ピジョンブラッド

楠乃小玉

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第一話 腐れマグロ

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 峰羽涼子ミネバリョウコは国道2号線を右折し、
 大蔵谷海浜公園内モデルルーム展示場の駐車場に車を止めた。
 時間をチェックする。十月十七日午前十時二十五分
 松が多く植わった子海浜公園。
 かつては白砂青松の浜の避暑地としてもてはやされ、
 日本でもっとも住みたい避暑地に選ばれたこともあるとか。
 そこから朝霧川にかかる架橋に足早に向かった。

 朝霧川の河口の向こう、淡路島側から一隻の小型漁船がこちらに向かっているのが見える。
 涼子の姿を見つけたのか、漁船の中から漁師が手を振る。
 その漁師の足下に縦八十センチ横六十センチほどの
 ブルーのプラスチッククーラーボックスがあるのが見えた。

 「チッ、腐れマグロか」
 涼子は舌打ちをした。
 涼子は川の東側の接岸地におりたっていたが、
 大きく腕を振って、対岸に船を泊めるように指示を出す。

 「西側に接岸してくださーい、こっちにはこないで」
 大声で叫ぶが、漁師は興奮しているようで、どんどん涼子に近づいてくる。
 「それどころじゃないっすよ、これ、はやく受け取ってくださいよ、
 海に浮いてたんですよこれ、きもちわるい」
 必死の形相で漁師は叫んでいる。
 「だから、西側に接岸してくださいって、言ってるでしょ」
  涼子は少し切れ気味に叫ぶ。
 「そんなの、どっちでもいいでしょ、何とかしてよよこれ」
  漁師は叫ぶ。
  涼子は服のコートのポケットに手を突っ込み、
 怒りの表情でコートのポケットの中の突起物を漁師に向けて突きつける。
 「いいから、西側に接岸しろっつってんだろうが、これ、ぶっぱなすぞ、ゴルアッ!」
 「ピストル!ヒイッ、人殺し!」
  涼子の至近距離まで来ていた漁船は急いで反転して川の西側に着岸する。

 ほどなくして制服警官たちが数人駆けつけて
 船から大型クーラーボックスを引き上げ、漁師に事情を聞いている。
 漁師は涼子のほうを指さし、何か叫んでいる。警官たちは一斉に涼子を見た。
 涼子はゆっくりと橋を渡り、警官たちの方へ向かった。
 「ちょっとあんた、あの人に拳銃つきつけたんだって」
 一人の警官が涼子につめよってきた。
 「いいえ、ボールペンよ」
  涼子はコートのポケットからボールペンを出した。
 「なんでそういうややこしい事をするかなあ、とりあえず、署まで来てくれる」
 「いや、所轄が違うから、そっちには行けないわ」
 涼子はそういいながらコートの内ポケットから警察バッチを取り出した。
 制服警官は反射的に敬礼する。が、そのあと、困惑した表情をした。
 「いや、それだったら、何で誤解を生むような事したんですか」
 「だって、新品のコートに腐れマグロの臭いがつくのいやだもん。
 川の東側は神戸市の所轄だけど西側は明石の所轄でしょ。
 明石署のほうであのクーラーボックス開けて」
 「腐れマグロ?ああ、腐乱死体の事ですか
 、まだ腐乱死体と決まったわけじゃないですけどね。」

 その警官は少し眉間にシワをよせながら部下の警官たちの方を向いた。
 「おい、開けてみろ」
 「はい」
 部下の警官がクーラーボックスを開ける。
 「なんだこりゃ」
 クーラーボックスを開けた警官が素っ頓狂な声をあげた。
 興味をそそられたのか涼子はクーラーボックスに近づき、
 中を見る。中にはモロモロとした白い液体がただよっていた。
 「あーこれは溶けたトイレットペーパーだわ。
 トイレットペーパーは流した時トイレにつまらないよう、
 速く溶解するようにできている。時々赤ん坊とかグルグル巻きにして
 ビニール袋に入れて海に捨てたのを上げてきたらこんな感じになる」
 「赤ん坊っ!」
 近くにいた制服警官の一人が思わず声をあげて少しあとずさった。

 「そのクーラーボックスの中に入っている海水を少しずつ流し出してみろ」
 「あ、は、はい」
 上司の命令で、部下の制服警官は嫌なそうな表情をしながら
 クーラーボックスの中の水をゆっくりと流しだした。
 結局、その中に入っていたのはトイレットペーパーの芯の段ボールと
 登山靴の靴紐を結び合わせて五メートルくらいの長さにしたものだった。
 「ふーっ」
 警官たちは安堵のため息を漏らした。
 「ちょっと待って」
 厳しい声で涼子が言ったので、クーラーを持っていた警官がビクッと方をふるわせた。
「そこに入っているドロドロのトイレットペーパーが溶けた液体を全部捨ててはだめよ、
 ちゃんと保管するように手配して。そこい赤ん坊が入っていたかもしれないじゃない」
 「またまたあ」
 警官は苦笑いをした。
 「これは冗談ではないわ。通常クーラーボックスに登山用の靴紐とか
 トイレットペーパーが入っていることが不自然だわ。
 これは首を絞めた紐かもしれないし、もしそうなら、
 被害者の首の皮膚のDNAが付着しているかもしれない。
 このトイレットペーパーは遺体を切断して血を拭き取ったもので、
 海水が浸食したことによって、
 血液の色素ヘモグロビンが抜けてしまったのかもしれないもの。
 すぐに鑑識課を呼んで」
 「あ、はい、わかりました」
 警官は慌てて明石市警に連絡をいれた。
 警察に連絡してきた漁師がばつの悪そうな表情で体を縮めて
 チラチラと涼子を見ている。
 「すいません。早とちりで」
 不審物を海上で拾ってきた漁師は平身低頭で謝罪した。
「いえ、いいんですよ、
 海上の浮遊物を回収してご報告いただいたほうが警察としても助かります。
 ご協力ありがとうございました」
 涼子は柔和な表情で笑った。

 峰羽涼子は兵庫県明石市出身。先祖は元々明石藩の足軽である山口氏の一族であったそうだ。
 同じ明石藩の斉藤一らと行動を共にし、鳥羽伏見、五稜郭の戦いなどで転戦したが、
 帰属していた幕府軍が敗退したため本家に迷惑がかかることを恐れて
 峰羽と改名したらしい。

 峰羽の由来は家紋が違い鷹の羽であったからだそうだ。
 この違い鷹の羽という紋章は元々は九州の阿蘇にある阿蘇神社の御神紋であり、
 遠い先祖が阿蘇神社より拝領してきたものだという。

 涼子の父親の代までは北海道旭川に住んでいたが、
 父親が一念発起して自分探しをはじめ、
 自分のルーツの地である明石に移り住んだということだった。
 幼い日、そうした父親の自慢話を聞かされるたび涼子は激怒して
 「何で神戸に住まなかったの!神戸に住んでいたら私、オシャレな神戸生まれだったのに!」
 と抗議し、父親から指をさされ
 「ギャハハ、こいつ思いっきり馬鹿」
 とよく笑われたことは良い思い出だ。

 関東の人から出身地を聞かれると
 「えーと、神戸の辺り」
 と答えるお年頃の二十六才である。

 最近の出来事で許せなかった事は、ネットで知り合った横浜の友達の家に
 神戸市伊川谷生まれで田んぼのど真ん中に住んでいる女と一緒に遊びに行ったところ、
 横浜の子に「えー神戸市生まれなの?しかも山の手?かっこいー」
 と伊川谷出身の女だけ褒められたことである。
 山の手というか山の奥なのだが。
 明石のほうがずっと都会なのだ。
 その友人が明石に遊びに来たとき明石の商店街のアーケードのカンバンに
 「明石銀座通り」と書いてあって、それを見た友人が思わず
 「ブッ、銀座だって」と言って吹き出したのは彼女のトラウマである。
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