上 下
53 / 76

五十三話 増税路線

しおりを挟む
「事ここに至ってはもはや織田信長を討つしかない」

 唐突に義元公が仰せられた。

 軍議に参列した諸将から「おおっ」と歓喜の声が漏れる。

 「ついにご決断めされたか、良きかな」

 雪斎様は気色に満ちた顔で仰せになった。

 「ついては、軍費調達のために増税と経費節減をいたす。
 本年年貢百貫文のところ、五十貫文増分し代官所を閉鎖する」

 続けて仰せになった義元公のお言葉にその場は凍り付いたように静まりかえった。

 「お待ち下さい、代官所を閉鎖しては危急の時に臨機応変に対応できませぬ。
 そのうえ、ただでさえ物価低迷で消費が減少している中、
 代官所を閉鎖してより消費を削減されてなんとなさいます。
 また、消費低迷の中で年貢をあげれば、庶民警戒して余計に消費を控えまする」

 雪斎様お一人が必死になって訴えられた。

 その声はその場にむなしく響いた。

 「何を言うか雪斎、質素倹約は美徳ではなないか。
 銭足りぬ分は始末して経費を減らせば良い。
 ついで、治水土木の人員を削減し、伝馬は商人に委託する」

 柔やかに夢を語られる義元公に朝比奈泰能殿がたまらず異をとなえた。

「お待ちください、伝令伝馬は軍の要にて、
 これを分離したれば、お家の基礎が成り立ちません。
 なにゆえそのような事を唐突に仰せになられるか、
 今まで一度も左様なお話は伺ったことがなかった」

 泰能殿は青ざめたお顔で必死に訴えられた。

「いずれ、一向宗あたりの入れ知恵でございましょう」

 悲壮な表情で雪斎様が仰せになった。

 「いかにも、一向宗の御坊のお教えであるが、
 我はそれを道理であると納得した上で決めたのだ。
 一向宗の御坊だけではない。
 内々に比叡の高僧ともお話いたした。
 本願寺の大僧正、比叡の高僧が口を揃えて、
 年貢をあげて、伝馬を商人にまかせて銭を取れば国が栄えると仰せである。
 そなたら無学の徒がなんぞ、天下の英知に反論せるか。
 考え違いもはなはだしいわ」

 「なりませぬ、物価下落の時勢に年貢を上げてはなりませぬ、決して」 

 雪斎様は声を荒げて叫ばれた。

 このように叫ばれる雪斎様は今まで一度も見たことがなかった。

 「雪斎よ、そこまで断言するなら我とて言わせてもらう。
 賢者は歴史に学び、凡俗は経験に学び、
 愚者は何も学ばず同じ失敗を繰り返して滅ぶ。

 先に甲斐守護武田信虎殿は国内の農家大地主、建設土木を守る事に固執し、
 増税をせず、年貢も上げず、国外から米を入れることを拒絶しつづけた故に米価は高騰し、
 民は飢えに苦しみ、信虎殿は国外追放となった。
 その後、晴信殿が他国より米を買うて勢をあげたれば、甲斐は栄えたではないか

 そなたは信虎殿と同じく地主と土木を守ることにしか目が行かぬ愚者の説法じゃ」

 「晴信殿は米価高き時は国外から入れましたが、
 一旦米価が下がると見るや、米の買い入れを控え、
 治水のための堤を大量に作りました。
 これを甲斐では晴信堤と言うておりまする。
 時勢の変化に対応してこその賢者でございまする」

 「ならばこそ、忠義などと言わず、
 銭この世の全てと考えるのが時勢の変化への対応であろう」

 「それは対応にあらず。臣下に忠義あり、
 君主に公ありてこそ国は回るもの。
 水と糧無くば人死ぬると同じ根本の原理は変わりませぬ」

 「そう言うて理屈を付けては、
 過去に失敗した政策を繰り返そうとするは官官の習性」

 「歴史に学ぶなら、晴信殿の堤の先例を何と心得まする」

 「黙れ、詭弁を弄するな。
 すでに決まったことじゃ。決まったことを覆すのはならぬ。
 本日は散会としたす。散れ」

 義元公は不快の情を露骨に表されて、奥に引き下がられた。

 皆々困惑して顔を見合わせたのである。

 この物が売れぬ時期に年貢をあげ、
 税をあげ、伝馬から銭をとれば、
 益々物は動かなくなる。

 そのような事は馬鹿でも分かることだ。

 しかし、それが何故、天下最高の英知である京の高僧の諸氏には理解できぬのか、
 頭のよい方々のお考えになることは、
 まことに諸人には理解の外であった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

猪口礼湯秘話

古地行生
歴史・時代
 小説投稿サイトのノベルアップ+で開かれた短編コンテスト「“恐怖のチョコレート”三題噺短編コンテスト」に着想を得て書いた短編小説です。  こちらでの表示に合わせる修正を施すと共に本文をごくわずかに変更しております。  この作品は小説家になろうとカクヨムにも掲載しております。

忍びの星 ~落ちこぼれ甲賀忍者の無謀な挑戦~

武智城太郎
歴史・時代
 善吉は、幼い頃より超一流のスター忍びになることを夢見る甲賀忍者の卵。里の忍術教室で長年にわたり修業を積むも、痩せっぽちで気弱な彼は、留年?をくりかえす落ちこぼれであった。師匠からは叱責され、家族からは疎まれ、女子からはバカにされる惨めな日々……。  今回もまた忍びデビューのチャンスを後輩に奪われた善吉は、さすがに心が折れかける。 「世界は広い! 里で忍びになれぬなら他国で仕官すればよい。それも一国一城の大大名に仕えるんじゃ!」    善吉の幼馴染で、タイプは正反対ながら、やはり落ちこぼれであるデブで無神経な太郎太が吠える。  それは恋あり友情あり、そして天下を揺るがす暗殺作戦ありという、想像を超えたいきあたりばったりの冒険のはじまりだった───。    本作は戦国時代が舞台ですが、歴史的背景はきわめて希薄です。〈甲賀の里〉以外の国や人物などはすべて架空のものです。半ファンタジーの青春コメディー忍者アクションとしてお楽しみください。

なよたけの……

水城真以
歴史・時代
「思い出乞ひわずらい」の番外編?みたいな話です。 子ども達がただひたすらにわちゃわちゃしているだけ。

麒麟児の夢

夢酔藤山
歴史・時代
南近江に生まれた少年の出来のよさ、一族は麒麟児と囃し将来を期待した。 その一族・蒲生氏。 六角氏のもとで過ごすなか、天下の流れを機敏に察知していた。やがて織田信長が台頭し、六角氏は逃亡、蒲生氏は信長に降伏する。人質として差し出された麒麟児こと蒲生鶴千代(のちの氏郷)のただならぬ才を見抜いた信長は、これを小姓とし元服させ娘婿とした。信長ほどの国際人はいない。その下で国際感覚を研ぎ澄ませていく氏郷。器量を磨き己の頭の中を理解する氏郷を信長は寵愛した。その壮大なる海の彼方への夢は、本能寺の謀叛で塵と消えた。 天下の後継者・豊臣秀吉は、もっとも信長に似ている氏郷の器量を恐れ、国替や無理を強いた。千利休を中心とした七哲は氏郷の味方となる。彼らは大半がキリシタンであり、氏郷も入信し世界を意識する。 やがて利休切腹、氏郷の容態も危ういものとなる。 氏郷は信長の夢を継げるのか。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

河越夜戦 〜相模の獅子・北条新九郎氏康は、今川・武田連合軍と関東諸侯同盟軍八万に、いかに立ち向かったのか〜

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 今は昔、戦国の世の物語―― 父・北条氏綱の死により、北条家の家督を継いだ北条新九郎氏康は、かつてない危機に直面していた。 領国の南、駿河・河東(駿河東部地方)では海道一の弓取り・今川義元と、甲斐の虎・武田晴信の連合軍が侵略を開始し、領国の北、武蔵・河越城は関東管領・山内上杉憲政と、扇谷上杉朝定の「両上杉」の率いる八万の関東諸侯同盟軍に包囲されていた。 関東管領の山内上杉と、扇谷上杉という関東の足利幕府の名門の「双つの杉」を倒す夢を祖父の代から受け継いだ、相模の獅子・北条新九郎氏康の奮戦がはじまる。

証なるもの

笹目いく子
歴史・時代
 あれは、我が父と弟だった。天保11年夏、高家旗本の千川家が火付盗賊改方の襲撃を受け、当主と嫡子が殺害された−−。千川家に無実の罪を着せ、取り潰したのは誰の陰謀か?実は千川家庶子であり、わけあって豪商大鳥屋の若き店主となっていた紀堂は、悲嘆の中探索と復讐を密かに決意する。  片腕である大番頭や、許嫁、親友との間に広がる溝に苦しみ、孤独な戦いを続けながら、やがて紀堂は巨大な陰謀の渦中で、己が本当は何者であるのかを知る。  絡み合う過去、愛と葛藤と後悔の果てに、紀堂は何を選択するのか?(性描写はありませんが暴力表現あり)  

信乃介捕物帳✨💕 平家伝説殺人捕物帳✨✨鳴かぬなら 裁いてくれよう ホトトギス❗ 織田信長の末裔❗ 信乃介が天に代わって悪を討つ✨✨

オズ研究所《横須賀ストーリー紅白へ》
歴史・時代
信長の末裔、信乃介が江戸に蔓延る悪を成敗していく。 信乃介は平家ゆかりの清雅とお蝶を助けたことから平家の隠し財宝を巡る争いに巻き込まれた。 母親の遺品の羽子板と千羽鶴から隠し財宝の在り処を掴んだ清雅は信乃介と平賀源内等とともに平家の郷へ乗り込んだ。

処理中です...