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第五章 夫妻、帝城へ行く
60、妻のリボン
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あからさまにテオと私を蔑ろにされて、全身が強張り視界が滲んだ。頭がだんだんと下がって床の石しか見えなくなりそうになったその時、横からテオの顔が覗き込んできた。
「フィーア、代わろうか?」
私を抱き上げるのではなく、自分の身体を思いっきり曲げて尋ねてくれたテオの顔は大変心配そうで、それが逆に私を奮い立たせた。
「いえ、大丈夫です! 私の気持ちは自分で言います」
「そう。今度は離れずに側にいるから、思う存分言ったらいいよ」
どこか安堵したようにふわっと笑ったテオは、体を起こすと彼のシャツの袖を掴んだままの私の手を握り直した。その繋いだところから元気がもらえるようで、私は顔を上げてもう一度目の前の人達を見た。
私にはテオがいる。負けるものか!
「もちろん、顔に怪我をしたテオドール様へも心から謝罪をしてくださいますよね?」
テオを真似てにっこり笑えば、相手の形相が変わった。
「何をいうか! 謝ってほしいのはこちらの方だ、ほらみろ、こいつは俺達をボッコボコに蹴ったんだぞ!?」
服をめくりあげたそこには大きな青あざができていた。
テオの顔と同じくらいか、もうちょっとだけ、酷い……かな?
隣のテオを見上げるとバツが悪そうに目を逸らされた。
こういうの、なんていうんだっけ? ……そうだ、過剰防衛。だけど。
「でも、それは覚悟の上でテオドール様を傷つけたのですよね? 『人に暴力を振るうなら、同じ事される覚悟を持ってやれ』ってフリッツがいつも言ってます。ということは、貴方がたは殴られ蹴られても、いきなり眠らされてどこかわからないところに連れて行かれても、文句は言えないんです」
「なるほど」
にやにやと殿下が口元を緩ませ、テオが深く頷くのが見えた。私はこういう感じで大丈夫そうだ、とホッとして続ける。
「ですが、私は同じことをやり返そうとは思いません」
その一言で、目の前の人達の緊張が緩むのがわかった。私はぎゅ、と強く手のひらを握って結論を述べた。
「私は、この件の首謀者がこの城から出て私達の半径100km以内から消えることを望みます」
最近この距離を習ったので、使ってみたかったのだ。100kmってとっても遠かったはずだから、こう言っておけばもう二度と会わないよね。
「それから、」
「我らを城からも都からも追放するだと!? ふざけるな、私を誰だと思っている、皇太子側近だぞ! ハリボテの小娘が偉そうに!」
突然叫んだ細身でタレ目の男の言葉で、自分が本当はどう見られていたか知って全身から血の気が引いた。確かに私は貴族らしい、いや、人間らしい暮らしを始めて一年も経っていない。ハリボテとはなんて上手い表現だろう。急に足元に深い深い真っ黒の穴が開いた気がして私は呼吸が苦しくなった。
……空気が、ない。
必死で口を開けて息をしようと試みるが私の周りが真空になったようでパニックになりかけた時、ぽふん、と大きな手が肩に乗った。目線を向けるとしゃがみ込んだテオが薄青の瞳を真っ直ぐこちらに向けていて、そこには苦しそうな表情の私が映っていた。
「フィーア、君がハリボテだなんてとんでもない。君は着実に勉強の成果を身に着けている。こいつらが何を言おうとそれが事実だ。僕は毎日側で見ているのだから間違いない。だから、落ち着いてゆっくり呼吸してごらん」
テオの言葉とともに肺に空気が流れ込んでくる。やや強張っていたテオの表情が緩み、その瞳の中の私も彼と一緒にホッと息をついていた。
「……私、ハリボテじゃなくてお義母様みたいに素敵な公爵夫人になれますか?」
テオは一瞬だけ私をぎゅっと抱きしめて力強く答えてくれた。
「もちろん! 僕が保証する。だから、君の言いたいこと全部聞かせてもらえる?」
はい、と横に戻ったテオへ頷き返した私は忘れないうちにと、ポケットからリボンの残骸を取り出し、彼らの前に突き出した。リボンはポケットの中でさらに細かくなり、元の糸に戻りつつあった。
「私は、自分のことだけなら、暗闇に放置されたのも怖かったけれど、テオにもらったリボンをこんなふうにされたことが辛かったです」
「これ、もしかして、今朝僕が君に結んだリボン?」
呆然とした声で私の手の中の銀糸の山を見つめるテオの顔はこころなしか青ざめて見えた。
……どうしよう、テオがこんなにショックを受けるなんて思わなかった。見せないほうがよかったかもしれない。
そう悔やんだ瞬間、私の口から絶叫が飛び出ていた。
「その目でしっかり見て下さい、これは貴方がたがやったんです! せっかく私の髪にテオがつけてくれたお守りだったのに、こんなズタズタにして! 大事な大事な物だったのにお気に入りの寝間着までビリビリにして、テオも殿下も平気で傷つけて、どうしてそんな酷いことができるのですかっ。私は貴方がたを恨みます!」
思いっきり叫んで息が上がった。ゼーゼーと呼吸をしながら私は驚いていた。
……私、この人達を恨むほど怒っていたのか。
「やっと、でたな」
殿下が嬉しそうに言って、テオが私の頭を撫でた。
だが、目の前にいる元凶の人はニヤリと笑って、私を宥めるような口調で話しかけてきた。
「なんだ、そんなことでしたか。よろしい。では、ハーフェルト次期公爵夫人。我らがそのリボンと同じものを持ってくれば追放を撤回してくださるかな?」
えっ? それは、どうなのだろう? リボンが戻ってきたら私のこの気持ちは収まるのだろうか? そのリボンはテオがくれたものと同じでも彼が結んでくれたものではない訳で。
「いいだろう」
迷っているとテオが私の代わりにあっさり受けたので私は驚愕した。彼は私へいたずらっぽく笑って頷くと満面の笑みで続けた。
「そのリボンは私が妻のために懇意の職人に特別に作ってもらったものだ。使用している銀糸は我が領地で作られているハーフェルト公爵家専用の品でその職人しかできない技で我が家の家紋を織りだしている」
「は? えっ?」
予想外だったのか、男から表情が抜け落ちた。そんなに入手困難なリボンだと思わなかったのだろう。もはや入手不可能にしか思えない。
テオはそんな男の様子など目に入らぬといった体でわざと畏まった言い回しでとどめを刺しにいった。
「通常では手に入らぬ代物だと思うが、貴方はどうにかして我が愛する妻の慰めに手に入れて持参してくれるという。お手並み拝見といこう。いつまでも待つから、是が非でも手に入れてきてもらいたい。そうすれば私と妻の連名で追放を解くよう殿下に願うと約束する」
もちろん、今回の件は父にも伝えておくからね、と続けたものだから彼らは一気に青ざめて頭を抱えて床に突っ伏した。
「よし、これで決まりだな」
凍るような目で彼らを見下ろして呟いた殿下に、私は急いで付け足した。
「首謀者ではない二人には別の償い方を考えたいのですが、よろしいでしょうか?」
「そうだな……首謀者二人はお前達が決めたからその二人の処遇は私が父と相談しよう。大丈夫、悪いようにはしないよ」
殿下は私を安心させるように優しい声で応え、それを聞いた私と残りの二人は胸をなでおろした。
「では、衛兵の入室を許可する! こいつらを連れて行け」
殿下の一声で扉が開くと帝城の衛兵達が入ってきてあっという間に四人を連れて行った。
殿下はいつの間に手配していたの!?
慌ただしいその様子をぽかんと見ていた私に殿下は肩を竦めた。
「彼らは逃げ出せない場所で朝まで過ごしてもらうよ。二人とも今夜は随分と迷惑をかけてしまい申し訳なかった。もう夜も遅い、続きは翌朝にして休んでくれ。もし、あの部屋が嫌だったら別の部屋を手配するが」
どうする? とテオに目線で尋ねられ首を横に小さく振る。
「テオがいるから、大丈夫です」
繋ぎっぱなしの手に力を入れ、空いている手でテオの腕にしがみつく。
殿下は私と目が合うと楽しそうに笑い声を上げた。
「ハハッ、シルフィアはテオドールには甘えるんだな。これから共に過ごす時間が増えれば私にも懐いて甘えてくれると期待しておく」
「……殿下と二人の時、何かあった?」
何もない、はずと思い返しながら頭をゆっくりと横に振ったらテオが眉根を寄せつつ、殿下の方へ視線を投げた。
「何が、ありました?」
うん? と私をチラリと見た殿下はからりとした笑顔を浮かべた。
「私はまだお前のように頼ってもらえないと思い知っただけだ。シルフィアは私と二人だと一定距離を保つし、心細くても私にはそんなふうに甘えて来ず、一人でじっと我慢していたよ」
わっ、全部気づかれてた!
「フィーア、代わろうか?」
私を抱き上げるのではなく、自分の身体を思いっきり曲げて尋ねてくれたテオの顔は大変心配そうで、それが逆に私を奮い立たせた。
「いえ、大丈夫です! 私の気持ちは自分で言います」
「そう。今度は離れずに側にいるから、思う存分言ったらいいよ」
どこか安堵したようにふわっと笑ったテオは、体を起こすと彼のシャツの袖を掴んだままの私の手を握り直した。その繋いだところから元気がもらえるようで、私は顔を上げてもう一度目の前の人達を見た。
私にはテオがいる。負けるものか!
「もちろん、顔に怪我をしたテオドール様へも心から謝罪をしてくださいますよね?」
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「何をいうか! 謝ってほしいのはこちらの方だ、ほらみろ、こいつは俺達をボッコボコに蹴ったんだぞ!?」
服をめくりあげたそこには大きな青あざができていた。
テオの顔と同じくらいか、もうちょっとだけ、酷い……かな?
隣のテオを見上げるとバツが悪そうに目を逸らされた。
こういうの、なんていうんだっけ? ……そうだ、過剰防衛。だけど。
「でも、それは覚悟の上でテオドール様を傷つけたのですよね? 『人に暴力を振るうなら、同じ事される覚悟を持ってやれ』ってフリッツがいつも言ってます。ということは、貴方がたは殴られ蹴られても、いきなり眠らされてどこかわからないところに連れて行かれても、文句は言えないんです」
「なるほど」
にやにやと殿下が口元を緩ませ、テオが深く頷くのが見えた。私はこういう感じで大丈夫そうだ、とホッとして続ける。
「ですが、私は同じことをやり返そうとは思いません」
その一言で、目の前の人達の緊張が緩むのがわかった。私はぎゅ、と強く手のひらを握って結論を述べた。
「私は、この件の首謀者がこの城から出て私達の半径100km以内から消えることを望みます」
最近この距離を習ったので、使ってみたかったのだ。100kmってとっても遠かったはずだから、こう言っておけばもう二度と会わないよね。
「それから、」
「我らを城からも都からも追放するだと!? ふざけるな、私を誰だと思っている、皇太子側近だぞ! ハリボテの小娘が偉そうに!」
突然叫んだ細身でタレ目の男の言葉で、自分が本当はどう見られていたか知って全身から血の気が引いた。確かに私は貴族らしい、いや、人間らしい暮らしを始めて一年も経っていない。ハリボテとはなんて上手い表現だろう。急に足元に深い深い真っ黒の穴が開いた気がして私は呼吸が苦しくなった。
……空気が、ない。
必死で口を開けて息をしようと試みるが私の周りが真空になったようでパニックになりかけた時、ぽふん、と大きな手が肩に乗った。目線を向けるとしゃがみ込んだテオが薄青の瞳を真っ直ぐこちらに向けていて、そこには苦しそうな表情の私が映っていた。
「フィーア、君がハリボテだなんてとんでもない。君は着実に勉強の成果を身に着けている。こいつらが何を言おうとそれが事実だ。僕は毎日側で見ているのだから間違いない。だから、落ち着いてゆっくり呼吸してごらん」
テオの言葉とともに肺に空気が流れ込んでくる。やや強張っていたテオの表情が緩み、その瞳の中の私も彼と一緒にホッと息をついていた。
「……私、ハリボテじゃなくてお義母様みたいに素敵な公爵夫人になれますか?」
テオは一瞬だけ私をぎゅっと抱きしめて力強く答えてくれた。
「もちろん! 僕が保証する。だから、君の言いたいこと全部聞かせてもらえる?」
はい、と横に戻ったテオへ頷き返した私は忘れないうちにと、ポケットからリボンの残骸を取り出し、彼らの前に突き出した。リボンはポケットの中でさらに細かくなり、元の糸に戻りつつあった。
「私は、自分のことだけなら、暗闇に放置されたのも怖かったけれど、テオにもらったリボンをこんなふうにされたことが辛かったです」
「これ、もしかして、今朝僕が君に結んだリボン?」
呆然とした声で私の手の中の銀糸の山を見つめるテオの顔はこころなしか青ざめて見えた。
……どうしよう、テオがこんなにショックを受けるなんて思わなかった。見せないほうがよかったかもしれない。
そう悔やんだ瞬間、私の口から絶叫が飛び出ていた。
「その目でしっかり見て下さい、これは貴方がたがやったんです! せっかく私の髪にテオがつけてくれたお守りだったのに、こんなズタズタにして! 大事な大事な物だったのにお気に入りの寝間着までビリビリにして、テオも殿下も平気で傷つけて、どうしてそんな酷いことができるのですかっ。私は貴方がたを恨みます!」
思いっきり叫んで息が上がった。ゼーゼーと呼吸をしながら私は驚いていた。
……私、この人達を恨むほど怒っていたのか。
「やっと、でたな」
殿下が嬉しそうに言って、テオが私の頭を撫でた。
だが、目の前にいる元凶の人はニヤリと笑って、私を宥めるような口調で話しかけてきた。
「なんだ、そんなことでしたか。よろしい。では、ハーフェルト次期公爵夫人。我らがそのリボンと同じものを持ってくれば追放を撤回してくださるかな?」
えっ? それは、どうなのだろう? リボンが戻ってきたら私のこの気持ちは収まるのだろうか? そのリボンはテオがくれたものと同じでも彼が結んでくれたものではない訳で。
「いいだろう」
迷っているとテオが私の代わりにあっさり受けたので私は驚愕した。彼は私へいたずらっぽく笑って頷くと満面の笑みで続けた。
「そのリボンは私が妻のために懇意の職人に特別に作ってもらったものだ。使用している銀糸は我が領地で作られているハーフェルト公爵家専用の品でその職人しかできない技で我が家の家紋を織りだしている」
「は? えっ?」
予想外だったのか、男から表情が抜け落ちた。そんなに入手困難なリボンだと思わなかったのだろう。もはや入手不可能にしか思えない。
テオはそんな男の様子など目に入らぬといった体でわざと畏まった言い回しでとどめを刺しにいった。
「通常では手に入らぬ代物だと思うが、貴方はどうにかして我が愛する妻の慰めに手に入れて持参してくれるという。お手並み拝見といこう。いつまでも待つから、是が非でも手に入れてきてもらいたい。そうすれば私と妻の連名で追放を解くよう殿下に願うと約束する」
もちろん、今回の件は父にも伝えておくからね、と続けたものだから彼らは一気に青ざめて頭を抱えて床に突っ伏した。
「よし、これで決まりだな」
凍るような目で彼らを見下ろして呟いた殿下に、私は急いで付け足した。
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「そうだな……首謀者二人はお前達が決めたからその二人の処遇は私が父と相談しよう。大丈夫、悪いようにはしないよ」
殿下は私を安心させるように優しい声で応え、それを聞いた私と残りの二人は胸をなでおろした。
「では、衛兵の入室を許可する! こいつらを連れて行け」
殿下の一声で扉が開くと帝城の衛兵達が入ってきてあっという間に四人を連れて行った。
殿下はいつの間に手配していたの!?
慌ただしいその様子をぽかんと見ていた私に殿下は肩を竦めた。
「彼らは逃げ出せない場所で朝まで過ごしてもらうよ。二人とも今夜は随分と迷惑をかけてしまい申し訳なかった。もう夜も遅い、続きは翌朝にして休んでくれ。もし、あの部屋が嫌だったら別の部屋を手配するが」
どうする? とテオに目線で尋ねられ首を横に小さく振る。
「テオがいるから、大丈夫です」
繋ぎっぱなしの手に力を入れ、空いている手でテオの腕にしがみつく。
殿下は私と目が合うと楽しそうに笑い声を上げた。
「ハハッ、シルフィアはテオドールには甘えるんだな。これから共に過ごす時間が増えれば私にも懐いて甘えてくれると期待しておく」
「……殿下と二人の時、何かあった?」
何もない、はずと思い返しながら頭をゆっくりと横に振ったらテオが眉根を寄せつつ、殿下の方へ視線を投げた。
「何が、ありました?」
うん? と私をチラリと見た殿下はからりとした笑顔を浮かべた。
「私はまだお前のように頼ってもらえないと思い知っただけだ。シルフィアは私と二人だと一定距離を保つし、心細くても私にはそんなふうに甘えて来ず、一人でじっと我慢していたよ」
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