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第一章 次期公爵夫妻
4、妻は夫を眺めたい
しおりを挟むずっとふわふわしている。足が地面につかず浮いているようだ。
これは、テオ様と初めて二人きりで『デート』をしているからだろうか? それとも、手をつないで非日常な夜の街を歩いている高揚感からだろうか?
いや。多分、このふわふわ感はテオ様に『これから先は僕が君を守るから、全てを捨てて僕と結婚しよう』と言われた時からずっと続いている。
私の母は、帝国領内で最弱の国の王が戯れに手を出した下働きだったそうだ。彼女は私を産むと同時に亡くなり、残された私は王の色をそのまま受け継いでいたため、殺すわけにも里子に出すわけにも行かず城で飼われていた。
誰にも構われず思い出したように与えられる残飯を食べ、ふらふらと城内を徘徊していれば義母や義兄に目障りだと暴力を振るわれる毎日。
成長するにつれ周囲の会話からなんとか言葉を覚え、小さな雑用をこなし食べ物を貰うことができるようになった。
本来なら傅くべき相手を顎でこき使えるというのはとても愉しいものらしく、城の使用人達は私へ餌をチラつかせては用事を言いつけてきた。私は馬鹿にされ罵倒されながらも生きるために必死で言われたことができるようになった。
このまま生きていくのかと思っていたら、王族の義務だとかで十六歳で帝都の学院に入れられた。驚くことにあんな扱いをしておきながら、姫として帝国へ出生届けがなされていたらしい。
文字一つ学んだことがない人間が、高等教育を学ぶ場にいきなり放り込まれて、一体何ができるというのだろう。
なすすべなく、いつも隅っこでじっとしている薄汚れた私にはいつしか『綿ぼこり』というあだ名がついていた。
周囲全てが私を嫌悪し、顔をあげることのない日々を送っていたある日、私の足元に万年筆が転がってきた。
ひと目で大事に使われてきたものだと分かるそれを、私が手にすると嫌がられるかもしれないと思いつつも放っておけなくて、拾って渡した相手がテオ様だった。
その数カ月後、私の人生は一変する。いつものように義兄に暴力を振るわれていたところをテオ様に救われ、瞬く間に家族と縁を切ってもらって私は彼の妻となった。
だから、テオ様は私の恩人で、大事な人。絶対に嫌われたくない。
でも、どうすれば嫌われないか、分からなくて困っている。
・・・・そういえば、さっき食堂で思わず『テオ様のクセを見つけてみせます』と宣言してしまった。ということは、堂々と彼を観察できる訳だから、ついでに彼が嫌いなことも見つければいいのでは?!
その思いつきに嬉しくなった私は、クセを発見するためだからと心のなかで言い訳して、右隣りにいる彼をこっそり見上げた。
私より一回り大きくて骨ばってしっかりした手が私の右手をぎゅっと包み込んでくれている。もうそろそろ花が咲き誇る季節だけど、夜は冷えるからと羽織っている薄い枯草色のコートがくすんだ灰色の髪に良く似合っている。
初めて見た時にそう告げたら、抱きしめられてしばらく離してくれなかったな。
困った、思い出したらぽわっと顔が火照ってきた。
空いている方の手でパタパタと頬を扇いで熱を冷ましてから、首をうんと傾けて手入れが楽だからと短くしている髪に縁取られた彼の整った顔に視線を向ける。
さあ、テオ様をじっくり観察するぞ、とわくわくしていたのに見上げた先では、すっとした切れ長の薄青の目がこちらを見下ろしていた。
あれ? テオ様が私を見ている?
動揺のあまりパッと顔を逸す。一呼吸置いてそっと顔を上げれば、また目が合った。
何かの間違いかと今度は反対を向いてからまた戻す。やっぱり、その視線は私へ真っ直ぐ向けられていた。
何故、見る度に目が合うのかと不思議でぽかんと口を開けたら彼が吹き出した。
「ふはっ! フィーア、なんて顔をしているの」
「私、変な顔してますか?!」
嫌われるかもと慌てて繋いだ手を振りほどいて顔を隠そうとすれば、空いていた方の手も掴まれて身動きが取れなくなってしまった。
仕方なく俯いて隠せば、あやすような声が降ってきた。
「変じゃないよ、とっても可愛い。だから手は離さないで?」
「テオ様は私が変な顔でも嫌いにならないですか?」
「何言ってるの、君はどんな顔でも可愛いから変な顔なんてないよ。それに僕は君が何をしたって嫌わないよ。だから、君は言いたいことを言って、やりたいことをしたらいいんだ」
何をしてもテオ様は私を嫌わない?! その言葉に驚いて顔を上げれば、目の前に包み込むような穏やかな笑みを湛えた彼の瞳があった。
いい? と目線だけで聞かれた私は反射でどうぞと瞬く。そのままふわりとキスが降ってきた。
そういえば、テオ様は学院ではとても冷酷だと噂されていたけれど、本当はとても優しい人だったな、と思いながら閉じていた目を開ける。そして私は彼の後ろに大勢の人が行き交っていることに気がついた。
そうだ、私達は帰宅途中でここは街中だった!
「テオ様! 此処ではダメです、人がいます」
「大丈夫だって。誰も僕達のことなんて気にしてないから」
「そんなことないです、少なくとも私は気にします!」
自分で言った途端、一気に全身が熱くなって、私は磨り減った石畳の上で足踏みした。そして、焦る私を楽しそうに見ているテオ様を引っ張ってその場から逃げ出した。
人にぶつからないように走った先には布張りのお店がずらりと並んでいた。
家への道を辿ったつもりだったのだけど、何処かで間違えたらしい。
「ああ、露店街まで来たのか」
「露店?」
「うん、移動できる簡易なお店で旅の商人がよく使ってる。だから、珍しい物を多く扱っているよ。せっかくだから見ていこうか?」
「はい!」
「人が多くて危ないから離れないでね」
テオ様の言葉に頷いて、繋いだ手にぎゅっと力を込める。応えるように彼もぎゅっと握り返してくれた。
様々な匂いと鮮やかな色が溢れかえる通りは人で埋め尽くされていて、私は彼の腕にしがみつくようにして歩いていた。
人の波から頭が抜けている彼は、面白そうな店を見つけると人の間に埋もれている私を抱え込むようにして連れて行ってくれた。
キラキラ輝く色とりどりの布に不思議な形の果物、嗅いだことがない匂いのする香辛料。見ているだけでも楽しいのに、いつの間にかテオ様の腕には大きな紙袋が抱えられていた。
「なんだか、たくさん買ってしまいましたね」「本当だ。荷物持ちにフリッツを連れてくればよかったな。」
「私も持ちます」
「いや、フィーアははぐれないように僕にくっついててくれれば、それでいいから」
その言葉でこの雑踏の中、はぐれて一人になることを想像した私は怖くなって彼の身体に腕を回してぎゅうっとしがみついた。
「テオ様と離れるのは怖いです」
「なんて可愛いことしてくれるのかな! 僕の手が塞がってなければ、抱き上げて抱えて帰るところだけども」
「・・・・自分で歩きます」
流石に抱き上げて運ばれるのは恥ずかし過ぎる。ささっと腕を離して歩き出そうとしたその時、何処からか高く綺麗な音が聞こえてきた。
何の音だろう、と気になって辺りを見回していたら、テオ様に手を引かれて近くのお店に連れて行かれた。
そこには形も大きさも様々な美しい箱がたくさん並んでいた。
「一つ手にとって開けてご覧」
彼に勧められて恐る恐る手前の小さな箱のふたを開けた。
途端、耳に飛び込んできた音色に驚いて箱を目の高さまで上げて覗き込む。箱の中はビロードが張られていて空っぽだった。
私が首をひねっているうちに音が止まってしまう。
「横にネジがついているだろ? それを回せばまた音が鳴るよ。これはオルゴールというんだ。気に入った?」
「はい。とても綺麗な音が出て素敵な箱ですね」
「じゃあ、一番好きな物を選んで。記念に一つ買おう」
「テオ様、さっきもそう言って布や香辛料を買いましたよね?!」
「布や香辛料は皆で使う物で、オルゴールは君一人の物だから別だよ」
そうかな? とは思ったが、ネジを巻いてふたを開ければ美しい音が流れ出る、この魔法のような箱が部屋にある誘惑に私は勝てなかった。
「これが、欲しいです」
私はつやつやと飴色に光る、両手に乗るくらいの大きさの可愛い花が彫られた箱を選んだ。
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