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三十七話 最後の王となりて

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(忌まわしき王の血を継ぐものよ)
まことの玉座の声を聞け)
(その魂に永久の呪いを刻め)

 国王は時が来れば玉座に呼ばれ、その役目を果たす――「呼ばれる」とは具体的にどのような感覚なのかヴィオルにはずっとぴんと来なかったが、ようやく理解ができた。己のものではない恨みと憎しみのこもった声が頭の中で反響し続ける。昨日はエリーズが傍にいれば気にならない程度だったが、今朝になってその声は大きさを増した。かつて玉座の呼び声を無視し続けた王は最終的に半狂乱になったというが、そうなるのも頷ける。
 ヴィオルは細く暗い通路を歩いていた。紺色を基調とした礼装と政務の間はいつもはめている白い手袋は、陰鬱な地下道には似合わない。前にはランプを持ったジギスが、後ろにはローヴァンがいる。己にだけ聞こえる声の他に、靴の音だけが通路内に木霊する。
 やがてたどり着いた先には、木と革でできた玉座が待ち構えていた。アルクレイド王国の歴代の国王たちの魂を喰らって、大地の精霊の加護をもたらす呪われた玉座――誰に言われるまでもなく、ヴィオルはそこに深く座った。その瞬間、頭の中の声が止んだ。
 ジギスが周囲を照らす中、ローヴァンが玉座の背後の壁に打ち付けられたかせをヴィオルの両手首にはめた。続いて玉座の足元の床に設置された枷も、同じように王の両足首に固定させる。
 紫水晶の君と呼ばれた王が、朽ちかけた玉座に鎖で繋がれている――その様はどれほど滑稽こっけいなものだろうとヴィオルは心の中で自嘲した。

「ローヴァン、ジギス……散々迷惑をかけてすまなかった。今までこんな僕に付き合ってくれてありがとう」

 国王は急な用事のため、日が昇る前に僅かな従者を連れて王城を発ったことになっている。ヴィオルたちは王の私室からのびる抜け道を駆使しここまで来たため、怪しんでいるものはいないはずだ。後ほど予め用意しておいた遺品と共にヴィオルが事故死したという知らせが広められる手はずになっている。
 ジギスが片膝をつき、深々と頭を垂れた。

「私を信頼し、お傍に置いてくださったことはどれほど感謝しても足りぬほどです。陛下の意志を継ぎ、私にできる最善を尽くすことを誓います」

 冗談は一つも通じない、仏頂面の鉄仮面。しかしその心の奥には、彼の髪と同じ赤い情熱の炎が常に燃えていることをヴィオルは知っていた。ローヴァンの方に目をやると、彼は右の拳を左胸に当てる騎士の敬礼をして見せた。

「ローヴァン、嫌な役目を押し付けてしまったね」
「ああ。俺はいつもこんな役回りだ」

 ヴィオルの考えを尊重しその覚悟も全て受け入れてここまで共に歩いてくれた、近衛騎士であり幼馴染。右手を降ろし、ローヴァンが苦笑する。

「子煩悩になったお前の姿を見て笑いたかった……いや、お前なら子供相手にむきになって王妃殿下の取り合いをしていたかもしれないな」

 ヴィオルはふっと頬を緩ませた。名残惜しいが彼らとはもう別れなければならない。最後に、言い残したことは――

「どうかエリーズのことを頼むよ」

 民のことではなく、ただ一人の妻のことを真っ先に憂う自分は王の器ではないのかもしれない。だがそのたった一つの願いを、近侍と騎士はしっかり頷いて聞き届けた。

「さあ、もう行って。君たちを危険な目には遭わせられない」

 玉座に繋がれた王がどうなるのか、それは王自身しか知りえないことだ。失われるべきではない命を守るため、たった独りで呪いを受け入れなければならない。

「達者でな。ヴィオル」
「後は我々にお任せください、陛下」

 短く別れの言葉を告げ、最後の王の見届け人たちが去っていく。やがてその足音も聞こえなくなり、辺りは静寂に包まれた。
 何が起こるか分からない状況にありながら、ヴィオルの心は晴れた日の湖畔のように穏やかだった。人として生きられる最後の日、愛する女性がたっぷりの幸せに満ちた時間をくれたからだろう。

「エリーズ」

 口がきけなくなってしまう前に、ヴィオルはその名前を呼んだ。脳裏に浮かぶのは眩しい笑顔だ。甘えたがりで寂しがりで、しかし夫の枷にならないようそれを表には出そうとしない健気な娘。両親を亡くし新たな家族からは疎まれて、それでも優しい心を忘れなかった純粋で強く美しいひと。抱きしめて口づけると嬉しそうにはにかむ愛らしい乙女。
 彼女はこれからどのような人生を歩むのだろう。勉強家で働き者で、周囲の人間を魅了する力を持ったエリーズならきっとどんなことでもできるはずだ。
 幼い頃から奴隷のように働かされ、ヴィオルと出会いその生活からは解放されたものの今度は王妃の身分という鳥籠に閉じ込められてしまった。本当の自由を得て、彼女は美しい翼でどこへ羽ばたいていくのだろう。
 新しい家族も見つかるはずだ。血のつながりのない子供のことも慈しむエリーズのことだから、きっと素晴らしい母親になれる。
 本音を言うならばもっと彼女と共に生きていたかった。もしも目の前に悪魔が現れて、死後永遠の責め苦を受けることと引き換えに王の呪いから解放され、エリーズとの間に子をもうけて老いて死ぬ人生をやると持ちかけられたら――二つ返事で頷いたはずだ。
 しかし、これで良い。きっとエリーズは、ヴィオルが人間として生きられる残り僅かな時間を照らし彩るために、見えない偉大な力が引き合わせてくれた女性なのだろう。自分は消えるが、彼女が生きる世界は守られる。ヴィオルの意志を継ぐものたちが国を導いてくれる。そのために、人生のほとんどを投げうってきた。己のしてきたことにはきっと意味があるはずだ。
 頭が徐々に重くなり、段々と意識が薄らいできた。どうやら「その時」を迎えつつあるようだ。あまり苦しまなくて済むならその方がいい。

「エリーズ……」

 最後の王が願うことはたった一つ。
 生涯でただ一人、まことの愛を捧げた女性の目にこれから映るのが、優しいもの、美しいものばかりでありますように――
 枷とはまた違うひんやりとしたものが体に巻き付く感覚をおぼえつつ、ヴィオルはそっと意識を手放した。

***

 エリーズは一人きりで私室にこもっていた。ヴィオルが役目を果たし、全てが終わるまで部屋を出ないよう予めジギスから言われている。王妃の気分が優れないという理由で女官たちを遠ざけ、部屋の前にはリノンが待機している。
 長椅子に力なく座り、エリーズは何度目か分からないため息をついた。ヴィオルが今頃辛い思いをしていたら――そう考えただけで胸がきりきりと痛む。
 昨日彼がくれた自画像は、今座っている長椅子の正面の壁に飾ってある。絵の中のヴィオルはエリーズに優しい視線を投げかけてくれるが、本物の彼にはやはり敵わない。
 不正を許さず、弱きを助けることを信条とする国民思いの名君。一見すると近寄りがたくもある紫水晶の如き美貌を持つが、時に幼馴染と軽い冗談を飛ばしあったり、近侍の事務的すぎる態度に不満を零す茶目っ気もあった。そして皆に慕われる統治者でありながら、エリーズと過ごす時間を何よりも大切にしてくれていた。食事をまともにとる暇さえないほど忙しい日でも、彼は夜更け前には必ずエリーズの元へ飛ぶように帰って来る。エリーズを抱きしめて髪を撫でて頬や唇に優しく口付けを落としながら、愛してる、君は僕の宝物だよと甘く温かい言葉をいくつもくれた。
 母親との悲しい別れを経験し、三十年にも満たない生涯しか送れない運命を背負いながら、人の手で幸福を生み出す国を作ることに心血を注いできたヴィオルが自分自身のためだけに生きられた時間はどれほどだったのだろう。
 妻をめとらないという意志をエリーズと出会いあっさり曲げたヴィオルの行動は、客観的に見れば身勝手なものかもしれない。だが、その身勝手さにエリーズは確かに救われた。何も持っていなかった屋根裏部屋住まいの娘に、愛し愛されることの素晴らしさを彼は教えてくれた。
 彼は、自分がいなくなった後の世界でエリーズが自由に生きることを望んでいた。ヴィオルを愛しているならその願いを聞き入れ、彼の分まで生きる――それが正しい在り方だと、エリーズも頭では分かっている。
 この先も信頼のおける者たちがエリーズを守ってくれる。何かを始めるのも、何もせず穏やかに過ごすのもすべてエリーズの自由だ。しかし、そのいしずえになるヴィオルはたった独りで消えて行こうとしている。
 これが正しいことなのだろうか。この先も守られて生きるより、王妃として、彼の妻としてエリーズにしかできないことを為すべきではないのだろうか。自分にしかできないこと、それは――ひとつしかない。

(お父様、お母様、ごめんなさい)

 エリーズの決断を、娘を慈しみ育ててくれた両親はきっと受け入れはしないだろう。だが、正しいと思った道を行きたいというエリーズの心は揺るがない。
 エリーズは化粧台に向かい、その上に置いてある小箱を開けた。中に入っていたのはお守りの首飾りだ。

(どうかわたしに勇気をください)

 それを首にかけ緑色の石を握って念じると、今度は部屋の入口へ歩いていき扉を開けた。

「エリーズ……?」

 部屋の前で番をしていたリノンが振り向く。

「出てきちゃ駄目だよ、まだ終わったって言われてないから」

 戻るようにリノンが促す。しかしエリーズは動かなかった。

「リノン、ごめんなさい。わたしはここにはいられないわ」

 エリーズがしようとしていることを悟ったのだろう。いつも快活な光を宿すリノンのとび色の瞳に葛藤かっとうが広がる。国王の願いと王妃の思い、相反する二つのどちらをとるかで揺れ動いている。
 親友に辛い決断を強いる心苦しさがエリーズの胸を締め付ける。しかし、エリーズに退くという選択肢はなかった。
 
「リノン、お願い」

 リノンは目を伏せ唇を噛んだ。ぎゅっと目をつぶった後顔を上げ、エリーズを真っすぐ見る。その瞳に迷いはなかった。
 
「……あたしがエリーズだったら、きっと同じことをするよ」

 エリーズがありがとう、という前に、リノンはエリーズの手首を優しくつかんだ。

「行こう、早くしなきゃ間に合わないかも」
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