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五話 王との再会
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その後しばらく、エリーズはあてがわれた部屋で一人で過ごした。侍女のシェリアとルイザが気をきかせて焼き菓子や本を何冊か持ってきてくれたが、なかなか落ち着くことができなかった。すっかり頭から抜けていたが、ゲオルグとジェゼベルは今どうしているのだろうか。いつもならエリーズが用意した朝食を終えている頃だ。
王の近侍なる人物はなかなか現れなかった。もしかすると結婚の話はなかったことにするよう動いているのかもしれない。そうなればエリーズは初めて恋をした相手の顔を再び見ることのないまま、屋根裏部屋に戻ることになる。
正午に差し掛かる頃になって、エリーズの部屋の扉がノックされた。
「はい!」
返事をすると、カイラの他に黒いジャケットとトラウザーズに身を包んだ壮年の男性が入って来た。フリッツと名乗った彼は、王の近侍である貴族ジギス・クルディアスの側近だという。
「ジギス様の元へご案内致します」
フリッツの導きの元、エリーズは初めて部屋を出た。長い廊下には一面、深い青色の絨毯が敷かれている。窓はいずれも曇り一つないよう磨かれていた。エリーズを不安にさせない為か、カイラが隣を歩いてくれた。
角を二回ほど曲がりエリーズが通されたのは、客人を迎える間のようだった。全体の雰囲気はエリーズが先ほどまで過ごしていた部屋とさして変わらない。中央で四角いテーブルが存在感を放っており、揃いの椅子には先客がいた。やって来たエリーズたちを見てすっと立ち上がる。
その姿をエリーズは覚えていた。昨日の夜会でヴィオル王が現れた時に彼の隣にいた男性だ。痩躯で年はヴィオル王とあまり変わらないように見える。肩まである長さの赤い髪を一つにまとめて垂らし、しわ一つないフロックコート姿で、やや気難しそうな印象を受けた。
男がエリーズの前まで来て、胸に片手を添えて礼をした。
「ジギス・クルディアスと申します。王の近侍を務めております」
緊張しながら、エリーズもドレスの裾をつまんで挨拶を返した。
「初めましてジギス様。エリーズ・ガルガンドと申します」
「昨夜はゆっくりお休みになられましたか」
気遣うというよりはやや事務的な物言いだったが、エリーズははい、と頷いた。
ジギスに促され、エリーズは彼の向かいの椅子に腰かけた。カイラが茶の用意をし、フリッツと共に一礼して部屋を出ていく。部屋にはジギスとエリーズの二人だけとなった。
「では早速。今後についてですが」
茶に手をつけることなく、ジギスが話し始めた。
「貴女は陛下のご婚約者として今後もこの城で生活をして頂くことになります。王妃になるにあたり覚えて頂かなければならないことが数多くありますのでしっかり学んで頂きますよう」
「王妃」という言葉を聞き、エリーズの心臓がひと際大きな音を立てた。
「あ、あの……」
淡々と話すジギスに、エリーズはおずおずと問いかける。
「わたし本当に、陛下と結婚しても……いいのでしょうか……?」
ジギスが片方の眉を吊り上げた。
「気が変わられたとでも?」
「い、いえ、違います!」
エリーズはふるふると首を振って否定した。
「ただ、王様が結婚するお相手はとても重要だと思いますから……陛下がわたしを選んでくださったことは本当に心から嬉しいのですけれど、周りの皆さまが納得されるのかが気になって……」
ジギスはすぐに答えなかった。琥珀色の目は鷹のようで、心の奥まですべて見透かされてしまうのではないかと思えてくる。彼も本心では、エリーズに不信感を抱いているとしても何らおかしくない。
「……すべては王のご意思です。貴女のお気持ちも変わっていないというのであれば、我々は婚礼に向けて動くのみ……気にされることはありません」
ヴィオル王は一夜明けた今も、エリーズを妻として娶るつもりでいるのだ。
エリーズは座ったまま、より一層姿勢を正した。
「ありがとうございます。ジギス様。正直なところ、わたしはお勉強が得意なのか苦手なのかも分からないのですが……一生懸命頑張ります」
王の妻、国母となるのであれば、厳しい教育が必須なのは当然だ。エリーズもまったくもって教育を受けていないわけではないが、知っているのは両親を亡くした六歳の時までに習ったことだけだ。名家の娘が幼い頃から積み重ねていくものを、エリーズは今からすべて覚えなければならない。多少の辛さは承知の上だった。十年以上、時には罵倒されながら大変な仕事をこなしてきたのだ。
ジギスは無表情のまま、再び口を開いた。
「それでは……」
その瞬間、やや乱暴なノックの音が部屋に響いたかと思うと、ジギスが返事をする前に扉が開かれた。
「あっ……」
エリーズは目を丸くした。そこにいたのは昨夜甘いひと時を過ごし、結婚の約束をした相手――ヴィオル王その人だった。昨夜の礼装と似た姿をしているが、紺色を基調としており落ち着いた印象を受ける。
慌てて立ち上がったエリーズに目を留めた彼は、ぱっと破顔した。
「なんて可愛いんだ。よく似合っているね」
「あ、ありがとうございます陛下」
深々と頭を下げるエリーズの前に王が歩み寄り、白い手袋をはめた手でエリーズの手を握った。
「うん? 僕のことは何て呼ぶんだった?」
昨晩のことが思い起こされる。エリーズは頬が熱くなるのを感じた。
「あ、えっと、ヴィオル……」
「良い子」
ヴィオルが満足そうに目を細め、エリーズの手の甲に口づけを落とす。彼にも聞こえてしまうのではないかと思う程、エリーズの心臓が大きな音を立てた。
「遅くなってごめんね」
「まだ予定の時刻ではありませんが」
席を立ったジギスが冷ややかに言う。ヴィオルはエリーズの手を握ったまま、顔だけを近侍の方に向けた。
「僕を差し置いて君とエリーズが二人きりになるなんてやっぱり許せなくてね」
これまでほとんど表情を変えなかったジギスが心底面倒くさい、と言うように眉間にしわを寄せて小さくため息をついた。
「ご政務はどうされたのです」
「急ぎのものは全部終わらせてきたよ。彼女のことを想うとよく捗った。馬車も用意するように指示してきたし、使いを先に向こうに出発させている」
「……承知致しました。では正門へ」
渋い顔をしながらも、ジギスが部屋の入り口に向かい扉を開ける。ヴィオルはエリーズの手を離し、今度はにこやかな表情で腕を差し出した。
「さあ、行こうか」
「あの、どちらにでしょうか?」
「君の家だよ」
ヴィオルが答える。
「ご家族に結婚の許しをもらいに行かなければね」
***
正門に待っていたのは、宮殿を小さくして車輪をつけたかのように立派な四頭立ての馬車だった。真っ白い車体の扉には金色の塗料でアルクレイド王国の紋章である、頭に角を、背に翼を生やした鹿の姿が描かれている。
その隣に、鞍をつけた馬を連れた男性が一人立っていた。ヴィオルと同じ年頃のようで、青い髪を耳が見えるよう短く整え、全身を銀色の甲冑で包んでいる。腰にはエリーズならやっと両手で抱えられるくらいの剣が下がっていた。騎士なのだということがエリーズにもすぐに分かった。
ヴィオルがその男に声をかけた。
「急ですまないね、ローヴァン」
「構わん。どうせこうなるだろうと思っていたからな」
男が答え、エリーズの方へ視線を移す。彼はヴィオルよりもやや背が高く熊のようにがっしりとした体格をしており、エリーズにとっては声をかけるのがためらわれる程の迫力があった。
「紹介するよエリーズ。彼は僕の近衛を務めてくれているローヴァンだ」
騎士がエリーズに向かい跪くと、甲冑がかちゃかちゃと音を鳴らした。
「ローヴァン・コルテウスと申します。お会いできて光栄です」
「ローヴァンは僕と行動を共にすることがほとんどだけれど、困ったことがあれば頼るといいよ」
「宜しくお願い致します。ローヴァン様」
頭を下げて礼をしたエリーズに対し、ローヴァンは顔を上げて微笑んだ。
「どうぞお気軽にローヴァンとお呼びください」
彼は数多の戦場を駆け抜けた軍馬のような勇ましさを纏っていたが、青い目は優しく理知的だった。
今から向かう先にもついて来るようで、ローヴァンは連れていた馬にまたがった。着ている甲冑は重そうだが、彼は涼しい顔をしている。その姿はまさしく物語に登場する騎士そのものだ。
馬車の傍で待っていた従者が一礼し、恭しく扉を開けた。エリーズはヴィオルに促されるまま馬車に乗り込み、ふかふかの座席に腰かけた。窓は赤いカーテンで閉じられている。
ヴィオルがエリーズの隣に座ったのを見届け、従者が外から扉を閉めた。程なくして馬車がゆっくりと動き出す。
昨夜以来の、ヴィオルと二人きりの空間だ。何を話すべきかエリーズが迷っていると、ヴィオルが手袋を外して膝に乗せ、指を絡めるようにしてエリーズの手を握ってきた。
「着くまでこうしていてもいい?」
顔が熱をもつのを感じながら、エリーズは頷いた。四、五人は並んで座れるほどの座席に、ヴィオルと体をぴったりくっつけて背を預けている状態だ。ほのかに甘く爽やかな香りがエリーズの鼻をくすぐった。彼のつけている香水だろうか。
「昨日から今まで、快適に過ごせた?」
エリーズの緊張を解そうとするかのように、ヴィオルが優しく問いかけてくる。
「はい、とても親切にして頂きました。本当にいくら感謝してもし切れません」
「それは良かった……けど、それならもっと力を抜いて欲しいな」
ヴィオルがエリーズの顔を覗き込む。男性に対し適切な表現かどうかエリーズには分からなかったが、「美しい」という言葉がぴったり当てはまる顔がとても近くにある。
「畏まらないで。ありのままの君と話がしたい。君自身の言葉が聞きたい」
「ど、努力します……いえ、努力、するわ……」
どもりながらエリーズが返事をすると、ヴィオルは柔らかく微笑んだ。
「カイラとは上手くやれそうかい? 一番仕事ができる女官が彼女だから君についてもらうよう頼んだけれど、合わないようならすぐに変えるよ」
「まさか! とても親切な方よ。カイラさんだけじゃなくて、シェリアさんもルイザさんも」
「嫌なことがあったら、すぐに教えてね」
ヴィオルがエリーズと繋いでいないほうの手を伸ばし、エリーズの髪を優しく撫でた。
「僕は昨日君と別れてからずっと気が気でなかったよ。君が心変わりして窓から飛んで逃げてしまったらどうしようかってそればかりずっと考えていた」
「羽もないのに、飛んで逃げるなんてできません」
「本当にそう? 僕には君の背中に羽が見えるよ。白鳥よりも、蝶よりも綺麗な羽が」
面白いことを仰る方だと、エリーズはくすりと笑った。いつの間にか緊張は解れ、繋いだ手から感じられる温もりがとても心地いいものになっていた。
見つめ合ったまま取り留めのない話をしていると、馬車が止まった。ヴィオルがそっと繋いだ手を離し、名残惜しそうに手袋をはめる。馬車の扉が従者によって開かれた。ヴィオルが先に降り、エリーズに向かって手を差し伸べる。エリーズは彼の手をとって馬車から降りた。
目の前にあったのは、昨日までエリーズの家だったガルガンド家の屋敷だった。古びた建物と王家の立派な馬車の取り合わせはちぐはぐに映る。
義父と義妹は王に連れられたエリーズを見て、どのような反応を見せるのだろうか。
「さあ、おいで」
ヴィオルがまた腕を差し出す。エリーズはその腕をとって屋敷の玄関へ歩いていった。
王の近侍なる人物はなかなか現れなかった。もしかすると結婚の話はなかったことにするよう動いているのかもしれない。そうなればエリーズは初めて恋をした相手の顔を再び見ることのないまま、屋根裏部屋に戻ることになる。
正午に差し掛かる頃になって、エリーズの部屋の扉がノックされた。
「はい!」
返事をすると、カイラの他に黒いジャケットとトラウザーズに身を包んだ壮年の男性が入って来た。フリッツと名乗った彼は、王の近侍である貴族ジギス・クルディアスの側近だという。
「ジギス様の元へご案内致します」
フリッツの導きの元、エリーズは初めて部屋を出た。長い廊下には一面、深い青色の絨毯が敷かれている。窓はいずれも曇り一つないよう磨かれていた。エリーズを不安にさせない為か、カイラが隣を歩いてくれた。
角を二回ほど曲がりエリーズが通されたのは、客人を迎える間のようだった。全体の雰囲気はエリーズが先ほどまで過ごしていた部屋とさして変わらない。中央で四角いテーブルが存在感を放っており、揃いの椅子には先客がいた。やって来たエリーズたちを見てすっと立ち上がる。
その姿をエリーズは覚えていた。昨日の夜会でヴィオル王が現れた時に彼の隣にいた男性だ。痩躯で年はヴィオル王とあまり変わらないように見える。肩まである長さの赤い髪を一つにまとめて垂らし、しわ一つないフロックコート姿で、やや気難しそうな印象を受けた。
男がエリーズの前まで来て、胸に片手を添えて礼をした。
「ジギス・クルディアスと申します。王の近侍を務めております」
緊張しながら、エリーズもドレスの裾をつまんで挨拶を返した。
「初めましてジギス様。エリーズ・ガルガンドと申します」
「昨夜はゆっくりお休みになられましたか」
気遣うというよりはやや事務的な物言いだったが、エリーズははい、と頷いた。
ジギスに促され、エリーズは彼の向かいの椅子に腰かけた。カイラが茶の用意をし、フリッツと共に一礼して部屋を出ていく。部屋にはジギスとエリーズの二人だけとなった。
「では早速。今後についてですが」
茶に手をつけることなく、ジギスが話し始めた。
「貴女は陛下のご婚約者として今後もこの城で生活をして頂くことになります。王妃になるにあたり覚えて頂かなければならないことが数多くありますのでしっかり学んで頂きますよう」
「王妃」という言葉を聞き、エリーズの心臓がひと際大きな音を立てた。
「あ、あの……」
淡々と話すジギスに、エリーズはおずおずと問いかける。
「わたし本当に、陛下と結婚しても……いいのでしょうか……?」
ジギスが片方の眉を吊り上げた。
「気が変わられたとでも?」
「い、いえ、違います!」
エリーズはふるふると首を振って否定した。
「ただ、王様が結婚するお相手はとても重要だと思いますから……陛下がわたしを選んでくださったことは本当に心から嬉しいのですけれど、周りの皆さまが納得されるのかが気になって……」
ジギスはすぐに答えなかった。琥珀色の目は鷹のようで、心の奥まですべて見透かされてしまうのではないかと思えてくる。彼も本心では、エリーズに不信感を抱いているとしても何らおかしくない。
「……すべては王のご意思です。貴女のお気持ちも変わっていないというのであれば、我々は婚礼に向けて動くのみ……気にされることはありません」
ヴィオル王は一夜明けた今も、エリーズを妻として娶るつもりでいるのだ。
エリーズは座ったまま、より一層姿勢を正した。
「ありがとうございます。ジギス様。正直なところ、わたしはお勉強が得意なのか苦手なのかも分からないのですが……一生懸命頑張ります」
王の妻、国母となるのであれば、厳しい教育が必須なのは当然だ。エリーズもまったくもって教育を受けていないわけではないが、知っているのは両親を亡くした六歳の時までに習ったことだけだ。名家の娘が幼い頃から積み重ねていくものを、エリーズは今からすべて覚えなければならない。多少の辛さは承知の上だった。十年以上、時には罵倒されながら大変な仕事をこなしてきたのだ。
ジギスは無表情のまま、再び口を開いた。
「それでは……」
その瞬間、やや乱暴なノックの音が部屋に響いたかと思うと、ジギスが返事をする前に扉が開かれた。
「あっ……」
エリーズは目を丸くした。そこにいたのは昨夜甘いひと時を過ごし、結婚の約束をした相手――ヴィオル王その人だった。昨夜の礼装と似た姿をしているが、紺色を基調としており落ち着いた印象を受ける。
慌てて立ち上がったエリーズに目を留めた彼は、ぱっと破顔した。
「なんて可愛いんだ。よく似合っているね」
「あ、ありがとうございます陛下」
深々と頭を下げるエリーズの前に王が歩み寄り、白い手袋をはめた手でエリーズの手を握った。
「うん? 僕のことは何て呼ぶんだった?」
昨晩のことが思い起こされる。エリーズは頬が熱くなるのを感じた。
「あ、えっと、ヴィオル……」
「良い子」
ヴィオルが満足そうに目を細め、エリーズの手の甲に口づけを落とす。彼にも聞こえてしまうのではないかと思う程、エリーズの心臓が大きな音を立てた。
「遅くなってごめんね」
「まだ予定の時刻ではありませんが」
席を立ったジギスが冷ややかに言う。ヴィオルはエリーズの手を握ったまま、顔だけを近侍の方に向けた。
「僕を差し置いて君とエリーズが二人きりになるなんてやっぱり許せなくてね」
これまでほとんど表情を変えなかったジギスが心底面倒くさい、と言うように眉間にしわを寄せて小さくため息をついた。
「ご政務はどうされたのです」
「急ぎのものは全部終わらせてきたよ。彼女のことを想うとよく捗った。馬車も用意するように指示してきたし、使いを先に向こうに出発させている」
「……承知致しました。では正門へ」
渋い顔をしながらも、ジギスが部屋の入り口に向かい扉を開ける。ヴィオルはエリーズの手を離し、今度はにこやかな表情で腕を差し出した。
「さあ、行こうか」
「あの、どちらにでしょうか?」
「君の家だよ」
ヴィオルが答える。
「ご家族に結婚の許しをもらいに行かなければね」
***
正門に待っていたのは、宮殿を小さくして車輪をつけたかのように立派な四頭立ての馬車だった。真っ白い車体の扉には金色の塗料でアルクレイド王国の紋章である、頭に角を、背に翼を生やした鹿の姿が描かれている。
その隣に、鞍をつけた馬を連れた男性が一人立っていた。ヴィオルと同じ年頃のようで、青い髪を耳が見えるよう短く整え、全身を銀色の甲冑で包んでいる。腰にはエリーズならやっと両手で抱えられるくらいの剣が下がっていた。騎士なのだということがエリーズにもすぐに分かった。
ヴィオルがその男に声をかけた。
「急ですまないね、ローヴァン」
「構わん。どうせこうなるだろうと思っていたからな」
男が答え、エリーズの方へ視線を移す。彼はヴィオルよりもやや背が高く熊のようにがっしりとした体格をしており、エリーズにとっては声をかけるのがためらわれる程の迫力があった。
「紹介するよエリーズ。彼は僕の近衛を務めてくれているローヴァンだ」
騎士がエリーズに向かい跪くと、甲冑がかちゃかちゃと音を鳴らした。
「ローヴァン・コルテウスと申します。お会いできて光栄です」
「ローヴァンは僕と行動を共にすることがほとんどだけれど、困ったことがあれば頼るといいよ」
「宜しくお願い致します。ローヴァン様」
頭を下げて礼をしたエリーズに対し、ローヴァンは顔を上げて微笑んだ。
「どうぞお気軽にローヴァンとお呼びください」
彼は数多の戦場を駆け抜けた軍馬のような勇ましさを纏っていたが、青い目は優しく理知的だった。
今から向かう先にもついて来るようで、ローヴァンは連れていた馬にまたがった。着ている甲冑は重そうだが、彼は涼しい顔をしている。その姿はまさしく物語に登場する騎士そのものだ。
馬車の傍で待っていた従者が一礼し、恭しく扉を開けた。エリーズはヴィオルに促されるまま馬車に乗り込み、ふかふかの座席に腰かけた。窓は赤いカーテンで閉じられている。
ヴィオルがエリーズの隣に座ったのを見届け、従者が外から扉を閉めた。程なくして馬車がゆっくりと動き出す。
昨夜以来の、ヴィオルと二人きりの空間だ。何を話すべきかエリーズが迷っていると、ヴィオルが手袋を外して膝に乗せ、指を絡めるようにしてエリーズの手を握ってきた。
「着くまでこうしていてもいい?」
顔が熱をもつのを感じながら、エリーズは頷いた。四、五人は並んで座れるほどの座席に、ヴィオルと体をぴったりくっつけて背を預けている状態だ。ほのかに甘く爽やかな香りがエリーズの鼻をくすぐった。彼のつけている香水だろうか。
「昨日から今まで、快適に過ごせた?」
エリーズの緊張を解そうとするかのように、ヴィオルが優しく問いかけてくる。
「はい、とても親切にして頂きました。本当にいくら感謝してもし切れません」
「それは良かった……けど、それならもっと力を抜いて欲しいな」
ヴィオルがエリーズの顔を覗き込む。男性に対し適切な表現かどうかエリーズには分からなかったが、「美しい」という言葉がぴったり当てはまる顔がとても近くにある。
「畏まらないで。ありのままの君と話がしたい。君自身の言葉が聞きたい」
「ど、努力します……いえ、努力、するわ……」
どもりながらエリーズが返事をすると、ヴィオルは柔らかく微笑んだ。
「カイラとは上手くやれそうかい? 一番仕事ができる女官が彼女だから君についてもらうよう頼んだけれど、合わないようならすぐに変えるよ」
「まさか! とても親切な方よ。カイラさんだけじゃなくて、シェリアさんもルイザさんも」
「嫌なことがあったら、すぐに教えてね」
ヴィオルがエリーズと繋いでいないほうの手を伸ばし、エリーズの髪を優しく撫でた。
「僕は昨日君と別れてからずっと気が気でなかったよ。君が心変わりして窓から飛んで逃げてしまったらどうしようかってそればかりずっと考えていた」
「羽もないのに、飛んで逃げるなんてできません」
「本当にそう? 僕には君の背中に羽が見えるよ。白鳥よりも、蝶よりも綺麗な羽が」
面白いことを仰る方だと、エリーズはくすりと笑った。いつの間にか緊張は解れ、繋いだ手から感じられる温もりがとても心地いいものになっていた。
見つめ合ったまま取り留めのない話をしていると、馬車が止まった。ヴィオルがそっと繋いだ手を離し、名残惜しそうに手袋をはめる。馬車の扉が従者によって開かれた。ヴィオルが先に降り、エリーズに向かって手を差し伸べる。エリーズは彼の手をとって馬車から降りた。
目の前にあったのは、昨日までエリーズの家だったガルガンド家の屋敷だった。古びた建物と王家の立派な馬車の取り合わせはちぐはぐに映る。
義父と義妹は王に連れられたエリーズを見て、どのような反応を見せるのだろうか。
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