上 下
23 / 40

残存

しおりを挟む
ーーーー小夜の部屋ーーーー

 小夜は終始、赤い目を虚にさせ、朔也のことを考えていた。朔也の心音。朔也の体温。朔也の手。朔也の舌の感触…。全てが何度も脳内で再生された。現実ではないのではとも思ったが、体がしっかりと朔也を覚えていた。

(あの後、私どうなっちゃってたんだろ……)

顔が熱くなり、体の底が疼く感覚。全部が全部、小夜にとっての初めての感覚だった。

(怖かったけど……嬉し、かった…?何気に小夜って呼んでくれたし…)
「失礼します。」
「はい!」

 小夜が呆然としている時に入ってきたのは、司波だった。

「司波さん…。」
「今日は一段と元気がないように思われたから。夕飯の時もあまり、箸が進んでいなかったように感じましたよ。」
「やっぱり、司波さんには敵わないね…。」

小夜は観念したように笑うと、司波はそれを見てゆっくりと襖を閉めた。

「お嬢様は、恋をされていらっしゃるのですね。」
「…そこまで分かるの?そんなに分かりやすい?」
「ふふっ、男どもには分かりませんよ。私もね、伊達に何十年も女をやってきたわけじゃないですから、ここ最近のお嬢様の顔つき、食欲、行動を見ていれば分かります。」
「本当に司波さんはすごい人よ…。」
「ふふふっ、とんでもございません。」

司波はゆっくりと話しながら小夜をリラックスさせた。小夜は正座する司波の近くにいき、腰をかけた。

「司波さん。聞きたいことがあるの。その…キス、とかは、好きな人にやるものでしょ?まだ何も言われてないから分かんなくて。」
「まあ!お嬢様もそこまで成長されたのですね。司波、嬉しいです。」
「あ~!そういうことは言わないで!恥ずかしいから…。」

司波は照れている小夜を見て、静かに笑い、小夜は熱くなった頬を両手で抑えた。司波は「話を戻すと」と言いながら、小夜に少し近づいた。

「きっとお嬢様のお相手は純心の恋心で、行ったことと思いますよ。照れ隠しで言葉にできないのでしょう。」
「本当!?」
「はい。」

小夜は嬉しさを隠しきれず、口角を思いっきり上げ喜んだ。

「ただ…」

小夜が司波の方を向くと、司波は真剣な顔つきをしていた。小夜はその表情に自然と肩に力を入れてしまった。

「ただ、大人になってくると訳が違います。いるんですよ、気持ちも無いのに手を出す男が。もちろん学生の中にも一定数いるでしょうけどね。」
「え?」

司波は不安げな顔をしている小夜にそっと微笑みかけ、話を続けた。

「大人になってくると、寂しさや虚しさが一気に増えていきます。皆、そういうのを抱えて生きなければなりません。ですが、それを埋めようと気持ちの無い異性に手を出し、一時的な快楽、優越感を味わおうとする愚か者がいるんです。」
「……。」
「お嬢様のお相手はまだ学生ですし、ましてやキスだけなら心配ないでしょう。」
(朔也くん大人だよ……。不安になってきた…。ううん!まさかまさか!そんなことない!)

小夜は脳内で生じた不安をかき消すように、頭を二、三度横に振った。

「そして、その愚か者に落ちてしまった人間はみるに耐えないものがあります。恋焦がれ、待ち望み、捨てられ…。それでも帰ってくることを祈ってしまう。明日、その次、いつか目の前に現れるのではと想うだけで時は経ち、気づけば何も進まず、時間に置いてかれた自分だけがそこにいる。悲しいものですね…。」
「……その人はその後、どうなるの?」
「人それぞれですが、私の知っている人は立ち直っていきましたよ。」
「その人は今何をしているの?」
「…亡くなりました。」
「…そっか。…ごめんなさい。」
「いえいえ、もう昔の話ですので。」

司波は遠い目をしながら実の姉のことを思い出していた。年の離れた男に捨てられ、嘆き悲しみ、それでも立ち直ったが、嫁ぎ先で娘を産んですぐに亡くなってしまった姉のことを。

「お嬢様も大人になったら気をつけてくださいね。特にお酒の場では、要注意です。」

 司波が部屋を出ていった後、小夜は不安しかない状態で布団に入った。

(大人だし、お酒飲んでたし…。佐藤も司波さんと同じこと言ってたし…。不安だよ…。朔也くんは私をどう思ってるの…?)

ーーーー『florist 』ーーーー

 朔也が後悔の念に飲み込まれていると、着信音が鳴った。

「もしもし。」
<朔也!ごめん、私が渡したのワインだった!本当ごめん!>
「おせーよ。ばか。」
<…もしかして飲んじゃった?>

朔也はワインを飲み、意識を失ったこと。気づいたら小夜が泣いていたことを話した。

<うわ~。まじか~…>
「本当に記憶にねぇんだよ。あいつに何やったのか思い出せなくて…。今も頭回ってねぇんだ。」

正確に言うと、意識は無かったものの、体は小夜の感触を覚えていた。吐息。舌触り。肌の柔らかさ。匂い…。確かに自分の腕の中に小夜がいたことだけが分かっていた。ただ何をしたのかが分からない。

<…本当申し訳ない。あんたがそこまで酒癖が悪いとは…>
「いや。俺が酒を飲まねぇのはすぐに寝ちまうからで、こんなこと初めてなんだよ…。」
<まさか最後までやってないわよね?>
「やってねぇと思う。」
<でも、小夜ちゃんは泣いちゃったの?>
「……俺、犯罪者だよ。」
<…まあ、普通ならね。てか、泣くほどのことって何やったのよ。>

絢香は小夜の想いを知っていたため、下手な言葉をかけることができなかった。

<この前、想いを伝えるつもりは無いって言ってたけど、もし逆に小夜ちゃんから告白されたらどうするの?>
「酒飲んで酔って襲ったんだぞ?…そんなこと、あるわけ」
<どうするの?>

絢香の強い声に朔也はしばらく黙った。絢香は正直二人が一緒になるのは賛成だった。朔也の理性が抑えられないという狂気性には少し、いや大分、想定外だったが、それでも互いに思いがあるなら問題はない。事実、高校生と社会人との恋愛は法律上問題はない。二人が一緒になることにおいて、何ら問題はないのだ。

「もしそんなことが起きたら、俺は断る。」
<うん。…え!?>

絢香は意外な答えに驚いた。

「前も言ったろ。あいつは高校生で将来のこともある。」
<あのさ。少し真面目過ぎじゃない?>
「…水野って覚えてるか?」
<え?うん…でも、あの子は相手が悪かっただけで>
「違うんだ。」

水野とは朔也と絢香が高校一年だった時のクラスメイトである。

「水野も社会人の彼女と付き合ってた。水野ってさ、すげーいい奴で、よく彼女のこと話してた。本当に好きだったんだよ、あいつ。でも、時間が経つにつれて成績も下がっていった。部活もやめた。水野の親は厳しい人たちだったから、そんな水野をひどく叱った。その後水野は彼女と駆け落ちした。その後、警察に捕まって裁判沙汰。彼女さんも会社をクビになった。負い目を感じた水野は…。」
<…好き同士だったのは初耳だけど、それでも結局は相手の大人が考えなきゃいけないことで…>
「怖いんだよ。俺も自制効かずに、善悪の判断が分からなくなるのが。」
<……。>
「それにあいつがもし俺に好意を持ったとして、水野みたいに将来を無駄にしてほしくない。」
<…そういうこと。水野くんの件があったから、臆病になってるんだ。>

絢香は一度時間を確認した後に、携帯を耳に当てた。

<私は別に付き合うのか付き合わないのかの判断は自由だと思う。ただ、何もしないから側に置いておきたいっていうのは良くないと思うよ。せこいと思う。>
(誰よりも小夜ちゃんが辛いじゃん…。)

絢香はイタリア行きの便のアナウンスを聞いて、慌てて親に別れを告げた。

<いつでも話聞くからって言えるほど暇じゃないからこれ以上は深く介入できないけど…>
「いや、いいよ。ありがとな。」
<うっ…うん。じゃあね。>

朔也の弱った声に絢香がまた反応してしまった。電話を切ると絢香は搭乗口に向かった。

(…鈍感でズルい野郎め。小夜ちゃん、大丈夫かな…。)

 朔也は切れた電話を耳から離し、絢香の言葉を思い出していた。

『何もしないから側に置いておきたいっていうのは良くないと思うよ。』

朔也は立ち上がって、携帯を机の上に置いた。口の中が甘い。小夜の味がまだ残っている感覚。初めてコーヒーを仕事終わりに飲みたくないと思った。この感覚を残しておきたい。そう思いながら、触れた唇には小夜がつけた噛み跡がついていた。その噛み跡が小夜の感じた恐怖を具現化しているようで、また後悔の念に囚われた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】一夜の関係を結んだ相手の正体はスパダリヤクザでした~甘い執着で離してくれません!~

中山紡希
恋愛
ある出来事をキッカケに出会った容姿端麗な男の魅力に抗えず、一夜の関係を結んだ萌音。 翌朝目を覚ますと「俺の嫁になれ」と言い寄られる。 けれど、その上半身には昨晩は気付かなかった刺青が彫られていて……。 「久我組の若頭だ」 一夜の関係を結んだ相手は……ヤクザでした。 ※R18 ※性的描写ありますのでご注意ください

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜

雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。 【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】 ☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆ ※ベリーズカフェでも掲載中 ※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

【R18・完結】蜜溺愛婚 ~冷徹御曹司は努力家妻を溺愛せずにはいられない〜

花室 芽苳
恋愛
契約結婚しませんか?貴方は確かにそう言ったのに。気付けば貴方の冷たい瞳に炎が宿ってー?ねえ、これは大人の恋なんですか? どこにいても誰といても冷静沈着。 二階堂 柚瑠木《にかいどう ゆるぎ》は二階堂財閥の御曹司 そんな彼が契約結婚の相手として選んだのは 十条コーポレーションのお嬢様 十条 月菜《じゅうじょう つきな》 真面目で努力家の月菜は、そんな柚瑠木の申し出を受ける。 「契約結婚でも、私は柚瑠木さんの妻として頑張ります!」 「余計な事はしなくていい、貴女はお飾りの妻に過ぎないんですから」 しかし、挫けず頑張る月菜の姿に柚瑠木は徐々に心を動かされて――――? 冷徹御曹司 二階堂 柚瑠木 185㎝ 33歳 努力家妻  十条 月菜   150㎝ 24歳

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

【R18】十六歳の誕生日、許嫁のハイスペお兄さんを私から解放します。

どん丸
恋愛
菖蒲(あやめ)にはイケメンで優しくて、将来を確約されている年上のかっこいい許嫁がいる。一方菖蒲は特別なことは何もないごく普通の高校生。許嫁に恋をしてしまった菖蒲は、許嫁の為に、十六歳の誕生日に彼を自分から解放することを決める。 婚約破棄ならぬ許嫁解消。 外面爽やか内面激重お兄さんのヤンデレっぷりを知らないヒロインが地雷原の上をタップダンスする話です。 ※成人男性が未成年女性を無理矢理手込めにします。 R18はマーク付きのみ。

処理中です...