翼の島の勇者たち

花乃 なたね

文字の大きさ
上 下
6 / 44

5章 島の王

しおりを挟む
 眼下に、輝く海と生い茂る緑が見える。
 地上近くへ下りていくと、たくさんの人がいた。皆、幸せそうに笑っている。
 急に視界が赤く染まった。木々は炎に包まれ、武器を持った人間たちがこちらを睨んでいる。
 憎しみと悲しみとが渦を巻き、その中に飲み込まれ、体が動かなくなっていく。
 あとに残されるのは、真っ暗な闇と、深い絶望――

***

 窓から差し込む朝日を顔に受け、ティーナは目を開けた。
 あまり良いとはいえない夢のせいで、気分は少しもやもやしているが、体はすっかり元気だった。
 夢の中で、ティーナは自分ではない、別の誰かになっていた。しかし、それが何者だったのか分からない。
 単なる夢を気にしても仕方がない。ティーナは寝台から降り、部屋を出た。
 一階へ降りると、カーシャが朝食の準備をしているところだった。

「おはよ。よく眠れた?」
「おはようございます。よく眠れました。ごめんなさい、お手伝いできなくて……」
「いいよ気にしなくて。裏庭に水を汲んであるから、顔を洗っといで」

 裏庭で顔を洗い、髪をく。ティーナは毎日、日が昇る前に起きて仕事をこなさなければいけなかった。
 もちろん、朝食が用意されているわけもない。ティーナにとっては、この状況は今も夢の中にいるようだった。
 居間に戻ってきたが、そこにはカーシャしかいなかった。

「あの、オーデリクさんは?」
「うちの人はいつも早くてね。この時間にはもう出てるの」

 王の護衛というのは、とても大変な仕事のようだ。
 今日、ティーナは王のもとへ連れて行かれることになっている。もしかするとそこで会うかもしれない。

「ラッシュは……」

 ティーナが言いかけた時、玄関の戸が開いて、ラッシュが入ってきた。

「あ、ティーナおはよう!」
「おはようラッシュ……出かけてたの?」
「ああ。朝の特訓にな。母さん、腹減った」
「はいはい。もうできるから待ってて」

 朝食を終え、王の使いが来るまで少しの間、待つことになった。
 ラッシュが自分の部屋から槍を持ってきた。
 日中、活動するときはいつも持ち歩いているらしい。

「ラッシュ、それで戦うの?」
「ああ。まだまだ、父さんやキルシェには敵わないんだけどな。あ、キルシェは俺の友達で……」

 ラッシュが話していると、玄関の呼び鈴が鳴った。

「お、来たかも」

 ラッシュが扉を開けると、そこに立っていたのは黒髪の青年だった。年齢は、ラッシュやティーナとそう変わらないように見える。ラッシュと同じような軽装で、濃い青色の上着を羽織っていた。

「なんだ、使いってアルのことか」

 アルと呼ばれた青年は、黙ってラッシュの肩越しに部屋を見渡し、ティーナに目をとめた。

「そいつか」
「ああ、ティーナ、こっちに来てくれ」

 ティーナはラッシュの隣へ行き、黒髪の青年と目を合わせた。
 青年の灰色の瞳には、ありありと警戒の色がにじんでいる。

「ティーナ、こいつはアルフィオン。俺の……」
「余計な話はいい。王の命でお前を連れて行く」

 ラッシュを遮り、アルフィオンは淡々と言った。先ほどから、表情は険しいままだ。

「はいはい。じゃ、行くか。母さん、行ってきまーす!」

 ラッシュが振り返り、台所で洗い物をしているカーシャに呼び掛ける。
 皿を布で拭きながら、カーシャが台所から出てきた。

「行ってらっしゃい。気を付けて」
「あの、本当にありがとうございました」

 もしかしたら、カーシャに会うのは最後になるかもしれない。ティーナは彼女に向かって、深く頭を下げた。

「もう。お礼なんていいったら。またおいで」

 カーシャに見送られ、アルフィオン、ラッシュ、ティーナは家を後にした。

「アル、たまにはごはん食べに帰っておいでよ!」

 扉を閉める前、カーシャの声がしたが、アルフィオンは何も言わなかった。

***

 ティーナはアルフィオンの後に続き、島の王が住む場所への道を歩いていた。
 昨日、ラッシュの家に行く際に通った、人目につかない道と似たようなところを進んでいる。

「悪いな、アルはいっつもあんな調子だから、気にしなくていいぞ」

 隣を歩くラッシュが、ティーナにささやいた。
 アルフィオンは時おり振り返り、鋭い視線を投げかけてくる。心配しているというより、ティーナが抵抗したり逃げ出したりしないか確認しているようだった。
 もちろん、ティーナにそのつもりはまったくない。アルフィオンの腰に下げられている剣や、ラッシュの槍を目にして、逆らうなんてとても怖くてできない。
 だが本来、ティーナに向けられる態度は、アルフィオンのそれが正しいはずだ。クロモドやラッシュの家族が親切にしてくれたのは特別だったのだと、ティーナは考えを改めた。
 やがて、右手に大きな建物が見えてきた。ティーナが働いていた屋敷より、もっと大きい。石造りで、少しのことではびくともしなさそうだ。小さ目の城といった方が正しいだろう。

「あそこに王様がいるんだ」

 ラッシュが城の方を見て言った。ふと、ティーナが上の方に目をやると、羽ばたきながら宙を舞っている数人の人影が見えた。
 ラッシュ以外の人間が飛んでいるところをちゃんと見るのは初めてだ。

「交代で見張りをしてるんだ。皆、父さんの部下さ」

 ティーナが見ているものに気づいたラッシュが、どこか自慢げに説明してくれた。
 城に沿って歩き、入り口までやって来た。両脇に、腰に剣を下げた男性が一人ずつ立っている。

「カミルさん、ユーリスさん、おはようございまーす!」

 ラッシュが元気よく挨拶すると、二人がああ、と頷いた。

「おはようラッシュ、アルフィオン。……例の件だな。通ってくれ」

 入口の扉をくぐる際、門番の二人が、物珍しそうにティーナを見てきたが、特に話しかけられることはなかった。
 城の中は広く、扉がいくつもあった。アルフィオンの後について、上階へ続く階段をのぼり、扉の奥の廊下を進み、更に階段をあがっていく。
 途中、召使らしき、簡素な服を着た女性や、武器を下げた男性とすれ違った。不思議そうな目がティーナに向けられたが、何かを言われることはなかった。
 そうしてたどり着いた部屋の前で、アルフィオンが扉を二回、拳で叩くと、「どうぞ」と男性と思しき声が返ってきた。

「失礼します」

 アルフィオンに続いて、ティーナとラッシュも部屋の中へ入った。
 壁際には棚がいくつも並んでおり、本や、紙の束のようなもので埋まっている。
 中央に据えられた執務机に向かって、一人の男性が座っていた。紺色の髪を後ろに撫でつけている。多分、オーデリクよりは少し年下だ。
 この人が王様だろうか?

「ああ、二人ともご苦労様です」

 男性が立ち上がり、ティーナたちの方へやってきた。裾が長めの上着を羽織り、前のボタンをきちんとすべて留めている。細身で、王様というよりは、学者や文官のような雰囲気だった。

「ディオネス様、彼女が『外の者』です」

 名乗れ、というかのようにアルフィオンがティーナに目をやった。

「あ、あの、わたしの名前はティーナです」
「わたしはディオネスといいます。王の側近を務めています」

 どうやら、このディオネスという男は王ではないらしい。
 しかし、立派な執務室を与えられているということは、それなりに高い身分なのだろう。

「……確かに、見たところはただの少女のようだ」

 聞こえるか聞こえないかぐらいの大きさの声で、ディオネスが言った。
 ティーナについては、クロモドが王に伝えているはずだ。彼はどのように説明をしたのだろうか。

「変わったことは特になかったのですね?」

 何もありません、とアルフィオンが答えると、ディオネスはよろしい、と頷いた。

「ティーナ、王の元へ案内しましょう。こちらへ」

 ディオネスは無表情で、態度は決して柔らかくはなかったが、少なくとも必要以上の警戒心はないように思えた。
 部屋を出て、今度はディオネスが先頭に立ち、ティーナはラッシュとアルフィオンに挟まれるかたちになった。

「ディオネスさん、何を考えてるか俺もいまいちよく分からないんだよな。でも王様はいい人なんだ」

 ティーナの緊張をほぐそうとしてくれているのか、ラッシュがひそひそと話しかけてくれた。
 アルフィオンはティーナの顔を見ようとはしない。逆らうな、という無言の圧力を放っている。
 廊下を進み、一際大きな扉の前に来た。きっと、この奥に島の王なる人物がいるのだろう。
 扉に、鳥の頭を模した金属製の飾りがついている。鳥の頭は、くちばしに輪をくわえていた。
 ディオネスがその輪を持ち、扉にとめてある金属の板にこつこつと打ち付けた。

「入ってくれ」

 扉の向こうから声が聞こえた。

「失礼致します」

 ディオネスが部屋に入り、一礼した。
 部屋の中へ足を踏み入れたティーナと、執務机にかけている部屋の主の目があった。
 銀色の髪と髭は短く切りそろえられている。瞳は、この島の海の色を思わせる青色だ。
 王というぐらいだから、豪奢な冠や衣服に身を包んでいるのかと思ったが、身に着けている装飾品は、青い宝石が中央に一つはまった、暗い金色の首飾りだけだった。座っているので着ているものはよく見えないが、軽そうな銀色の鎧を身に着けている。
 ラッシュが、背筋をしゃんと伸ばした。いい人だと言ってはいたが、いざ目の前にすると、その威厳にあてられているようだ。それはティーナも同じだった。

「ローク王、件の少女です」

 ディオネスが、片手でティーナを示す。
 紹介されたはいいものの、ティーナは緊張で声を発することができなかった。

「ありがとうディオネス。下がってくれ。何かあれば呼ぶ」

 ローク王が静かに言った。よく通る低い声だった。

「アルフィオン、ラッシュ、ご苦労だった。お前たちも下がりなさい」

 承知しました、とディオネスとアルフィオンが頭を下げ、部屋をあとにする。
 ラッシュだけはすぐに去ろうとしなかった。

「あの、王様、ティーナのことは……」

 遠慮がちに、しかし王から目を放さないまま、ラッシュが口を開いた。
 ローク王は目を細め、頷いた。

「ラッシュ、心配しなくともいい。この娘を悪いようにはしないよ」
「本当ですか?」
「ああ。どうしても気になるなら、外で待っていなさい」

 王は声を荒げることなく、子供に聞かせるように優しく言った。

「はい!」

 ラッシュは元気よく返事をし、ティーナに微笑みかけて軽く肩を叩いて部屋を出た。
 後には、ティーナと王だけが残された。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

処理中です...