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第四章 夫妻、休暇を楽しむ
44、酒呑みの宴
しおりを挟む夕食後、父の部屋で男三人で酒を飲んでいる。
今夜は母が女子会で構ってくれないと知るや、父が有無を言わさず僕とオネスト殿下を引きずってきて秘蔵の酒を出してきたのだ。
「・・・テオは僕の職を継ぐわけじゃないから大使をやってみるのもいいかな、と思ってね」
カラリと言い放った父の手の中で、グラスの中の氷がからんっと音を立てた。その向かいに座っている殿下もグラスを揺らして中身を呷る。
「さすが、公爵秘蔵のお酒は美味しいわネー。テオ、貴方が一番適任なんだからグズグズ言ってないで大使を引き受けなさいよ。そうすれば私もシルフィアにいつでも会えるし」
いつの間にか話題は僕の卒業後の進路の話になり、何故か二人から大使を引き受けるよう説得されていた。
僕はため息とともに殿下に向かって顔をしかめて見せる。
「殿下はそれが目的でしょう。昨日も言いましたが、シルフィアの様子を窺ってからじゃないと返事はできません」
「まだ聞いてなかったの?! 貴方、ちょっと慎重すぎない?」
「すみませんね、妻に直接聞くつもりがないもので。シルフィアは間違いなく『テオが決めた方についていきます』というのが分かっているので、彼女の様子を見ながら決めたいんです」
ムムッと殿下が黙り、隣の父がクスクス笑う。
「本当にテオはシルフィアのこととなると臆病だね。だけど、彼女は街の食堂で働いていて友人もいるのだろう? 帝都でもう何年か暮らしてこちらと行き来しながらこの国に馴染んでいってもらうのも一つの方法かと思うのだけど」
父の言うことは的を射ていて僕は黙り、シルフィアが働いていることを知らなかった殿下は飛び上がった。
「まあ! テオ、貴方なんてことしてくれてるの?! かわいい妹を働きに出すなんて、聞いてないわよ!」
「言ってないですからね」
「まあああ! 何かあったらどうする気なの?!」
「シルフィアが友人の助けになりたいと働くことを希望したのです。当然、事前に店員の経歴性格、店の経営状態、客層まで調べ尽くしていますし、シルフィアには護衛をつけているのでそこまで心配なさらなくとも大丈夫です。これも彼女の世界を広げるために大事なことですよ」
ね? と無邪気な笑顔を作って向ければ殿下が口をへの字に曲げた。
「どこの店? イエ、待って。当ててみせるわ。・・・学院からもテオの下宿からも近い『緑の庇亭』じゃない?」
いつの間にかそんな通称名がついていたのか、と頷きつつ、アッサリ当てられたことに驚く。その僕の顔を見た殿下がしてやったりと笑って手を叩く。・・・酔いが回ってきているらしい。
「当たりね! 実は最近、城の警備の間で話題になっているのヨ。食事も酒も美味しくて昼は百合とタンポポ、夜は薔薇が拝めるって評判で・・・アレ? じゃあ、タンポポって私の妹のことかしら?」
一転、不愉快そうな表情になった殿下だが、シルフィアの世界を広げるべきと言っていた手前止めさせろとも言えず苦悶している。
「とりあえず今度、食事をしがてら見に行くわ」
「シルフィアは週二日しかいませんからね」
「そうなの?! 合わせられるかしら。まあ、いなくても早めに店の様子を確かめたほうがいいわよね」
私の大事な妹にこれ以上虫がついたら大変! と言い切った殿下に深く同意して頷く。
シルフィアに寄ってくる害虫は駆除するに限る・・・うん? これ以上ってなんだ?
「君達、ほどほどにしないと店が潰れちゃうよ?」
グラスを空にした父が、僕達を交互に見ながら呆れたように言った。
「じゃあ父上は、母上がシルフィアのように働きたいと言ったらどうするの?」
「店を買い取って客は僕一人」
「公爵、怖っわ。テオの方がまだ寛容じゃない。ヤダわー、この父子はこれだから」
酒のボトルを傾けて遠慮なく自分のグラスに注ぎながら殿下がわざとらしく震えている。その様子をぼんやりと眺めていた僕の口からポロリと不安がこぼれ出た。多分、僕も酔いが回っていたのだと思う。
「・・・大使になったら、帝国の社交界にもシルフィアを出さないといけない。だけど、そこには学院で彼女を嘲り貶め綿ぼこり扱いした奴らもいるんだよ。僕は彼女にもう嫌な思いをさせたくないんだ」
「以前と違って君という味方が側にいるし、うちの家名で随分と守れるはずだよ。それに、シルフィアは精神的に君が思っているより強いんじゃないかな」
「そうよ、それに私も全力で妹を守るわよ! 可愛い妹のドレス姿を見たいわー、一緒に踊りたいわー」
「殿下は妹への欲望があり過ぎです。冷静になって現実を見てください」
「現実を見るのはテオも、でしょ」
殿下に釘を差しつつ、二人の言葉を反芻する。
現在のシルフィアの生活環境や交友関係を考えればこの話は受けるべきなのだろう。
・・・やっぱり、僕一人で決断するんじゃなくて妻であるシルフィアに聞いてみるのも大事なことかもしれない。
■■
カチャッ・・・
父達と別れたものの、シルフィアのいないベッドが広く感じられて寝室で一人、サイドテーブルの小さな明かりだけを灯して本を読んでいた。
全く眠気がないのだが、もう深夜といってもいい時刻で屋敷内は静まり返っている。そこに扉の開く音がしたのだから、さすがの僕も心臓が大きく飛び跳ねた。
害意を持った侵入者が扉から来るとは考えにくい。幼い頃なら弟かと思うところだが、彼は結婚して出ていったし、そもそもノックくらいはしていた。
では、誰が何の用でこんな時間にこの部屋を訪れたのか?
僕は念の為、息を止めていつでも飛びかかれる態勢で扉の方へ目を凝らした。
「・・・テオ、まだ起きていたのですか?!」
驚きを含んだささやくような聞き馴染んだ声に僕の全身から力が抜けた。
「フィーア! こんな時間にどうしたの?」
嬉しさを滲ませて尋ねれば、彼女は腕の中のウサギのぬいぐるみ達をぎゅうっと抱きしめた。
「何かあった?」
考えにくいけど、ディーと喧嘩したとか。僕のつぶやきに彼女は首を振ってベッドまで来ると、ぬいぐるみ達をいつもの定位置である側の小さなテーブルの上に座らせた。
「女子会はとてもとても、楽しかったのですが、ふと目が覚めて隣にテオがいないと思ったら、その・・・」
「寂しくなった?」
小さく頷いたシルフィアに愛しさがこみ上げて僕は膝に置いたままの本を閉じてウサギの前に置き、彼女へ手を伸ばした。
「実は僕も、寂しくて眠れなかったんだ」
一緒だね、と目を合わせて繋いだ手をそっと引き寄せた。
腕の中の温もりを確認するように力を込めれば、同じように背に回されたシルフィアの手がぎゅっと僕の寝間着を掴んだ。
シルフィアが僕の所に戻って来てくれた。それが何より嬉しい。
僕以外の人の所へ行く度にそちらを気に入って帰ってこないんじゃないかと不安を抱いていたけれど、夜中に母と妹のいるベッドを抜け出して僕の元へ帰ってきてくれた。
その事実が僕の心の奥に大きな安堵をもたらした。
大丈夫、シルフィアは誰とどこへ行っても僕のもとへ帰って来てくれる。
・・・そうか、僕が大使の職を渋っていたのは、彼女を知り合いのいないこの国へ連れてきて独り占めしたかっただけかもしれない。
そのことに気づいた途端、僕の口は勝手に動いていた。
「フィーア、僕は卒業後もこの国の大使として帝国にいることになるかもしれない」
「そうなのですか?!」
パッと目を見開いた彼女の顔からは友人達と離れなくて済むという喜びは窺えず、ただ驚きしかなかった。
「そうすれば、フィーアもせっかくできた友人と離れずに済むだろ?」
続けた一言でその顔が曇る。
「それはテオのやりたいことではなくて、私のため、なのですか?」
悲しそうな彼女の言葉に詰まる。答えを探していたら、真っ直ぐな視線と共に尋ねられた。
「そのお話、私がいなかったらどうしてましたか?」
シルフィアと出会ってなかったら? ・・・父も母もまだまだ若くて元気だし僕がいなくても公爵家は回る。城での仕事も特に僕じゃなくていい、結婚も先延ばし出来るかもしれない、となると。
「直ぐに受けてた、かな・・・」
僕は国から出たくて周囲を説き伏せて留学したんだ、きっと大使を喜んで引き受けただろう。
「では、このお話はテオがやりたいことで、これは嬉しいことですね!」
シルフィアの笑顔がたまらなく心にしみた。
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