次期公爵閣下は若奥様を猫可愛がりしたい!

橘ハルシ

文字の大きさ
上 下
60 / 65
第五章 夫妻、帝城へ行く

60、妻のリボン

しおりを挟む
 あからさまにテオと私を蔑ろにされて、全身が強張り視界が滲んだ。頭がだんだんと下がって床の石しか見えなくなりそうになったその時、横からテオの顔が覗き込んできた。

「フィーア、代わろうか?」

 私を抱き上げるのではなく、自分の身体を思いっきり曲げて尋ねてくれたテオの顔は大変心配そうで、それが逆に私を奮い立たせた。

「いえ、大丈夫です! 私の気持ちは自分で言います」
「そう。今度は離れずに側にいるから、思う存分言ったらいいよ」

 どこか安堵したようにふわっと笑ったテオは、体を起こすと彼のシャツの袖を掴んだままの私の手を握り直した。その繋いだところから元気がもらえるようで、私は顔を上げてもう一度目の前の人達を見た。

 私にはテオがいる。負けるものか!

「もちろん、顔に怪我をしたテオドール様へも心から謝罪をしてくださいますよね?」

 テオを真似てにっこり笑えば、相手の形相が変わった。

「何をいうか! 謝ってほしいのはこちらの方だ、ほらみろ、こいつは俺達をボッコボコに蹴ったんだぞ!?」

 服をめくりあげたそこには大きな青あざができていた。

 テオの顔と同じくらいか、もうちょっとだけ、酷い……かな?

 隣のテオを見上げるとバツが悪そうに目を逸らされた。

 こういうの、なんていうんだっけ? ……そうだ、過剰防衛。だけど。

「でも、それは覚悟の上でテオドール様を傷つけたのですよね? 『人に暴力を振るうなら、同じ事される覚悟を持ってやれ』ってフリッツがいつも言ってます。ということは、貴方がたは殴られ蹴られても、いきなり眠らされてどこかわからないところに連れて行かれても、文句は言えないんです」

「なるほど」

 にやにやと殿下が口元を緩ませ、テオが深く頷くのが見えた。私はこういう感じで大丈夫そうだ、とホッとして続ける。
 
「ですが、私は同じことをやり返そうとは思いません」

 その一言で、目の前の人達の緊張が緩むのがわかった。私はぎゅ、と強く手のひらを握って結論を述べた。

「私は、この件の首謀者がこの城から出て私達の半径100km以内から消えることを望みます」

 最近この距離を習ったので、使ってみたかったのだ。100kmってとっても遠かったはずだから、こう言っておけばもう二度と会わないよね。

「それから、」
「我らを城からも都からも追放するだと!? ふざけるな、私を誰だと思っている、皇太子側近だぞ! ハリボテの小娘が偉そうに!」

 突然叫んだ細身でタレ目の男の言葉で、自分が本当はどう見られていたか知って全身から血の気が引いた。確かに私は貴族らしい、いや、人間らしい暮らしを始めて一年も経っていない。ハリボテとはなんて上手い表現だろう。急に足元に深い深い真っ黒の穴が開いた気がして私は呼吸が苦しくなった。

 ……空気が、ない。

 必死で口を開けて息をしようと試みるが私の周りが真空になったようでパニックになりかけた時、ぽふん、と大きな手が肩に乗った。目線を向けるとしゃがみ込んだテオが薄青の瞳を真っ直ぐこちらに向けていて、そこには苦しそうな表情の私が映っていた。

「フィーア、君がハリボテだなんてとんでもない。君は着実に勉強の成果を身に着けている。こいつらが何を言おうとそれが事実だ。僕は毎日側で見ているのだから間違いない。だから、落ち着いてゆっくり呼吸してごらん」

 テオの言葉とともに肺に空気が流れ込んでくる。やや強張っていたテオの表情が緩み、その瞳の中の私も彼と一緒にホッと息をついていた。

「……私、ハリボテじゃなくてお義母様みたいに素敵な公爵夫人になれますか?」

 テオは一瞬だけ私をぎゅっと抱きしめて力強く答えてくれた。

「もちろん! 僕が保証する。だから、君の言いたいこと全部聞かせてもらえる?」

 はい、と横に戻ったテオへ頷き返した私は忘れないうちにと、ポケットからリボンの残骸を取り出し、彼らの前に突き出した。リボンはポケットの中でさらに細かくなり、元の糸に戻りつつあった。

「私は、自分のことだけなら、暗闇に放置されたのも怖かったけれど、テオにもらったリボンをこんなふうにされたことが辛かったです」
「これ、もしかして、今朝僕が君に結んだリボン?」

 呆然とした声で私の手の中の銀糸の山を見つめるテオの顔はこころなしか青ざめて見えた。

 ……どうしよう、テオがこんなにショックを受けるなんて思わなかった。見せないほうがよかったかもしれない。

 そう悔やんだ瞬間、私の口から絶叫が飛び出ていた。

「その目でしっかり見て下さい、これは貴方がたがやったんです! せっかく私の髪にテオがつけてくれたお守りだったのに、こんなズタズタにして! 大事な大事な物だったのにお気に入りの寝間着までビリビリにして、テオも殿下も平気で傷つけて、どうしてそんな酷いことができるのですかっ。私は貴方がたを恨みます!」

 思いっきり叫んで息が上がった。ゼーゼーと呼吸をしながら私は驚いていた。

 ……私、この人達を恨むほど怒っていたのか。

「やっと、でたな」

 殿下が嬉しそうに言って、テオが私の頭を撫でた。

 だが、目の前にいる元凶の人はニヤリと笑って、私を宥めるような口調で話しかけてきた。

「なんだ、そんなことでしたか。よろしい。では、ハーフェルト次期公爵夫人。我らがそのリボンと同じものを持ってくれば追放を撤回してくださるかな?」

 えっ? それは、どうなのだろう? リボンが戻ってきたら私のこの気持ちは収まるのだろうか? そのリボンはテオがくれたものと同じでも彼が結んでくれたものではない訳で。

「いいだろう」

 迷っているとテオが私の代わりにあっさり受けたので私は驚愕した。彼は私へいたずらっぽく笑って頷くと満面の笑みで続けた。

「そのリボンは私が妻のために懇意の職人に特別に作ってもらったものだ。使用している銀糸は我が領地で作られているハーフェルト公爵家専用の品でその職人しかできない技で我が家の家紋を織りだしている」
「は? えっ?」

 予想外だったのか、男から表情が抜け落ちた。そんなに入手困難なリボンだと思わなかったのだろう。もはや入手不可能にしか思えない。
 テオはそんな男の様子など目に入らぬといった体でわざと畏まった言い回しでとどめを刺しにいった。

「通常では手に入らぬ代物だと思うが、貴方はどうにかして我が愛する妻の慰めに手に入れて持参してくれるという。お手並み拝見といこう。いつまでも待つから、是が非でも手に入れてきてもらいたい。そうすれば私と妻の連名で追放を解くよう殿下に願うと約束する」

 もちろん、今回の件は父にも伝えておくからね、と続けたものだから彼らは一気に青ざめて頭を抱えて床に突っ伏した。

「よし、これで決まりだな」

 凍るような目で彼らを見下ろして呟いた殿下に、私は急いで付け足した。

「首謀者ではない二人には別の償い方を考えたいのですが、よろしいでしょうか?」
「そうだな……首謀者二人はお前達が決めたからその二人の処遇は私が父と相談しよう。大丈夫、悪いようにはしないよ」

 殿下は私を安心させるように優しい声で応え、それを聞いた私と残りの二人は胸をなでおろした。

「では、衛兵の入室を許可する! こいつらを連れて行け」

 殿下の一声で扉が開くと帝城の衛兵達が入ってきてあっという間に四人を連れて行った。

 殿下はいつの間に手配していたの!?

 慌ただしいその様子をぽかんと見ていた私に殿下は肩を竦めた。

「彼らは逃げ出せない場所で朝まで過ごしてもらうよ。二人とも今夜は随分と迷惑をかけてしまい申し訳なかった。もう夜も遅い、続きは翌朝にして休んでくれ。もし、あの部屋が嫌だったら別の部屋を手配するが」

 どうする? とテオに目線で尋ねられ首を横に小さく振る。

「テオがいるから、大丈夫です」

 繋ぎっぱなしの手に力を入れ、空いている手でテオの腕にしがみつく。

 殿下は私と目が合うと楽しそうに笑い声を上げた。

「ハハッ、シルフィアはテオドールには甘えるんだな。これから共に過ごす時間が増えれば私にも懐いて甘えてくれると期待しておく」
「……殿下と二人の時、何かあった?」

 何もない、はずと思い返しながら頭をゆっくりと横に振ったらテオが眉根を寄せつつ、殿下の方へ視線を投げた。

「何が、ありました?」

 うん? と私をチラリと見た殿下はからりとした笑顔を浮かべた。

「私はまだお前のように頼ってもらえないと思い知っただけだ。シルフィアは私と二人だと一定距離を保つし、心細くても私にはそんなふうに甘えて来ず、一人でじっと我慢していたよ」

 わっ、全部気づかれてた!
しおりを挟む
感想 26

あなたにおすすめの小説

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

21時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

純白の牢獄

ゆる
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

え?わたくしは通りすがりの元病弱令嬢ですので修羅場に巻き込まないでくたさい。

ネコフク
恋愛
わたくしリィナ=ユグノアは小さな頃から病弱でしたが今は健康になり学園に通えるほどになりました。しかし殆ど屋敷で過ごしていたわたくしには学園は迷路のような場所。入学して半年、未だに迷子になってしまいます。今日も侍従のハルにニヤニヤされながら遠回り(迷子)して出た場所では何やら不穏な集団が・・・ 強制的に修羅場に巻き込まれたリィナがちょっとだけざまぁするお話です。そして修羅場とは関係ないトコで婚約者に溺愛されています。

始まりはよくある婚約破棄のように

喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」 学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。 ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。 第一章「婚約者編」 第二章「お見合い編(過去)」 第三章「結婚編」 第四章「出産・育児編」 第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始

契約婚なのだから契約を守るべきでしたわ、旦那様。

よもぎ
恋愛
白い結婚を三年間。その他いくつかの決まり事。アンネリーナはその条件を呑み、三年を過ごした。そうして結婚が終わるその日になって三年振りに会った戸籍上の夫に離縁を切り出されたアンネリーナは言う。追加の慰謝料を頂きます――

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

養っていただかなくても結構です!〜政略結婚した夫に放置されているので魔法絵師として自立を目指したら賢者と言われ義母にザマァしました!(続く)

陰陽@3作品コミカライズと書籍化準備中
恋愛
養っていただかなくても結構です!〜政略結婚した夫に放置されているので魔法絵師として自立を目指したら賢者と言われ義母にザマァしました!大勢の男性から求婚されましたが誰を選べば正解なのかわかりません!〜 タイトルちょっと変更しました。 政略結婚の夫との冷えきった関係。義母は私が気に入らないらしく、しきりに夫に私と別れて再婚するようほのめかしてくる。 それを否定もしない夫。伯爵夫人の地位を狙って夫をあからさまに誘惑するメイドたち。私の心は限界だった。 なんとか自立するために仕事を始めようとするけれど、夫は自分の仕事につながる社交以外を認めてくれない。 そんな時に出会った画材工房で、私は絵を描く喜びに目覚めた。 そして気付いたのだ。今貴族女性でもつくことの出来る数少ない仕事のひとつである、魔法絵師としての力が私にあることに。 このまま絵を描き続けて、いざという時の為に自立しよう! そう思っていた矢先、高価な魔石の粉末入りの絵の具を夫に捨てられてしまう。 絶望した私は、初めて夫に反抗した。 私の態度に驚いた夫だったけれど、私が絵を描く姿を見てから、なんだか夫の様子が変わってきて……? そして新たに私の前に現れた5人の男性。 宮廷に出入りする化粧師。 新進気鋭の若手魔法絵師。 王弟の子息の魔塔の賢者。 工房長の孫の絵の具職人。 引退した元第一騎士団長。 何故か彼らに口説かれだした私。 このまま自立?再構築? どちらにしても私、一人でも生きていけるように変わりたい! コメントの人気投票で、どのヒーローと結ばれるかが変わるかも?

処理中です...