翼の島の勇者たち

花乃 なたね

文字の大きさ
上 下
39 / 44

38章 同じ日に生まれた二人

しおりを挟む
 月日が流れ――キルシェは、大きな姿見の前に立っていた。周りを馴染みの仲間のラッシュ、フローレ、ワート、ルイゼルが囲んでいる。

「キルシェ、すごく似合ってるぞ」
「ほんと、キルシェにしては上出来って感じ」

 ラッシュとフローレがキルシェの姿を見て、うんうんと頷いた。
 今のキルシェが着ているのは、白い衣だ。上と下に分かれており、上衣は袖口と胸のところに、下衣は両側面に、金色の糸で神鳥かみどりのしるしが刺繍されている。黒い革の靴はぴかぴかに磨き上げられている。背には、ふちの部分に白い毛皮が縫い付けられた、青いマントをつけている。即位の際につけたものよりは短く、床にぎりぎりつかないくらいの長さになっている。花婿がまとう装束だ。
 今日は島中が待ちに待った、キルシェとエレアスの婚礼の儀が執り行われる。

「……キルシェ、ものすごく緊張していませんか? 僕まで足が震えてきそうですよ」

 ワートに痛いところをつかれ、キルシェは小さく呻いた。

「即位式の時はここまでじゃなかった。……今まで生きてきた中で一番緊張してる」

 まだ始まってもいないのに、キルシェの心臓はすでに早鐘をうっている。昨晩も寝付くのにかなり苦労した。
 楽しみなのはもちろんだが、エレアスにとって最も大切な日になるのだ。粗相そそうをしてしまったらと思うととても落ち着いていられなかった。

「大丈夫? 始まる前に倒れちゃうんじゃない?」

 フローレの言葉が冗談に聞こえない。
 その様子を見かねてか、ルイゼルが軽くキルシェの肩を叩いた。

「キルシェ、余計なことを考えるのはやめましょう。貴方は今日、世界で一番美しい女性の隣に立つ幸運な人です。それだけを考えて胸を張りなさい」
「そうそう、今日の主役はエレアス様で、キルシェは引き立て役なんだから。もっと力抜いて!」
「キルシェ、こういう時は深呼吸だ。落ち着くぞ」
「僕たちはお二人を心から祝福しています。焦ることなんて何もないですよ」

 友人たちに励まされ、キルシェの気持ちはいくらか落ち着いてきた。今日という日は二度と来ない。精いっぱい楽しまなければ後悔してしまう。

「……皆、ありがとう。もう大丈夫だ」

 その時、部屋の扉がノックされ、アルフィオンが入ってきた。

「キルシェ、準備はできたか?」
「ああ、完璧だ」
「なら、出発してくれ」

 花婿は先に祭殿に向かい、花嫁を待つことになっている。

「よし、俺たちも行くか」
「キルシェ、あたしたちがちゃんと席で見てるからね!」

 ずっと準備を手伝ってくれていたラッシュたちが部屋を出ていく。
 いよいよその時が来た。キルシェは大きく息をつき、一歩を踏み出した。

***

 その頃、エレアスも同じく、大きな鏡に自分の姿を映していた。

「エレアス姉さま、本当に、とっても綺麗だわ」
「お話の中に出てくる人みたいです」

 横で見ているセシェルとティーナが、うっとりと褒めてくれる。

「……そうかしら」

 今のエレアスは、花嫁衣裳に身を包んでいる。簡素だった守護者の服に比べると、豪華すぎるほどだ。純白の長袖ドレスは上半身からひざにかけては細く、ひざから裾にかけて魚の尾のように広がっている。胸元には、中央に大きな青色の宝石をあしらった金の首飾りが輝いていた。色とりどりの花が使われた冠を被っており、ゆるく編みおろした髪にも小さな花が結わえてある。
 今まで一度もしたことがなかった化粧を施された顔は、まるで自分ではない誰かのようにエレアスには感じられた。

「あの人に変だと思われなければいいのだけれど」

 キルシェには、幼い頃からの自分を知られている。今になって、こんなに着飾ったところを見せるというのも少し恥ずかしかった。

「変だと思うはずがないわ。兄さまのことだもの、きっとこの姿を見たら感動して泣いてしまうはずよ」
「エレアスさんはいつでも綺麗ですけれど、特に今日のエレアスさんを悪く言う人は絶対にいません」

 エレアスを励ましてくれる二人の少女も、今日は特別な役目を持っている。
 花嫁は、二人の若い女性に先導されて、祭殿で待つ花婿のもとへ向かうのがこの島の習わしだ。先導する女性は、花嫁の親しい友人が選ばれる。
 今回その役割に抜擢ばってきされたティーナとセシェルも、相応に着飾っている。白い花でできた小さな冠を被り、ティーナは水色、セシェルは薄い緑色の、膝丈のふんわりとしたドレスを着ている。

「二人とも、とてもよく似合っているわ。引き受けてくれてありがとう」
「昨日の夜からすごく緊張してて……転んだりしたらどうしよう」
「大丈夫よティーナ。わたしたちたくさん練習したもの。絶対にうまくいくわ」
「……そうだよね。エレアスさんが一番緊張してるはず。わたしたちがしっかりしないと」 

 ティーナの言うとおり、エレアスは平静を装うのがやっとだった。心臓の音が、頭の中にまで響くような感覚だ。
 セシェルが、エレアスの手をそっと握ってくれた。

「エレアス姉さま、今日は今までで一番素敵な日になるわ。楽しみましょう」
「大丈夫です。わたしたちがついていますし、何よりキルシェが一緒ですから」
「……ありがとう。セシェル、ティーナ」

 彼女たちに向けて微笑むと、程よく体の力が抜けていった。
 部屋の戸を叩く音が聞こえた。

「どうぞ」

 セシェルが答えると、扉が開き、アルフィオンが顔を覗かせた。

「キルシェが待っている。もう準備は大丈夫か?」
「ええ」

 エレアスが頷くと、アルフィオンが部屋の扉を大きく開いた。
 セシェルとティーナに続き、エレアスは花婿が待つ祭殿へと向かった。

***

 即位の儀を行ったときと同じく、祭殿には島中の民が集まっている。
 正面の壁、神鳥が描かれた石板の下に、祭司長が立っている。その手前で、キルシェは花嫁の到着を待っていた。
 祭殿の扉が開く音がした。場にいる全員の視線が、そちらに注がれる。キルシェもその方を見た。
 花嫁の先導役、セシェルが、邪気をはらうという銀色の鈴を鳴らしながら進んでくる。その隣では、同じく先導を務めるティーナが、魔除けとされる、黄色い花を掲げている。
 その後ろからやって来るのは、待ち焦がれたエレアスその人だ。
 祭殿の段の前で、先導役の二人が左右に分かれ、花嫁に道を譲った。エレアスが段を上がり、キルシェの隣に立ったところで、彼女たちは壁際へはけていった。
 花嫁衣裳のエレアスは、この世のものとは思えないほどの美しい輝きを放っていた。しくじらないようにとキルシェが必死で頭に叩き込んだこの後の段取りがすべて吹き飛んでしまいそうな程だ。
 何もかも忘れて彼女に釘付けになりそうになるのを理性で抑え、キルシェは祭司長の方へ向き直った。
 花婿と花嫁が共に、祭司長の方へ頭を垂れる。二人の頭上に、祭司長の手がかざされた。

なんじらは互いに伴侶はんりょと認め、命ある限り、共に生きると誓うか」
「いかなる時も魂を共にすることを、我が翼にかけて誓う」

 キルシェとエレアスが声を合わせ、誓いの言葉を口にする。

「大いなる神鳥の御前みまえにて、その志を示すべし」

 祭司長の導きで、二人は顔を上げ向かい合った。
 キルシェが、エレアスの細い顎に指を伸ばすと、エレアスが目を閉じた。顔を近づけ、唇を触れ合わせる。エレアスの手がキルシェの胸元に置かれた。
 名残惜しさをこらえ唇を離す。祭司長の声が響いた。

「祝福あれ!」

 それを合図に、祭殿が壊れるのではないかと思うほどの、拍手と歓声の雨が降り注いだ。
 人々の弾けるような笑顔、感動して涙ぐむ顔、それを見渡すエレアスの瞳から、宝石のように透き通った涙が零れおちていく。
 同じ日に生まれ、共に育ち、一度はそれぞれの道を歩んでいた。しかし、これからはずっと同じ道を進んでいける。
 キルシェは手を伸ばし、その涙を拭ってやった。そして、エレアスの体を抱き寄せた。彼女が被っている花の冠から、甘い香りがした。

「……綺麗だ。エレアス」

 妻となった幼馴染の耳元でささやくと、彼女は夢見るように微笑みながら、キルシェに身を寄せてきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

処理中です...