上 下
65 / 76

六十五話 合戦は数が多いほうが勝つ

しおりを挟む
 
 その青ざめた雑兵の姿を義元公が見とがめられた。

 「何を怯えることがあろう。
 この世は合理にて出来て居る。
 我は効率を重んじ、常備兵を減らした経費削減し、
 ういた金で臨時雇用の加世者を大量に雇って軍備を整えた。
 合戦は数が多いほうが勝つ。
 それに比べ、無駄な道を作り、家臣の機嫌をとって、高給を与え、
 正規雇用した織田信長はどうじゃ、兵を雇う金が無くたかだか数千の兵しか雇えぬ。
 万対千、これでどうやって勝つというのか。ははは、もし、この世に神が居るならば、
 この兵力差で織田信長を勝たせてみせよ。迷信を信じ、神などを拝む、
 無学で無知蒙昧な時代遅れを勝たせてみせよ、ハハハハハハ」
 義元公は大声で笑われた。
 
 雑兵たちはコソコソと逃げるようにその場から無言で立ち去っていった。

 義元公は周囲の雰囲気を読まれたのか、少し静粛になられた。

 「さて、此度の戦いで敵を散々打ち負かし、
 名誉の戦死をとげた久野宗経に心から感謝したい。
 して、その死にぶりは如何様であったか」

 義元公は久野宗経の死に様をお聞きになった。
 首を持ってきた使者がその時の状況を説明する。

「して、敵はどのような奴儕であったか」

 「はい、敵は六文銭の飾り兜をかぶっておりました」

 「ん」

 義元公が首をかしげながら元実の方に視線を流す。

 元実は慌てて目を下に向けた。

 六文銭は安倍元真殿ら海野一族が戦場で掲げる旗印である。

 「今すぐ、安倍元真隊を後方にさげよ」

 義元公が命じられた。

 「お待ち下さい」

 元実は思わず義元公の御前に走り出た。

 「前衛の久野隊、井伊隊は度重なる合戦で、
 かなり疲弊しております。
 下げるのであれば、久野隊、井伊隊を下げ、
 弁当を食わせ休息させるべきかと存じます。
 まだ敵主力は主戦場に到着しておりませぬ。今のうちに」

 六文銭は海野一族の旗印であって、
 必ずしも安倍氏のみのものにあらず、
 敵方に海野氏や海野氏の一族から旗印を拝領した者が居ないともかぎらぬ。

 しかし、衆人環視のこの場所で安倍氏の謀反云々に言及するわけにはいかなかった。

 義元公は素知らぬ顔で元実を無視された。

 伝令が戸惑っている。

 「何をしておる、早く言って安倍隊をさげさせよ」

 「はっ」

 伝令は早馬に乗って前線に向かった。

 元実は唇をかみしめた。

 ここに至って無視されるか。

 この期に及んでは、諫言しても受け入れられがたく、
 ただただ義元公の御身をお守りするばかりである。

 義元公は、桶狭間山の陣中にて次なる伊賀衆の報告を待たれているご様子であった。

 しかし、いつまでたっても次の伊賀衆が来ない。

 義元公が多少苛立たれているご様子のところに
 松平元康隊が大高城に入ったとの報告が松平隊の伝令より入った。

 「その方、名をなんという」

 義元公がたずねられた。

 「はい、石川六左衛門尉でございます」

 「六左衛門尉、ちと困った事があっての、
 伊賀の斥候が戻ってこぬ。
 敵方に討たれたやもしれず、
 勇猛な三河衆であれば、
 いかな敵の密偵が強かろうと討たれることはあるまい。
 偵察の任受けてはくれぬか」

 「我ら三河衆の武勇は天下に聞こえたるもの、
 斥候など容易き事にございまする」

 「それは重畳じゃ、早速敵本隊の数を調べてきてほしい」

 「かしこまった」

 石川六左衛門尉は勢い良くその場を立ち去った。

 鳴海城に籠城する岡部元信の部隊より、
 織田本隊は鳴海城を素通りして善照寺砦に入ったとの報告が入る。
 ついで、石川六左右衛門尉が帰還し、義元公の御前に帰参した。

 「織田の軍勢、善照寺砦を出て、前進しておりまする。その数約五千」

 「五千とは甚だ多かれど、そのうち武者はいかほど持ちたるか」

 一宮宗是が聞いた。

 そもそも軍というものは部隊全てが戦闘部隊ではない。
 馬持ち、小荷駄など戦わぬ部隊が大半にて一万の部隊でも
 戦闘部隊は三割から四割ということは間々ある事だ。

 「はっ、我らと違い、その大半が煌びやかな武者ぶりでござる」

 陣中の諸将がざわめいた。

 「馬鹿な、荷駄も無くして飯はどうする、
 鉄砲は、火薬は。それでは戦えぬではないか」

 「いえ、確かに武者ばかり五千。飯も火薬もございませぬ」

 石川六左右衛門尉は頑として言い切った。

 そこへ今川の斥候が戻った。

 今川の斥候によると織田本隊の数はおよそ二千であった。

 「それみろ、見間違いではないか」

 孕石元泰が煽った。

 「嵩にある敵を下より見あげてみるときは、小勢をも大勢にみるものなり」

 石川六左右衛門尉が言い訳するので、
 群臣はどっと笑った。

 しかし、義元公はお笑いにはなっていなかった。

 「あと三千はどこに行ったのか、奇襲を狙うて姿を隠したに違いない」

 義元公だけは石川六左右衛門尉の言葉をお信じになられているようで
 努々油断されぬご様子であった。

 「伝令、至急後方の後詰を全て呼び寄せよ。
 味方前衛が瓦解した時に備える。
 海上の服部友貞隊にも船を出して連絡を取れ。
 熱田に乱入して信長の後方を襲い、兵糧米を悉く焼き払うよう命じよ」

 突然義元公がお叫びになった。

 まだ合戦も序盤、現状で当方は圧勝であるのに、
 なんという用心深さか。俄然本陣は慌ただしくなる。

 実元の父、宗是も動き出す。

 「どうなされたのじゃ、父上」

 実元は父、宗是に近づいてたずねた。

 「義元公は前衛が敵襲で総崩れになった時の事をお考えになり、
 事前に後方に後詰の軍を用意されていたのじゃ。我が軍からも伝令を出すぞ」

 「心得ましてこざいます」

 宗是と元実は各々手分けして、
 危急の用件故、この伝令を無賃で関所、
 伝馬を通すようにと添え状を書き、伝令に渡した。

 諸将はそれに倣って、それぞれ添え状を書いた。

 慌ただしく、各隊から伝令は発せられ、後方に駆け去っていった。

しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

けもの

夢人
歴史・時代
この時代子供が間引きされるのは当たり前だ。捨てる場所から拾ってくるものもいる。この子らはけものとして育てられる。けものが脱皮して忍者となる。さあけものの人生が始まる。

鬼面の忍者 R15版

九情承太郎
歴史・時代
陽花「ヤングでムッツリな服部半蔵が主人公の戦国コメディ。始まるざますよ!」 更紗「読むでがんす!」 夏美「ふんがー!」 月乃「まともに始めなさいよ!」 服部半蔵&四人の忍者嫁部隊が、徳川軍団の快進撃に貢献するチープでファンキーな歴史ライトノベルだぜ、ベイベー! ※本作品は、2016年3月10日に公開された「鬼面の忍者」を再編集し、お色気シーンを強化したイヤんバカン版です。 ※カクヨムでの重複投稿をしています。 表紙は、画像生成AIで出力したイラストです。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

尾張名古屋の夢をみる

神尾 宥人
歴史・時代
天正十三年、日の本を突如襲った巨大地震によって、飛州白川帰雲城は山津波に呑まれ、大名内ヶ島家は一夜にして滅びた。家老山下時慶の子・半三郎氏勝は荻町城にあり難を逃れたが、主家金森家の裏切りによって父を殺され、自身も雪の中に姿を消す。 そして時は流れて天正十八年、半三郎の身は伊豆国・山中城、太閤秀吉による北条征伐の陣中にあった。心に乾いた風の吹き抜ける荒野を抱えたまま。おのれが何のために生きているのかもわからぬまま。その道行きの先に運命の出会いと、波乱に満ちた生涯が待ち受けていることなど露とも知らずに。 家康の九男・義直の傅役(もりやく)として辣腕を揮い、尾張徳川家二百六十年の礎を築き、また新府・名古屋建設を主導した男、山下大和守氏勝。歴史に埋もれた哀しき才人の、煌めくばかりに幸福な生涯を描く、長編歴史小説。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

処理中です...