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その偽りを愛と呼ぼう

その偽りを愛と呼ぼう⑧

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「……【人龍】か」

 龍を思い出す。アレの名を冠するほどの人間か。
 龍と相対したことのある俺としては、どんなに偉大な人であろうと、その名前が過剰なものとしか思えない。

「まぁ、この国は間違いなく一度奴等に支配される。指示系統が乱れる可能性があるから、王族や有力な貴族は殺されるだろうな」
「……ここの領主は」
「辺境だから大丈夫だろう」

 無茶苦茶な話だ。俺は深く溜息を吐き出して、傭兵を見下ろす。

「……ミルナの父母兄弟は」
「……言わないでいてやる。お前は随分と甘いらしいからな」
「ッ……傭兵、お前は……あの子が大切にしているものをッ」

 国王である父親との関係は分からないが、母の方は仲が良く、その民族を守りたいと思っているのだろう。
 それを見殺しに……。出かかった暴言を飲み込み、口の中を噛み切る。

 荒くなる息を整えて、傭兵を見る。
 ……傭兵はミルナを守るために、勝てるはずもない怪鳥に挑んだ。俺がいなければあのまま死んでいた可能性は十分にある。

 ……ミルナを大切に思っていないはずがない。

「……悪い」
「まだ何も言ってねえだろ。まぁ、何が言いたかったのかは見当も付くが」
「……もう、無理なのか?」
「一割にも満たない可能性のために、お嬢の命を賭けるなら間に合うかもな」
「そうか。……そうか」

 少女の裸とか、そういうことに文字通り熱を上げていたのが馬鹿らしくなる。いや、元々馬鹿らしい話だったが。
 ガリガリと頭を掻く。

「悪いな。こんなことに巻き込んだ。お嬢様方には言えねえことだからな」
「……まぁ、ミルナが帰らないようにするための時間稼ぎぐらいは手伝ってやる」
「助かる。……お前がお嬢のことを気に入ってくれていて良かった」

 あまり長々とするような話ではないのだろう。傭兵は剣を握り、立ち上がる。素振りを再開し始める。
 俺も気分が沈み、さっさと寝てしまいたい気分だ。

 傭兵から離れながら、俺は振り返らずに言う。

「……ミルナも友人だが、お前も嫌いじゃない」

 返事はない。
 まぁ共闘していた相手を利用していたのだから、あまりそう易々と軽口を聞けるわけないか。

 ……少し暑い夜だ。
 今頃、ミルナの親兄弟は……そう考えそうになった頭を横に振る。
 同情するな、顔に出すな。傭兵が信頼して話してくれたのだから、責任取って……ミルナを騙し通せ。


 ◇◆◇◆◇◆◇

 あまり眠ることは出来ず、寝たり起きたりを繰り返しているうちに朝日が出ていた。
 友人であるミルナを騙すという罪悪感と、彼女を守るためだという使命感の板挟みだ。

 ニエを起こさないようにベッドから出て廊下を歩くと、たまたま廊下で領主と出会い、紹介状を受け取る。

「武闘大会に出場するそうだね」
「……まぁ、成り行きで」
「やっぱり優勝は簡単かい?」
「いえ、獣を狩るのとは勝手が違うので」

 領主は目を丸くして驚く。

「龍を獣というのは、君にだけ許された特権だね」
「そんなこと……。まぁ、勝つのは難しそうではあります」

 ……もはや優勝へのモチベーションなんてあるはずもないが、一応勝つためには訓練ぐらいしておくか。
 領主と離れて中庭に移動する。もしかしたら傭兵がいるかもしれないと思っていたが、姿は見えなかった。

 傭兵が立っていた場所の地面が脚の形に凹んでいる。
 ……悔しく思っているのは、俺よりも傭兵の方か。

 ……ああ、勝つか。八つ当たりだが、勝った方がこの気分がスッキリするのは間違いない。
 それに……もしもの時に、友人達を守るのに力が必要かもしれない。

 眠気の取れていない頭を働かし、強い存在を思い出す。
 傭兵は、俺よりも体格がよく、鍛えられた身体をしている上にちゃんとした戦闘経験を積んでいるので強いだろう。
 龍も当然とてつもなく強かった、あまり参考にはならなさそうだが。

 ……あの英雄。【世界最強】の人間。
 体格は悪く、どう見ても鍛え上げられた身体ではなかった。だが、圧倒的に強く、速く、鋭い。
 真似をするならアレだ。

 とは言ってもほとんど見えなかったから、現実的には無理か。
 ……いや、俺は見えていた筈だ。

 だから、あの少女の初撃を防げたのだ。
 思い出せ、俺はあの時……何を見て、どうやって攻撃を知った。

 確かあの時の少女は脚はこう開き、手の位置はここで、身体はこう捻って……いや、これは動けないだろ。
 意味がない動きだったのか、いや、世界最強だぞ。その一挙一動に理屈が乗っていると考えた方が自然だ。

 だが、この動きの次の瞬間には視線から消えていたほどの速さで攻撃してきていた。
 ……いや、それも違うぞ。本当にそんなに早ければ俺が防げるはずがない。速すぎることで突然消えたように見えたが、事実は違うのではないか?
 視線から隠れるように動くことで消えたように見せて、死角から刀を振る。

 だとすると、下か。地面スレスレのところをほぼ横倒しの状態で走って……そんなこと出来るのか?
 そもそも体格が小さい少女と同じことは出来ないか。……まぁ、試すだけ試してみるか。

 何度も同じ構えから地面に転けるようにして駆け出してみるが、そう簡単に上手くいくはずがない。
 転げ回りながら色々と試していき、上手くいきそうな動きを見つければ、それを繰り返して少しずつ技の全容を明らかにしていく。

 あの世界最強の少女が使った技は、単純明快だ。体勢を落として地面スレスレを走ることで敵対者の視線から消えて、そのまま斬りつける。
 技のキレ、あるいは完成度は非常に低いが、形だけは真似が出来てきた。

 流石に疲れてきてグッタリと地面に座り込むと、不意に甘い匂いがして顔を上げる。

「お疲れ様。カバネ、クッキー貰ったんだけど食べる?」
「……ああ、もらう」
「ふふ、頑張ってるね」
「……意味あるのか分からない訓練だけどな」

 ガリガリと頭を掻いていると、ミルナに手を掴まれて、彼女が持っていた濡れた布で拭われる。
 用意の良さに少し驚きつつ、クッキーに手を伸ばす。

 少し硬くて小麦の匂いが強い。

「美味いな」
「でしょー?」

 ミルナはにこりと笑うが、俺は後ろめたさからそれを直視出来ずに、クッキーに夢中になったフリをして口の中に詰めていく。

 今、彼女の親族が殺されているかもしれない。それを知っていて隠している。
 ミルナのためと言えば聞こえはいいが、本当に彼女がそれを望んでいるかは分からない。……いや、望んでいるはずもないか。

「……もうちょっと続ける」
「うん、程々にね。ちょっと疲れた顔してるよ?」

 罪悪感から返事は出来ず、誤魔化すようにもう一度世界最強の技を真似る。
 気分は悪く、体調も悪く、多くの悪条件が揃っているというのに……その動きは、今までで一番鋭いものだった。

 ……技名を勝手に付けるのは良くないかもしれないが、ないと不便だな。
 まぁ適当に【影走り】でいいか。

 深く息を吐いてもう一度行う。
 顔の数センチ先にある地面を感じつつ地面を蹴り、存在しない仮想敵に対して拳を振るう。

 もう少し、続けるか。
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