとした私は、何もなかったかのようにライナーへ声を掛けた。
 
 「いいわね、私もお腹が空いてきたわ。一緒に食べましょう。ええと、フリッツも食べるわよね?買いに行きましょう。」
 
 リーンが何か言う前に、私はフリッツと手を繋ぎ、そそくさと歩き出した。リーンはすぐ追いついて来て横に並ぶと真剣な声で言った。
 
 「エミィ、食べるのはいいけど、ここはエルベじゃないんだから僕が毒味してからだよ。それと、夕食後に聞いて欲しい話があるんだ。」
 
 それは初めて聞くくらい重い声だった。
 
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