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その偽りを愛と呼ぼう

その偽りを愛と呼ぼう⑦

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 ニエが寝静まったのを確認してから、ゆっくりと外に出て夜風を浴びる。
 少女の裸を見て、その後好きな女の子との添い寝だ。以前の俺なら羨む状況だろうが……今は辛い。寝不足だし、なによりも……欲求を高めさせられるだけ高めさせられて放置させられているからだ。

 健全な男である俺にとって、女性の肌や温もりというのは堪えがたいほど魅力があるもので、それを見せつけられてからお預けを食らうというのはとても辛い。

 ニエと一緒いると、不意に我慢出来なくなりそうだし……限界まで起きて、気絶するようにして寝ることで手を出さないようにしよう。

 夜風が少し寒くなってきたので中に入る。たまたまシロマの部屋の前に通りかかったので、体調が大丈夫かどうかを確かめようと思いドアノブに手を掛ける。

 あんなことがあったばかりで気まずいが、その気まずさは放置すればするほどに深まるばかりだろう。
 意を決して開けようとしたとき、少女の甘い声が部屋の中から聞こえてくる。

「んっ……んんっ……。だめ、だめだ……カバネ……そんな無理矢理……」

 気まずさが臨界点を突破した。
 もはや顔を合わさることが出来る気がしない。俺は足音を立てないようにその場から立ち去る。

 まさか俺のことが好きなのか? ……いや、まぁ……あんな風に異性と裸を見せ合ったら、好意とかそういうのはなくても性的に興奮してしまうのは非常によく分かる。
 気にしないようにしておこう。そうしよう。

 気分を誤魔化すために傭兵とミルナに会いに行こうと思い、二人が泊まっている部屋を探しているとミルナの声が聞こえる。

「あっ……か、カバネ……」

 ん? 名前が呼ばれたか。そう思い聞こえた扉の方に向かうと、扉の奥からミルナの高い声が微かに聞こえる。

「だ、だめ……や、やだそんな強引に……」

 …………何で俺が無理矢理手籠めにする状況ばかりなんだ? 流行っているのか?
 俺ってそんなに無理矢理女性を襲いそうな風に見えるのか。

 オーク的な存在だと思われているのか? いや、この世界にオークがいるのかとか、オークが女性を襲うのかとかは知らないが。
 元の世界のイメージのオーク的な……。

 トボトボと歩いていると、中庭で剣を振っている傭兵の姿が見えた。
 集中しているようだし、話しかけるのはやめておくか。

 そうしようとしたとき、傭兵が振り返って俺を見る。

「おっ、カバネか。……今ちょうどいいな」
「ちょうどいい?」
「ああ、ミルナがいるとちょっとな」

 猥談だろうか、と思っていた考えは、心底真面目そうな表情をした傭兵に止められる。
 手に硬貨を握らされ、傭兵が持っていたことに驚く。

 数えてみれば、俺が渡していた分と同額だ。どこでこんな金を……いや、稼ぐような時間はなかった。元々金を持っていたのか?

 そう思いながら傭兵を見ると、彼は小さく頭を下げた。

「利用して悪い。……今、お嬢を王都に返すわけにはいかなかったからな」
「……何かあるのか?」

 傭兵は落ち着かない様子で剣を置き、壁にもたれかかる。

「今、おそらく王都は燃えている」
「……は?」
「内乱真っ只中……それどころか、もう負けが確定している」
「いや、待て……それは一体どういう」
「俺は第六王女を逃すために旅をしている。彼女がいない存在として扱われているのは、追手が来ないようにするためだ」
「話が急すぎるだろ。いや、そもそも、そんな話を俺にして……」

 傭兵は壁によりかかったまま、ズルズルと下に落ちていく。蒸し暑い空気が肌に張り付いて気色悪い、虫の声ばかりが暗い夜に響く。

「お前に話した理由は幾つかある。このまま時間稼ぎに付き合ってもらえるよう頼みたい」
「……時間稼ぎって」
「そのままの意味だ。ほとぼりが冷めるまでは王都に帰りたくないが、ミルナはあんな性格だ。勝手に突っ走って行かれると困る。だから理由を付けて色々と日程を遅れるようにしていた」

 アホみたいに飲んだくれていたと思ったが……。ただのアホじゃなかったのか。
 いや、まぁ……本当に酔っ払っていたら、直後にあんな魔物と戦うことは出来ないか。

「二つ目はお前にはある程度知られてしまったからな、王都が落ちた後、生きる場所のないミルナを、自分とは無関係と決め通すということもしてくれなさそうだ」
「……別に、そこまでお節介でもねえよ」

 どうだか、と傭兵は言う。俺をどれだけお人好しの面倒焼きだと思っているのか。

「三つ目は……いや、言う必要はないな。これを持ち出すのは卑怯か」
「……俺とニエが知らないまま王都に行かないように、か? どっちがお節介だよ」
「……いや、それもあるが……お前達のことは信頼しているからだ。あー、こんな小っ恥ずかしいことを言うつもりじゃなかったんだが」

 ふん、と俺は鼻を鳴らす。利用されていたという事実は消えないし、モテると思って武闘大会参加したのに口からデマカセで騙されていたのは不快である。

 俺は傭兵の横に立ちつつ「それで」と話の続きを急かす。

「ミルナの目的は言っていた通りのことだが、俺はミルナの命を守るために動いている」
「ほとぼりが冷めたらどうなるんだ? そもそも内乱って……国が負けるのか?」

 首都がそんなに簡単に落ちるってどういう状況だ。
 それほど文化のレベルが低いとは思えないが……。

「……カバネ、あの英雄が単騎で攻めてきたらどうなる。普段は普通に街中にいて、ほとんど警戒していないときに城に侵入してきて、暗殺をする」
「……あんなのが大量にいると? そんなのそもそも国が成り立たないだろ」
「いや、大量にはいないし、多くの場合はそいつらにとっても無意味な騒乱を起こす必要はないから問題はない」

 傭兵は俺に目を向ける。

「……龍を倒したらしいな」
「ああ」

 ユユリラにでも聞いたのだろうか。元々本気で隠してもいないが。

「……龍を倒すのよりかはこの国を盗る方がよほど簡単だろうが、お前はそんなことしないだろ」
「……まぁ出来ないし、出来たとしてもやらないな」
「だが……どうしても必要になればやる奴は発生する」
「必要?」
「……遅かれ早かれこの国は魔物に押されて負けていた。【鬼喰の小蝿オーガ・フライ】という無国籍の集団は、民を救うために国を乗っ取って魔物と戦うつもりだ」
「……いや、乗っ取る意味はあるのか? 素人がいきなり国を収めるなんてことは出来ないし、下手に混乱させたら余計に……」
「素人じゃない」
「……どういうことだ」

 傭兵は無精髭の生えた顎を触りながら、続ける。

「数多くの国を滅し乗っ取り、そして助けた。救国の専門家だ」
「……そんなバカな奴等がいるのか?」

 この世界の事情は俺には分からない。それにしても救国の専門家って……どんな奴だ。

 俺の思いに応えるように、傭兵は口を開く。

「いる。ソイツらの長はこのように言われている」

【救国の専門家】
【人類の危機皆勤賞】
【最も英雄譚の多い男】
【語り部が一つ語る度に二つの偉業を成す】

「ずいぶんと仰々しいな」
「そして……【人龍】」
「……龍?」

 俺の問いに傭兵は答える。

「実際に龍とか、龍を倒したことがあるって話じゃない。龍を思わせるほどに強大だってものの例えだ」
「なるほど」
「だから、多くはこう呼ばれる。【人龍】ベルゼ・フライブ」

 息を飲む。傭兵の言葉が全て真実なのだと、その目が語っていた。
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