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37章 新たな王
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そしてまたしばらく経ち、キルシェは療養生活から解放された。
自分が休んでいたことで、後回しになっていることがいくつかある。
今回の戦いで命を落としてしまった者、戦士を退かざるを得なくなった者も少なからずいた。キルシェはまず、彼らとその家族のもとを一軒一軒訪れ、その死を悼み、勇気を称えた。
それが終わった後に、ロークの葬儀が行われた。焼かれ、灰になった遺体は、家族の手によって島にまかれる習わしだ。
島中の民に見送られ、キルシェはセシェルと共に飛び立った。向かった場所は、海が見える小高い丘の上だ。
「セシェル、これで最後だ。お別れを言いな」
キルシェは、父の遺灰が入った箱をセシェルへ差し出した。セシェルが箱のふたに手を置き、そっと撫でた。
「父さま、わたしの父さまでいてくださってありがとう。ずっと愛しているわ」
キルシェも、箱をじっと見つめた。
後になって聞かされたのは、ロークが病を抱えていたという事実だった。知っていたのは、医者のクロモドと側近のディオネス、オーデリクだけだったという。
民にも、家族にもその事実を明かさず、彼は最期まで、島を導く王であり続けた。
本当は、ロークが生きている間に王の役目を継ぎ、立派に成長した姿を見せるべきだった。それができない今、せめてもう迷わず、前を向くことが少しでも父を安心させると信じるしかない。
すべてを父と同じようにするのではなく、キルシェのやり方で島を、民を守る。ロークはそれに期待していたはずだ。
キルシェの首から下がる王の証は、もう重くは感じられなかった。
「……見ていてくれ、親父」
キルシェは呟くと、箱のふたを開けた。
どこからともなく吹いてきた風が、灰を巻き上げ、遠くへと運んでいく。それを目で追い、空を見上げたキルシェは、あるものに気づいた。
「あれは……」
空を飛ぶ、白く輝く大きな鳥、神鳥だ。目覚めた後、雲の切れ間に消えて以来その姿を見ていなかった。ロークの魂を導くため、現れてくれたのだろうか。
「神鳥さま?」
「ああ、そうだ」
「初めてお会いするわ。とても綺麗なのね」
セシェルがため息混じりに言った。
神鳥は優雅に羽ばたき、遥か天空へと昇っていった。
ロークが島の一部となり、妻とともに永遠の安らぎを得るように――キルシェは祈った。
「セシェル」
神鳥の姿を見届け、キルシェは妹に向き直った。
「こんな兄貴だが……これからも愛想を尽かさないでいてくれるか?」
両親を亡くし、セシェルに残されているのは兄のキルシェだけだ。
王として生きなければならないキルシェは、きっとこれから彼女に寂しい思いをさせることもあるだろう。
「まあ、兄さまったら、らしくないわ」
セシェルは微笑み、キルシェにそっと抱き着いた。
「いつだって、兄さまはわたしの素敵な家族よ」
「……そうか。ありがとうな」
キルシェは妹の頭を優しく撫でた。
セシェルは父の強さと、母の優しさを受け継いだ、立派な女性に成長している。キルシェには、それが嬉しかった。あまり心配する必要はないだろう。
「さて、ぼさっとしている時間はないな。セシェル、戻るぞ」
この後にはもう一つ、大事な仕事が控えている。キルシェはセシェルを連れて、丘をあとにした。
***
祭殿の中は、人で埋め尽くされている。ティーナはラッシュと共に、置かれている長椅子に座っていた。
普段は入ることを禁じられているため、ティーナが祭殿に来たのは初めてだ。
中央に長く大きい、青色の絨毯が敷かれており、その両側に長椅子が並べられている。絨毯は祭殿の奥まで伸びていて、その先は一段高くなっている。その上には、木製の祭壇が置いてあった。
正面の壁の高い位置には、大きな石板が打ち付けられている。大人三人が両手を広げて横に並んだぐらいの幅があり、神鳥の姿が彫られている。ティーナが神鳥を目覚めさせた場所にあった広場の床と似ていた。
左右の壁には、様々な色の糸で織られたタペストリーがかけられていた。左右それぞれ三枚ずつあり、どれにも神鳥の姿がある。
祭壇の手前に、祭司長と呼ばれる男性が立っている。祭殿で行われる儀式を執り行う役目を持っている者だ。その脇に、彼の補助を務める男性が、両手で小さな箱を持っていた。
これから行われるのは、新たな王の即位式だ。
ティーナの背後で、扉が開く音がした。長椅子に座っている者、壁際に控えている者が、一斉にそちらを見た。
現れたのは新たな王、キルシェだ。濃い緑色のローブをまとっている。首からは、王の証である、青い宝石がはめられた飾りを下げている。引きずるほどに長いマントが目をひく。中心に神鳥の姿が、その周りにかつてティーナの体にあった模様が織られた、華麗な意匠だ。
キルシェは真剣な顔つきで、ゆっくりと青い絨毯の上を進んでいく。段をあがり、祭司長の隣に並んだ。
祭司長の補助役が、箱のふたを開いた。祭司長が箱の中に手をいれ、中身を取り出した。それは金色の王冠だった。磨かれてはいるが、年季が入っている。歴代の王たちが即位の際に被ったものだ。
「汝、王として尽くすことを誓うか」
よく通る声で、祭司長が問うた。
「我が翼にかけて誓う。この命は民のために、大いなる神鳥のために」
キルシェが高らかに言い、跪いた。その頭に、祭司長の手で王冠が被せられた。
「今ここに、王キルシェの即位を宣言する」
冠を戴いたキルシェが立ち上がり、民たちの方を向いた。
「……今日、皆で集えたのを嬉しく思う」
キルシェが人々を見回しながら言った。
「先日の危機を乗り越えられたのは、皆がそれぞれにできることを尽くし、一つになってくれたからこそだ。命をかけてくれた者、そして先王のことを決して忘れてはいけない。ここに生きている者も死んでしまった者も、全員が誇り高い勇者だ」
キルシェは頭に乗った王冠を脱ぎ、言葉を続けた。
「……俺はまだまだ未熟だ。先王には遠く及ばない。それでも、誰よりもこの島のことが好きだ。それだけは断言できる。この島が幸せな場所であるように、俺は力を尽くす。どうか、俺と共に歩んで欲しい。皆の力を貸してくれ」
キルシェがそう言って、頭を深々と下げた。
一瞬の間の後、それまで黙って彼の言葉に耳を傾けていた人々が、大きな拍手と歓声をキルシェに送った。
「キルシェ王、ばんざーい!」
ラッシュが笑顔で叫んだ。ティーナも一緒になって、惜しみない拍手を新たな王に向けた。
キルシェが頭を上げ、王冠を被りなおした。緊張した面持ちは消え、晴れやかな顔をしている。
やがて拍手がやみ、場はまた静かになった。
「ありがとう。……もう一つ、この場で言いたいことがある。ずっと魂の欠片を失っていた神鳥が、眠りから覚めた。島はあるべき姿に戻り、誰かの人生が犠牲になる時代は終わった。それは、一人の女の子のおかげだ」
キルシェの目が、席に座っているティーナを見た。
「ティーナ、ここに来てくれ」
突然のことに、ティーナは固まってしまった。まさか呼ばれるなんて思ってもみない。
ラッシュが戸惑うティーナを立たせ、そっと背中を押した。
ティーナはおそるおそる歩いて祭殿の中を進み、王の装束をまとうキルシェの隣に立った。祭殿に集った全員が、ティーナを見ている。
「ティーナによって、島は本当の姿を取り戻した。皆、彼女の勇気を称えてくれ」
割れんばかりの手を叩く音が、祭殿中に響き渡る。ティーナの友達、顔なじみの人々、小さな子供たちが、笑顔で手を振っている。
嬉しいやら恥ずかしいやらで、ティーナは隣にいるキルシェを見上げた。新たな王は、面白い遊びを考える少年のような顔でティーナに笑いかけた。
***
本来、新たな島の王が即位すると、歌や踊りを交えた盛大な宴が開かれる。
だが、今回はキルシェの意向で、食事と酒の席だけとした。先王や命を落とした民、まだ傷の治っていない者たちとその家族を思ってのことだった。
しかし、島中の人々が参加する席なので十分に賑やかだ。城の広間いっぱいにテーブルが置かれ、女たちが総出で作る料理が次々乗せられる。
キルシェのもとには変わるがわる人が訪れて、祝いの言葉を送ってくれたり、思い出話に花を咲かせたりした。
「よう、王様」
妻のカーシャを伴い、戦士長のオーデリクがやって来た。
「おやっさん、具合はどうだ?」
「ああ、おかげでもうすぐ復帰できそうだ」
襲撃者との戦いで深手を負ったオーデリクだったが、幸いにも大した後遺症はなく、戦士を続けられるようだ。
「キルシェ、格好良かったよ」
「姐さん、ありがとう。……おやっさん、色々世話をかけると思うが、よろしく頼む」
「お前は立派な男さ。いつかロークを超える。心配すんな。お前の背中は俺が守る」
オーデリクは、父ロークに仕える身であり、同時に親友でもあった。
王を守れなかったこと、親友の死は彼にきっと深い影を落としているはずだ。それでも前を向き、キルシェを支えようとしてくれている。
「ありがとうな。引き続き楽しんでくれ」
「おう、そうさせてもらうぜ。しばらく酒がお預けだったからな。今日は飲むぞ!」
「ちょっと、飲みすぎはやめてよ。酔って転んだとしても面倒みないから! じゃあねキルシェ」
あれこれ言い合いながらも仲睦まじい夫婦の背中を見送り、キルシェは広間を見渡した。宴は終盤に差し掛かり、大人たちにはほどよく酒が回っている。
エレアスの姿が見当たらない。先ほど、広間の隅で誰かと話をしていたのを横目で見たのだが、どこに行ってしまったのだろうか。
窓から見える空は暗くなっている。挨拶はひと段落ついた。少し席を外しても問題ないだろうと、キルシェは城を出た。
***
海の見える丘に、エレアスは一人で座っていた。
「飽きちまったか?」
キルシェが声をかけると、若草色の髪を揺らして、エレアスは振り返った。
「いいえ。少し風に当たりたかっただけよ」
「ならいい」
キルシェはエレアスの横に腰を下ろした。夜風が頬を撫でる。
「貴方こそ、今日の主役が抜けだしてきて良いのかしら?」
「もう皆酔っぱらってて俺のことなんか気にしちゃいないさ」
エレアスがふふ、と笑う声が聞こえた。
彼女の手の甲には、守護者の証はもうない。エレアスはもう何にも縛られない自由の身だ。
「エレアス、これからどうするんだ」
「そうね、何をしようかしら……。迷っているの。まさか守護者でなくなる日が来るなんて思っていなかったから」
キルシェが療養から明けて以降、彼女とゆっくり話す時間をなかなか設けられなかった。今後のことについて、切り出せていない。
ずっと言いたくて言えなかったことがある。今この時を逃してはいけない。他の誰かに取られてしまう前に伝えなければいけない。
「エレアス」
キルシェはエレアスの肩をつかみ、自分の方を向かせた。
「俺と結婚してくれ」
「えっ……?」
「俺は王だ。いつだってお前のことを一番に考えてやれるとは限らない。たくさん我慢をさせると思う。でも、誰よりもお前を愛してる。これからの人生を一緒に生きるなら、エレアスしか考えられないんだ」
長い睫毛に縁どられたエレアスの目が、二度、三度と瞬きをし、ゆっくりと細められた。
「……いいわ。わたし、キルシェのお嫁さんになる」
「本当か!?」
思わず彼女の華奢な肩を力強く揺さぶりそうになったが、キルシェはなんとか踏みとどまった。
「貴方は覚えていないでしょうけれど、昔に約束したのよ。もしわたしが守護者でなくなったら、キルシェと結婚するって」
「……お前、それ覚えてたのか?」
キルシェが問うと、エレアスは驚いた様子を見せた。
「……貴方の方こそ、忘れていないの?」
「忘れるわけないだろ。あの時から俺は本気だったんだぞ」
約束をしたのは18年も前の話だ。まさかエレアスも覚えてくれているとは思ってもみなかった。ずっと、互いの気持ちは通じ合っていたのだ。
エレアスが笑って腕を広げ、キルシェの胸に飛び込んだ。
「キルシェ、愛しているわ。今までもこれからも、わたしには貴方だけ」
エレアスの手がキルシェの頬に触れる。彼女は何の躊躇いもなく、キルシェに口づけた。
「……お前には、一生敵わないんだろうな」
これから先、何があろうとも、エレアスと一緒なら乗り越えられる。
キルシェはエレアスの背と膝裏に手を添えて、ひょいと彼女を横抱きにして立ち上がった。エレアスが小さく声をあげた。
「よし、帰るか」
「ちょっと、わたし一人で飛べるわよ」
「俺がこうしたいんだ。いいだろ?」
「貴方、滅茶苦茶な飛び方をするでしょう」
「しない、普通に飛ぶ。だからこのまま帰らせてくれ」
食い下がるキルシェに、エレアスは呆れたような、でもどこか嬉しそうな笑みを漏らした。そして両手をキルシェの首に回す。
「本当に、仕方のない人ね」
自分が休んでいたことで、後回しになっていることがいくつかある。
今回の戦いで命を落としてしまった者、戦士を退かざるを得なくなった者も少なからずいた。キルシェはまず、彼らとその家族のもとを一軒一軒訪れ、その死を悼み、勇気を称えた。
それが終わった後に、ロークの葬儀が行われた。焼かれ、灰になった遺体は、家族の手によって島にまかれる習わしだ。
島中の民に見送られ、キルシェはセシェルと共に飛び立った。向かった場所は、海が見える小高い丘の上だ。
「セシェル、これで最後だ。お別れを言いな」
キルシェは、父の遺灰が入った箱をセシェルへ差し出した。セシェルが箱のふたに手を置き、そっと撫でた。
「父さま、わたしの父さまでいてくださってありがとう。ずっと愛しているわ」
キルシェも、箱をじっと見つめた。
後になって聞かされたのは、ロークが病を抱えていたという事実だった。知っていたのは、医者のクロモドと側近のディオネス、オーデリクだけだったという。
民にも、家族にもその事実を明かさず、彼は最期まで、島を導く王であり続けた。
本当は、ロークが生きている間に王の役目を継ぎ、立派に成長した姿を見せるべきだった。それができない今、せめてもう迷わず、前を向くことが少しでも父を安心させると信じるしかない。
すべてを父と同じようにするのではなく、キルシェのやり方で島を、民を守る。ロークはそれに期待していたはずだ。
キルシェの首から下がる王の証は、もう重くは感じられなかった。
「……見ていてくれ、親父」
キルシェは呟くと、箱のふたを開けた。
どこからともなく吹いてきた風が、灰を巻き上げ、遠くへと運んでいく。それを目で追い、空を見上げたキルシェは、あるものに気づいた。
「あれは……」
空を飛ぶ、白く輝く大きな鳥、神鳥だ。目覚めた後、雲の切れ間に消えて以来その姿を見ていなかった。ロークの魂を導くため、現れてくれたのだろうか。
「神鳥さま?」
「ああ、そうだ」
「初めてお会いするわ。とても綺麗なのね」
セシェルがため息混じりに言った。
神鳥は優雅に羽ばたき、遥か天空へと昇っていった。
ロークが島の一部となり、妻とともに永遠の安らぎを得るように――キルシェは祈った。
「セシェル」
神鳥の姿を見届け、キルシェは妹に向き直った。
「こんな兄貴だが……これからも愛想を尽かさないでいてくれるか?」
両親を亡くし、セシェルに残されているのは兄のキルシェだけだ。
王として生きなければならないキルシェは、きっとこれから彼女に寂しい思いをさせることもあるだろう。
「まあ、兄さまったら、らしくないわ」
セシェルは微笑み、キルシェにそっと抱き着いた。
「いつだって、兄さまはわたしの素敵な家族よ」
「……そうか。ありがとうな」
キルシェは妹の頭を優しく撫でた。
セシェルは父の強さと、母の優しさを受け継いだ、立派な女性に成長している。キルシェには、それが嬉しかった。あまり心配する必要はないだろう。
「さて、ぼさっとしている時間はないな。セシェル、戻るぞ」
この後にはもう一つ、大事な仕事が控えている。キルシェはセシェルを連れて、丘をあとにした。
***
祭殿の中は、人で埋め尽くされている。ティーナはラッシュと共に、置かれている長椅子に座っていた。
普段は入ることを禁じられているため、ティーナが祭殿に来たのは初めてだ。
中央に長く大きい、青色の絨毯が敷かれており、その両側に長椅子が並べられている。絨毯は祭殿の奥まで伸びていて、その先は一段高くなっている。その上には、木製の祭壇が置いてあった。
正面の壁の高い位置には、大きな石板が打ち付けられている。大人三人が両手を広げて横に並んだぐらいの幅があり、神鳥の姿が彫られている。ティーナが神鳥を目覚めさせた場所にあった広場の床と似ていた。
左右の壁には、様々な色の糸で織られたタペストリーがかけられていた。左右それぞれ三枚ずつあり、どれにも神鳥の姿がある。
祭壇の手前に、祭司長と呼ばれる男性が立っている。祭殿で行われる儀式を執り行う役目を持っている者だ。その脇に、彼の補助を務める男性が、両手で小さな箱を持っていた。
これから行われるのは、新たな王の即位式だ。
ティーナの背後で、扉が開く音がした。長椅子に座っている者、壁際に控えている者が、一斉にそちらを見た。
現れたのは新たな王、キルシェだ。濃い緑色のローブをまとっている。首からは、王の証である、青い宝石がはめられた飾りを下げている。引きずるほどに長いマントが目をひく。中心に神鳥の姿が、その周りにかつてティーナの体にあった模様が織られた、華麗な意匠だ。
キルシェは真剣な顔つきで、ゆっくりと青い絨毯の上を進んでいく。段をあがり、祭司長の隣に並んだ。
祭司長の補助役が、箱のふたを開いた。祭司長が箱の中に手をいれ、中身を取り出した。それは金色の王冠だった。磨かれてはいるが、年季が入っている。歴代の王たちが即位の際に被ったものだ。
「汝、王として尽くすことを誓うか」
よく通る声で、祭司長が問うた。
「我が翼にかけて誓う。この命は民のために、大いなる神鳥のために」
キルシェが高らかに言い、跪いた。その頭に、祭司長の手で王冠が被せられた。
「今ここに、王キルシェの即位を宣言する」
冠を戴いたキルシェが立ち上がり、民たちの方を向いた。
「……今日、皆で集えたのを嬉しく思う」
キルシェが人々を見回しながら言った。
「先日の危機を乗り越えられたのは、皆がそれぞれにできることを尽くし、一つになってくれたからこそだ。命をかけてくれた者、そして先王のことを決して忘れてはいけない。ここに生きている者も死んでしまった者も、全員が誇り高い勇者だ」
キルシェは頭に乗った王冠を脱ぎ、言葉を続けた。
「……俺はまだまだ未熟だ。先王には遠く及ばない。それでも、誰よりもこの島のことが好きだ。それだけは断言できる。この島が幸せな場所であるように、俺は力を尽くす。どうか、俺と共に歩んで欲しい。皆の力を貸してくれ」
キルシェがそう言って、頭を深々と下げた。
一瞬の間の後、それまで黙って彼の言葉に耳を傾けていた人々が、大きな拍手と歓声をキルシェに送った。
「キルシェ王、ばんざーい!」
ラッシュが笑顔で叫んだ。ティーナも一緒になって、惜しみない拍手を新たな王に向けた。
キルシェが頭を上げ、王冠を被りなおした。緊張した面持ちは消え、晴れやかな顔をしている。
やがて拍手がやみ、場はまた静かになった。
「ありがとう。……もう一つ、この場で言いたいことがある。ずっと魂の欠片を失っていた神鳥が、眠りから覚めた。島はあるべき姿に戻り、誰かの人生が犠牲になる時代は終わった。それは、一人の女の子のおかげだ」
キルシェの目が、席に座っているティーナを見た。
「ティーナ、ここに来てくれ」
突然のことに、ティーナは固まってしまった。まさか呼ばれるなんて思ってもみない。
ラッシュが戸惑うティーナを立たせ、そっと背中を押した。
ティーナはおそるおそる歩いて祭殿の中を進み、王の装束をまとうキルシェの隣に立った。祭殿に集った全員が、ティーナを見ている。
「ティーナによって、島は本当の姿を取り戻した。皆、彼女の勇気を称えてくれ」
割れんばかりの手を叩く音が、祭殿中に響き渡る。ティーナの友達、顔なじみの人々、小さな子供たちが、笑顔で手を振っている。
嬉しいやら恥ずかしいやらで、ティーナは隣にいるキルシェを見上げた。新たな王は、面白い遊びを考える少年のような顔でティーナに笑いかけた。
***
本来、新たな島の王が即位すると、歌や踊りを交えた盛大な宴が開かれる。
だが、今回はキルシェの意向で、食事と酒の席だけとした。先王や命を落とした民、まだ傷の治っていない者たちとその家族を思ってのことだった。
しかし、島中の人々が参加する席なので十分に賑やかだ。城の広間いっぱいにテーブルが置かれ、女たちが総出で作る料理が次々乗せられる。
キルシェのもとには変わるがわる人が訪れて、祝いの言葉を送ってくれたり、思い出話に花を咲かせたりした。
「よう、王様」
妻のカーシャを伴い、戦士長のオーデリクがやって来た。
「おやっさん、具合はどうだ?」
「ああ、おかげでもうすぐ復帰できそうだ」
襲撃者との戦いで深手を負ったオーデリクだったが、幸いにも大した後遺症はなく、戦士を続けられるようだ。
「キルシェ、格好良かったよ」
「姐さん、ありがとう。……おやっさん、色々世話をかけると思うが、よろしく頼む」
「お前は立派な男さ。いつかロークを超える。心配すんな。お前の背中は俺が守る」
オーデリクは、父ロークに仕える身であり、同時に親友でもあった。
王を守れなかったこと、親友の死は彼にきっと深い影を落としているはずだ。それでも前を向き、キルシェを支えようとしてくれている。
「ありがとうな。引き続き楽しんでくれ」
「おう、そうさせてもらうぜ。しばらく酒がお預けだったからな。今日は飲むぞ!」
「ちょっと、飲みすぎはやめてよ。酔って転んだとしても面倒みないから! じゃあねキルシェ」
あれこれ言い合いながらも仲睦まじい夫婦の背中を見送り、キルシェは広間を見渡した。宴は終盤に差し掛かり、大人たちにはほどよく酒が回っている。
エレアスの姿が見当たらない。先ほど、広間の隅で誰かと話をしていたのを横目で見たのだが、どこに行ってしまったのだろうか。
窓から見える空は暗くなっている。挨拶はひと段落ついた。少し席を外しても問題ないだろうと、キルシェは城を出た。
***
海の見える丘に、エレアスは一人で座っていた。
「飽きちまったか?」
キルシェが声をかけると、若草色の髪を揺らして、エレアスは振り返った。
「いいえ。少し風に当たりたかっただけよ」
「ならいい」
キルシェはエレアスの横に腰を下ろした。夜風が頬を撫でる。
「貴方こそ、今日の主役が抜けだしてきて良いのかしら?」
「もう皆酔っぱらってて俺のことなんか気にしちゃいないさ」
エレアスがふふ、と笑う声が聞こえた。
彼女の手の甲には、守護者の証はもうない。エレアスはもう何にも縛られない自由の身だ。
「エレアス、これからどうするんだ」
「そうね、何をしようかしら……。迷っているの。まさか守護者でなくなる日が来るなんて思っていなかったから」
キルシェが療養から明けて以降、彼女とゆっくり話す時間をなかなか設けられなかった。今後のことについて、切り出せていない。
ずっと言いたくて言えなかったことがある。今この時を逃してはいけない。他の誰かに取られてしまう前に伝えなければいけない。
「エレアス」
キルシェはエレアスの肩をつかみ、自分の方を向かせた。
「俺と結婚してくれ」
「えっ……?」
「俺は王だ。いつだってお前のことを一番に考えてやれるとは限らない。たくさん我慢をさせると思う。でも、誰よりもお前を愛してる。これからの人生を一緒に生きるなら、エレアスしか考えられないんだ」
長い睫毛に縁どられたエレアスの目が、二度、三度と瞬きをし、ゆっくりと細められた。
「……いいわ。わたし、キルシェのお嫁さんになる」
「本当か!?」
思わず彼女の華奢な肩を力強く揺さぶりそうになったが、キルシェはなんとか踏みとどまった。
「貴方は覚えていないでしょうけれど、昔に約束したのよ。もしわたしが守護者でなくなったら、キルシェと結婚するって」
「……お前、それ覚えてたのか?」
キルシェが問うと、エレアスは驚いた様子を見せた。
「……貴方の方こそ、忘れていないの?」
「忘れるわけないだろ。あの時から俺は本気だったんだぞ」
約束をしたのは18年も前の話だ。まさかエレアスも覚えてくれているとは思ってもみなかった。ずっと、互いの気持ちは通じ合っていたのだ。
エレアスが笑って腕を広げ、キルシェの胸に飛び込んだ。
「キルシェ、愛しているわ。今までもこれからも、わたしには貴方だけ」
エレアスの手がキルシェの頬に触れる。彼女は何の躊躇いもなく、キルシェに口づけた。
「……お前には、一生敵わないんだろうな」
これから先、何があろうとも、エレアスと一緒なら乗り越えられる。
キルシェはエレアスの背と膝裏に手を添えて、ひょいと彼女を横抱きにして立ち上がった。エレアスが小さく声をあげた。
「よし、帰るか」
「ちょっと、わたし一人で飛べるわよ」
「俺がこうしたいんだ。いいだろ?」
「貴方、滅茶苦茶な飛び方をするでしょう」
「しない、普通に飛ぶ。だからこのまま帰らせてくれ」
食い下がるキルシェに、エレアスは呆れたような、でもどこか嬉しそうな笑みを漏らした。そして両手をキルシェの首に回す。
「本当に、仕方のない人ね」
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