翼の島の勇者たち

花乃 なたね

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32章 真の王

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 キルシェは配下を伴って飛ぶ、異形の翼を持つ男のあとを追っていた。
 その場の戦いを放棄し飛び立ったということは、きっと神鳥かみどりの魂の欠片を見つけるつもりだ。
 ティーナとラッシュが危ない。必ず止めなければいけない。
 男が振り返ってキルシェの姿をとらえ、自分の両脇を固める兵士に何かをささやいた。
 二人の敵兵が動きをとめ、キルシェに向き直って武器を構えた。足止めをする気だ。その瞳には、他の襲撃者たちと同じく、何も映っていなかった。

「こんなところで……!」

 キルシェも剣を抜いた。時間を無駄にするわけにはいかない。さっさとけりをつけて男を追う必要がある。

「どいてもらうぞ」

 空中で、剣がぶつかる音が響いた。

***

 木々の間を抜け、ラッシュはティーナの手を引いて走っていた。
 ティーナの体に浮かぶ神鳥のしるしは、未だ光を放っている。模様を隠すためにエレアスが貸してくれた外套がいとうは、もはや意味を成していなかった。
 森を抜けると開けた場所に出る。そこを切り抜ければ、目的地である神鳥が待つ崖まではすぐだ。
 ティーナの体力はすでに限界に近いはずだ。しかし、何度も転びそうになりながら、彼女は足を止めることはしなかった。
 ラッシュはティーナの手をしっかり握った。この手を放したら、永遠に離れ離れになってしまうような気がした。

「頑張れ、ティーナ!」

 ティーナに声をかけながら走り、ようやく森を抜けた。
 あともうひと息というその時、二人の上を一つの影がよぎった。
 それは翼で飛ぶ男だった。島の民が持つ、鳥のようなそれではない、骨のような形の翼。
 襲撃者の男は、ラッシュたちの行く手を塞ぐように降り立った。

「見つけた。見つけたぞ」

 爛々らんらんと輝く男の目が、ティーナを見た。
 ラッシュは槍を構え、ティーナの前に立った。

「ティーナに近づくな」

 ラッシュの言葉を無視し、男は一歩、また一歩とティーナの方へ歩みを進める。

「来るな!」

 ラッシュが槍を前に突き出した。男は足を止め、目を細めた。

「ほう。己の命をして、神鳥の魂を守るか。見上げた忠誠心だ」

 男は禍々しい雰囲気をまとっている。ひと睨みされただけですくみ上がってしまうほどだ。
 それでもラッシュは、その場から動かなかった。

「ティーナは友達だ。友達を酷い目に合わせるなら、俺はお前を許さない」

 男は口の端を歪めて笑った。

「神鳥の力はわたしのもの。この島のまことの王はわたしだ」
「俺たちの王は、キルシェだ!」

 ラッシュが槍を持ち男に向かっていく。男も剣を抜いた。

(強い……!)

 襲撃者の男と武器を交えてすぐ、ラッシュは力の差を思い知った。
 相手の動きを止め、ティーナに近づかせないようにするのが精いっぱいだ。一人で戦って勝つことはきっとできない。
 男の動きには無駄がなく、それでいて凄まじい殺気を放っている。ラッシュが繰り出す槍の突きは、容易くかわされてしまった。
 自分が膝をつくのは時間の問題だ。しかし、そうなればティーナの命も失われる。焦りと恐怖が、ラッシュの頭の中を塗りつぶしていく。

「あっ……!」

 男の持つ剣の切っ先がラッシュの腕をかすった。

「ラッシュ!」

 ティーナの悲鳴が聞こえた。
 血しぶきが飛んだが、傷は浅い。男は楽しむかのような笑みを顔に張り付け、間合いを詰めてくる。
 今まで、魔物は何匹も相手にしてきた。しかし、殺意と狂気を持ち向かってくる人間と戦うのは初めてだ。頼りになる父も、仲間もそばにいない。
 それでも、キルシェと約束した。ティーナを絶対に守ると。
 ティーナに誓った。誰よりも強い戦士になって、二度と彼女に悲しい思いをさせないと。
 アルフィオンのように、ティーナを手にかける覚悟はできない。しかし、ティーナを生かす覚悟ならできる。何としてでも、ティーナを神鳥のもとへたどり着かせる。

「ティーナ!」

 男の攻撃を受けとめながら、ラッシュは声を張り上げた。

「先に行くんだ!」

 ティーナはすぐには動かなかった。足がすくんでいるのか、ラッシュを置いていくことをためらっているようだった。

「大事な友を置いていくのか?」

 男がよく響く声でティーナに語り掛ける。

「ティーナ! 俺を信じろ!」

 男の言葉をかき消す声は絶叫に近かった。
 ティーナが神鳥が呼ぶ場所へと駆け出していく。させまいと彼女の方へ向かおうとする男に、ラッシュは槍を突き付けた。
 男がうなり、翼を広げて飛びあがった。ラッシュもあとを追って宙へ上がった。
 激しい打ち合いが続いた。ラッシュの槍が何度か男に当たったが、戦意を削ぐには至らない。
 勝てなくていい。自分が壁になって、少しでも時間を稼ぐ。
 男は荒く息をしており、その目は血走っていた。邪魔をされ続け、目的のものにたどり着けないことに業を煮やしている。
 その時、ラッシュの隣に誰かが現れた。剣を持ち、銀色の翼で力強く羽ばたく姿――

「キルシェ!」
「ラッシュ、よく頑張った」

 キルシェが、向かってくる男の刃を己の剣で受けた。

「ここは任せろ、ティーナのところに!」

 キルシェが、ティーナが走っていった方に目をやった。一人で進んでいく彼女の姿がまだ小さく見えている。
 ラッシュは頷き、ティーナの方へとまっすぐ飛んで行った。
 男がキルシェから離れた。骨のような翼をきしませながら、空中に浮いている。キルシェはその姿を睨みつけた。

「よくも好き勝手してくれたな」
「お前に何ができる……」

 男が言葉をきり、顔を歪めて腹を押さえた。

「あんまり余裕がないみたいだな?」

 ロークが自分の命と引き換えに負わせた傷は、完全に癒えてはいないようだ。

「親父は強かっただろ? 俺は一度も勝てたことがなかった。……一度もな!」

 キルシェは剣を握り、男に突っ込んでいった。
 傷を負っているとはいえ、男は決して油断ならない強さだった。気を抜けば、間違いなく首を落とされてしまう。
 がちん、と音を立てて剣がぶつかり、キルシェと男は睨み合った。

「忌々しい……!」

 男が言葉を漏らした。

「なぜお前は、そんなにもあやつに似ているのだ……」

 あやつ、とは誰だろう。ロークのことだろうか。
 男の背から生える異形の翼が不気味に動く。神鳥を裏切り島を追放された一族は、翼を奪われたはず。この奇妙な翼を、襲撃者たちはどうやって手に入れたのだろう。

「追放されて千年余り、また舞い戻り、島の支配者になるためにあらゆる魔術に手を染めた! お前なぞに邪魔をされてなるものか!」
「お前は……!」

 男はキルシェから一旦距離をとり、再度激しく斬りつけてきた。その顔には、もはや狂気と憎しみしかない。
 襲撃者たちは、オーデリクの言う通り、島を追われた一族の末裔まつえいだ。しかし、彼らの長、今キルシェの目の前にいる男は――

「永遠の命! 人の心を操る術! あとはあの鳥の力さえあれば、わたしは完全な存在となる!」

 かつて、神鳥の力を欲して、戦を起こした邪悪な人間。かつて、この島に生き、とうの昔に死んでいるはずの男。
 野望を叶えるため、自分の一族を物言わぬ傀儡かいらいに仕立て上げ、魔術によって老いぬ体を得た、人の姿をした怪物。
 キルシェはなんとか反撃の隙を伺おうとしたが、男の攻撃を防ぐのでぎりぎりだった。やっとのことで押し返し、攻勢に転じようとしたものの、一瞬で体勢を立て直した男が、またもキルシェに向かってきた。

「ぐっ……!」

 防ぎきれなかった。キルシェの腹に焼けつくような痛みが走る。かろうじて急所は外したが、体の力が抜けていくのを感じた。空中に留まっていられなくなり、キルシェの体が地面にどんどん近づいていく。
 咄嗟とっさに受け身をとり、体を地面にしたたかにぶつけることは避けた。男がキルシェの方へ、剣を向けて急降下してくる。
 キルシェは片膝をついて体を支え、剣を斜めに構えた。剣同士がぶつかった衝撃に、全身の骨が震える。

「諦めろ、お前の負けだ」

 男が口の端を釣り上げて笑った。

「お前は王の器ではない。真の王はわたしだ」

 男の剣が力を増す。キルシェが力尽きれば、その刃が体を貫くだろう。
 自分が負ければ、大切な仲間たちがこの怪物の手に渡る。美しい島が、血と涙に濡れてしまう。

「……ふざけるな。本当の王なら……人の心を操るんじゃない、動かすんだ!」

 自分を信じて、送りだしてくれた者がいる。
 自分を信じて、今も戦い続けている者がいる。
 自分を信じて、帰りを待ってくれる者がいる。
 彼らは魔術で操られているのではない。自分の意志で、王であるキルシェに従い動いている。
 島のすべての民の命が、キルシェの肩に乗っている。しかしそれは決して重荷ではない。それは大きな力となる。背中を押してくれる。

「ここは俺たちの島だ!」

 ありったけの力を振り絞り、キルシェは男の剣を押し返した。男がよろめいた隙に立ち上がり、剣を振りかざす。
 男の左肩から腹の右側にかけて、深い傷が走った。
 男はなおも立っていた。長い髪を振り乱し、獣のような咆哮ほうこうをあげる。まだ、戦うつもりでいるようだった。
 男の血走った眼がキルシェを見る。またも向かってくるかと思ったその時、男の表情が狂乱から苦悶のそれへと変わった。目が見開かれ、声にならない叫びが漏れた。
 男の背に、何者かが深々と刃を突き刺していた。

「アルフィオン……」

 背後に顔を向けた男が、その名を呟いた。

「キルシェ!」

 アルフィオンが呼びかけ、キルシェはもう一度剣を振り上げた。首を落とすまでは行かなかったが、喉元から血をほとばしらせ、男の体は地面に倒れた。
 男の目が虚ろになり、光を失った。そして間もなく、肉体が砂のように崩れていき、着ていた衣服だけが後に残された。

「これは……」

 アルフィオンが呆然と、男がいた場所を見つめている。

「……こいつは、もうとっくに死んでいたはずなんだ」

 もともと、いびつな魔術で保たれていた肉体だ。このような終わりを迎えても、何ら不思議ではない。

「アル、助かった。俺一人じゃ駄目だったかもしれない。本当にありがとうな」
「……いいんだ。仇を討つことができた」

 アルフィオンがキルシェの方に視線をうつし、はっとした表情を浮かべた。

「キルシェ、その傷は……!」
「大丈夫だ、何ともない。それより、ラッシュとティーナが……」

 キルシェは、二人が逃げた方に顔を向けた。その先には、守護者の住まいと神鳥をまつる場所がある。
 隠れていろと言ったはずなのに、ラッシュとティーナはそこに向かおうとしていた。何かあったに違いない。

「アル、ついて来てくれ」

 アルフィオンを伴い、キルシェは彼らの後を追って駆け出した。
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