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十二話 初めての友人と

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 それから数日経ち、いつも通りヴィオルは政務を、エリーズは王妃教育を受ける日々に戻っていた。
 エリーズの近衛に就任した女性騎士のリノンは、もっぱらエリーズの話し相手になっていた。エリーズが授業を受けている間は別の場所に待機しているが、自由時間になると戻ってくる。

「あー、エリーズったらまだ勉強続けてる」

 今日の授業を終えた後、庭園に移動して片隅のベンチで本を読んでいたエリーズの元にリノンがやって来た。エリーズの隣に腰を下ろし、少し体を傾けてエリーズが持つ本の内容を覗き込む。

「字がいっぱい……頭痛くならない?」
「ふふ。大丈夫よ、とても面白いから」
「尊敬するよ、あたし座学が大嫌いだったから」

 エリーズは本を閉じ、リノンの顔を見た。彼女と出会った時から気になっていることが一つあった。リノンの肌はエリーズやヴィオル、城仕えの人間たちに比べると少し浅黒く、アーモンドのような切れ長の目をしている。生まれがどこなのかを聞いてみたかったが、失礼に当たるのではないかと気がかりで切り出せないままでいた。
 エリーズが何も言わなかったので、リノンは首を傾げた。

「あたしの顔に何かついてる?」
「あ、ごめんなさい、そうではなくて……もし良かったら教えて欲しいのだけれど、リノンはどこで生まれたの?」
「ああ、あたしが生まれたのはトルカサスってところ。アルクレイド王国じゃないよ」
「トルカサス……」

 その名を聞き、エリーズははっと思い出した。学んだ大陸史の中にその名前が出てきた。アルクレイド王国からはかなり離れた東方の国だ。しかし――

「トルカサスはもう無いけどね」

 リノンの言う通り、そこは既に亡国だ。もともと国というより共同体と呼んだ方が相応しいような小さな国家で、周囲の国々で起こった戦禍に巻き込まれ滅びてしまったという。

「わたし、嫌なことを思い出させてしまったわ。本当にごめんなさい」

 エリーズが謝るとリノンはいやいや、と首を振った。

「いいよいいよ。気にしてないから謝んないで……にしても、あれからまだ十七年しか経ってないんだねぇ」

 遠い目をしてリノンが呟く。

「たった一日でぜーんぶ無くなっちゃったんだ。あたしは親とはぐれちゃって、何とか生き残った仲間たちと合流して逃げ延びた」
「ご両親は……」

 リノンは肩をすくめた。

「殺されたところとか死体を見たわけじゃないから何とも言えないけど、多分もうこの世にはいないだろうね」
「まあ……」

 エリーズが絶句する中、彼女は更に語る。生き残ったトルカサス人たちは大陸各地を移動し、根を下ろせそうな地で集落を作った。しかし、人が定住できる場所はほとんどの場合どこかの国の土地だ。トルカサス人は侵略目的の異民族と言われて作った集落を追われ、再び安住の地を探して旅をする――リノンは七年もの間その暮らしを続け、多くの仲間の生き死にを見てきた。
 幼い頃から死と隣り合わせの旅路を行くのは、どれほど過酷なことだろう。エリーズには想像のできない範疇はんちゅうだった。

「それで最後にたどり着いたのが、このアルクレイド王国の領内だった……とはいっても、その時のあたしたちは誰一人それを知らなかったんだけどね」

 アルクレイド王国の領土内で生活を始めた異民族の集まりがいる――その話が王都まで到達するのにそう時間はかからなかったようだ。ある日リノンたちの元に現れたのは、国王の命で遣わされたという政務官だった。トルカサス人たちは今までと同じように追い出されるのか、と絶望したが、政務官は彼らの祖国を失ってからの経緯を聞いただけで、武力を行使することもなく王都へ帰っていったのだという。

「それからしばらくして、また王国の偉い人が来た。前と違ったのは、王様も一緒だったんだ」
「王様って……」
「エリーズの旦那様だよ。だいぶ若かったけど、その時にはもう立派に王様をしてた」

 懐かしいねぇ、とリノンは笑った。

「それでまた話し合いがあって、陛下はあたしたちトルカサス人を受け入れてくださった。アルクレイド人と同等の権利を今すぐに与えることはできないけれど、悪いことをせず真面目に働いてくれるなら安全は保障するって仰ったの。それからあたしたちは皆でこつこつ頑張って……それから更に五年経って完全に受け入れられた。今では立派な畑を持ってたり、たくさんの牛を飼ってたり、商人としてあちこち渡り歩いてるトルカサス人がいっぱいいるよ」
「そうなの……」
「だからね、陛下はあたしたちの恩人なんだ。すごい方だよ。ほんと、いくら感謝しても足りないくらい」
「わたしは、リノンのこともとても立派だと思うわ」

 リノンが不思議そうな顔をした。

「小さな頃から、大変なことばかりだったはずなのに……今のあなたは、それを少しも感じさせないで、元気で明るくて……とても強いのね」
「あはは、ありがと……でもそう見せてるのはあたし一人だけの力じゃないよ。支え合ってきたトルカサスの皆とか、陛下とか、もちろんローヴァンがいてくれたからだね」

 リノンの生い立ちを聞き、更に浮かんだ疑問をエリーズは投げかけることにした。

「リノンが王国の騎士になったのはどうして?」
「あー……それも聞いちゃう?」

 リノンは少々ばつが悪そうな顔をして人差し指で頬を掻いた。

「あ、辛い思い出があるのなら無理はして欲しくないわ」
「いや、辛いなんてことはなかったよ。それこそ五歳の頃から死線をくぐり抜けてきたんだから、その時に比べればまったく大したことないよ……きっかけは、この王国に住み始めてすぐくらいの時だったかなぁ」

 再び昔を懐かしむような目で彼女は話し始めた。

「あたしたちのところに訪ねてくる王国の人の中には、騎士も何人かいたわけだよ。十二歳くらいだったあたしはその甲冑姿を見て……なんかこう、すごく痺れてね。あんな風になりたいって思ったの。想像つくと思うけど、あたし昔っからやんちゃで男の子と組手とかばっかりして遊んでたから」

 しかし、当時まだアルクレイド王国の民とは認められていないリノンが騎士になることは不可能だった。抱いた夢を諦め、リノンは他のトルカサス人たちと同じように農業や牧畜に勤しんでいたのだという。

「でも、さっき言った通り五年後にトルカサス人もアルクレイド人と同じ扱いを受けられるようになった。ちょうどその時、あたしは他の仲間たちと一緒に王都へ出稼ぎに来てたの。ある程度のお金が貯まって、いざ帰ろうって時にいてもたってもいられなくなっちゃって……稼ぎは全部仲間に託して、あたしは体一つで騎士団の門を叩いた」

 その行動力の高さに驚くエリーズを見て、今思えばどうかしてたよ、とリノンも笑った。

「もちろん受け入れてもらえなかったんだけど、あたしも引き下がらなくて。雑用係でもいいからとにかく騎士団に入れてくださいって頼み込んで……そしたら陛下にまで話がいってね。なんと許可してもらえたんだ」

 とはいっても最初は本当に雑用係だったんだけどね、とリノンは言った。

「でも剣を持たせてもらえてから、同年代の中ではかなり実力は上の方になれた。トルカサス人は身体能力が高い人が多いし、あたしもそれまでの人生の中で根性鍛えられてたからね。それで、何やかんやでローヴァンと知り合っていつの間にか結婚して、めでたく王妃様の近衛に任命されましたーってわけ」
「本当に、すごい話だわ……」
「なんかごめんね、あたしばっかりペラペラ喋っちゃって」

 いいえ、とエリーズは頭を振った。

「リノンはたくさんのことを経験してきたのね。大変なことの方が多かったはずなのに……努力家だわ」
「もー、そんなに褒めたってなんも出ないよー? ま、騎士を引退してヒマになったら自叙伝でも書いてみようかな。挿絵を多めで」
「ふふ」

 ローヴァンとの馴れ初めもいつか聞いてみたいものだ。

「リノン以外のトルカサス人の方ともいつかお会いしてみたいわ」
「トルカサス人の村は王都からちょっと遠いし城に出入りする人もなかなかいないんだけど……そうだね、いつか会って欲しいな。気の良い人ばっかりなんだよ」

 そうだ、とリノンが立ち上がった。

「座ってお喋りもいいけどさ、せっかくだしお散歩に行こうよ。あたしがついてれば王都に出かけていいって陛下も仰ってたじゃない?」

 この後は授業もなく、天気も快晴で出かけるにはちょうど良い。エリーズは頷いた。

「ええ、行きたいわ」

***

 エリーズが馬車を使わず、自分の足で王都を歩くのはこれが初めてだ。修繕してもらった母の形見のドレスは目立ちすぎないためにちょうど良い。同じ色合いのつばが広い帽子を被り、一目見ただけでは王妃だと分からないような姿でエリーズはリノンの隣を歩いた。
 王都の街並みは清潔で美しい。道は灰白色のいしだたみで整備されていて、大通りは一般的に移動に使われる一頭立ての馬車が二台すれ違っても余裕な程の広さだ。
 服飾、宝石、菓子、花など、色々なものの店が軒を連ねている。貴族や裕福な商人と思しき人々があちらこちらで買い物を楽しんでいた。

「見たいところがあったら遠慮なく言ってね」

 リノンはそう言ってくれたが、初めての場所にエリーズはただきょろきょろするばかりだった。今までこれ程洗練された店で買い物などした経験はないし、入ったことすらない。

「あの、リノンはいつもどこに行くの? お気に入りのところがあるならそこに連れて行ってほしいわ」
「え、それで良いの? だったらこっちこっち」

 リノンに手招きされエリーズがついて行った先は、大通りよりは少し狭い路地だった。行きかう人々の服装もいくらか華美さが抑えられている。王都の中では標準的な水準の生活をおくる民が多く集まるところだとリノンが教えてくれた。

「ここがあたしのお気に入りなんだ」

 彼女に案内された店に入ると、香ばしい匂いがエリーズの鼻をくすぐった。棚の上に所せましとたくさんのパンが並んでいる。ちょうど客足が途切れたところなのか、客はリノンとエリーズ以外誰もいなかった。

「おじさーん! いるー?」

 リノンが店の奥に向かって呼びかけると、恰幅かっぷくの良い壮年の男が現れた。前掛けには小麦粉と思しき白い粉がうっすらついている。この店の主のようだ。

「リノン? どうしたんだ。お前さん、王妃様の近衛になるからあまり来れなくなるって言ってたばかりじゃないか。まさかもうクビになったのか?」

 そんな訳ないでしょ、とリノンは口を尖らせた。

「今だってちゃーんと仕事中だよっ。その証拠に、ほら」

 リノンがエリーズに向けて両手を突き出し、ひらひらと振って見せる。

「なんと、その王妃様ご本人がいらっしゃってまーす」
「初めまして」

 エリーズは被っていた帽子をとって両手で持ち、店主に挨拶をした。想定外過ぎる来客に彼は驚いて口をあんぐりと開けた。

「ほ、本物の王妃様!? まさか来て頂けるとは……いやしかし、うちの商品でご満足いただけるものなんて……」

 しどろもどろになる店主の手に、リノンは硬貨を数枚握らせた。

「いいからいいから、いつもの揚げパン二つちょうだい。お砂糖たっぷりのやつね!」

 店主は放心していたが少しの間のあと我に返り、「すぐに!」と言って店の奥に引っ込んだ。程なくして戻ってきた彼の手には、紙に包まれたきつね色のパンが二つあった。

「ありがとー。わーい、熱々だ!」

 リノンが嬉々として店主からパンを受け取り、一つをエリーズに手渡す。白い砂糖がまんべんなくかかっていた。

「あたしこれが大好きなの。食べ過ぎると太っちゃうから毎日って訳にはいかないんだけどね。自分へのご褒美はいつもこのお店の揚げパンって決めてるんだ」

 リノンが揚げパンにかじりつくと、かりっ、という小気味良い音が店内に響いた。

「うーん、やっぱりおいしーい! エリーズも騙されたと思って食べてみてよ。お城で出てくるデザートとは全然違うと思うけど、味はあたしが保障するよ」
「頂きます」

 エリーズもパンを一口食べた。リノンが言う通り王城では毎食の終わりやお茶の時間に、新鮮な果物や料理人が丹精をこめて作った芸術品のようなケーキやチョコレートが出される。それらに比べれば見た目も味もかなり素朴だが、ほっとするような安心感を覚える。砂糖が多く使われているようだったが、想像しているよりも甘すぎない。

「とっても美味しいです」

 固唾をのんで見守っていた店主にエリーズが微笑みかけると、彼は安堵と喜びが一気に襲ってきたかのような表情を浮かべぺこぺこと頭を下げた。

「お気に召して頂けたようで、何よりです……! 光栄です、夢のようです!」
「よかったねぇおじさん。『王妃様も大絶賛』って堂々と言えるようになるよ、そしたら飛ぶように売れちゃうね」

 にひひ、と笑うリノンにつられて、エリーズもパンを食べながらくすくすと笑った。

***

「……っていうことがあってね、今日はとっても楽しかったのよ」

 その夜、政務を終えて寝室に戻ってきたヴィオルにエリーズは日中にあったことを語った。彼は口元に笑みを浮かべながらそれに耳を傾け、話し終えるとエリーズの頭を慈しむようにそっと撫でた。

「良かった。リノンともすっかり仲良くなったみたいだね」
「ええ。初めてのお友達があんなに素敵な人で、わたしは本当に幸せだわ」

 全部ヴィオルのお陰よ、と言うと、彼は不思議そうな顔をした。

「リノンから聞いたの。行き場所がなかったトルカサスの人たちを受け入れたのはヴィオルだって」
「僕は彼らにチャンスを与えただけだよ。問題を起こすようだったらもちろん然るべき対応をしていた。彼らが僕たちに馴染む努力をしたのが見えたから、僕もそれに報いた。ただそれだけ」

 それでも、その機会があったことにより救われた命があり、エリーズとリノンは出会うことができた。リノンたちトルカサス人の感謝も心からのもののはずだ。
 ヴィオルがエリーズの腰に手をまわし抱き寄せてきたので、エリーズは彼の肩にそっと頭をもたれさせた。最初のうちはどぎまぎするばかりだったが、今となってはこの触れあうひと時が何よりも温かく幸せを感じられる。

「今度は僕と一緒に王都を散歩しよう」
「ええ。勿論……あ、でも、近衛の方がいないとお城の外を歩けないのはわたしもヴィオルも同じではないの?」
「ローヴァンたちには少し後ろからついて来てもらう」

 もしも今日訪れたパン屋にエリーズとリノンに加え、国王のヴィオルと甲冑姿のローヴァンが現われでもしたら、あの店主は驚きすぎて腰を抜かしてしまうかもしれない――その様子を想像すると笑いがこみあげてくる。
 エリーズは今やすっかり、自然によく笑うようになっていた。
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