獣血の刻印

hoshiho

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七話 満月の夜(3)

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 ジヴァンは寝入ってしまった悠真はるまを泉で清め、ローブにくるんで抱き上げた。相変わらず、二十歳の男にしては軽すぎる体は、簡単に腕におさまってしまう。ニホンの男は皆こうなのだろうか。だとすれば、悠真は争いに不向きな体質だとつくづく思う。

 腕や脚は細く、筋肉もささやか。白い肌は陽に弱く、簡単に赤く灼ける。あまりにも軟弱。そのうえ端正な相貌は、服装以上に人目をひいた。

 だが時折、彼の黒い瞳は何者にも屈しない強さを放つ。それは出会った当初の赤い瞳からも見てとれた。赫物けものという忌々しさが、どこにもない輝き。あの色を不快に感じなかったのは、初めてのことだった。

 ──臆病者ではないのに、惜しいな。

 赫物でなければ、いまごろ神子同様、教会で重宝される逸材となっていただろう。

 だが竜はジヴァンの元へ悠真を寄越した。異世界から来たという、これまで出会ったことがない人間を、あの場所に呼んで。

 ジヴァンは腕のなかの存在をそっと確認する。静かに寝息を立てる幼い顔立ちには、涙のあとが残り、疲労の色がにじんでいた。些細なことで起きる様子はなさそうだ。無理もない。彼の権能を探ろうと、心身ともに追い詰めてしまったのだから。

 ──結局、確かなことはわからなかったか。

 ひとを喰らう権能、獣化の権能、魅了の権能。すべてを考慮したが、決定打となる情報は得られなかった。

 ジヴァンはわずかに眉根を寄せる。

 もし悠真の権能が淫靡なだけの類いなら、ヴェルムテラに辿りついたところで、権能を取り除くことは不可能だろう。それは悠真にとって、酷な真実となる。

 忘れていた罪悪感が蘇り、わずかに胸をふさぐ。なぜだろう。彼を失望させたくないと思った。

 ジヴァンは草を掻き分け、野営地へ歩きだす。夜はすっかり更けていた。鬱然とした森に闇が篭り、冷えた空気が漂っている。常人なら灯りを欲するところだろう。しかしジヴァンは夜目がきくため、足取りに迷いはなかった。

 ──結論を出すにはまだ早い。こうなれば、ヴェルムテラにつくことが先決だ。

 足取りを確かに土を踏む。草を遠慮なく揺すったため、野生動物が逃げていく気配がした。

 満月の夜はすべての生物が活発になっている。習性に囚われることなく、心を通わせ、血を受け継ぎ、月を仰ぐ。そうしたものに、空の胎から命が降りそそぐ。

 ひと以外は忘れていない、この世の摂理だった。

 ジヴァンは減少した薬をどう補うか考えていた。

 薬の本来の効果は、権能の力を抑えるというもの。その過程で体の変異は緩和され、瞳の色が戻るのだ。

 開発者いわく、赫物には権能を発現させる器官があると言う。臓器であれば薬は効く。長年の研究から得た発見だった。そして、その器官を見つけられたのは、古い文献の一節だったらしい。

 月が竜の象徴であるという謂れと共に、誰もが恐れて忘れた言葉。

 空のはらとは、古い言いまわしで、竜の胎と呼ばれていた。

 ジヴァンは悠真の下腹部を見下ろす。そこは男性にない器官がある場所で、権能の源が存在する位置。 

 悠真には話していなかったが、実は薬の代替となる方法が、ひとつだけあった。相手の了承がなくては無理な手段であり、好まれないので、あえて教えてはいなかった。

 しかし、その方法を選ばなくてはいけないほど、残った薬の量が思わしくない。

 現状にせめてもの救いを見出すならば、満月の影響によって、悠真は後ろで快楽が拾えることだろう。本人にはとても言えないが。

 ──使えるものは使えと、思ってきたが……。

 泣き出した悠真を思うと、無理強いだけはしたくなかった。

 別の問題が浮上したことに頭を悩ませてしまう。まさか自分がこんな年下を気遣う日が来るとは思いもしなかった。過去の自分が存在していれば、自嘲していただろう。

 ふと、木々のあいだで小さな光が揺れたことに気づく。おそらく野営地で御者に渡された照明だろう。

 ひとの気配を感じ、ジヴァンは悠真のフードを被せなおした。他人に見せるには忍びない表情だ。そう思った。

「旦那っ」

 毛布にくるまった御者がこちらに駆け寄ってくる。その手には円柱のガラス容器が揺れていた。中に菫色の小石がひとつ浮いており、灯火を模した色合いで、ジヴァンたちを照らす。

「なかなか戻ってこないので、心配しました。お連れは……寝ていらっしゃるようですね。火傷の薬は寝袋のそばに置いておきましたので、たりなければ言ってください。いやあ、綺麗なお顔に怪我がなくてよかった」

 御者はジヴァンに含み笑いを向けて言う。

「ただの付き人ではないと思っていましたが、恋人ならそう言ってくれればいいのに。ここはアウレリアですから、安心してください。同性愛はここでは歓迎されます。なにせ女神さまの恵みのひとつなんですから。指をさす者は信仰がたりない証拠ですよ」

 よく喋る男だとは思っていた。一を訊けば十を返す。情報収集に困ることはなかったが、余計なことを口走るので、面倒ではあった。いまがまさにそうだ。

 ジヴァンは聞き流せない話題に、御者を視線で制す。

「まさか見ていたのか?」と声を低くする。 
「いや、すみません、旦那。心配で探していたら、声が聞こえたので……」

 ばつが悪くしょげる御者に、ジヴァンは不快感を覚えた。

 情事まがいとはいえ、他人に見せて良いものではない。ましてや悠真がその事実を知れば、正気でいられるだろうか。彼にそんな趣味はないように思えた。

 少し前のジヴァンなら、勝手にしろと御者に言っていただろう。傷つくような恥じらいは、とうの昔に捨てている。相手を気遣う気も失せた。

 それなのに、悠真が絡むと、無視できなくなっている。

 申し訳なさそうに御者は「他に必要な物はありますか?」と訊いてくる。「ない」と素っ気なく返せば、彼は照明器具をジヴァンの足元に置き、すごすごと焚き火のそばへ歩いていった。その際、複数の寝袋が「足を踏むな」と御者に叫んでいたが、どうでもいい。

 ジヴァンは用意した寝袋にあぐらをかくと、悠真を隠すように、ひとびとに背を向けた。火傷の治療をするためだ。悠真から不思議な構造の脚衣を脱がし、軟膏を塗ってやる。留め具を壊したおかげで、服の着脱は容易にできた。

 ジヴァンは悠真を寝袋に横たえると、彼のそばに座り、集団を警護した。

 明日にはこの生活から離れることになる。フロリアナで一泊した後、新たな馬車を手配しなくてはいけない。悠真への負担を減らすためだ。根気よくついてくるが、重なる苦労に疲弊がみえる。権能については、自分がうまく立ち回ればいいだろう。

 ジヴァンはそこまで考え、長らくひとりで行動してきたことを実感する。

 これまで配慮すべき相手がいなかった。そのため自分たちが、外側からどう映るのか、考えが及ばなかったと気づかされた。

 悠真が寝返りこちらを向く。あどけない寝顔を前に、ジヴァンは、

 ──親子はありえないな。

 と、苦笑いをこぼす。

 兄弟、友人、仕事仲間、主従関係。どれをとっても、ふたりの関係を他人に説明するには違和感が残る。実際、御者には付き人だと思われていた。しかも、普通ではない。

 やはり見た目が原因だろうか。ジヴァンは自分の容姿が目立つことを自覚している。そう生まれてくるよう、決められていたからだ。

 今回は相手がこちらに恩があったため、検索されなかったのだろう。それを思えば恋人という肩書きは、これからの旅において都合がいい。

 悠真に想い人がいても我慢してもらうしかない。命が危険になるよりいいはずだ。

 ──しかし……恋人か……。

 ジヴァンの脳裏に、うら若い女性の姿が浮かぶ。

 銀髪を清流のように靡かせ、ひとすじの雫のように佇む姿。自分が産まれる以前から、結婚が決まっていた存在だった。

 なぜか悠真を見ていると、彼女の面影と重ねてしまう。見た目はまったく似ていないというのに。彼女もまた、他人に心を配る性格だったからだろうか。

 その気質はジヴァンに影響を与え、教えを説いた。随分と昔のことで忘れていた。

 ──こいつと行動していると、つい思い出してしまうな。

 追憶した過去に、ジヴァンは月日の流れを感じた。
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