1 / 40
極道の娘
しおりを挟む
高校一年、十六の百目鬼小夜の一日は朝の四時から始まる。冬の寒さに耐えながら顔を洗い、制服に着替え、厨房に入る。和風な厨房にはすでに着物の上に割烹着を着た老婆が朝食作りに勤しんでいる。
「お嬢様、おはようございます。」
「司波さん。おはよう。」
司波とはこの家の唯一の板前である。歳は七六。真っ白な白髪を紅色の簪でまとめている姿は貫禄を感じさせる。
小夜は味噌汁を作る司波の横にいき、切りかけであった法蓮草に手を付ける。次にボウルを用意し、片手で卵を人数分割っていく。次に砂糖、醤油、だし汁を入れかき混ぜる。
「お嬢様の腕前はもう私以上ですな~。」
「そんなことないよ。司波さんの卵焼きには敵わないもん。もっと練習しなくちゃね!」
「お褒めの言葉、痛み入ります。」
笑い合いながら料理をする二人はさながら祖母と孫のようである。
朝食の準備ができた。男三十四人分、女二人分の御膳に盛り付けていく。
「お嬢、司波さん。おはようございます。」「「「「「おはようございます!」」」」」
いそいそとしていた二人に話しかけたのは起きたばかりの男達だった。新入りの一人は一段と威勢が良い。
「おはよう。みんな。出来てる分の御膳はとっても良いから。」
「「「「「ありがとうございます!」」」」」
次々に出来ていく御膳を一人一人が取って大広間に持っていく。そんな中、先程の威勢の良かった新入りは順番を待ちきれず、姿勢を低くして厨房の中に入っていった。そして、手をそっと卵焼きの方に伸ばした。
(あと、もうちょい…)
その瞬間、新入りの伸ばした中指と人差し指の間に鋭い音と共に料理用の包丁が机に刺さった。
「男が厨房に入ってんじゃないよ。」
先程とは打って変わった司波のドスの効いた声に一同は静まり返り、新入りは恐ろしさで腰が抜けていた。司波の目は決して老婆の目では無い。本気の殺意を感じさせる圧迫感がある。
緊張が張り詰めていた空気に割って入ったのは鋭い目に癖っ毛を雑にかきあげたような髪型の高身長男だった。
「司波さん。許してやってください。あとできつく叱っておきますんで。」
「佐藤さんね、若い衆をまとめるのも大変かもしらんが、躾をちゃんとしてもらわんと。」
「すいません。」
佐藤と呼ばれた男が司波の説教を受けている間、小夜は黙々と御膳を作っている。その見事な手捌きで司波の説教が終わる頃にはほとんどの御膳が出来ていた。
「よし!終わり!」
「お嬢、いつもありがとうございます。」
「いいの。これが楽しみなんだから。これ、佐藤の分ね。」
「ありがとうございます。」
厨房の片付けが終わると小夜と司波は大広間に向かった。十二畳の大広間には御膳が綺麗に並べられ、男たちはその御膳の前で静かに礼儀正しく座っている。奥の一段上がった場所には小夜の父と祖父が相変わらずの険しい顔をして腰を下ろしていた。小夜は急足で父に一番近いお膳の前に座る。小夜が座ったのを横目で確認した祖父・百目鬼清兵衛は立ち上がり、話を始めた。
「我々、百目鬼組の繁栄と安泰に感謝して…」
「「「「「いただきます。」」」」」
その掛け声と共に全員は一斉に食べ始めた。百目鬼組の掟では食事中の一切の私語が禁止なため、静かな食事風景は当たり前である。
全員が食べ終わると、小夜は御膳の片付けを司波に任せて学校へ行く準備に取り掛かる。癖っ毛の髪を一つにまとめ制服の塵を一つも残さず取る。念入りな準備をした後に父と祖父への挨拶に向かう。しかし、小夜の足取りはいつもここで重くなる。二人に会うのが億劫なのだ。
清兵衛は家族よりも組を大切にする人間であった。小さき頃の小夜にとっては鬼そのものの冷徹さに見えていたであろう。小夜が大きくなってからは組を継ぐために婿養子をとれだとか、そのために花嫁修行に勤しめだとか散々に怒鳴りつけていたため、小夜が進学したいといった時には組全体が荒れるほどの激怒をするくらいだった。
父・百目鬼成亮は清兵衛の娘である小夜の母、夏夜に婿入りした婿である。六年前、夏夜が亡くなるまでは優しくおおらかな人間だったが、ショックからか人が変わったようにきつい人間になってしまった。
「失礼します。」
小夜は先程の大広間に礼儀正しく障子を開け、入っていく。朝の会議中であるこの時間、二人だけでなく大勢の男達にも見られるのも億劫になる理由である。
小夜は障子を静かに閉めると、正座になり綺麗に頭を下げる。
「お祖父様、お父様、行って参ります。」
「…ああ」
父は挨拶というか溜息のような声を小夜にかけた。祖父はこちらを見ようとはしない。
「…失礼します。」
気まずさを残し、立ち上がり部屋を去ろうとしたその時、男たちは一斉に立ち上がった。
「「「「「いってらっしゃいませ!お嬢!」」」」」
「う、うん。行ってきます。」
(やっぱ慣れないなあ、この迫力…)
小夜はいつも正門では無く、庭園の裏道を抜けた先にある小さな神社から出る。これを知っているのは司波と佐藤仁だけだ。
「お嬢様、お弁当お忘れですよ。」
「あ!すっかり忘れてた!ごめんなさい。ありがとう。」
「いえいえ。」
「じゃあ、行ってきます!」
「いってらっしゃいませ。」
司波にもらった可愛らしいお弁当を手提げに詰め、いつものように小夜は学校に向かった。いつもと変わらない日のはずだった。
この時はまだ小夜は知らなかった。一番避けたかった出来事がこの日起きてしまうことを。
「お嬢様、おはようございます。」
「司波さん。おはよう。」
司波とはこの家の唯一の板前である。歳は七六。真っ白な白髪を紅色の簪でまとめている姿は貫禄を感じさせる。
小夜は味噌汁を作る司波の横にいき、切りかけであった法蓮草に手を付ける。次にボウルを用意し、片手で卵を人数分割っていく。次に砂糖、醤油、だし汁を入れかき混ぜる。
「お嬢様の腕前はもう私以上ですな~。」
「そんなことないよ。司波さんの卵焼きには敵わないもん。もっと練習しなくちゃね!」
「お褒めの言葉、痛み入ります。」
笑い合いながら料理をする二人はさながら祖母と孫のようである。
朝食の準備ができた。男三十四人分、女二人分の御膳に盛り付けていく。
「お嬢、司波さん。おはようございます。」「「「「「おはようございます!」」」」」
いそいそとしていた二人に話しかけたのは起きたばかりの男達だった。新入りの一人は一段と威勢が良い。
「おはよう。みんな。出来てる分の御膳はとっても良いから。」
「「「「「ありがとうございます!」」」」」
次々に出来ていく御膳を一人一人が取って大広間に持っていく。そんな中、先程の威勢の良かった新入りは順番を待ちきれず、姿勢を低くして厨房の中に入っていった。そして、手をそっと卵焼きの方に伸ばした。
(あと、もうちょい…)
その瞬間、新入りの伸ばした中指と人差し指の間に鋭い音と共に料理用の包丁が机に刺さった。
「男が厨房に入ってんじゃないよ。」
先程とは打って変わった司波のドスの効いた声に一同は静まり返り、新入りは恐ろしさで腰が抜けていた。司波の目は決して老婆の目では無い。本気の殺意を感じさせる圧迫感がある。
緊張が張り詰めていた空気に割って入ったのは鋭い目に癖っ毛を雑にかきあげたような髪型の高身長男だった。
「司波さん。許してやってください。あとできつく叱っておきますんで。」
「佐藤さんね、若い衆をまとめるのも大変かもしらんが、躾をちゃんとしてもらわんと。」
「すいません。」
佐藤と呼ばれた男が司波の説教を受けている間、小夜は黙々と御膳を作っている。その見事な手捌きで司波の説教が終わる頃にはほとんどの御膳が出来ていた。
「よし!終わり!」
「お嬢、いつもありがとうございます。」
「いいの。これが楽しみなんだから。これ、佐藤の分ね。」
「ありがとうございます。」
厨房の片付けが終わると小夜と司波は大広間に向かった。十二畳の大広間には御膳が綺麗に並べられ、男たちはその御膳の前で静かに礼儀正しく座っている。奥の一段上がった場所には小夜の父と祖父が相変わらずの険しい顔をして腰を下ろしていた。小夜は急足で父に一番近いお膳の前に座る。小夜が座ったのを横目で確認した祖父・百目鬼清兵衛は立ち上がり、話を始めた。
「我々、百目鬼組の繁栄と安泰に感謝して…」
「「「「「いただきます。」」」」」
その掛け声と共に全員は一斉に食べ始めた。百目鬼組の掟では食事中の一切の私語が禁止なため、静かな食事風景は当たり前である。
全員が食べ終わると、小夜は御膳の片付けを司波に任せて学校へ行く準備に取り掛かる。癖っ毛の髪を一つにまとめ制服の塵を一つも残さず取る。念入りな準備をした後に父と祖父への挨拶に向かう。しかし、小夜の足取りはいつもここで重くなる。二人に会うのが億劫なのだ。
清兵衛は家族よりも組を大切にする人間であった。小さき頃の小夜にとっては鬼そのものの冷徹さに見えていたであろう。小夜が大きくなってからは組を継ぐために婿養子をとれだとか、そのために花嫁修行に勤しめだとか散々に怒鳴りつけていたため、小夜が進学したいといった時には組全体が荒れるほどの激怒をするくらいだった。
父・百目鬼成亮は清兵衛の娘である小夜の母、夏夜に婿入りした婿である。六年前、夏夜が亡くなるまでは優しくおおらかな人間だったが、ショックからか人が変わったようにきつい人間になってしまった。
「失礼します。」
小夜は先程の大広間に礼儀正しく障子を開け、入っていく。朝の会議中であるこの時間、二人だけでなく大勢の男達にも見られるのも億劫になる理由である。
小夜は障子を静かに閉めると、正座になり綺麗に頭を下げる。
「お祖父様、お父様、行って参ります。」
「…ああ」
父は挨拶というか溜息のような声を小夜にかけた。祖父はこちらを見ようとはしない。
「…失礼します。」
気まずさを残し、立ち上がり部屋を去ろうとしたその時、男たちは一斉に立ち上がった。
「「「「「いってらっしゃいませ!お嬢!」」」」」
「う、うん。行ってきます。」
(やっぱ慣れないなあ、この迫力…)
小夜はいつも正門では無く、庭園の裏道を抜けた先にある小さな神社から出る。これを知っているのは司波と佐藤仁だけだ。
「お嬢様、お弁当お忘れですよ。」
「あ!すっかり忘れてた!ごめんなさい。ありがとう。」
「いえいえ。」
「じゃあ、行ってきます!」
「いってらっしゃいませ。」
司波にもらった可愛らしいお弁当を手提げに詰め、いつものように小夜は学校に向かった。いつもと変わらない日のはずだった。
この時はまだ小夜は知らなかった。一番避けたかった出来事がこの日起きてしまうことを。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
ヤクザと私と。~養子じゃなく嫁でした
瀬名。
恋愛
大学1年生の冬。母子家庭の私は、母に逃げられました。
家も取り押さえられ、帰る場所もない。
まず、借金返済をしてないから、私も逃げないとやばい。
…そんな時、借金取りにきた私を買ってくれたのは。
ヤクザの若頭でした。
*この話はフィクションです
現実ではあり得ませんが、物語の過程としてむちゃくちゃしてます
ツッコミたくてイラつく人はお帰りください
またこの話を鵜呑みにする読者がいたとしても私は一切の責任を負いませんのでご了承ください*
ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編
タニマリ
恋愛
野獣のような男と付き合い始めてから早5年。そんな彼からプロポーズをされ同棲生活を始めた。
私の仕事が忙しくて結婚式と入籍は保留になっていたのだが……
予定にはなかった大問題が起こってしまった。
本作品はシリーズの第二弾の作品ですが、この作品だけでもお読み頂けます。
15分あれば読めると思います。
この作品の続編あります♪
『ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編』
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
お見合い相手は極道の天使様!?
愛月花音
恋愛
恋愛小説大賞にエントリー中。
勝ち気で手の早い性格が災いしてなかなか彼氏がいない歴数年。
そんな私にお見合い相手の話がきた。
見た目は、ドストライクな
クールビューティーなイケメン。
だが相手は、ヤクザの若頭だった。
騙された……そう思った。
しかし彼は、若頭なのに
極道の天使という異名を持っており……?
彼を知れば知るほど甘く胸キュンなギャップにハマっていく。
勝ち気なお嬢様&英語教師。
椎名上紗(24)
《しいな かずさ》
&
極道の天使&若頭
鬼龍院葵(26歳)
《きりゅういん あおい》
勝ち気女性教師&極道の天使の
甘キュンラブストーリー。
表紙は、素敵な絵師様。
紺野遥様です!
2022年12月18日エタニティ
投稿恋愛小説人気ランキング過去最高3位。
誤字、脱字あったら申し訳ないありません。
見つけ次第、修正します。
公開日・2022年11月29日。
イケメンエリート軍団の籠の中
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり
女子社員募集要項がネットを賑わした
1名の採用に300人以上が殺到する
松村舞衣(24歳)
友達につき合って応募しただけなのに
何故かその超難関を突破する
凪さん、映司さん、謙人さん、
トオルさん、ジャスティン
イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々
でも、なんか、なんだか、息苦しい~~
イケメンエリート軍団の鳥かごの中に
私、飼われてしまったみたい…
「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる
他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」
極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました
白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。
あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。
そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。
翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。
しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。
**********
●早瀬 果歩(はやせ かほ)
25歳、OL
元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。
●逢見 翔(おうみ しょう)
28歳、パイロット
世界を飛び回るエリートパイロット。
ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。
翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……?
●航(わたる)
1歳半
果歩と翔の息子。飛行機が好き。
※表記年齢は初登場です
**********
webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です!
完結しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる