上 下
28 / 30

新婚旅行のお話 中編

しおりを挟む
 ヴィオルが目を覚ました時、外はすっかり明るくなっていた。いつもは太陽と共に起きることを考えれば大寝坊だが、この小さな別荘では政務に追われることはない。
 愛しい妻は隣でまだ夢の中だ。あどけない寝顔をさらす彼女が昨夜は寝台をきしませながら、次々と艶姿あですがたを披露してくれたことを思い出すと興奮で肌が粟立つ。エリーズと結婚してもう一年になるというのにこの体たらくでは呆れてしまうが、これも愛ゆえだ。冷めているよりかは熱すぎる方が何倍も良いだろう。
 ヴィオルが静かにエリーズの寝顔を見つめていると、やがて彼女の目蓋がゆっくりと開き、愛らしいすみれ色の瞳が現れた。

「おはよう、エリーズ」
「……おはよぉ」

 寝ぼけ眼と気の抜けた返事に、ヴィオルは笑い声を漏らした。

「はは。寝起きのエリーズ、可愛い」

 頬をちょんちょんと指で突かれてもエリーズは特に嫌がる素振りを見せず、ぼんやりとヴィオルを見つめたままだ。

「まだ眠いなら寝ていてもいいよ? ゆうべたくさん頑張らせてしまったからね」

 エリーズは小さく首を振ると、ヴィオルに身を寄せてきゅっと抱き着いてきた。

「ふふ。ヴィオルがいてくれるの、うれしい」

 毎日ふたりで同じ寝台で休んではいるものの、エリーズが目を覚ます時間にはヴィオルは既に寝室を出ている。起きた時にいつも一人で、本当は寂しい思いをさせているのだろう。
 ヴィオルが抱きしめ返すとエリーズの方から頬にキスをくれた。だが彼女の肌の温もりを味わっていると、一度は冷めた熱が再びぶり返してしまいそうになる。

「そんなに可愛いことされたら、また君を食べてしまいたくなるな」

 呟くように言うと、エリーズはもの言いたげにヴィオルの目をじっと見た。まさか引かれてしまったか、と慌てて弁明する。

「ごめん、冗談だから」
「いいわよ?」
「え」

 都合の良すぎる聞き間違いではないかと、ヴィオルは固まってエリーズの顔を凝視した。彼女はもぞもぞと体を動かし、寝台の上で仰向けになり無防備な姿を晒してみせた。窓から差し込む太陽の光に照らされた肢体は生きる芸術品だ。

「どうぞ食べて?」

 その瞬間ヴィオルは心の中で大地の精霊と、この世に伝えられるありとあらゆる神に心の中で賛美と感謝を叫び――愛する妻に食らいついた。

***

 落ち着いた頃には昼食時となっていた。昨日の夕食とほぼ同じ献立だったが、ヴィオルにとっては舌が蕩けそうなほど美味であることには変わりない。
 食事を終え、ヴィオルとエリーズは洗濯籠を持って外に出た。家の裏手をしばらく行ったところにある川で二人で手分けして衣服やシーツを洗い日向に干す。エリーズとの共同作業はこの上なく楽しいが、同時に使用人の有難さをひしひしと感じた。
 洗濯物が乾くまでは、エリーズと一緒に水遊びをして楽しむことにした。

「川で遊ぶなんていつ以来かしら」
「僕は初めてだよ。どうやって楽しんだらいい?」
「好きに遊べばいいのよ。ほら、こんな風に」

 エリーズが川の水を両手にすくって上空に放り投げる。それは初夏の日差しを受けてきらきらと輝き、水面へと還っていく。妻の無邪気な姿に見惚れていたヴィオルの顔面に飛沫しぶきが飛んできた。くすくすと笑うエリーズの声が聞こえた。

「わ、やったな!」

 妻と共に裸足で川に入り、小さな子供のように水の掛け合いをして遊ぶ国王の姿を見た民や貴族はどんな顔をするだろう。濡れた前髪が額に張り付くのも気に留めず、ヴィオルは屈んで両手を水につけ、エリーズに向けて思いきり水を跳ね上げた。

「ふふ、びしょ濡れだわ」

 楽し気に笑っていたエリーズだったが、自分の体に視線を落とした瞬間、その顔から笑みが消えた。
 水を被り、着ていた白いワンピースドレスが体にぺったりと張り付いている。女性らしい体つきがはっきりと分かった。
 ヴィオルはその様子に釘付けになっていた。白い肌に雫を伝わせる姿は水辺に現れて男を惑わせ、溺れさせて食い殺すという水妖のようだ。

「あ……」

 ヴィオルの熱っぽい視線に気づき、エリーズがまごついて体を腕で隠そうとする。だがヴィオルの方が早かった。彼女を捕まえ、首筋に唇を押し当てる。夫が今からしようとしていることを察したのか、エリーズは懸命に体を捻ってヴィオルから逃れようとした。

「ヴィオル待って、ここ外よ!」
「誰も見ていない」

 一度は唇を奪われたエリーズだったが、すぐに顔を逸らしてヴィオルを押しのけようと踏ん張る。だがそれはヴィオルにとっては興奮を煽るだけだ。
 
「でも、駄目よそんなの。ねえお願い、おうちに戻りましょ? お部屋の中でならどんなことでもしていいから……」

 彼女の言う通り、家に戻って好きなだけ愛し合えばいい。むしろそうしなければならない。エリーズに恋をしてから、ヴィオルは彼女の嫌がることは絶対にしないと心に誓って今日まで来たのだから。
 だが、もう止められなかった。エリーズの後頭部を押さえて唇を吸うと、彼女の体から力が抜けていく。口づけをやめ、ヴィオルはエリーズの目をじっと見た。

「エリーズ……『いい』って言って」

 抵抗をやめたエリーズが小さな吐息を漏らす。薔薇色の唇が震えながら、ヴィオルの望む言葉を紡ぐ。それを確かめたヴィオルは、彼女の体を強く抱きしめた。
 もし彼女が本物の水妖だったなら、生き血やはらわただけでなく、魂すらも差し出してしまうだろう。
 それでもいい。愛しい人に食い殺されるなら本望だ。その一部になれるなら、この上ない幸せだと心から思える。
 
***

 我に返ったヴィオルを襲ったのは強い罪悪感だった。無理やりとった合意など合意とは決して呼べない。エリーズから口を聞いてもらえなくなるか、もう王城に帰ると言い出すのではないかとも思ったが、「もう二度と外では道を踏み外さない」と宣言することを条件にゆるしを得た。
 だが、それではヴィオルの気は収まらなかった。エリーズを川辺に座らせて体を拭いてやり、乾いた服に着替えるのを手伝い、疲れて動けなくなった彼女を背負って家まで運んで休ませ、自分は川に戻って洗濯物を回収した。
 そして帰ってきた夫に対し、エリーズは労いの言葉をかけてくれた。彼女の懐の広さにはおそれ入るばかりだ。
 その後、ヴィオルは昼寝をしたいというエリーズに付き添って彼女の抱き枕となって過ごした。
 夕刻になって、エリーズは昼間のことなどなかったかのように手料理を振舞ってくれた。再び二人一緒に床につくとエリーズはすぐには眠らず、細く可憐な指でヴィオルの体の至る所をなぞってきた。

「……エリーズ、そういうことをされると」
「いや?」
「嫌なわけないよ。ただ……また我慢できなくなりそうで」

 ヴィオルは小さくため息をついた。

「さすがに堪え性がなさすぎる。君の体だけを目当てにしてここへ連れてきたわけではないのに……」
「ふふ、そんなの初めから分かっているわ」

 エリーズが手を伸ばし、ヴィオルの頬を撫でた。

「我慢するの? わたし、おうちの中でなら何でも言うこと聞くのに?」

 妻の普段はあまり見せない挑発するような態度に、またもヴィオルの理性は簡単に砕け散った。寝そべるエリーズに覆いかぶさり、彼女の手を握って寝台に縫い留める。

「誘惑してくるなんて、いけない奥さまだな」
「ヴィオルもいけない旦那さまだと思うわ」
「そうだね、僕たち二人とも悪い子だ……でも、それを叱る人は今は誰もいないよ」

 エリーズのへそから胸にかけてを指ですっとなぞると、彼女は甘い吐息を漏らして身じろぎした。その姿を見ただけでヴィオルの胸は狂おしく震える。初めてエリーズと結ばれた夜から、この熱が冷めたことは一度もない。
 初恋も初めてのキスも、乙女の純潔もヴィオルに捧げた彼女の体で触れていない場所はない。見えるところにはすべて口づけ、彼女自身すら知らない奥の奥まで暴き、体の芯にたっぷり愛の証を刻みつけてきた。
 しかしそれでもまだ足りないと思ってしまう。まだ見たことのない妻の姿があるのならそれも目に焼き付け、食らいつくし飲み干すまで終われない。我ながら見上げた執着心だ、とヴィオルは自嘲した。

「ヴィオル、大好き。たくさん愛してほしいの」
「ああ、エリーズ……君さえいればいい。他にはなにも、いらない……!」

 重なり合った二つの影は、空がうっすら明るくなるまで動きを止めることはなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王様とお妃様は今日も蜜月中~一目惚れから始まる溺愛生活~

花乃 なたね
恋愛
貴族令嬢のエリーズは幼いうちに両親を亡くし、新たな家族からは使用人扱いを受け孤独に過ごしていた。 しかし彼女はとあるきっかけで、優れた政の手腕、更には人間離れした美貌を持つ若き国王ヴィオルの誕生日を祝う夜会に出席することになる。 エリーズは初めて見るヴィオルの姿に魅せられるが、叶わぬ恋として想いを胸に秘めたままにしておこうとした。 …が、エリーズのもとに舞い降りたのはヴィオルからのダンスの誘い、そしてまさかの求婚。なんとヴィオルも彼女に一目惚れをしたのだという。 とんとん拍子に話は進み、ヴィオルの元へ嫁ぎ晴れて王妃となったエリーズ。彼女を待っていたのは砂糖菓子よりも甘い溺愛生活だった。 可愛い妻をとにかくベタベタに可愛がりたい王様と、夫につり合う女性になりたいと頑張る健気な王妃様の、好感度最大から始まる物語。 ※1色々と都合の良いファンタジー世界が舞台です。 ※2直接的な性描写はありませんが、情事を匂わせる表現が多々出てきますためご注意ください。

求職令嬢は恋愛禁止な竜騎士団に、子竜守メイドとして採用されました。

待鳥園子
恋愛
グレンジャー伯爵令嬢ウェンディは父が友人に裏切られ、社交界デビューを目前にして無一文になってしまった。 父は異国へと一人出稼ぎに行ってしまい、行く宛てのない姉を心配する弟を安心させるために、以前邸で働いていた竜騎士を頼ることに。 彼が働くアレイスター竜騎士団は『恋愛禁止』という厳格な規則があり、そのため若い女性は働いていない。しかし、ウェンディは竜力を持つ貴族の血を引く女性にしかなれないという『子竜守』として特別に採用されることになり……。 子竜守として働くことになった没落貴族令嬢が、不器用だけどとても優しい団長と恋愛禁止な竜騎士団で働くために秘密の契約結婚をすることなってしまう、ほのぼの子竜育てありな可愛い恋物語。 ※完結まで毎日更新です。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

好きな人の好きな人

ぽぽ
恋愛
"私には10年以上思い続ける初恋相手がいる。" 初恋相手に対しての執着と愛の重さは日々増していくばかりで、彼の1番近くにいれるの自分が当たり前だった。 恋人関係がなくても、隣にいれるだけで幸せ……。 そう思っていたのに、初恋相手に恋人兼婚約者がいたなんて聞いてません。

義母ですが、若返って15歳から人生やり直したらなぜか溺愛されてます

富士とまと
恋愛
25歳で行き遅れとして実家の伯爵家を追い出されるように、父親より3つ年上の辺境伯に後妻として嫁がされました。 5歳の義息子と3歳の義娘の面倒を見て12年が過ぎ、二人の子供も成人して義母としての役割も終わったときに、亡き夫の形見として「若返りの薬」を渡されました。 15歳からの人生やり直し?義娘と同級生として王立学園へ通うことに。 初めての学校、はじめての社交界、はじめての……。 よし、学園で義娘と義息子のよきパートナー探しのお手伝いをしますよ!お義母様に任せてください!

処理中です...