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10章 神鳥の伝説
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翌日、朝から正午まで働いた後、ティーナは休憩の時間をもらった。
昼食を済ませ、外の空気を吸いに城の中庭を訪れると、そこにはキルシェがいた。
一人で、大きな剣を両手で持ち何度も振っている。ティーナに剣術はまったく分からないが、ふらつくこともなく、洗練された動きだと思った。
次の瞬間、キルシェは翼を広げ、ふわりと宙に舞い上がった。羽ばたきながら、地上にいるときと変わらず、剣を振る手は力強い。
ラッシュも戦士だが、キルシェには敵わないと言っていた。きっと、かなりの手練れなのだろう。
地上で見ていたティーナに気づき、キルシェが訓練を止めてこちらに手を振ってきた。滑るように降下し、ティーナの前に降り立った。
抜き身の剣を近くで見るのは初めてだ。
「珍しいか?」
キルシェが腕を少し持ち上げると、刃がきらりと光った。
ティーナの身の丈より少し短いくらいの長さで、大剣とも呼ぶべき得物だ。
「ちゃんと見るのは初めて。キルシェは強いってラッシュが言ってたよ」
「ああ。俺は強いぜ。まあ、親父には勝ったことがないけどな。……最近は相手もしてくれねぇ」
そう言いながら、キルシェは剣を鞘に納め、背負った。
「ティーナ、頑張ってるみたいだな。セシェルはわがまま言ってないか?」
「ちっとも。すごくいい子だよ」
「そうか。あいつ、お袋を覚えてないからか甘えたがりなところがあってな。ほどほどに相手してやってくれ」
ローク王の妻は、セシェルが生まれて間もなく故人となったようだ。
ティーナは深追いはしないでおいた。自分にも家族はいないし、あれこれ聞かれてもきっと悲しくなるだけだ。
「ティーナ、今は暇か?」
「うん。しばらく休憩だよ」
「お、なら面白いところに連れてってやろう」
「面白いところ?」
市場はこの間に行ったし、景色がいいところにも連れて行ってもらった。まだ、どこかいい場所があるのだろうか。
「俺たちがどうして飛べるのか、知りたくないか?」
この島で生まれた人間は、ある年まで育つと翼を得る、とラッシュは言っていた。しかし、どうしてなのか、という理由はまだ聞いていない。
「……うん、それは気になる」
「だろ? でも、歩いていくのはきついな。飛べばすぐだ」
「え」
まさか、と言う前に、キルシェはティーナをひょいと抱き上げた。そのまま、軽く地面を蹴って宙に浮かぶ。
「キ、キルシェ……」
「すぐに着くからな」
どんどん地面が遠くなっていく。もしも落ちてしまったら……考えただけで恐ろしい。
キルシェは城を超えて、市場や居住区がある方と逆へ進んでいった。島の北側、人の手がほとんど入っていない方だ。
面白がっているのか、キルシェはジグザグに飛んだり、速度を速めたり緩めたり、急上昇したかと思えば急降下などを繰り返した。おかげで、どこを飛んでいるのかティーナにはまったく分からず、地面に下ろされた時には、足がすくみ、軽くめまいがしていた。
「やりすぎたか? 悪いな。セシェルは喜んだんだけどな」
ティーナの顔がやや青ざめていることに気づき、キルシェもさすがに申し訳ないと思ったらしい。彼が軽く背中をさすってくれたおかげで、ティーナはすぐ落ち着くことができた。
ティーナたちは、高台の上にいた。後ろを振り返ると、なだらかな下り坂の先に森が広がっていた。少し離れたところに、城が見える。
目の前には、木の小屋がぽつんと建っている。古くはないが小さい。おそらく一人しか住めないだろう。中の様子はうかがい知れない。
「誰かの家?」
「ああ。お前も会ったことがあるやつの家だ」
キルシェが小屋の扉を叩くと、ほどなくして家主が現れた。
「……まあ、どうしたの?」
出てきたのは、守護者と呼ばれていた女性、エレアスだった。キルシェとティーナを見て、目を丸くしている。
彼女とティーナは、以前に城で一度会ったきりだ。こんなに離れたところに住んでいるのなら、普段出会わないのも頷ける。
「ティーナがお前に会いたいって言うからさ」
キルシェに対し、エレアスは眉をひそめた。
「また、そうやって調子のいいことばかり」
「いいだろ別に。ティーナはもうこの島の人間だぞ。飛べないにしても、色々知っておくのは大事だ」
子供のように口をとがらせるキルシェに対し、エレアスは小さくため息をついて、ティーナへ視線を移した。
もしかして迷惑なのでは、と思ったが、彼女の目は穏やかな日の海のように優しかった。
「いいわ。ティーナ、ついて来て」
エレアスが小屋から出て、先だって歩いていく。ティーナもその後に続いた。
彼女について行った先には、石造りの床の広場になっていた。その先は崖で、どこまでも続く空が広がっている。
広場の四隅に、同じく石造りの、大きな柱が立っていた。複雑な模様が彫られている。
石の床にも、彫り物がされていた。翼を広げた大きな鳥の絵が、床いっぱいに描かれている。
「これは、鳥ですか?」
「そう。大いなる存在、神鳥さまよ」
「神鳥……」
その絵姿に、ティーナは覚えがあった。この島にたどり着く前、嵐の夜に、波に飲み込まれそうになりながら見た、大きな鳥の姿に似ていた。
「神鳥さまは、今どこにいるのですか?」
「……眠っているわ。もう千年以上も、海の底に」
エレアスが静かに言った。
神鳥が海の底にいるなら、やはりティーナが見たのは幻なのだろうか。
「昔、この島には神鳥しかいなかった。そこに、俺たちの先祖が住むようになったんだ」
「ご先祖様たちは、神鳥さまのために捧げものをして、たくさんお祈りをしたの。神鳥さまはそのお礼に、この島が危険な目に遭わないよう魔法をかけた、そして、皆が自由に飛べる、翼を授けた」
島の外から、よその人間がやって来ることは本当ならできないはず、キルシェが言っていたことだ。
外から攻めこまれる恐怖に怯えず、自由に空を飛ぶことができる、それらはすべて、神鳥の力によるものだという。
「けれど、ある時、神鳥さまの力をもっと得たいと願う人たちが現れたの。神鳥さまを捕らえようとする人たちと、守ろうとする人たちの間で、何日も戦いが続いた。その戦いの中で、神鳥さまは傷ついて、魂の欠片を失くしてしまった」
「島を、神鳥を裏切った奴らはほとんど死んだ。生き残った奴らは、島から追放された。勿論、飛ぶ力は失くして、だ」
「魂の欠片を失くし、本来の力を出すことができなくなった神鳥さまは、眠りについてしまったわ。いつか、失われた魂の欠片が戻るとき、神鳥さまは目覚め、島はあるべき姿に戻る、そう伝えられているのよ」
「俺たちはガキの頃から、何度もこの話をされて育つ。次の世代に正しく伝えるためにな」
俺は百回は聞かされたな、とキルシェが言って、欠伸を一つした。
今の話の中で、ティーナには気になることが一つあった。
「神鳥さまが眠っているのは力がないからなのに、どうして今も皆さんは飛ぶことができるのですか?」
この島の民が受ける恩恵が、神鳥の力によるものなら、その神鳥が不完全な状態になれば影響はあるはずだ。
「そのために、守護者がいるんだ。守護者は、神鳥の魂の欠片の代わりをつとめる」
「守護者になるさだめを持って生まれた子供は、ある程度まで大きくなると、ここで現守護者と一緒に過ごして、修行を積む。そして現守護者が亡くなると、今度は一人で務めをこなし、次の守護者となる子供が生まれ育ったらその子に教える。神鳥さまがいなくなってしまってから、わたしたちは、ずっとずっとそうしてきたの」
これが守護者の証よ、とエレアスが左手を差し出して見せてくれた。手の甲に、鳥の双翼のような模様があった。
自分の体にある模様と似ている気がしたが、ティーナはそのことには触れなかった。きっと偶然だ。ティーナはこの島と何の関係もないのだから。
エレアスの役目は、守護者として生き、その使命を次の世代へ確かに受け渡すこと。この島を、民すべての命を背負っているといってもいいだろう。
「守護者さまは、死ぬまでここに住まなければいけないのですか?」
「ええ。時々、城で王様と話をすることはあるけれど、機会はそう多くないわ」
「神鳥さまの魂の欠片は、どんなものなのですか? もし戻ってきたら、分かるものなのでしょうか?」
「……わたしにも、はっきりしたことは分からないわ。千年以上も戻って来ていないから。もしかしたら、永遠に失われてしまっているのかもしれない」
だとすれば、この先もずっと、誰かが守護者として生まれ、賑やかな場所から離れて独り、ここに住み続けることになる。
平和で穏やかな島だと思っていたが、ずっと昔に起きた争いの傷跡が、今も癒えぬまま残っているのだ。
誰か一人が、己の人生をすべて捧げて島のために尽くさなければならない。それはこの島の本来の姿ではない。
「……エレアスさんは、寂しいと思ったことはありますか?」
ティーナの問いに、エレアスはいいえ、と首を振った。
「わたしが守護者としていることで、島の皆が自由に空を飛ぶことができる。ここからでも、その様子は見えるから、寂しくはないわ」
「それに、俺が時々来てやってるからな」
「特に頼んだことはないけれど」
「おいおい、こっちは暇をぬって顔を見せに来てるんだぞ」
「貴方の顔ばかり見せられてもね……」
「俺の面のどこに不満があるんだよ。島一番のいい男だろ」
「いい年して、そんなことを言うのはやめたらどう?」
ティーナはぽかんと二人のやり取りを見つめていた。
前に城で会った時のエレアスとは違う。凛として落ち着いた雰囲気はそのままだが、キルシェと話す様子は、守護者という立場から解放された、普通の女性のそれだった。
「ああ、ごめんなさいね。貴女の前でこんな……」
「いえ、あの、お二人は兄妹なのですか?」
傍から見ていて、二人がとても仲がいいのはよく分かった。
「はっはは、違う違う。俺たちは昔馴染みってだけだ」
「似て見えるのかしら……。嫌だわ。こんな人に似るなんて」
「ひでぇなお前。まぁ、同じ年の同じ日に生まれたから、兄妹みたいなものかもな」
エレアスが寂しさを感じずにいられるのは、きっとキルシェのお陰なのだろう。信頼できる相手がいることを、ティーナは少しだけ羨ましいと思った。
ティーナはもう一度、石の床に描かれた神鳥の姿を見た。魂の欠片は、今どこにあるのだろうか。
その時、ティーナの体がわずかに熱を帯びた。今は隠している、模様がある箇所だ。
(なに……?)
ティーナは自分の腕に触れた。肌の温度より、確かに少し熱くなっている。こんなことは初めてだ。
「ティーナ、どうかしたか?」
キルシェに呼ばれ、ティーナは慌てて彼に向き直った。熱は、あっという間に冷めた。
「何でもない」
模様のことを知られるわけにはいかない。ここでも怪物扱いされてしまったら、本当に行き場がなくなってしまう。
「そろそろ戻らないと。エレアスさん、お話を聞かせてくれてありがとうございました」
「わたしも楽しかったわ。ありがとう」
「よし、じゃあ帰るか」
キルシェが慣れた手つきで、ティーナをまた抱き上げ、翼を広げて宙に浮かんだ。
「気を付けて帰るのよ。キルシェ、滅茶苦茶な飛び方をしないようにね」
「分かってるって。じゃあな! エレアス」
キルシェが飛び立ち、エレアスの姿がどんどん遠ざかっていく。彼女は、ずっと見送ってくれていた。
今度は揺らされることも、高速で飛ばれることもなく、キルシェが城の中庭まで運んでくれた。
昼食を済ませ、外の空気を吸いに城の中庭を訪れると、そこにはキルシェがいた。
一人で、大きな剣を両手で持ち何度も振っている。ティーナに剣術はまったく分からないが、ふらつくこともなく、洗練された動きだと思った。
次の瞬間、キルシェは翼を広げ、ふわりと宙に舞い上がった。羽ばたきながら、地上にいるときと変わらず、剣を振る手は力強い。
ラッシュも戦士だが、キルシェには敵わないと言っていた。きっと、かなりの手練れなのだろう。
地上で見ていたティーナに気づき、キルシェが訓練を止めてこちらに手を振ってきた。滑るように降下し、ティーナの前に降り立った。
抜き身の剣を近くで見るのは初めてだ。
「珍しいか?」
キルシェが腕を少し持ち上げると、刃がきらりと光った。
ティーナの身の丈より少し短いくらいの長さで、大剣とも呼ぶべき得物だ。
「ちゃんと見るのは初めて。キルシェは強いってラッシュが言ってたよ」
「ああ。俺は強いぜ。まあ、親父には勝ったことがないけどな。……最近は相手もしてくれねぇ」
そう言いながら、キルシェは剣を鞘に納め、背負った。
「ティーナ、頑張ってるみたいだな。セシェルはわがまま言ってないか?」
「ちっとも。すごくいい子だよ」
「そうか。あいつ、お袋を覚えてないからか甘えたがりなところがあってな。ほどほどに相手してやってくれ」
ローク王の妻は、セシェルが生まれて間もなく故人となったようだ。
ティーナは深追いはしないでおいた。自分にも家族はいないし、あれこれ聞かれてもきっと悲しくなるだけだ。
「ティーナ、今は暇か?」
「うん。しばらく休憩だよ」
「お、なら面白いところに連れてってやろう」
「面白いところ?」
市場はこの間に行ったし、景色がいいところにも連れて行ってもらった。まだ、どこかいい場所があるのだろうか。
「俺たちがどうして飛べるのか、知りたくないか?」
この島で生まれた人間は、ある年まで育つと翼を得る、とラッシュは言っていた。しかし、どうしてなのか、という理由はまだ聞いていない。
「……うん、それは気になる」
「だろ? でも、歩いていくのはきついな。飛べばすぐだ」
「え」
まさか、と言う前に、キルシェはティーナをひょいと抱き上げた。そのまま、軽く地面を蹴って宙に浮かぶ。
「キ、キルシェ……」
「すぐに着くからな」
どんどん地面が遠くなっていく。もしも落ちてしまったら……考えただけで恐ろしい。
キルシェは城を超えて、市場や居住区がある方と逆へ進んでいった。島の北側、人の手がほとんど入っていない方だ。
面白がっているのか、キルシェはジグザグに飛んだり、速度を速めたり緩めたり、急上昇したかと思えば急降下などを繰り返した。おかげで、どこを飛んでいるのかティーナにはまったく分からず、地面に下ろされた時には、足がすくみ、軽くめまいがしていた。
「やりすぎたか? 悪いな。セシェルは喜んだんだけどな」
ティーナの顔がやや青ざめていることに気づき、キルシェもさすがに申し訳ないと思ったらしい。彼が軽く背中をさすってくれたおかげで、ティーナはすぐ落ち着くことができた。
ティーナたちは、高台の上にいた。後ろを振り返ると、なだらかな下り坂の先に森が広がっていた。少し離れたところに、城が見える。
目の前には、木の小屋がぽつんと建っている。古くはないが小さい。おそらく一人しか住めないだろう。中の様子はうかがい知れない。
「誰かの家?」
「ああ。お前も会ったことがあるやつの家だ」
キルシェが小屋の扉を叩くと、ほどなくして家主が現れた。
「……まあ、どうしたの?」
出てきたのは、守護者と呼ばれていた女性、エレアスだった。キルシェとティーナを見て、目を丸くしている。
彼女とティーナは、以前に城で一度会ったきりだ。こんなに離れたところに住んでいるのなら、普段出会わないのも頷ける。
「ティーナがお前に会いたいって言うからさ」
キルシェに対し、エレアスは眉をひそめた。
「また、そうやって調子のいいことばかり」
「いいだろ別に。ティーナはもうこの島の人間だぞ。飛べないにしても、色々知っておくのは大事だ」
子供のように口をとがらせるキルシェに対し、エレアスは小さくため息をついて、ティーナへ視線を移した。
もしかして迷惑なのでは、と思ったが、彼女の目は穏やかな日の海のように優しかった。
「いいわ。ティーナ、ついて来て」
エレアスが小屋から出て、先だって歩いていく。ティーナもその後に続いた。
彼女について行った先には、石造りの床の広場になっていた。その先は崖で、どこまでも続く空が広がっている。
広場の四隅に、同じく石造りの、大きな柱が立っていた。複雑な模様が彫られている。
石の床にも、彫り物がされていた。翼を広げた大きな鳥の絵が、床いっぱいに描かれている。
「これは、鳥ですか?」
「そう。大いなる存在、神鳥さまよ」
「神鳥……」
その絵姿に、ティーナは覚えがあった。この島にたどり着く前、嵐の夜に、波に飲み込まれそうになりながら見た、大きな鳥の姿に似ていた。
「神鳥さまは、今どこにいるのですか?」
「……眠っているわ。もう千年以上も、海の底に」
エレアスが静かに言った。
神鳥が海の底にいるなら、やはりティーナが見たのは幻なのだろうか。
「昔、この島には神鳥しかいなかった。そこに、俺たちの先祖が住むようになったんだ」
「ご先祖様たちは、神鳥さまのために捧げものをして、たくさんお祈りをしたの。神鳥さまはそのお礼に、この島が危険な目に遭わないよう魔法をかけた、そして、皆が自由に飛べる、翼を授けた」
島の外から、よその人間がやって来ることは本当ならできないはず、キルシェが言っていたことだ。
外から攻めこまれる恐怖に怯えず、自由に空を飛ぶことができる、それらはすべて、神鳥の力によるものだという。
「けれど、ある時、神鳥さまの力をもっと得たいと願う人たちが現れたの。神鳥さまを捕らえようとする人たちと、守ろうとする人たちの間で、何日も戦いが続いた。その戦いの中で、神鳥さまは傷ついて、魂の欠片を失くしてしまった」
「島を、神鳥を裏切った奴らはほとんど死んだ。生き残った奴らは、島から追放された。勿論、飛ぶ力は失くして、だ」
「魂の欠片を失くし、本来の力を出すことができなくなった神鳥さまは、眠りについてしまったわ。いつか、失われた魂の欠片が戻るとき、神鳥さまは目覚め、島はあるべき姿に戻る、そう伝えられているのよ」
「俺たちはガキの頃から、何度もこの話をされて育つ。次の世代に正しく伝えるためにな」
俺は百回は聞かされたな、とキルシェが言って、欠伸を一つした。
今の話の中で、ティーナには気になることが一つあった。
「神鳥さまが眠っているのは力がないからなのに、どうして今も皆さんは飛ぶことができるのですか?」
この島の民が受ける恩恵が、神鳥の力によるものなら、その神鳥が不完全な状態になれば影響はあるはずだ。
「そのために、守護者がいるんだ。守護者は、神鳥の魂の欠片の代わりをつとめる」
「守護者になるさだめを持って生まれた子供は、ある程度まで大きくなると、ここで現守護者と一緒に過ごして、修行を積む。そして現守護者が亡くなると、今度は一人で務めをこなし、次の守護者となる子供が生まれ育ったらその子に教える。神鳥さまがいなくなってしまってから、わたしたちは、ずっとずっとそうしてきたの」
これが守護者の証よ、とエレアスが左手を差し出して見せてくれた。手の甲に、鳥の双翼のような模様があった。
自分の体にある模様と似ている気がしたが、ティーナはそのことには触れなかった。きっと偶然だ。ティーナはこの島と何の関係もないのだから。
エレアスの役目は、守護者として生き、その使命を次の世代へ確かに受け渡すこと。この島を、民すべての命を背負っているといってもいいだろう。
「守護者さまは、死ぬまでここに住まなければいけないのですか?」
「ええ。時々、城で王様と話をすることはあるけれど、機会はそう多くないわ」
「神鳥さまの魂の欠片は、どんなものなのですか? もし戻ってきたら、分かるものなのでしょうか?」
「……わたしにも、はっきりしたことは分からないわ。千年以上も戻って来ていないから。もしかしたら、永遠に失われてしまっているのかもしれない」
だとすれば、この先もずっと、誰かが守護者として生まれ、賑やかな場所から離れて独り、ここに住み続けることになる。
平和で穏やかな島だと思っていたが、ずっと昔に起きた争いの傷跡が、今も癒えぬまま残っているのだ。
誰か一人が、己の人生をすべて捧げて島のために尽くさなければならない。それはこの島の本来の姿ではない。
「……エレアスさんは、寂しいと思ったことはありますか?」
ティーナの問いに、エレアスはいいえ、と首を振った。
「わたしが守護者としていることで、島の皆が自由に空を飛ぶことができる。ここからでも、その様子は見えるから、寂しくはないわ」
「それに、俺が時々来てやってるからな」
「特に頼んだことはないけれど」
「おいおい、こっちは暇をぬって顔を見せに来てるんだぞ」
「貴方の顔ばかり見せられてもね……」
「俺の面のどこに不満があるんだよ。島一番のいい男だろ」
「いい年して、そんなことを言うのはやめたらどう?」
ティーナはぽかんと二人のやり取りを見つめていた。
前に城で会った時のエレアスとは違う。凛として落ち着いた雰囲気はそのままだが、キルシェと話す様子は、守護者という立場から解放された、普通の女性のそれだった。
「ああ、ごめんなさいね。貴女の前でこんな……」
「いえ、あの、お二人は兄妹なのですか?」
傍から見ていて、二人がとても仲がいいのはよく分かった。
「はっはは、違う違う。俺たちは昔馴染みってだけだ」
「似て見えるのかしら……。嫌だわ。こんな人に似るなんて」
「ひでぇなお前。まぁ、同じ年の同じ日に生まれたから、兄妹みたいなものかもな」
エレアスが寂しさを感じずにいられるのは、きっとキルシェのお陰なのだろう。信頼できる相手がいることを、ティーナは少しだけ羨ましいと思った。
ティーナはもう一度、石の床に描かれた神鳥の姿を見た。魂の欠片は、今どこにあるのだろうか。
その時、ティーナの体がわずかに熱を帯びた。今は隠している、模様がある箇所だ。
(なに……?)
ティーナは自分の腕に触れた。肌の温度より、確かに少し熱くなっている。こんなことは初めてだ。
「ティーナ、どうかしたか?」
キルシェに呼ばれ、ティーナは慌てて彼に向き直った。熱は、あっという間に冷めた。
「何でもない」
模様のことを知られるわけにはいかない。ここでも怪物扱いされてしまったら、本当に行き場がなくなってしまう。
「そろそろ戻らないと。エレアスさん、お話を聞かせてくれてありがとうございました」
「わたしも楽しかったわ。ありがとう」
「よし、じゃあ帰るか」
キルシェが慣れた手つきで、ティーナをまた抱き上げ、翼を広げて宙に浮かんだ。
「気を付けて帰るのよ。キルシェ、滅茶苦茶な飛び方をしないようにね」
「分かってるって。じゃあな! エレアス」
キルシェが飛び立ち、エレアスの姿がどんどん遠ざかっていく。彼女は、ずっと見送ってくれていた。
今度は揺らされることも、高速で飛ばれることもなく、キルシェが城の中庭まで運んでくれた。
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