2 / 4
承
しおりを挟む
律に、このあとテーマパークに行き溺死してしまうことを伝えようかとも思ったが、それは憚られた。俺に前回の記憶があることを他人に知られたら、この使命が終わってしまう気がしたからだ。だから、律に知られることなく、律が死ぬ未来を変えなければならない。
「あのさ、やっぱテーマパーク行くのやめにしようぜ」
シャワーから上がった律に、俺はそう告げた。なんとなくだが、どれだけ気を配っても、テーマパークに行ってしまえばまた律が溺死するような気がするのだ。
「いいの?遥希行きたがってたじゃん」
律は不思議そうな顔をする。確かに、大晦日にテーマパークに行くことになったのは、俺の強い希望があったからだ。俺としては、初めて律と二人で出かけた思い出の場所にもう一度行きたいという気持ちだったのだが、それが最後の外出になってしまっては元も子もない。律が生きてさえいてくれれば、テーマパークなんていつでも行けるのだ。
「大晦日なんて絶対混んでるからな。受験終わってから行こうぜ」
「そうだね。俺も人混みはそんなに好きじゃないし」
俺の突然の変更にも、律は笑って応えてくれた。律はお人好しだ。そして、それが原因で死んでしまう。優しさが身を滅ぼすなんて、あまりにも残酷だと思った。
「じゃあ今日はどうしよっか。他の場所行く?俺の家で遊ぶのも良いか」
律の提案に、俺は
「律の家で遊ぼう。多分どこも混んでるだろ?」
と返した。律を殺さないためには、家でじっとしてくれているのが一番だ。律も笑顔で頷いてくれて、今回は家で遊ぶことに決まった。
「で、まだ六時だけど、遥希は一旦家帰る?俺はここにいてくれても良いけど、親が心配しないかなって思って」
「連絡入れとけば大丈夫だろ。ここで遊ぼうぜ」
今の俺に律のそばを離れる理由は一つもない。できる限り目を離さないことが一番の対策だろう。
「オッケー。じゃあゲームでもしようか。用意するよ」
律はそう言って、自分の部屋にゲーム機を取りに向かった。
「ちょっとなんでついてくんの?リビングで待ってて良いのに」
ゲーム機を取りに行った律の後にぴったりくっついて移動していると、さすがに不満を言われた。しかし、こちらは律の命がかかっているのだ。そう簡単に食い下がるわけにはいかない。
「だってソフトも選ぶんだろ?一緒にやるんだから、俺にも選ぶ権利はある」
「えー、まあそれはそうだけど…。部屋散らかってるからな…」
律はそう言いつつも、俺の同行は許可してくれた。律の部屋でソフトを選び、ゲーム機を持ってリビングに戻ったが、危険なことは特に起こらなかった。ソファに座り、俺はホッと胸を撫で下ろした。
「そういえば、遥希って進路どうするの?」
二人でパーティーゲームをしていると、律が突然尋ねてきた。
「え、どうするのって、そうだな…」
思いがけない質問に、俺は思わず口ごもった。
志望大学を決めて、それに向かって一生懸命に努力している律と違って、俺はいまだに進路をきちんと決められていない。行きたい大学もなければやりたい仕事もなく、とりあえず両親には、さほど偏差値の高くない近所の大学に行くと言ってあるが、今の成績ではそれも怪しい。正直言って、未来に希望は持てていなかった。
しかし、律にそんなことを言ってもどうしようもない。
「近所の大学にしようと思ってる。あそこなら俺でも行けるだろうし」
俺は少し見栄を張ってそう言った。それに律は満面の笑みで応える。
「いいじゃん!遥希ならきっとうまくやれるよ」
「…そうか、ありがとう」
相手が律じゃなければ、多分俺は嫌味だと受け取っていただろう。順風満帆な人間から向けられる、哀れみと嘲笑。でも、律はそんなことするような奴じゃない。しかし、それが善意で向けられた言葉だからこそ、やり場のない劣等感をどうすれば良いのか、俺にはわからなかった。
「よっしゃ!クリア!一人じゃ全くクリアできなかったのに、遥希はゲームうまいね」
コントローラーを投げ出して喜んでいる律の横顔を見て、俺は今の使命を思い出す。そして、頭を振って、暗い感情を振り払った。今は律に劣等感を感じている場合じゃない。律がこの先も順風満帆な人生を送れるかどうかは、俺にかかっているのだ。そんな感情に支配されていては、助けられるものも助けられなくなってしまう。
俺は心機一転、笑顔を作って律の肩に手を回した。
「まー俺に任せとけばこれくらい楽勝だな!」
「自画自賛すんなよー!」
律もそう言って笑い返してくれる。俺はこの日常を守らなければならないんだ。
「手伝ってくれたお礼に、なんかご馳走するよ」
律はそう言って冷蔵庫を確認しに行くが、
「ごめん、遊びに行くと思ってたから何にもないや。買いに行こう」
と外出の準備を始めた。
「いやいいよ!腹減ってないし!なんもなくて良いから!」
俺は慌てて律の行動を止めるが、律は訝しげな顔をする。
「よくないでしょ。お昼ご飯もないから、どっちみち買い物は行かないと。今ちょうど九時でスーパー開店したから、混む前に行きたいんだけど」
そう言われて返事に困る。テーマパークをやめるために「混むのが嫌」と言ってしまった手前、「混んでも良いからあとで行こう」とは言えなかった。そうなると、律を家から出さないためには…
「俺が買いに行くから。奢ってやるよ」
そう言うしかなかった。正直、律を家で一人にするのは心配だったが、外に出すよりかはよっぽどマシだろう。
「遥希の奢り!?サンキュー!最近金欠だったから助かった!」
律は、聞き覚えのある言葉を言うと、用意していたエコバッグを俺に渡してきた。
「すぐ帰ってくるから、家から出るなよ」
俺はそう言い残して、スーパーへと買い物に向かった。
律の言う通り、開店したばかりのスーパーはそれほど人がいなかった。カートとカゴを用意すると、急いで適当な弁当とお菓子、ジュースを入れてレジに並んだ。年末で人手が足りないのと、開店直後なのもあってか、レジは半分しか稼働していなかった。その上、このスーパーは最近では珍しくセルフレジを導入していないので、有人レジに並ぶしかない。人が少ないといっても年末だ。レジには列ができている。
俺はスマホで律に連絡を取りながら列が進むのを待っていた。幸い、律からはすぐに返信が来るので、家で待ってくれているのだろう。ようやくレジの順番が来た。スマホはポケットにしまい、財布を取り出して会計をする。受け取った商品を急いで袋に詰め、スーパーから出ると、再び律に連絡を取った。
しかし、今度はいつまで経っても返信が来ない。嫌な予感がする。俺は全速力で律のマンションに向かった。走ればせいぜい十分の距離だ。息を切らしてマンションに辿り着くと、エントランス前にはあの時と同じように、人だかりができていた。人ごみを掻き分け、ようやく律の姿が見えた。
律は、刃物で腹部を刺され、血を流しながら倒れていた。手にはスーパーのポイントカードが握られている。そのそばでは、数人の男が刃物を持った男を取り押さえている。おそらく、そいつが犯人なのだろう。野次馬から、通り魔という言葉が聞こえてきた。
つまり律は、俺にポイントカードを届けようとしたところで、運悪く通り魔に襲われ、殺されてしまったということか?
救急車とパトカーが到着し、犯人は連行され、律は担架に乗せられて病院に搬送されていった。しかし、周りの様子を見るに、律はもう助からないのだろう。
また失敗した。律を一人にしてはいけないとわかっていたのに、家の中なら大丈夫だろうと思ってしまった。律が勝手に外に出る可能性を考慮しなかった。せめて二人で外出していれば、通り魔に狙われることはなかったかもしれなかったのに…。
体から力が抜け、視界が暗くなっていく。大丈夫、きっとまた戻れる。俺に使命があるならば、もう一度チャンスをもらえるはずだ。
「ごめんな、律…。今度こそ、ちゃんと守ってやるから…」
俺の意識は闇の中に落ちていった。
慣れた家のベッドで目が覚める。スマホを確認すると2024年12月31日朝六時。俺はまた、大晦日の朝に戻ってくることに成功した。前回は見切り発車で律に会いにいってしまったが、今回はきちんと作戦を立ててから会いに行こう。俺のせいで律が死んでしまうのは、もう懲り懲りだ。
二回の律の死を思い出してみると、そこには共通点があった。俺が律に奢ると言うと、律は同じ言葉を言って、俺を待つ間にその場を離れその先で死ぬ。つまり、俺が律に何かを奢るために、律を一人にすることが、死のトリガーになっている可能性は否定できないということだ。それならば、俺が律のそばにぴったりくっつき、片時も一人にしなければ、律の死は避けることができるはずだ。
俺はリビングに行き、朝食を作っていた母に頼んで二人分の弁当を作ってもらった。それから、家にあるお菓子を大量に鞄に詰めた。これだけ食べ物があれば、律がスーパーに行きたがることはないだろう。それから、二人で遊べるゲームソフトもありったけ用意した。やることがなくなって、「遊びに行こう」と言われるようなことがないようにするためだ。
そして、最後の仕上げに、母にバレないよう鞄に包丁を一本忍ばせた。律の外出を止められなかったり、家に誰かが押し入ったりした時のための保険だ。
確証はないが、今日一日を乗り越えることができれば、律はもう大丈夫だと思う。今日だけは、絶対に律から離れないと覚悟を決めた。
前回と同じように律の家に押しかけ、適当な言い訳をつけて部屋に入らせてもらった。律は眠そうにしていたが、俺がいないうちに死なれては困るので仕方がない。母が作った弁当を見せると、律は嬉しそうにした。
「美味しそう!遥希のお母さんは料理うまいね!毎日これが食べられるなんてマジで羨ましい」
「冷食も結構入ってるけどな」
「冷食美味しいじゃん。それに俺、誰かの手作り料理食べるの久しぶりだから…」
そう言う律の顔からは、寂しさが滲み出ていた。律の両親は昔から仕事が忙しく、一人で留守番をしたり、親戚の家や俺の家に泊まったりすることも少なくなかった。気丈に振舞ってはいるが、寂しさを感じて当然だ。
俺は律の背中を叩くと、
「今度俺がなんか作ってやるよ」
と笑いかけた。
「えー、遥希料理なんてできるの?」
「まあそりゃ、カップ麺くらいなら作ったことあるし。あとレトルトカレーとか」
「それ料理じゃなくない!?」
そう言って、律は再び笑顔を取り戻した。
その後、ゲームをしたり弁当を食べたりして、律が死なないまま午後三時になった。これまでは午前中に命を落としていたため、ここまで生きられたのは新記録だ。もしかすると律は死なないかもしれない。そう思った矢先
「ちょっと洗濯物干してくるね」
と、律がカゴを持ってベランダに出ようとしていた。俺は急いでカゴを取り上げた。
「やめろ!そんな危険なことするな!」
「え、いや何が危険なの?洗濯物干すだけじゃん」
律は困惑しているが、ベランダが危険じゃないわけがない。ここは十二階だ。転落したらひとたまりもない。しかし、そんな事情を知らない律は不満を口にする。
「早く干さないとしわになっちゃう。いつもやってることだから危険なんてないし」
「…わかった。じゃあ俺も手伝うから、二人でやろう」
俺は鍵を開けると、カゴを持ってベランダに出る。柵から下をのぞいてみるが、やはり十二階はかなりの高さだ。俺に続いて律もベランダに出て洗濯物を干し始めた。
「すぐ終わるから、手伝わなくても良いのに」
「すぐ終わるならこれくらいやらせろよ」
俺は急いで洗濯物干しを終わらせ、律をベランダから押し出した。鍵をかけ、律の無事を確認する。幸い、何事もなく終わったようだ。
「なーんか今日の遥希、過保護じゃない?なんかあった?」
その後、ソファに座って休んでいると、律にそう聞かれた。あのあとも、お茶を入れようとしたら「火は危ない」と付き添ったり、ハサミを使おうとしたら「刺さったらどうする」と代わりにやったり、挙げ句の果てにはトイレにまでついて行こうとしたため、流石に怪しまれたようだ。
「家庭内の事故、みたいなテレビ特集見て、怖くなったんだ」
「ほんとー?」
そう誤魔化したが、律は納得していない様子だ。しかし、怪しまれても良いから危険を排除しなくては、また律が死んでしまう。
「ほら、そんなことよりゲームしようぜ。色々持ってきたからさ」
俺はそう言って、無理やり律の興味を逸らした。
それから数十分、律から離れたくなくてずっとトイレを我慢していたが、流石にもう限界だ。
「ちょっとトイレ行くけど、律も来る?」
そう聞くが、律は首を横に振った。たった数分でも律のそばを離れるのは心配だったので、できることなら拘束して机に縛りつけてやりたかったが、流石に怪しまれるし、なんなら家を追い出されるかもしれない。それならプライドを捨ててここでしてやることもできるが、多分風呂に入れられるだろうし、そうなれば律から離れる時間がもっと長くなってしまう。仕方がないので、覚悟を決めてトイレに行った。
トイレから戻ると、案の定だった。目を離したのは、体感でたかだか二分。それなのに、リビングには律の姿はなく、ベランダの鍵は開かれていた。柵から下を覗くと、まだ誰にも見つかっていない、大量の鮮血が見える。その場で座り込むと、律のスマホが落ちていることに気がついた。俺がトイレに行っている間にスマホを見ようとし、ベランダに落としたことに気づき、取りに行ったところでバランスを崩して転落。これが事の顛末だろう。
ベランダからの転落は予想できていた。だから、一人で行かせることはしなかった。しかしこれは、どうやって防げば良かったのだ。どの手段を取っても、最終的に律は俺の隙を見てスマホを取りに行っただろう。スマホを落としたことに気づかなかったのが悪いのか、ベランダに少しでも行かせてしまったことが悪いのか。そばにいたところで、俺は律の死を防ぐことはできなかった。
絶望感が脳を侵食していく。戻ることができるのが俺じゃなかったら。それこそ律だったら、きっともっと上手くやれた。今頃、誰も死ぬことなく新年を迎えることができていた。律のそばにいたのが、俺じゃなければ…。
後悔と絶望の中、段々と視界が暗くなり、俺の意識は闇の中に落ちていった。
「あのさ、やっぱテーマパーク行くのやめにしようぜ」
シャワーから上がった律に、俺はそう告げた。なんとなくだが、どれだけ気を配っても、テーマパークに行ってしまえばまた律が溺死するような気がするのだ。
「いいの?遥希行きたがってたじゃん」
律は不思議そうな顔をする。確かに、大晦日にテーマパークに行くことになったのは、俺の強い希望があったからだ。俺としては、初めて律と二人で出かけた思い出の場所にもう一度行きたいという気持ちだったのだが、それが最後の外出になってしまっては元も子もない。律が生きてさえいてくれれば、テーマパークなんていつでも行けるのだ。
「大晦日なんて絶対混んでるからな。受験終わってから行こうぜ」
「そうだね。俺も人混みはそんなに好きじゃないし」
俺の突然の変更にも、律は笑って応えてくれた。律はお人好しだ。そして、それが原因で死んでしまう。優しさが身を滅ぼすなんて、あまりにも残酷だと思った。
「じゃあ今日はどうしよっか。他の場所行く?俺の家で遊ぶのも良いか」
律の提案に、俺は
「律の家で遊ぼう。多分どこも混んでるだろ?」
と返した。律を殺さないためには、家でじっとしてくれているのが一番だ。律も笑顔で頷いてくれて、今回は家で遊ぶことに決まった。
「で、まだ六時だけど、遥希は一旦家帰る?俺はここにいてくれても良いけど、親が心配しないかなって思って」
「連絡入れとけば大丈夫だろ。ここで遊ぼうぜ」
今の俺に律のそばを離れる理由は一つもない。できる限り目を離さないことが一番の対策だろう。
「オッケー。じゃあゲームでもしようか。用意するよ」
律はそう言って、自分の部屋にゲーム機を取りに向かった。
「ちょっとなんでついてくんの?リビングで待ってて良いのに」
ゲーム機を取りに行った律の後にぴったりくっついて移動していると、さすがに不満を言われた。しかし、こちらは律の命がかかっているのだ。そう簡単に食い下がるわけにはいかない。
「だってソフトも選ぶんだろ?一緒にやるんだから、俺にも選ぶ権利はある」
「えー、まあそれはそうだけど…。部屋散らかってるからな…」
律はそう言いつつも、俺の同行は許可してくれた。律の部屋でソフトを選び、ゲーム機を持ってリビングに戻ったが、危険なことは特に起こらなかった。ソファに座り、俺はホッと胸を撫で下ろした。
「そういえば、遥希って進路どうするの?」
二人でパーティーゲームをしていると、律が突然尋ねてきた。
「え、どうするのって、そうだな…」
思いがけない質問に、俺は思わず口ごもった。
志望大学を決めて、それに向かって一生懸命に努力している律と違って、俺はいまだに進路をきちんと決められていない。行きたい大学もなければやりたい仕事もなく、とりあえず両親には、さほど偏差値の高くない近所の大学に行くと言ってあるが、今の成績ではそれも怪しい。正直言って、未来に希望は持てていなかった。
しかし、律にそんなことを言ってもどうしようもない。
「近所の大学にしようと思ってる。あそこなら俺でも行けるだろうし」
俺は少し見栄を張ってそう言った。それに律は満面の笑みで応える。
「いいじゃん!遥希ならきっとうまくやれるよ」
「…そうか、ありがとう」
相手が律じゃなければ、多分俺は嫌味だと受け取っていただろう。順風満帆な人間から向けられる、哀れみと嘲笑。でも、律はそんなことするような奴じゃない。しかし、それが善意で向けられた言葉だからこそ、やり場のない劣等感をどうすれば良いのか、俺にはわからなかった。
「よっしゃ!クリア!一人じゃ全くクリアできなかったのに、遥希はゲームうまいね」
コントローラーを投げ出して喜んでいる律の横顔を見て、俺は今の使命を思い出す。そして、頭を振って、暗い感情を振り払った。今は律に劣等感を感じている場合じゃない。律がこの先も順風満帆な人生を送れるかどうかは、俺にかかっているのだ。そんな感情に支配されていては、助けられるものも助けられなくなってしまう。
俺は心機一転、笑顔を作って律の肩に手を回した。
「まー俺に任せとけばこれくらい楽勝だな!」
「自画自賛すんなよー!」
律もそう言って笑い返してくれる。俺はこの日常を守らなければならないんだ。
「手伝ってくれたお礼に、なんかご馳走するよ」
律はそう言って冷蔵庫を確認しに行くが、
「ごめん、遊びに行くと思ってたから何にもないや。買いに行こう」
と外出の準備を始めた。
「いやいいよ!腹減ってないし!なんもなくて良いから!」
俺は慌てて律の行動を止めるが、律は訝しげな顔をする。
「よくないでしょ。お昼ご飯もないから、どっちみち買い物は行かないと。今ちょうど九時でスーパー開店したから、混む前に行きたいんだけど」
そう言われて返事に困る。テーマパークをやめるために「混むのが嫌」と言ってしまった手前、「混んでも良いからあとで行こう」とは言えなかった。そうなると、律を家から出さないためには…
「俺が買いに行くから。奢ってやるよ」
そう言うしかなかった。正直、律を家で一人にするのは心配だったが、外に出すよりかはよっぽどマシだろう。
「遥希の奢り!?サンキュー!最近金欠だったから助かった!」
律は、聞き覚えのある言葉を言うと、用意していたエコバッグを俺に渡してきた。
「すぐ帰ってくるから、家から出るなよ」
俺はそう言い残して、スーパーへと買い物に向かった。
律の言う通り、開店したばかりのスーパーはそれほど人がいなかった。カートとカゴを用意すると、急いで適当な弁当とお菓子、ジュースを入れてレジに並んだ。年末で人手が足りないのと、開店直後なのもあってか、レジは半分しか稼働していなかった。その上、このスーパーは最近では珍しくセルフレジを導入していないので、有人レジに並ぶしかない。人が少ないといっても年末だ。レジには列ができている。
俺はスマホで律に連絡を取りながら列が進むのを待っていた。幸い、律からはすぐに返信が来るので、家で待ってくれているのだろう。ようやくレジの順番が来た。スマホはポケットにしまい、財布を取り出して会計をする。受け取った商品を急いで袋に詰め、スーパーから出ると、再び律に連絡を取った。
しかし、今度はいつまで経っても返信が来ない。嫌な予感がする。俺は全速力で律のマンションに向かった。走ればせいぜい十分の距離だ。息を切らしてマンションに辿り着くと、エントランス前にはあの時と同じように、人だかりができていた。人ごみを掻き分け、ようやく律の姿が見えた。
律は、刃物で腹部を刺され、血を流しながら倒れていた。手にはスーパーのポイントカードが握られている。そのそばでは、数人の男が刃物を持った男を取り押さえている。おそらく、そいつが犯人なのだろう。野次馬から、通り魔という言葉が聞こえてきた。
つまり律は、俺にポイントカードを届けようとしたところで、運悪く通り魔に襲われ、殺されてしまったということか?
救急車とパトカーが到着し、犯人は連行され、律は担架に乗せられて病院に搬送されていった。しかし、周りの様子を見るに、律はもう助からないのだろう。
また失敗した。律を一人にしてはいけないとわかっていたのに、家の中なら大丈夫だろうと思ってしまった。律が勝手に外に出る可能性を考慮しなかった。せめて二人で外出していれば、通り魔に狙われることはなかったかもしれなかったのに…。
体から力が抜け、視界が暗くなっていく。大丈夫、きっとまた戻れる。俺に使命があるならば、もう一度チャンスをもらえるはずだ。
「ごめんな、律…。今度こそ、ちゃんと守ってやるから…」
俺の意識は闇の中に落ちていった。
慣れた家のベッドで目が覚める。スマホを確認すると2024年12月31日朝六時。俺はまた、大晦日の朝に戻ってくることに成功した。前回は見切り発車で律に会いにいってしまったが、今回はきちんと作戦を立ててから会いに行こう。俺のせいで律が死んでしまうのは、もう懲り懲りだ。
二回の律の死を思い出してみると、そこには共通点があった。俺が律に奢ると言うと、律は同じ言葉を言って、俺を待つ間にその場を離れその先で死ぬ。つまり、俺が律に何かを奢るために、律を一人にすることが、死のトリガーになっている可能性は否定できないということだ。それならば、俺が律のそばにぴったりくっつき、片時も一人にしなければ、律の死は避けることができるはずだ。
俺はリビングに行き、朝食を作っていた母に頼んで二人分の弁当を作ってもらった。それから、家にあるお菓子を大量に鞄に詰めた。これだけ食べ物があれば、律がスーパーに行きたがることはないだろう。それから、二人で遊べるゲームソフトもありったけ用意した。やることがなくなって、「遊びに行こう」と言われるようなことがないようにするためだ。
そして、最後の仕上げに、母にバレないよう鞄に包丁を一本忍ばせた。律の外出を止められなかったり、家に誰かが押し入ったりした時のための保険だ。
確証はないが、今日一日を乗り越えることができれば、律はもう大丈夫だと思う。今日だけは、絶対に律から離れないと覚悟を決めた。
前回と同じように律の家に押しかけ、適当な言い訳をつけて部屋に入らせてもらった。律は眠そうにしていたが、俺がいないうちに死なれては困るので仕方がない。母が作った弁当を見せると、律は嬉しそうにした。
「美味しそう!遥希のお母さんは料理うまいね!毎日これが食べられるなんてマジで羨ましい」
「冷食も結構入ってるけどな」
「冷食美味しいじゃん。それに俺、誰かの手作り料理食べるの久しぶりだから…」
そう言う律の顔からは、寂しさが滲み出ていた。律の両親は昔から仕事が忙しく、一人で留守番をしたり、親戚の家や俺の家に泊まったりすることも少なくなかった。気丈に振舞ってはいるが、寂しさを感じて当然だ。
俺は律の背中を叩くと、
「今度俺がなんか作ってやるよ」
と笑いかけた。
「えー、遥希料理なんてできるの?」
「まあそりゃ、カップ麺くらいなら作ったことあるし。あとレトルトカレーとか」
「それ料理じゃなくない!?」
そう言って、律は再び笑顔を取り戻した。
その後、ゲームをしたり弁当を食べたりして、律が死なないまま午後三時になった。これまでは午前中に命を落としていたため、ここまで生きられたのは新記録だ。もしかすると律は死なないかもしれない。そう思った矢先
「ちょっと洗濯物干してくるね」
と、律がカゴを持ってベランダに出ようとしていた。俺は急いでカゴを取り上げた。
「やめろ!そんな危険なことするな!」
「え、いや何が危険なの?洗濯物干すだけじゃん」
律は困惑しているが、ベランダが危険じゃないわけがない。ここは十二階だ。転落したらひとたまりもない。しかし、そんな事情を知らない律は不満を口にする。
「早く干さないとしわになっちゃう。いつもやってることだから危険なんてないし」
「…わかった。じゃあ俺も手伝うから、二人でやろう」
俺は鍵を開けると、カゴを持ってベランダに出る。柵から下をのぞいてみるが、やはり十二階はかなりの高さだ。俺に続いて律もベランダに出て洗濯物を干し始めた。
「すぐ終わるから、手伝わなくても良いのに」
「すぐ終わるならこれくらいやらせろよ」
俺は急いで洗濯物干しを終わらせ、律をベランダから押し出した。鍵をかけ、律の無事を確認する。幸い、何事もなく終わったようだ。
「なーんか今日の遥希、過保護じゃない?なんかあった?」
その後、ソファに座って休んでいると、律にそう聞かれた。あのあとも、お茶を入れようとしたら「火は危ない」と付き添ったり、ハサミを使おうとしたら「刺さったらどうする」と代わりにやったり、挙げ句の果てにはトイレにまでついて行こうとしたため、流石に怪しまれたようだ。
「家庭内の事故、みたいなテレビ特集見て、怖くなったんだ」
「ほんとー?」
そう誤魔化したが、律は納得していない様子だ。しかし、怪しまれても良いから危険を排除しなくては、また律が死んでしまう。
「ほら、そんなことよりゲームしようぜ。色々持ってきたからさ」
俺はそう言って、無理やり律の興味を逸らした。
それから数十分、律から離れたくなくてずっとトイレを我慢していたが、流石にもう限界だ。
「ちょっとトイレ行くけど、律も来る?」
そう聞くが、律は首を横に振った。たった数分でも律のそばを離れるのは心配だったので、できることなら拘束して机に縛りつけてやりたかったが、流石に怪しまれるし、なんなら家を追い出されるかもしれない。それならプライドを捨ててここでしてやることもできるが、多分風呂に入れられるだろうし、そうなれば律から離れる時間がもっと長くなってしまう。仕方がないので、覚悟を決めてトイレに行った。
トイレから戻ると、案の定だった。目を離したのは、体感でたかだか二分。それなのに、リビングには律の姿はなく、ベランダの鍵は開かれていた。柵から下を覗くと、まだ誰にも見つかっていない、大量の鮮血が見える。その場で座り込むと、律のスマホが落ちていることに気がついた。俺がトイレに行っている間にスマホを見ようとし、ベランダに落としたことに気づき、取りに行ったところでバランスを崩して転落。これが事の顛末だろう。
ベランダからの転落は予想できていた。だから、一人で行かせることはしなかった。しかしこれは、どうやって防げば良かったのだ。どの手段を取っても、最終的に律は俺の隙を見てスマホを取りに行っただろう。スマホを落としたことに気づかなかったのが悪いのか、ベランダに少しでも行かせてしまったことが悪いのか。そばにいたところで、俺は律の死を防ぐことはできなかった。
絶望感が脳を侵食していく。戻ることができるのが俺じゃなかったら。それこそ律だったら、きっともっと上手くやれた。今頃、誰も死ぬことなく新年を迎えることができていた。律のそばにいたのが、俺じゃなければ…。
後悔と絶望の中、段々と視界が暗くなり、俺の意識は闇の中に落ちていった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
文官たちの試練の日
田尾風香
ファンタジー
今日は、国王の決めた"貴族の子息令嬢が何でも言いたいことを本音で言っていい日"である。そして、文官たちにとっては、体力勝負を強いられる試練の日でもある。文官たちが貴族の子息令嬢の話の場に立ち会って、思うこととは。
**基本的に、一話につき一つのエピソードです。最初から最後まで出るのは宰相のみ。全七話です。
悪役令嬢の姉は異世界転移しない~ツミビトライク・ループ~
kio
恋愛
私は原作に存在しないはずの悪役令嬢の姉として、
乙女ゲーム『ツミビトライク』の世界に入り込んでしまったらしい。
しかも、悪役令嬢の妹がマルチバッドエンド迎える度に、
世界が巻き戻ってしまうという余計な追加要素まで付いて。
姉想いの妹と化した彼女へと情を移してしまった私は、
困難極める生存ルートを求めて、今日も悪戦苦闘の日々を送っている──。
※正確なジャンルは「キャラ文芸」となりますが、判別上カテゴリーエラーに該当するため、現在「恋愛」ジャンルとして登録しています(自動で判別された「ファンタジー」ジャンルから変更しました)。
幼馴染バンド、男女の友情は成立するのか?
おおいししおり
ミステリー
少々変わった名前と幼馴染みたちとバンドを組んでいる以外、ごく平凡な女子高生・花厳布良乃は毎晩夢を見る。――隣人、乙町律の無残な屍姿を。
しかし、それは"次に"記憶や夢として保管をされる。
「恐らく、オレは――少なく見積もっても千回程度、誰かに殺されている」
と、いつもの如く不愛想に語る。
期して、彼女らは立ち向かう。 摩訶不思議な関係を持つ男女4人の運命と真実を暴く、オムニバス形式の物語を。
戦神、この地に眠る
宵の月
恋愛
家名ではなく自身を認めさせたい。旧家クラソン家の息女エイダは、そんな思いを抱き新聞記者として日々奮闘していた。伝説の英雄、戦神・セスの未だ見つからない墓所を探し出し、誰もが無視できない功績を打ち立てたい。
歴史への言及を拒み続ける戦神の副官、賢人・ジャスパーの直系子孫に宛て、粘り強く手紙を送り続けていた。熱意が伝わったのか、ついに面談に応じると返事が届く。
エイダは乗り物酔いに必死に耐えながら、一路、伝説が生まれた舞台の北部「ヘイヴン」へと向かった。
当主に出された奇妙な条件に従い、ヘイヴンに留まるうちに巻き込まれた、ヘイヴン家の孫・レナルドとの婚約騒動。レナルドと共に厳重に隠されていた歴史を紐解く時間が、エイダの心にレナルドとの確かな絆と変化をもたらしていく。
辿り着いた歴史の真実に、エイダは本当に求める自分の道を見つけた。
1900年代の架空の世界を舞台に、美しく残酷な歴史を辿る愛の物語。
【完結】「ループ三回目の悪役令嬢は過去世の恨みを込めて王太子をぶん殴る!」
まほりろ
恋愛
※「小説家になろう」異世界転生転移(恋愛)ランキング日間2位!2022年7月1日
公爵令嬢ベルティーナ・ルンゲは過去三回の人生で三回とも冤罪をかけられ、王太子に殺されていた。
四度目の人生……
「どうせ今回も冤罪をかけられて王太子に殺されるんでしょ?
今回の人生では王太子に何もされてないけど、王子様の顔を見てるだけで過去世で殺された事を思い出して腹が立つのよね!
殺される前に王太子の顔を一発ぶん殴ってやらないと気がすまないわ!」
何度もタイムリープを繰り返しやさぐれてしまったベルティーナは、目の前にいる十歳の王太子の横っ面を思いっきりぶん殴った。
「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します。
※小説家になろうにも投稿しています。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
悪役令嬢は始祖竜の母となる
葉柚
ファンタジー
にゃんこ大好きな私はいつの間にか乙女ゲームの世界に転生していたようです。
しかも、なんと悪役令嬢として転生してしまったようです。
どうせ転生するのであればモブがよかったです。
この乙女ゲームでは精霊の卵を育てる必要があるんですが・・・。
精霊の卵が孵ったら悪役令嬢役の私は死んでしまうではないですか。
だって、悪役令嬢が育てた卵からは邪竜が孵るんですよ・・・?
あれ?
そう言えば邪竜が孵ったら、世界の人口が1/3まで減るんでした。
邪竜が生まれてこないようにするにはどうしたらいいんでしょう!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる