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十七話 目覚め
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「セシーリャ!」
呼びかけられ、わたしは目を開いた。白い天井が目に飛びこんで来る。寝かされているようだが、わたしの家ではない。
右手に強い力を感じて、その方に顔を向けた。椅子に腰かけたディオンが、両手でわたしの手を包み込んでいた。信じられない、という表情でわたしを見つめている。
彼の名前を呼びたかったが、喉がかさかさになっていて声が出ない。それに気づいたディオンが、傍らに備え付けてある小さなテーブルの上の水差しを取って、コップに水を注いだ。
「起き上がれるか?」
わたしは頷き、彼の手を借りて上半身を起こした。自分の手でコップを持ち、水を喉に流し込む。体が潤うのを感じた。
「……ありがとう、ディオン」
彼に向かって微笑んでみせると、ディオンが手を伸ばし、わたしの頭を撫でた。その手が頬まで滑っていく。
「……夢では、ないんだな」
噛み締めるように言った。声が少し震えていた。
わたしがいるのは、ベッドと小さな窓、テーブルと椅子が一組あるだけの小さな部屋だった。多分、病院だ。窓から日の光が差し込んでいる。着せられているのはゆったりしたガウンだ。
自分の身に起きたことはちゃんと覚えている。一人で魔物と戦って、その魔法を受けて動けなくなって、ディオンが助けに来てくれて――ひょっとして、わたしはかなり長い間眠っていたのだろうか。
「わたし、どのくらい寝ていたの?」
「大丈夫だ、そんなに長くではない」
わたしからコップを受け取りながらディオンは答えた。
「すぐに医者を呼んでくる。すまないが少し待っていてくれ」
そう言って立ち上がったところで部屋の扉が軽くノックされ、誰かが入ってきた。
「おいディオン……」
ランドルフだ。体を起こしたわたしの姿を見て言葉を切り、口をあんぐりと開けた。
「お前、何をしれっと起きてんだよ」
「たった今目を覚ましたところだ。医者を呼ぶ」
部屋を出て行こうとしたディオンの前にランドルフが立ちふさがり、待て待て、と制した。
「ランドルフ、何を」
「おいエラルド、入ってこい」
ランドルフが部屋の外に呼びかけると、エラルドが小声で失礼します、と言って入ってきた。わたしに向かい、ぺこりと頭を下げる。
「お前、今すぐこいつを家まで送って、ベッドに叩き込んでこい。抵抗するなら殴れ。ベッドに縛っても構わねえ」
「殴……縛る……?」
エラルドが目を白黒させる。その必要はない、とディオンが遮った。
「俺にはすることが山ほどある。休んでいる場合では」
「七日も碌に寝てねえ奴が馬鹿言うな」
「七日!?」
わたしは思わず声をあげた。わたし、その間ずっと意識がなかったということ?
「おい女神サマ、こいつはお前の言うことしか聞かねえ。言ってやってくれ、つべこべ言わないでさっさと寝ろってよ」
よく見ると、ディオンの顔は心なしかやつれている。髪からは輝きが失せているし、目の下には薄く隈がある。体力のみならず、精神的にもかなり消耗しているのが明らかだった。七日もまともに寝ていないのであればそうなって当然だ。わたしの意識がない間に彼が何をしていたか想像するに難くない。
「ディオン、わたしは大丈夫だからゆっくり休んで。お願いよ」
わたしには痛みも不快感もない。今度はディオンが頑張りすぎて倒れる、なんてことになったらと思うとその方が気が気でない。
わたしがお願いしたことでディオンも観念したらしく、小さく息をついて頷いた。
「……分かった。明日の朝一番でまた来よう。ランドルフ、すまないが後は頼む」
「おーおー。とっとと帰んな」
ランドルフが少し横にずれ、ディオンに道を譲った。エラルドに連れられて出て行く前に、ディオンはもう一度だけわたしと目を合わせてくれた。
二つの足音が遠くなっていく頃、ランドルフが大きくため息をつき後頭部をかいた。
「……やれやれ、これでようやく俺様もひと息つけるぜ」
「わたし、七日も眠っていたのね」
魔力を使い果たし疲労が限界だった上に、体を蝕む魔物の魔力と、摂取した魔法薬とがぶつかり合った反動だろう。
「さすが女神サマはしぶといぜ」
「ロレーヤの町は? どうなったの?」
「安心しな。俺様がちゃんと後片付けしたからよ。こっからは貴族共の仕事だ。お前はお呼びじゃねえ」
どうやら、町は復興に向けて進んでいるようだ。良かった。
「さてと、医者を呼んでこねえとな。変な気起こさないで大人しく待っとけよ」
「……ランドルフ」
部屋を出て行こうとする彼を、わたしは呼び止めた。
「色々、ありがとう。わたしのことも、ディオンのことも」
「まったくだぜ。その内長い休みを取るから、その間は俺の分までせっせと働けよな」
いつもの調子でランドルフはひらひらと手を振って、部屋を出て行った。
***
医師の診断を受け、問題はなさそうだけれどもう一日だけ病院で様子を見ることになった。
魔物から受けた肩の傷はすっかり消えていた。優秀な魔術師が魔法で治してくれたのだろう。
翌朝、出された朝食を食べ終えた頃に、鞄を持ったディオンが来てくれた。
「おはよう、セシーリャ」
顔色が良くなって、すっかりいつもの彼に戻っている。ゆっくり休めたみたいだ。
「ディオン、おはよう。体は大丈夫?」
「すっかり元通りになった。あなたの具合はどうだ?」
小さな椅子に腰を下ろし問うてくる。わたしは頷いてみせた。
「今日一日なんともなければ、明日には退院だそうよ」
「そうか……本当に良かった」
「まあ、この一日が辛いのだけど……。暇で」
「すまない、ずっと傍にいたいが、魔術師協会に行く用がある。代わりといっては何だが」
ディオンが鞄を開け、何かの書類の束を取り出した。
「目覚めたばかりでこれを読ませるのも酷だとは思うが……目を通す程度なら退屈しのぎになるだろう」
「これは……」
議事録のようだ。誰が何を話したのかが、何枚もの紙にわたって事細かにびっしりと書いてある。
「セシーリャが眠っている間は、俺が大魔術師たちの会議に代理で出席した。漏れがないことも、あなたが読んで分かる内容であることも他の大魔術師に確認をとってある」
「こんなこと……大変だったでしょう」
寝不足にもなるわけだ。
「もし飽きたら、こちらも読んでくれ」
ディオンはそう言って、小さな袋をわたしに手渡した。中を覗くと、折りたたまれた小さな紙が何枚も入っているのが見えた。一枚を取り出し広げる。そこには拙い字が書かれてあった。
『まじゅつしのおねえさん、たすけてくれてありがとう』
「あなたが救った人々から、感謝の手紙だ。他にも多く届いていて、ここにある分の他はすべて家に保管してある」
ディオンが微笑んだ。
「本当にありがとう、わたしの代わりに色々してくれて」
「礼には及ばない……あなたは必ず目を覚ましてくれるともちろん信じていた。だが、どうしても悪い考えが頭をよぎってしまうことがあって……何かをしていないと気が狂いそうだった。それだけのことだ」
今朝、食事を届けてくれた病院の方が、ディオンは毎日時間の許す限り、眠ったままのわたしの手を握り話しかけ続けていたと教えてくれた。いくら感謝してもし切れない。わたしにとって彼はもう、神様も同然だ。
ディオンがわたしの目をじっと見た。
「食欲はあるか?」
「ええ。さっきしっかり頂いたわ。でも……仕方がないんだけれど、味が薄くて」
急に固形のものを食べると体に障るのでスープのような食事から始めなければいけないのは分かっているけれど、どうにも食べた気がしない。ディオンによって、すっかり舌を肥えさせられたのも原因の気がする。
「家に帰ったら何でも好きなものを……と言いたいところだが、しばらくは消化のいいものでないとな」
「ディオンが作ったのなら何でも美味しく食べられるわ。……でも、あなたをこれ以上疲れさせるのは……」
「とんでもない。あなたが元気になってくれるなら俺は何だってする」
ディオンの手がわたしの頬に触れた。温かい。
「セシーリャ、俺のもとに戻ってきてくれて本当にありがとう」
彼の顔が近づいてくる。泣きたくなるような優しいキスだった。
「早く元気になって、この続きをたっぷりさせてくれ」
唇を離し、ディオンが言う。わたしは彼の手をぎゅっと握った。
「ええ、勿論よ」
呼びかけられ、わたしは目を開いた。白い天井が目に飛びこんで来る。寝かされているようだが、わたしの家ではない。
右手に強い力を感じて、その方に顔を向けた。椅子に腰かけたディオンが、両手でわたしの手を包み込んでいた。信じられない、という表情でわたしを見つめている。
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「起き上がれるか?」
わたしは頷き、彼の手を借りて上半身を起こした。自分の手でコップを持ち、水を喉に流し込む。体が潤うのを感じた。
「……ありがとう、ディオン」
彼に向かって微笑んでみせると、ディオンが手を伸ばし、わたしの頭を撫でた。その手が頬まで滑っていく。
「……夢では、ないんだな」
噛み締めるように言った。声が少し震えていた。
わたしがいるのは、ベッドと小さな窓、テーブルと椅子が一組あるだけの小さな部屋だった。多分、病院だ。窓から日の光が差し込んでいる。着せられているのはゆったりしたガウンだ。
自分の身に起きたことはちゃんと覚えている。一人で魔物と戦って、その魔法を受けて動けなくなって、ディオンが助けに来てくれて――ひょっとして、わたしはかなり長い間眠っていたのだろうか。
「わたし、どのくらい寝ていたの?」
「大丈夫だ、そんなに長くではない」
わたしからコップを受け取りながらディオンは答えた。
「すぐに医者を呼んでくる。すまないが少し待っていてくれ」
そう言って立ち上がったところで部屋の扉が軽くノックされ、誰かが入ってきた。
「おいディオン……」
ランドルフだ。体を起こしたわたしの姿を見て言葉を切り、口をあんぐりと開けた。
「お前、何をしれっと起きてんだよ」
「たった今目を覚ましたところだ。医者を呼ぶ」
部屋を出て行こうとしたディオンの前にランドルフが立ちふさがり、待て待て、と制した。
「ランドルフ、何を」
「おいエラルド、入ってこい」
ランドルフが部屋の外に呼びかけると、エラルドが小声で失礼します、と言って入ってきた。わたしに向かい、ぺこりと頭を下げる。
「お前、今すぐこいつを家まで送って、ベッドに叩き込んでこい。抵抗するなら殴れ。ベッドに縛っても構わねえ」
「殴……縛る……?」
エラルドが目を白黒させる。その必要はない、とディオンが遮った。
「俺にはすることが山ほどある。休んでいる場合では」
「七日も碌に寝てねえ奴が馬鹿言うな」
「七日!?」
わたしは思わず声をあげた。わたし、その間ずっと意識がなかったということ?
「おい女神サマ、こいつはお前の言うことしか聞かねえ。言ってやってくれ、つべこべ言わないでさっさと寝ろってよ」
よく見ると、ディオンの顔は心なしかやつれている。髪からは輝きが失せているし、目の下には薄く隈がある。体力のみならず、精神的にもかなり消耗しているのが明らかだった。七日もまともに寝ていないのであればそうなって当然だ。わたしの意識がない間に彼が何をしていたか想像するに難くない。
「ディオン、わたしは大丈夫だからゆっくり休んで。お願いよ」
わたしには痛みも不快感もない。今度はディオンが頑張りすぎて倒れる、なんてことになったらと思うとその方が気が気でない。
わたしがお願いしたことでディオンも観念したらしく、小さく息をついて頷いた。
「……分かった。明日の朝一番でまた来よう。ランドルフ、すまないが後は頼む」
「おーおー。とっとと帰んな」
ランドルフが少し横にずれ、ディオンに道を譲った。エラルドに連れられて出て行く前に、ディオンはもう一度だけわたしと目を合わせてくれた。
二つの足音が遠くなっていく頃、ランドルフが大きくため息をつき後頭部をかいた。
「……やれやれ、これでようやく俺様もひと息つけるぜ」
「わたし、七日も眠っていたのね」
魔力を使い果たし疲労が限界だった上に、体を蝕む魔物の魔力と、摂取した魔法薬とがぶつかり合った反動だろう。
「さすが女神サマはしぶといぜ」
「ロレーヤの町は? どうなったの?」
「安心しな。俺様がちゃんと後片付けしたからよ。こっからは貴族共の仕事だ。お前はお呼びじゃねえ」
どうやら、町は復興に向けて進んでいるようだ。良かった。
「さてと、医者を呼んでこねえとな。変な気起こさないで大人しく待っとけよ」
「……ランドルフ」
部屋を出て行こうとする彼を、わたしは呼び止めた。
「色々、ありがとう。わたしのことも、ディオンのことも」
「まったくだぜ。その内長い休みを取るから、その間は俺の分までせっせと働けよな」
いつもの調子でランドルフはひらひらと手を振って、部屋を出て行った。
***
医師の診断を受け、問題はなさそうだけれどもう一日だけ病院で様子を見ることになった。
魔物から受けた肩の傷はすっかり消えていた。優秀な魔術師が魔法で治してくれたのだろう。
翌朝、出された朝食を食べ終えた頃に、鞄を持ったディオンが来てくれた。
「おはよう、セシーリャ」
顔色が良くなって、すっかりいつもの彼に戻っている。ゆっくり休めたみたいだ。
「ディオン、おはよう。体は大丈夫?」
「すっかり元通りになった。あなたの具合はどうだ?」
小さな椅子に腰を下ろし問うてくる。わたしは頷いてみせた。
「今日一日なんともなければ、明日には退院だそうよ」
「そうか……本当に良かった」
「まあ、この一日が辛いのだけど……。暇で」
「すまない、ずっと傍にいたいが、魔術師協会に行く用がある。代わりといっては何だが」
ディオンが鞄を開け、何かの書類の束を取り出した。
「目覚めたばかりでこれを読ませるのも酷だとは思うが……目を通す程度なら退屈しのぎになるだろう」
「これは……」
議事録のようだ。誰が何を話したのかが、何枚もの紙にわたって事細かにびっしりと書いてある。
「セシーリャが眠っている間は、俺が大魔術師たちの会議に代理で出席した。漏れがないことも、あなたが読んで分かる内容であることも他の大魔術師に確認をとってある」
「こんなこと……大変だったでしょう」
寝不足にもなるわけだ。
「もし飽きたら、こちらも読んでくれ」
ディオンはそう言って、小さな袋をわたしに手渡した。中を覗くと、折りたたまれた小さな紙が何枚も入っているのが見えた。一枚を取り出し広げる。そこには拙い字が書かれてあった。
『まじゅつしのおねえさん、たすけてくれてありがとう』
「あなたが救った人々から、感謝の手紙だ。他にも多く届いていて、ここにある分の他はすべて家に保管してある」
ディオンが微笑んだ。
「本当にありがとう、わたしの代わりに色々してくれて」
「礼には及ばない……あなたは必ず目を覚ましてくれるともちろん信じていた。だが、どうしても悪い考えが頭をよぎってしまうことがあって……何かをしていないと気が狂いそうだった。それだけのことだ」
今朝、食事を届けてくれた病院の方が、ディオンは毎日時間の許す限り、眠ったままのわたしの手を握り話しかけ続けていたと教えてくれた。いくら感謝してもし切れない。わたしにとって彼はもう、神様も同然だ。
ディオンがわたしの目をじっと見た。
「食欲はあるか?」
「ええ。さっきしっかり頂いたわ。でも……仕方がないんだけれど、味が薄くて」
急に固形のものを食べると体に障るのでスープのような食事から始めなければいけないのは分かっているけれど、どうにも食べた気がしない。ディオンによって、すっかり舌を肥えさせられたのも原因の気がする。
「家に帰ったら何でも好きなものを……と言いたいところだが、しばらくは消化のいいものでないとな」
「ディオンが作ったのなら何でも美味しく食べられるわ。……でも、あなたをこれ以上疲れさせるのは……」
「とんでもない。あなたが元気になってくれるなら俺は何だってする」
ディオンの手がわたしの頬に触れた。温かい。
「セシーリャ、俺のもとに戻ってきてくれて本当にありがとう」
彼の顔が近づいてくる。泣きたくなるような優しいキスだった。
「早く元気になって、この続きをたっぷりさせてくれ」
唇を離し、ディオンが言う。わたしは彼の手をぎゅっと握った。
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