どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

文字の大きさ
上 下
64 / 76

六十四話 義元の矛先には天魔鬼神も忍べからず

しおりを挟む
 五月十九日早朝
 朝比奈泰朝殿、井伊直盛殿が鷲津砦を包囲され、
 丸根砦を松平信康殿が包囲された。

 伊賀衆の密偵が、
 信長が後詰めを出さない事を確認した上で攻撃が開始された。

 伊賀衆は藤林長門守こそ姿を消したものの、
 それ以外の伊賀者は正常に密偵の役割を果たしていたので、
 誰も藤林に気を配る者はなかった。

 義元公は戦場の状況を把握されるために沓掛城を出られ、
 桶狭間山の陣に向かわれた。

 義元公が到着されると瀬名氏俊は陣から引きの退き、
 松平衆と入れ替わるかたちで大高城に入られた。

 一宮元実も桶狭間山の陣に入ったが、
 しばらくして朝比奈泰朝殿の陣営より使者が来て陥落の知らせがあったので
 視察に向かった。行って見ると多くの将兵が傷ついているが、
 その傷が裂けてひどい事になっている。

 肉片が飛び散り、身動きが取れぬ有様だ。

 これは明かに鉄砲傷だが鉄弾のように貫通しない。

 人の体に玉が入ると、グチャグチャに潰れて体の中を飛び回る仕組みになっている。
 この織田が使った弾が何なのか、ここでは判断が付かなかった。

 実元は早急に本陣に立ち返り、織田が使った新しい弾の事を報告して、
 朝比奈軍の即時撤退を訴えた。

 義元公はそれを許され、伝令が朝比奈軍に走った。

 朝比奈軍が撤退したあと、
 丸根砦陥落の知らせをもって松平元康殿が、
 次に井伊直盛殿が参陣された。松平勢、井伊勢は、
 義元公のお言いつけ通り、砦に火を放って織田方に
 砦陥落を知らせる作業をしていたために参陣が遅くなったようであった。

 まずは松平元康殿が義元公に謁見した。

 「信長がまた、よからぬ物を使うて困られたようじゃの、そなたの身は大事ないか」

 「大事ございませぬ」

 満面の笑顔で元康殿は答えられた。

 元実は鷲津砦の惨状を見て居るので、
 元康殿が何故このように毅然としておられるのか解しかねた。

 「鷲津では大勢死傷者が出たと聞いている。丸根も多く負傷者がおろう」

 「さしたる事はございませぬ」

 「無理はせずともよい、負傷者を率いて後方に引き退くがよい」

 「いいえ、某にとって家臣は宝故死なせるわけにはまいりませぬ。
 よって撤退はできませぬ」

 元康殿は笑顔で言った。

 「それはどういう仕儀じゃ、言うてみよ」

 「はい、負傷した家臣を庇って撤退したとあれば、
 我が家臣は皆主君思いゆえ、恥じ入って切腹してしまいます。
 よって撤退はできませぬ」

 「偉い、よう言うた。そなたこそ武家の鏡じゃ。
 大高城に入って次の出陣の機会を待つがよかろう」

 義元公は大層喜ばれ、元康殿をお褒めになった。

 元実は心が押しつぶされるような息苦しさを感じた。

 あの惨状で放置されれば、負傷した者たちは死ぬ。

 それでもあえて義元公の意を汲んでのあの言いようであろう。

 次に謁見した井伊直盛殿も、先の元康殿の有様を見ておられるので、
 是非戦場にと望んで、前線へと出て行った。負傷した家臣らは助からぬであろう。


 はたして、鷲津、丸根の砦を今川軍が落すと、
 織田軍は出陣したようであった。

 野戦をするつもりであろう。

 兵数の差からいって絶対に織田は勝てぬ。

 勝てぬにしても籠城すればいくらかはましな戦いができる。

 ここで野戦するなど正気の沙汰ではない。

 「合理に逆らうか信長、己の作りし物語に酔うて道を違えし者よ、死してから後悔するがよい」

 信長の出陣の報を聞かれ義元公はつぶやかれた。

 義元公は先に前衛に向かわれた安倍元真殿に加え、
 井伊直盛殿の他に久野元宗殿を前衛に向かわされた。

 その時、思わぬ事が起きた。

 織田の本隊が前線に到着する前に織田方三百が
 今川のおよそ一千あまりの大軍の中に突っ込んきたのだ。

 安倍軍、久野軍は鉄砲で応戦され、
 敵将を討ち取った。

 三百のうち二百の軍勢は打ち破ったが
 もうあと百の軍勢が久野軍の側面に切り込み乱戦となった。

 そこで敵の大将と久野軍の久野宗経が一騎打ちになり、
 宗経が討ち取られた。

 井伊直盛殿が背後に回り込み、挟撃して殲滅しようとしたが、
 それより早く、その百の軍勢は逃げ去った。

 お味方の将が討ち取られたことを井伊の伝令が伝えに来たが、
 それは鎖帷子を着た女だった。

 女は必死で「安倍真元殿に逆心あり」

 と叫んで居たが、戦場に女が紛れ込んでいる事がわかれば
 義元公の御不興を買いかねない。

 おそらく井伊直盛殿が武芸を教えて、
 男として育てているという次郎法師という娘であろうが、
 義元公に合わせるわけにはいかないので、
 井伊の負傷した郎党を後方に運ぶよう実元の独断で命じた。

 井伊の小娘はいきり立った。

 「我らの命より御屋形様のお命です。何故会わせわせぬか」

 「真元殿逆心の証拠やいかに」

 「我等を襲うたのが真元殿の軍勢であった」

 「なぜそう言える。」

 「六文銭の旗印が襲うてきた」

 「そのようなもの、織田の偽装に相違ない。
 真元殿が襲うて来たのを見たわけではあるまい」

 「それを判断するのは御屋形様じゃ、
 何事も報告と相談を怠るなと父より厳命されておる。
 早う合わせぬか、この奸臣め」

 「黙れ、奸臣たるは今まで累代幾度も今川家に
 反旗を翻した井伊ではないか、とっとと失せろ」

 元実が怒鳴りつけると、井伊の小娘は凄まじい形相で元実を睨み付け、
 体を小刻みに震わせたが、唇を噛み、
 拳を握りしめながらも退散していった。

 可哀想にも思ったが、危急存亡の時ゆえそうも言うておられない。

 その騒ぎを聞きつけた雑兵たちがよってきた。

 「謀反らしいぞ」

 「まさかあの安倍殿が」

 などと囁きあっている。

 「さにあらず、散れ」

 元実は怒鳴りちらして雑兵たちを追い払った。

 本陣に帰参すると義元公が不機嫌な顔をされていた。

 「安倍元真謀反の噂これあり、
 そなた、それを報告しにきた井伊の伝令を返したらしいな。
 その意図やいかに」

 「滅相もございませぬ、
 井伊の使いが負傷者を後方に運びたいと申し出てきたので、
 それを許可しました」

 「なぜ、我に報告、連絡、相談せぬ」

 「それは慈悲深き義元公なれば必ず許可されると判断したからでございます」

 「いかにも、許したであろうが、今後は必ず報告せよ、分かったな」

 「かしこまってございまする」

  元実は恐縮して体を縮めた。

 そこに久野の伝令が討ち取った敵の首を持参した。

 「おお、よくやった。早速首実検じゃ」 

 義元公は喜ばれた。元実としても話が他にそれてよかった。

 首実検は尾張の国人衆を見知った半手の者を呼び寄せて行われた。

 結果、首は小豆坂の戦いで勇名をはせた
 佐々政次サッサマサツグ、熱田神社宮司千秋李忠センシュウスエタダ
 である事が分かった。

 今川との合戦で多くの今川衆を討ち取った武将と
 尾張の神社勢力の権威である熱田神社の宮司を討ち取ったことで、
 義元公のご機嫌はすこぶる良くなられた。

 「それ見よ、神社の力いかばかりあらん。
 皆の者、見ておくがよい、
 所詮尾張守旧派の神通力などこの程度のものじゃ」

 義元公がかように喜ばれるのは、熱田神社宮司の死によって、
 この合戦の勝利後、神社に不敬を働いても
 罰が当たらぬという生きた証拠として宣伝し、
 熱田、津島の座を一気に解体する足掛かりにされるためであろう。

 高揚された義元公は大きな声でのたまった。

 「義元の矛先には天魔鬼神も忍べからず。心地良し」

 一瞬周囲がざわめいた。

 義元公が神と自分を比し、己が優位を宣言されたのだ。

 戦場において人を殺そうと、敵を愚弄しようと、
 村から略奪をしようと誰もとがめだてはせぬ。

 しかし、神を愚弄したる事は禁忌であった。

 無学な雑兵などは体を震わせ、手を合わせて必死に拝む者もあった。
しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

敵は家康

早川隆
歴史・時代
旧題:礫-つぶて- 【第六回アルファポリス歴史・時代小説大賞 特別賞受賞作品】 俺は石ころじゃない、礫(つぶて)だ!桶狭間前夜を駆ける無名戦士達の物語。永禄3年5月19日の早朝。桶狭間の戦いが起こるほんの数時間ほど前の話。出撃に際し戦勝祈願に立ち寄った熱田神宮の拝殿で、織田信長の眼に、彼方の空にあがる二条の黒い煙が映った。重要拠点の敵を抑止する付け城として築かれた、鷲津砦と丸根砦とが、相前後して炎上、陥落したことを示す煙だった。敵は、餌に食いついた。ひとりほくそ笑む信長。しかし、引き続く歴史的大逆転の影には、この両砦に籠って戦い、玉砕した、名もなき雑兵どもの人生と、夢があったのである・・・ 本編は「信長公記」にも記された、このプロローグからわずかに時間を巻き戻し、弥七という、矢作川の流域に棲む河原者(被差別民)の子供が、ある理不尽な事件に巻き込まれたところからはじまります。逃亡者となった彼は、やがて国境を越え、風雲急を告げる東尾張へ。そして、戦地を駆ける黒鍬衆の一人となって、底知れぬ謀略と争乱の渦中に巻き込まれていきます。そして、最後に行き着いた先は? ストーリーはフィクションですが、周辺の歴史事件など、なるべく史実を踏みリアリティを追求しました。戦場を駆ける河原者二人の眼で、戦国時代を体感しに行きましょう!

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。

SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。 伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。 そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。 さて、この先の少年の運命やいかに? 剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます! *この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから! *この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。

九州のイチモツ 立花宗茂

三井 寿
歴史・時代
 豊臣秀吉が愛し、徳川家康が怖れた猛将“立花宗茂”。  義父“立花道雪”、父“高橋紹運”の凄まじい合戦と最期を目の当たりにし、男としての仁義を貫いた”立花宗茂“と“誾千代姫”との哀しい別れの物語です。  下剋上の戦国時代、九州では“大友・龍造寺・島津”三つ巴の戦いが続いている。  大友家を支えるのが、足が不自由にもかかわらず、輿に乗って戦い、37戦常勝無敗を誇った“九州一の勇将”立花道雪と高橋紹運である。立花道雪は1人娘の誾千代姫に家督を譲るが、勢力争いで凋落する大友宗麟を支える為に高橋紹運の跡継ぎ統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。  女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。  だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。  その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。  島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。  その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。    

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

処理中です...