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八話 初めての恋の始まり
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家に戻ったわたしは、ゆっくりと扉に手をかけて中に入った。
目に入ったのは、誰もいないがらんとした居間だった。
「ディオン?」
呼びかけてみたが返事がない。二階にあがり部屋をひとつずつ、彼が使っていた部屋も見たが、どこにも姿がない。
「ディオン、どこにいるの?」
わたしは早足で一階に降り、居間のテーブルに駆け寄った。ディオンはわたしが執務室にこもっている時に出かける際はいつも、必ず同じ場所に書置きを残していってくれていた。
テーブルの上に、紙が一枚置いてある。少し震える手でわたしはそれを取った。
「セシーリャ
何も告げずに出ていくことになって申し訳ない。
ここには二度と戻らない。これ以上あなたのそばにいると、あなたを苦しめてしまうだろう。
短い間だったが、楽しい日々をありがとう。あなたの行く道が幸せで溢れることを祈っている」
背筋がすっと寒くなった。確かにディオンの字だ。
――わたしが傷つけてしまったから?
どうしよう、謝りたかったのに。それすらもできないなんて。
帰りの馬車の中、なんとか落ち着けた心が再びざわめき出す。追いかける? でもどこに? 彼がもといたはずの伯爵家? 追いかけて行って、彼は会ってくれるの?
立ち尽くすわたしの耳に、呼び鈴が鳴らされる音が響いた。
「ディオン!」
帰ってきてくれたのかもしれない。わたしは飛ぶように玄関へ向かい、勢いよく扉を開けた。
「あ……」
そこにいたのはディオンではなかった。大魔術師ランドルフの従士の青年、エラルドが居心地悪そうに立っている。
「エインゼール様」
「ごめんなさい、今は少し、大変なときで」
何かがあるのだとしても、対処できるだけの余裕が今はない。
「また今度に……」
「お待ちください、あなた様の従士のことで、ランドルフ様の遣いで参りました」
わたしは扉を閉めようとした手をぴたりと止め、エラルドの顔をまじまじと見た。ディオンのことで、どうしてランドルフが出てくるのだろう? どんどんわけが分からなくなっていく。
エラルドが懐から封筒を出し、わたしへ差し出した。
「こちらです」
バルザード侯爵家の紋章が描かれた封筒を開け、中を取り出す。
「女神サマ
お前の従士は預かった。
返して欲しくば俺様の屋敷まで来い。
ランドルフ・バルザード様より」
「どういうこと?」
ディオンがランドルフと一緒にいるの? どうして?
わたしがエラルドに詰め寄る前に、彼が口を開いた。
「馬車をご用意しております」
「案内して!」
ディオンにもう一度会えるならもう何でもいい。わたしはエラルドと共に、バルザード侯爵邸に急いだ。
***
侯爵邸に着き、はやる気持ちを押さえてエラルドの後に続いて、通されたのは客間だった。
そこにディオンがいた。紺色のベルベットが張られた上等なソファに座っている。わたしの姿を見て、驚いた表情を浮かべた。
彼の向かいに座っていたランドルフが、ぐるりと首を回してわたしの方を見た。
「おーおー、来やがったな」
ランドルフが立ち上がり、わたしの方へずかずかと寄って来た。彼がわたしの手首をつかみ、部屋の中央まで進む。そしてとん、とわたしの体を軽く押して、ディオンの隣に座らせた。
「きゃっ!」
「茶はそこにあるから適当に飲め。ここまでしてやるなんて俺様ってほんと親切だよな」
「ランドルフ、どういうこと……」
「この部屋貸してやっから、腹割って話し合え。かたがつくまで出てくんなよ」
わたしがそれ以上なにか言う前に、ランドルフはエラルドを連れて部屋を出て行ってしまった。静かな場所にディオンと二人、残される。
どうしてここにディオンがいるのか、ランドルフが何を考えているのかさっぱりだ。ディオンもこの状況が飲み込めていないようで、顔に戸惑いの色が浮かんでいる。とりあえず彼にまた会えたのだから喜ぶべき……だろう。
「ディオン……」
「……セシーリャ、すまなかった」
肩を落とし、ディオンが言った。
「え?」
「母のようにはなるまいと、俺はずっと心に決めていた。相手のことを顧みず、自分の気持ちを押し通すようなことは絶対にしてはいけないと。あなたへの想いも、秘めておくべきだった。そうすればあなたを苦しめることも……」
「違う、違うの!」
わたしは本当に馬鹿だ。今だってこうしてディオンに先に謝らせてしまう。
「ディオンは何も悪くない、全部わたしが悪いの、わたしのせいなの!」
半泣きで言うわたしに、ディオンはたじろいだ様子を見せた。わたしがこんなに感情を表すさまは、彼には見せたことがない。
「ごめんなさい、許してもらえるとは思ってないわ。わたし、ずっとあなたに嘘ついてたの」
「嘘?」
「わたし、何でも余裕でできるふりをしてたけど、本当は部屋だってすぐ散らかすし、大勢の人の前で話す時はがちがちに緊張するし、泣くとなかなか止まらないし……女神なんてものとはほど遠いの」
多分、今のわたしの目は真っ赤になっているだろう。
「あなたにも、皆にも失望されたくなくて……情けないけれど、これが本当のわたしなの」
手の甲で目元をぬぐい、恐る恐るディオンを見た。彼は黙りこくっている。真実を知って、面食らっているのだろうか。
間もなく、彼が口を開いた。
「あなたが……とても素直で感情豊かな人だというのは分かっていた」
「……え?」
――わたしが感情豊か? あれ、聞き間違い?
「初めて会ったときには、確かにあなたの言うように常に余裕のある人に見えたが、接していくうちにそうではないと気づいた。驚くと眉の辺りが動くし、木苺のタルトを目の前にすると嬉しさが顔ににじみ出ていて……とても愛らしかった」
木苺のタルトはディオンが作ってくれるおやつの中でわたしが特にお気に入りの一品だ。頻繁に出してくれるなと思ってはいたけれど……。
「まだ若いのに大魔術師という立場にあって、どうしても無理をしてしまうのだろうと思った。だから何とか俺には甘えてもらいたくて、あの手この手を尽くさせてもらった」
「え、ええ……?」
涙は引っ込んでいた。すべてディオンにはお見通しだったのだ。
――もしかしてわたし、意外と本性隠せてない!?
「もしかして周りの人にもばれてる? わたしの今までの苦労は一体……」
本性がだだ漏れで「女神」なんて呼ばれていたのだとしたら恥ずかしすぎる……!
「いや、周りは気づいていないのではと思う。余程あなたに興味があって、じっくり観察しない限りは分からないだろう」
「そ、そうなの……」
それは良かった……と思ったのもつかの間、ディオンが言ったことを反芻して、今度はかっと顔が熱くなった。
わたしのことを愛らしいって? わたしに興味があってずっと見ていたって?
固まるわたしをよそに、ディオンはすっきりしたような表情を浮かべている。
「『わたしはあなたが思うような人ではない』という意味がどうしても分からなかったが、そういうことか」
彼が手を伸ばし、わたしのそれに重ねた。
「セシーリャ、俺はあなたを初めて見た時、美しい人だと思った。でもあなたの魅力はそれだけではない。純粋で無邪気で努力家で、尊敬されるべき人だ。俺はあなたに、どうしようもなく惹かれている。あなたの心が手に入るなら、俺は代わりに何だって差し出せる」
ディオンがじっとわたしを見つめる。
「俺はあなたの気持ちが知りたい。迷惑ならそう言ってくれて構わない。本当の思いを聞かせてくれないか」
そうだ。わたしはまだ、ディオンへの本当の気持ちを伝えていない。
きちんと言わなければいけない。どこまでも真っすぐな彼に向き合わないと――。
「……あの、ね、ディオンがわたしのことを好きでいてくれたなんて思ってもみなくて……すごくびっくりしたんだけど、でも嬉しかったの。ディオン、すごく優しい目でわたしのこと見てくれて、わたしの話を丁寧に聞いてくれて、今まで辛いことがたくさんあったはずなのに、それでも他の人に優しくできる素敵な人だから」
春の木漏れ日のような彼の眼差しを、独り占めしたいだなんて思ってしまった。
「あなたのことが好き。これからもっと好きになれると思うの。だから……こんなわたしで良ければ」
次の瞬間、わたしはディオンの腕の中にいた。温もりがわたしの体を包む。淹れたての紅茶みたいな、収穫したばかりの果物みたいな、日向に一日干したシーツのような匂いがした。
誰かに抱きしめられるのなんていつ以来だろう。こんなに幸せな気分になれるなんて。
「夢のようだ。ずっと……あなたとこうしたかった」
「……ディオン、戻ってきてくれる? 従士が嫌ならそれはやめてもいい。ただわたしと一緒にいてくれるだけでいいの」
「従士もやめないし、何があってもあなたの傍を離れない。約束する」
ディオンがわたしと目を合わせて笑い、指先でわたしの頬に触れた。
「……セシーリャ、キスをしてもいいか」
「えっ!?」
――も、もうそこまでいっちゃうの!?
もっとちゃんと段階を踏まなくてもいいものなのかしら……? こういう時はどう答えるのが正解なの?
「嫌か?」
「い、嫌とかじゃなくて、あの……」
心臓が今までにないほど、彼に告白された時よりも早く波打っている。今日だけでこの先の十年分くらい動いたかもしれない。
「その、い、今までしたことないから、うまくできないかも……」
ディオンが息をつく音が一瞬聞こえたかと思うと、その次には彼の指がわたしの顎をとらえて――
わたしの人生で初めてのキスは、少しだけいきなりで、でも優しくて、溶けてしまいそうなくらい熱かった。
「あなたの初めてのキスを貰えたからには、今までの千倍は働かないといけないな」
ディオンがわたしの髪を指で梳く。わたしは今いる場所が他人の家であることも忘れて、しばらく恋の始まりに溺れていた。
目に入ったのは、誰もいないがらんとした居間だった。
「ディオン?」
呼びかけてみたが返事がない。二階にあがり部屋をひとつずつ、彼が使っていた部屋も見たが、どこにも姿がない。
「ディオン、どこにいるの?」
わたしは早足で一階に降り、居間のテーブルに駆け寄った。ディオンはわたしが執務室にこもっている時に出かける際はいつも、必ず同じ場所に書置きを残していってくれていた。
テーブルの上に、紙が一枚置いてある。少し震える手でわたしはそれを取った。
「セシーリャ
何も告げずに出ていくことになって申し訳ない。
ここには二度と戻らない。これ以上あなたのそばにいると、あなたを苦しめてしまうだろう。
短い間だったが、楽しい日々をありがとう。あなたの行く道が幸せで溢れることを祈っている」
背筋がすっと寒くなった。確かにディオンの字だ。
――わたしが傷つけてしまったから?
どうしよう、謝りたかったのに。それすらもできないなんて。
帰りの馬車の中、なんとか落ち着けた心が再びざわめき出す。追いかける? でもどこに? 彼がもといたはずの伯爵家? 追いかけて行って、彼は会ってくれるの?
立ち尽くすわたしの耳に、呼び鈴が鳴らされる音が響いた。
「ディオン!」
帰ってきてくれたのかもしれない。わたしは飛ぶように玄関へ向かい、勢いよく扉を開けた。
「あ……」
そこにいたのはディオンではなかった。大魔術師ランドルフの従士の青年、エラルドが居心地悪そうに立っている。
「エインゼール様」
「ごめんなさい、今は少し、大変なときで」
何かがあるのだとしても、対処できるだけの余裕が今はない。
「また今度に……」
「お待ちください、あなた様の従士のことで、ランドルフ様の遣いで参りました」
わたしは扉を閉めようとした手をぴたりと止め、エラルドの顔をまじまじと見た。ディオンのことで、どうしてランドルフが出てくるのだろう? どんどんわけが分からなくなっていく。
エラルドが懐から封筒を出し、わたしへ差し出した。
「こちらです」
バルザード侯爵家の紋章が描かれた封筒を開け、中を取り出す。
「女神サマ
お前の従士は預かった。
返して欲しくば俺様の屋敷まで来い。
ランドルフ・バルザード様より」
「どういうこと?」
ディオンがランドルフと一緒にいるの? どうして?
わたしがエラルドに詰め寄る前に、彼が口を開いた。
「馬車をご用意しております」
「案内して!」
ディオンにもう一度会えるならもう何でもいい。わたしはエラルドと共に、バルザード侯爵邸に急いだ。
***
侯爵邸に着き、はやる気持ちを押さえてエラルドの後に続いて、通されたのは客間だった。
そこにディオンがいた。紺色のベルベットが張られた上等なソファに座っている。わたしの姿を見て、驚いた表情を浮かべた。
彼の向かいに座っていたランドルフが、ぐるりと首を回してわたしの方を見た。
「おーおー、来やがったな」
ランドルフが立ち上がり、わたしの方へずかずかと寄って来た。彼がわたしの手首をつかみ、部屋の中央まで進む。そしてとん、とわたしの体を軽く押して、ディオンの隣に座らせた。
「きゃっ!」
「茶はそこにあるから適当に飲め。ここまでしてやるなんて俺様ってほんと親切だよな」
「ランドルフ、どういうこと……」
「この部屋貸してやっから、腹割って話し合え。かたがつくまで出てくんなよ」
わたしがそれ以上なにか言う前に、ランドルフはエラルドを連れて部屋を出て行ってしまった。静かな場所にディオンと二人、残される。
どうしてここにディオンがいるのか、ランドルフが何を考えているのかさっぱりだ。ディオンもこの状況が飲み込めていないようで、顔に戸惑いの色が浮かんでいる。とりあえず彼にまた会えたのだから喜ぶべき……だろう。
「ディオン……」
「……セシーリャ、すまなかった」
肩を落とし、ディオンが言った。
「え?」
「母のようにはなるまいと、俺はずっと心に決めていた。相手のことを顧みず、自分の気持ちを押し通すようなことは絶対にしてはいけないと。あなたへの想いも、秘めておくべきだった。そうすればあなたを苦しめることも……」
「違う、違うの!」
わたしは本当に馬鹿だ。今だってこうしてディオンに先に謝らせてしまう。
「ディオンは何も悪くない、全部わたしが悪いの、わたしのせいなの!」
半泣きで言うわたしに、ディオンはたじろいだ様子を見せた。わたしがこんなに感情を表すさまは、彼には見せたことがない。
「ごめんなさい、許してもらえるとは思ってないわ。わたし、ずっとあなたに嘘ついてたの」
「嘘?」
「わたし、何でも余裕でできるふりをしてたけど、本当は部屋だってすぐ散らかすし、大勢の人の前で話す時はがちがちに緊張するし、泣くとなかなか止まらないし……女神なんてものとはほど遠いの」
多分、今のわたしの目は真っ赤になっているだろう。
「あなたにも、皆にも失望されたくなくて……情けないけれど、これが本当のわたしなの」
手の甲で目元をぬぐい、恐る恐るディオンを見た。彼は黙りこくっている。真実を知って、面食らっているのだろうか。
間もなく、彼が口を開いた。
「あなたが……とても素直で感情豊かな人だというのは分かっていた」
「……え?」
――わたしが感情豊か? あれ、聞き間違い?
「初めて会ったときには、確かにあなたの言うように常に余裕のある人に見えたが、接していくうちにそうではないと気づいた。驚くと眉の辺りが動くし、木苺のタルトを目の前にすると嬉しさが顔ににじみ出ていて……とても愛らしかった」
木苺のタルトはディオンが作ってくれるおやつの中でわたしが特にお気に入りの一品だ。頻繁に出してくれるなと思ってはいたけれど……。
「まだ若いのに大魔術師という立場にあって、どうしても無理をしてしまうのだろうと思った。だから何とか俺には甘えてもらいたくて、あの手この手を尽くさせてもらった」
「え、ええ……?」
涙は引っ込んでいた。すべてディオンにはお見通しだったのだ。
――もしかしてわたし、意外と本性隠せてない!?
「もしかして周りの人にもばれてる? わたしの今までの苦労は一体……」
本性がだだ漏れで「女神」なんて呼ばれていたのだとしたら恥ずかしすぎる……!
「いや、周りは気づいていないのではと思う。余程あなたに興味があって、じっくり観察しない限りは分からないだろう」
「そ、そうなの……」
それは良かった……と思ったのもつかの間、ディオンが言ったことを反芻して、今度はかっと顔が熱くなった。
わたしのことを愛らしいって? わたしに興味があってずっと見ていたって?
固まるわたしをよそに、ディオンはすっきりしたような表情を浮かべている。
「『わたしはあなたが思うような人ではない』という意味がどうしても分からなかったが、そういうことか」
彼が手を伸ばし、わたしのそれに重ねた。
「セシーリャ、俺はあなたを初めて見た時、美しい人だと思った。でもあなたの魅力はそれだけではない。純粋で無邪気で努力家で、尊敬されるべき人だ。俺はあなたに、どうしようもなく惹かれている。あなたの心が手に入るなら、俺は代わりに何だって差し出せる」
ディオンがじっとわたしを見つめる。
「俺はあなたの気持ちが知りたい。迷惑ならそう言ってくれて構わない。本当の思いを聞かせてくれないか」
そうだ。わたしはまだ、ディオンへの本当の気持ちを伝えていない。
きちんと言わなければいけない。どこまでも真っすぐな彼に向き合わないと――。
「……あの、ね、ディオンがわたしのことを好きでいてくれたなんて思ってもみなくて……すごくびっくりしたんだけど、でも嬉しかったの。ディオン、すごく優しい目でわたしのこと見てくれて、わたしの話を丁寧に聞いてくれて、今まで辛いことがたくさんあったはずなのに、それでも他の人に優しくできる素敵な人だから」
春の木漏れ日のような彼の眼差しを、独り占めしたいだなんて思ってしまった。
「あなたのことが好き。これからもっと好きになれると思うの。だから……こんなわたしで良ければ」
次の瞬間、わたしはディオンの腕の中にいた。温もりがわたしの体を包む。淹れたての紅茶みたいな、収穫したばかりの果物みたいな、日向に一日干したシーツのような匂いがした。
誰かに抱きしめられるのなんていつ以来だろう。こんなに幸せな気分になれるなんて。
「夢のようだ。ずっと……あなたとこうしたかった」
「……ディオン、戻ってきてくれる? 従士が嫌ならそれはやめてもいい。ただわたしと一緒にいてくれるだけでいいの」
「従士もやめないし、何があってもあなたの傍を離れない。約束する」
ディオンがわたしと目を合わせて笑い、指先でわたしの頬に触れた。
「……セシーリャ、キスをしてもいいか」
「えっ!?」
――も、もうそこまでいっちゃうの!?
もっとちゃんと段階を踏まなくてもいいものなのかしら……? こういう時はどう答えるのが正解なの?
「嫌か?」
「い、嫌とかじゃなくて、あの……」
心臓が今までにないほど、彼に告白された時よりも早く波打っている。今日だけでこの先の十年分くらい動いたかもしれない。
「その、い、今までしたことないから、うまくできないかも……」
ディオンが息をつく音が一瞬聞こえたかと思うと、その次には彼の指がわたしの顎をとらえて――
わたしの人生で初めてのキスは、少しだけいきなりで、でも優しくて、溶けてしまいそうなくらい熱かった。
「あなたの初めてのキスを貰えたからには、今までの千倍は働かないといけないな」
ディオンがわたしの髪を指で梳く。わたしは今いる場所が他人の家であることも忘れて、しばらく恋の始まりに溺れていた。
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