獣血の刻印

hoshiho

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五話 赫物との遭遇(2)

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「ジヴァン、怪我は?」

 安堵という静寂が緑地に漂うなか、悠真はるま草叢くさむらから布と麻袋を拾い、ジヴァンへ駆け寄った。

 ジヴァンの右腕からはいまも血が滴り落ちている。痛ましい惨状のように見えた。悠真は眉間の皺を深くする。

「問題ない。返り血だ」とジヴァンは呼吸ひとつ乱さず、鷹揚と答えた。上衣の裾で右腕の血を躊躇なく拭う。筋だつ腕には小さな古傷がいくつもあったが、新しい傷は見あたらない。

 悠真はあまりにも強靭な肉体に目を見張った。同時に、

 ──だから大聖堂で塔から飛び降りても無事だったのか。

 と納得する。おそらくジヴァンが特別なのだろう。そうでなければ、武器や鎧が意味をなさない。ふと権能かと疑いもした。だが肉体強化が恥ずべき能力とは思えず、可能性を否定する。

 ジヴァンは悠真から布を受け取ると、ふたたびそれを被り、髪色を隠した。大きな布のおかげで、血腥ちなまぐさい箇所もかろうじて目につかない。

 その様子に悠真は密かに胸を撫でおろす。ジヴァンが無傷だったこともあるが、平然と血をまとう姿は精神的に刺激が強かった。

「それでどうだ。権能の兆しはあったか?」
「兆し?」

 ジヴァンは少し離れた草叢を顎で示す。そこには三頭目の亡骸がわずかに見えていた。悠真は意図がわからず「なんでいま権能の話なんか」と怪訝な表情を浮かべる。

 そんな悠真を意外そうに見下ろしたジヴァンは、

「あえて放っておいたが、偶然だったか……」

 と、言葉をこぼした。

 悠真はその一言で、ジヴァンが自分を試したのだと思い至る。信じられない、と目を大きく見開いた。

 あのとき悠真が三頭目の存在に気づかなければ、母子は無事でなかっただろう。たとえジヴァンの権能なら、簡単に助けられた状況だったとしても、それならすぐさま助けるべきだった。

 赫物けものだと疑われても、ひとの命にはかえられない。

 悠真はジヴァンを非難しそうになった。しかし、苦々しく視線をそらし、言葉を呑む。

 ──悠希なら、襲われるひとを見ても、なにもしなかっただろうから……。

 悠希は悠真以外のために危険な行動をしない。それは他人との境界線が明確にあるからだ。

 悠希を非難せずに、ジヴァンだけ非難することはできない。もし悠真があのとき冷静だったなら、母子に対し、悠希と同じ選択をしたはずだ。

 そう考えた時点で、結果がどうであれ、悠真もジヴァンと同罪だと俯いた。

 冷えた風が陽射しの温もりを奪い去る。

 悠真は高草に足を激しく叩かれ、あることを思い出した。

「そういえば茂みから大きな音が聞こえたんだ。それで音がしたほうを見たら、あの動物がいた」

 空耳なのか偶然なのかはわからないが、おきた出来事をそのまま口にする。

「あの距離でか?」

 ジヴァンはやぶへと視線を向けた。そこは荷馬車の位置から、それなりに距離がある。常人の耳では会話すら聞き取れないのはあきらかだ。

 ─まさか、あれが権能だったのか? 

 悠真は漠然と考えてみた。それをジヴァンは察したのか「違うだろうな」と腕を組む。

「権能は適合者が死ぬと別の生命にやどるが、遠耳とおみみの権能をもつ赫物は、おれが知る限りまだ生きている。生存している赫物同士に同じ権能がやどったという事例は聞いたことがない」
「じゃあ、そういう権能の可能性は? 誰かの権能を模倣できるとか」

 自分の特技で喩えてみたが、それも「ありえない」と言い切られてしまう。

「前にも言ったが、赫物の瞳が赤いのは、体質が権能に合わせて変化したからだ。おまえが考える類いは、ただの人間には負荷がかかり過ぎる。扱う権能を変えるたびに、自分の骨を砕くようなものだ」

 物騒な推論に、悠真はおもわず腕をさする。異変は特にない。

「やはり満月を待つしかないか」

 ジヴァンがそう呟くと、なにかに気がついたようだった。悠真もつられて視線を追う。

 そこには短躯な男がこちらへ手を振り、歩いてきていた。彼の背後では、横倒しだった荷馬車が、すでに整えられている。人手が欲しいわけではないようだ。悠真は少し身構えた。

 男はふたりの前で御者だと名乗り、白髪まじりの茶髪頭を丁寧にさげた。歳は五十ほどだろうか。

「危ないところを助けていただき、本当にありがとうございます」と礼を言う。

 滑舌良く、少し癖のある声質だ。服装は所々よれているが、それは先ほどの苦労があってだろう。土埃をなるべく落としてきた様子がうかがえた。

 御者はジヴァンを仰ぐと、さらに腰を低くする。

「実は雇った傭兵が赫物のせいで、腕に傷を負ってしまいまして……助けていただいた手前、不躾な申し出だとわかっているのですが、どうか護衛をお願いできないでしょうか」

 ジヴァンは荷馬車を一瞥し、「どこまで行く予定なんだ?」と訊く。

「フロリアナです」

 御者は半分諦めていたのだろう。ジヴァンの反応に、期待から語尾を強くする。

「食事と寝具はこちらで準備できますので、ご不便はないかと。もちろん賃金もお支払いします。これくらいでどうでしょうか?」

 まるで算盤を弾くように、御者は指で値段を示す。

「連れの面倒もみてくれ。それなら金はいらない」
「お安い御用です」

 ジヴァンが悠真を隠すように前へ出たので、悠真は慌ててフードを目深にかぶる。顔で素性を知られる心配は薄れても、絶対ではない。用心しろ、ということだろう。

 御者はそんなふたりを怪しむことはなかった。むしろ行き先の不安が消えたと、おおいに喜んだ。恭しく先頭を歩き始め、悠真たちを荷馬車へ案内する。

 一連のやり取りを静観していた悠真だが、我慢できず、ジヴァンの上衣を背後から掴んだ。 

「あのひとたちに護衛は必要だと思うけど、一緒に行動して大丈夫なのか? 満月のときに、なにかがおこるかもしれないんだろ?」

 巻き込んでしまったらどうするんだ、と小声で訴える。

 しかしジヴァンは素知らぬ顔をした。悠真を引きずるように、そのまま歩く。

「おまえを、あの状況に放り込んでも無理なら、別の方法を試すしかないだろう」

 権能を探るために、堂々と他人を犠牲にすると言われた悠真は、ジヴァンの腕にしがみついた。これ以上、進むことを許さないと睨みつける。

 その様子にジヴァンは歩みを止め、こともなげに悠真を見下ろした。そうして、体をかがめ、悠真の耳元で諭すように言う。

「フロリアナは街道沿いにある街だ。マリティマに行くためには必ず通る。もしおまえの権能が、対人に向くものなら、どうするつもりだ。ことが街中でおきてからでは遅い」
「それならジヴァンにも被害があるはずだろ。あんたならいいってわけじゃない。でも他人を巻き込むのは駄目だ」

 盗みを働いた時のように、いいくるめられるつもりはなかった。悠真はさらに抵抗しようと口を開く。

 だが、その声は女性の悲鳴によって遮られた。
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