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四十話 運命の、そして真実の

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 近侍と近衛たちに付き添われ、エリーズとヴィオルは二度と出ることが叶わないと思っていた地下の隠し部屋から再び王城の地上階へと戻ってきた。
 周辺で何か異変が起こっていないか調べるため、ヴィオルはジギスとローヴァンを連れてすぐに王城を飛び出していった。もっと二人で奇跡に立ち会えた喜びに浸っていたかったが、王国の安全の方が遥かに大切だとエリーズは辛抱強く彼の帰りを待つ。
 夫とようやく再会できたのは、すっかり夜になった後の寝室でだった。夜着姿で現れたヴィオルは寝台に腰かけたエリーズを見るなり、駆け寄って隣に座った。

「エリーズ、大丈夫だった?」
「ええ、わたしは何ともないわ」

 地下室にて玉座に縛り付けられたヴィオルの元へ向かおうとしたエリーズの体は太いつるに何度も叩かれ、吹っ飛ばされて石の床に強かにぶつかった。全身に打撲や傷があるはずなのに、エリーズの肌には何も残っていない。きっと精霊の心ばかりの礼だろう。
 もし何かあるとすればヴィオルの方ではないか――エリーズは彼の顔をじっと見た。

「ヴィオルは? 何も変わったことはないの?」
「大丈夫だよ。君の声以外はもう何も聞こえない」

 ヴィオルが微笑み、エリーズの銀の髪を撫でる。その手つきはいつもと変わらない優しいものだった。

「……ヴィオルは、これからどうなるの?」

 七百年にもわたり国王を苦しめてきた呪いから解放され、ヴィオルはこの先も人として生きていける。最後の王となる覚悟をしていた彼はこれからどのようにするつもりなのだろう。
 ヴィオルは肩をすくめて答えた。

「こんなにぴんぴんしているのに退位なんていうのはさすがに許されないだろうから、もうしばらく国王を続けるよ。やり方を変えるつもりはない。誰もが自分らしく幸せに生きられる国を、人が主体になって作る。精霊には少し協力してもらうだけ……世継ぎたちにも、この考えを受け継がせていきたいと思っている」

 世継ぎ――それを聞いてエリーズの心臓が大きく跳ねた。いつか王無き国こそが正しいと言われる日が来るのかもしれないが、少なくとも今のアルクレイド王国にはヴィオルが、そして彼の血を受け継ぐ子が必要だ。

「……わたしにも、手伝わせてね」
「ありがとう、エリーズ」

 ヴィオルはエリーズの肩をそっと抱いた。

「それにしても……どうして呪いは解けたんだろう」

 最後の王と運命を共にするべくエリーズがヴィオルのところに駆けつけた時には既に、彼は意識を失っていた。その間に何が起きたのか彼は知らない。

「わたしにも、はっきりとは分からないのだけれど……」

 エリーズはぽつりぽつりと自分の見聞きしたことを話した。玉座の上のヴィオルに寄り添い、蔓に幾重にも巻き付かれたこと、いよいよ身動きがとれなくなったところで、エリーズの首に巻き付いた蔓が何かを欲しているように見えたこと、エリーズがお守りの首飾りを差し出すと蔓はそれをもぎ取ったこと、そしてその後、精霊が出てくる夢を見たこと――すべてを聞き終えたヴィオルは、小さく頷いた。

「僕も君と同じ夢を見たよ。あれは初代国王と精霊の記憶なのだろうね」

 人間と人ならざる者の婚姻には、困難がついて回っていたのだろう。初代国王は精霊の奔放さに不安を拭いきれず、その心の隙を国家転覆を企む臣下によって突かれ妃に剣を向けた。精霊は裏切られた絶望に飲み込まれ、自分の力で解くことができないほど強い呪いで己の子供たちを縛り続けた。
 それでも、彼らは確かに愛し合っていた。初代国王の心からの謝罪が精霊の心を浄化し、二人は再び愛を取り戻すことができた。きっと歴代の国王たちは精霊に導かれ、役目を終えた魂が本来行きつく安息の世界で眠りについている。
 エリーズが幼い頃からずっと持っていた緑色の石のお守りは、大地の精霊に関する何かだったのだろう。それをかつてエリーズに託した老女は何者だったのか、なぜエリーズを選んだのか――今となっては知る術はない。

「……僕たちが出会ったのは、偶然ではないのかもしれないな」

 ヴィオルがぽつりと言い、エリーズの体を己の腕の中に収めた。

「エリーズ、辛かったね。怖かったね。僕のために、本当にありがとう」

 彼の温もりがエリーズを包む。何もかも忘れてただそれを受け入れたかったが、その前にエリーズにはどうしても彼へ伝えたいことがあった。

「ヴィオル……ごめんなさい」

 妻の口から謝罪の言葉がでるとは思っていなかったのだろう。ヴィオルが困惑の表情を浮かべエリーズの顔を見る。

「エリーズ? どうして謝るの?」
「……わたし、ヴィオルの望んだことを受け入れなかったわ」

 ヴィオルは、自分がいなくなった世界でエリーズに自由に生きて欲しいと願った。自分と共に呪いを受け入れることだけは絶対にしないで欲しいとも。しかし、エリーズはそれに反し彼の傍にいることを選んでしまった。
 近侍や近衛たちに語った、ヴィオルを孤独なままでいさせたくないという思い――それは無論嘘ではない。しかし、エリーズを動かしたのは心の内に鍵をかけてしまっておくにはあまりにも強すぎる感情だ。

「あなたのいない人生を生きるのが怖かったの。ヴィオルがいないと、わたしは生きていけないのよ……!」

 愛する者が消えた世界で永遠の冬を生きるくらいなら、いっそのこと彼の傍で散りたかった。夫を愛しているなら、その意志を汲まなければいけないのに。
 本当なら、彼に抱きしめられる資格など失っている――しかしヴィオルは、再び妻の体を腕で包み込んだ。

「……いいんだよ、エリーズ。もういいんだ」

 眠れない子供をあやしているかのような、優しい声だった。

「全部終わったことさ。僕も君も今生きている。明日も、一年先も、五十年先だって一緒にいられるんだ……それがどれだけ素晴らしいことか、君に分かる?」

 望めば何でも得られる、富める国の王が唯一手に入れられないはずだったもの――それが今、彼の腕の中にある。それはヴィオルにとって、そしてエリーズにとっても、世界の全てを手にするのと同じことだ。
 エリーズは目に涙をためて、ヴィオルの背に腕を回した。

「エリーズ……僕の真実の愛。誰よりも強く気高く美しい人」

 愛しい人からかけられる言葉として、これより尊いものをエリーズは知らない。

「君の勇気に報いるために、僕は何ができる?」

 ヴィオルに出会って、恋をして――その時からずっとエリーズの願いはたった一つ、変わらない。

「ヴィオル、わたしと一緒に生きて」

 エリーズを見つめる紫水晶は、今までで一番美しく輝いている。
 この先ずっと、彼が朝目覚めて最初に、そして一日の最後にその瞳に映すのは妻の顔であってほしかった。
 
「約束する。もう二度と離れない。僕の全ては君のものだ……永遠に」

 喜びと感動と愛しさが溢れて止まらない。エリーズの魂がただ一人の夫を求めて叫ぶ。隔てるものが何もない唇同士が深く重なり合った。
 もう一秒たりとも離れたくない。何度も何度も互いを食みあって、しかしそれだけでは足りない。言い表せない程の切なさがエリーズの胸を焦がす。

「ヴィオル……!」

 妻の求めるものを悟ったのだろう。ヴィオルが熱い吐息を零す。しかしエリーズの夜着に手をかけようとはしなかった。

「……優しくできない」
「いいわ、それでもいい。どんな形でもいいの」

 体も心も、全てを彼で満たしたい。彼が与えてくれるものなら、痛みすらも歓喜に変わる。

「お願い、ヴィオル……あなたの全部を、わたしにください」

 その瞬間、わずかに残っていた互いの理性は燃え上がる炎で焼き尽くされた。

 二人きりの世界で何もかもをさらけ出し、混ざり合って溶け合って一つになる。
 そこにいるのは王の威厳も王妃の矜持きょうじも捨てて、ただ愛する人の熱を貪り合う獣のつがい
 脳内へ直接流し込まれる悦楽に溺れ、果てども果てども終わりは来ない。見つめあって口づけあって、絹糸の一本すら通る隙間もないほどきつく抱きあって、真に愛し合う者たちだけがたどり着ける頂点へ手をしっかりと繋ぎながら、高く高く真っすぐに昇っていく――

 ――そうして、どれほど経ったのだろう。カーテンの隙間から見える世界は、既に明るくなっている。
 燃え盛っていた激情の炎は蝋燭ろうそくの火のように小さな灯となって、広い寝台の上でぴったりと身を寄せ合う王と妃の心を照らしていた。

「ヴィオル……わたし、生まれてきて、良かった」

 この命はあなたを愛し、あなたから愛されるためにある――エリーズにとって、それは最上の幸福。過去の辛い記憶はすべて、夫の愛が残らず覆い隠す。この先に待っているのは、太陽よりも明るい光と虹よりも鮮やかな色で溢れた未来だ。

「僕も……心から、そう思うよ」

 穏やかな笑みを浮かべてヴィオルが答え、もう何度目になるか分からない口づけをくれる。それが合図であったかのように、心地よい疲労感がエリーズを眠りの世界に優しく引き込もうとする。

「疲れただろう、少し眠ろうね」
「ん……」

 エリーズは幼子のようにむずかる。もし次に目を覚ました時、彼がまたいなくなっていたら――エリーズの不安を見透かしたのだろう。それを払拭ふっしょくするかのように、ヴィオルはエリーズの手を握った。

「大丈夫。僕はずっとここにいるよ。起きたらまた、たくさん話そう」

 話したいことなら山ほどある。これからの王国を幸せに導くために二人で何をするか、次のヴィオルの誕生日はどんな風に祝うか、そして――子供は何人いたら楽しいか。
 だから今は、束の間の休息を。最後にもう一度だけ唇を重ね、エリーズは愛する人の鼓動を子守歌にして目を閉じた。
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