獣血の刻印

hoshiho

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一話 夏休みの双子(2)

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 コンビニを出るとむわりとした暑さにつつまれた。

 買ったばかりのアイスが秒で溶けるようだ。悠希は手を汚さないようにチョコアイスへかぶりつき、悠真もそれに倣いチョコアイスを頬張った。舌へ広がる冷たさに、暑さをわずかに忘れる。

 近くに繁華街があるこの道は、二十一時をすぎても人通りが多かった。路傍で寝こけるひともいれば、酔って座りこむひとたちもいる。普段、夜には近寄らない場所だ。しかし家から一番近いコンビニがここにあるので仕方がなかった。酔って服を乱れさせる女性を見つけた悠真は、あわてて悠希の手を引き、いそぎ足でその場を離れる。

「別に見ちゃっても、向こうから見せてきたんだから、こっちからすればあれは事故だよ?」
「見せたくて見せてるんじゃないよ、あれは。それに悠希だって見たいわけじゃないだろう」
「……紳士だなぁ。悠真も一度は彼女をつくればいいのに」
「そういう悠希も彼女がいたの、高校の時の一回きりじゃん」
「理想に気づいちゃったからね」

 悠希は食べ終わったアイスの棒を袋に戻すと、コンビニのビニール袋にしまった。菓子や飲料水と一緒に、アイスのゴミがガサリと袋を鳴らす。

「二メートル以上のひと、が理想だっけ?」

 悠真もアイスの棒をしまうと、悠希は「欲を言えば三メートルかな」と笑みをむける。

 なかなか難しい理想だと思う。それに訊くたび理想の身長が更新されるのはなぜなのか。こればかりは悠希のことがわからなかった。

 悠真はあまり恋愛に興味がもてないせいか、他人に感じる欲が周りからすると淡白らしい。

 だから悠希に彼女ができたと聞いたとき、悠真は悠希に黙って女性と付きあってみた。

 相手は塾で知り合った他校のひと。告白は彼女からで、なんとも素直なひとだった。大学受験を一緒に頑張れる恋人がほしいので付きあってくれ、と言ってきたのだ。なので、デート先は塾の学習室が多く、互いに励ましあう清い関係が続いた。いや、彼女のほうはスキンシップが多かったかもしれない。手遊びが好きなのか、勉強にゆきづまると悠真の手をよくおもちゃにしていた。悠真にはこの関係が悠希から訊く恋人関係とは違うように感じていた。ドキドキ、ワクワク、ソワソワ、どんな擬音もあてはまらず、悠真の世界はつねに静寂だったのだ。そんな関係は受験が終わるとあっさりと解消する。

 別れ際の彼女が告げた「私のこと嫌い?」という言葉の意味はいまもわからないままだ。

「おー、悠真あ。おまえここにいたのか」

 悠真の耳にいま出会ってはいけない男の声がとどく。

 あのクズ野郎が、悠真たちの家がある曲がり角からあらわれた。ガラの悪い男をふたり連れている。大学の飲み会と言っていたが、実際には違っていたのかもしれない。

 住宅街の灯りは繁華街と比べれば暗く、男たちの表情に不気味な影をおとす。  

「せっかく誘ってやったのに、断るもんだから迎えにきてやったぞ」
「わざわざすみません。先輩の迷惑にならないように、連絡を入れたつもりだったんですが」

 断わったのだからこっちにくるな、と悠真は煩わしさをおぼえた。しかし、家の位置がバレていることを知り、ぞわりと鳥肌がたつ。

 三人の男たちは悠真より図体が倍もあった。体格がわからないゆるい服装をしているが、袖からのぞく二の腕はガッチリとしている。力でものをいわれると無事ではすまないだろう。 

 悠真は感情をおさえ、悠希を隠そうと前へでる。男たちはだいぶ酔っているようで、近くに立たれると酷いアルコールの臭いがした。

「ああ、実家に帰るとか、時間が遅いだとかのやつか。つまんねえ女みたいな冗談だったな。構ってほしいなら、頭じゃなくて体をつかえ、体をよお」

 先輩は悠真の腰をぐいっと抱く。いつものしつこい接触だ。虫のように蠢く手に悠真はげんなりする。

 どうやって追い払おうか思案していると、悠希が後ろから声をあげた。

「俺たち家に帰りたいので、悠真を離してください」

 悠真の腰をさわる腕を強くつかみ、凄む悠希。

 悠希の存在に意識がむいた男たちは、醜く顔をゆがませ笑う。

「噂どおり、女みたいだな」と頭から足の先まで見る男。「ほんとに双子って似てるんだな。気味が悪い」と黄ばんだ歯をみせ、面白がる男。「おまえも相手してやろうか?」と悠希の腕を乱暴につかみ返す、クズ野郎な先輩。

「痛い、離せ!」と悠希が怒鳴った。悠真は危険を感じ、ふたりの間に入ろうとする。しかし、太い腕に腰を掴まれたままでは思うように動けなかった。

 渇いた音がパンっと響く。悠希の頬に先輩の平手が打ちつけられた。悠希の頬は赤くなり、悠真の脳裏がカッと熱くなる。

 次の瞬間、悠真は先輩の顎を殴りつけていた。

 先輩は顎から鈍い音をだし、ぐらりと体勢を崩す。その場にへたりこむと、脳がゆれているせいで動けない状態になった。

 悠真は悠希の手を握ると、来た道を戻るように走りだす。背後から動揺した声と怒声が飛び、いまにも追いかけてきそうな勢いだ。

 家は危険で帰れない。どこか悠希の手当てができる場所まで逃げなくては。

 悠真は夜の賑わいをみせる繁華街へむかう。そこでは雑踏がふたりの逃亡を助け、きらびやかなネオンが生んだ裏路地の暗がりは、絶好の隠れ蓑になってくれた。

 悠真は汚れのないビニール袋と氷を調達すると、簡単なアイシングを作る。悠希はきらした息を整えるために、ビルへ背中をあずけ、脚をぐったりと伸ばしていた。

 悠真は悠希の頬に優しくアイシングをあてる。

「ごめん、こんなことにならないようにしてたのに……」

 悠希を巻きこみ、怪我まで負わせてしまった。

 赤く腫れた頬は痛ましく、アイシングする手が震えてしまう。

「巻きこんだ、なんて思わないでよ。悠真だって消毒しなきゃ」
「俺はどこも怪我してないよ?」
「そことここ、怪我してる」

 悠希は悠真の腰と胸へ指をさす。腰はクズ野郎に撫でまわされた場所で、胸はつらい感情を重ねてきた心だと言う。そして「俺も悠真が苦しんでるの、気づいてあげられなくて、ごめん」と抱きしめてくれた。「消毒?」と悠真が訊けば、「消毒。それも強力なやつ」と悠希は答える。

 しばらくふたりは抱きしめあっていると、悠希が小さく笑いだした。

「一瞬だったけど、すごく綺麗なパンチだったよね。悠真さ、格闘技かなにか見たでしょ」

 悠希の指摘に悠真はギクリとする。やはり悠希の目はごまかせない。

「ゼミの先輩から借りた雑誌にボクシングがちょっと、ね」
「悠真のその特技さ、もっと活かせばいいのに。隠すなんてもったいないよ」

 悠真にはある特技があった。それは見たり聞いたりした事柄を、真似することができるというもの。とても便利そうに思えて、とても役に立たない特技だ。

「俺はいまのままがいいから、それでいいんだよ」

 悠真はこの話は終わりだと、アイシングを持ち上げる。するとビニール袋はへにょりと変形し、中を確かめると、氷は溶けてきていた。悠希の頬はまだ少し赤い。もうしばらく冷やしたほうがよさそうだ。悠真はもう一度、氷を買ってくることを伝えると、路地裏をでることにした。念のため、男たちの姿がないか周囲を見渡す。見知った姿はどこにもない。悠真はほっと安堵すると、

「悠真っ!」

 悠希の悲鳴が背後から聞こえた。

 弾かれたようにふり返り、悠希の姿をさがす。そこには信じられないことがおきていた。

 悠希の足元のコンクリートがセメントのように溶解している。動きを捕らえられた悠希の体は、ずぶずぶと地面に沈み込んでいた。

「悠希っ!」

 悠真は急いで悠希の両腕をつかむ。すでに悠希の体は腹のあたりまで沈んでいた。自力で抜けだすのは不可能だ。

「なんで……っ、こんな……っ!」

 非科学的な現象に、どちらからも戸惑う声があがる。

 悠希を引き上げようと脚に力を入れた。それに反発するような強い力が悠希を引く。まるで誰かが地面の下にいるようだ。不意をつかれた悠真は体勢を崩してしまう。それでも悠希の腕を離さなかった。

 繁華街をゆきかうひとびとは誰も気づいていない。雑踏はふたりの声をかき消し、路地裏の暗闇はふたりの姿を飲みこんでいく。

 あっというまのできごとだった。

 たとえ誰かが違和感に気がつき、路地裏をのぞいたとしても、そこには破れた袋から水がこぼれている光景だけが、ひろがっていただろう。
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