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四十三話 分からぬ、なぜ努力せぬのか分からぬ。<改正>
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武田より信濃攻めの与力あるよう駿河に使者が訪れ、
雪斎様より兵糧集めたる事申しつかった元実は、
その準備万端整いたるをご報告もうしあげるため今川館に参上した。
おりしも、三浦内匠助殿と偶然に道でお会いし、
今川館に参上されると聞き、共に参らんという事になった。
内匠助殿は小脇に大量の書状を抱えておられた。
織田信勝の軍費調達の借書を買い集める任を義元公より仰せ使ったとのことであった。
龍王丸様のご教育、勘定方の政務、それに加えて、
借書の蒐集とは、まさに八面六臂のご活躍である。
今川館に到着すると内倉助殿は実元に先に御屋形様に拝謁するように、
とお勧めであった。
両人一緒に参っては御屋形様にお気を使わせる、
とのお心使いである。
実に細部にわたって心使いの行き届いた賢臣であると実元は感心した。
元実が先に義元様に拝謁し、兵糧の事ご報告もうしあげ退席したあと、
門前でお待ちの内匠助殿をお呼びもうしあげたが、
門前で立ちたる内匠助殿のご様子がおかしい。
真っ青な顔で顔から脂汗が流れておる。
「これはお具合が悪いのではあるまいか、
少し休まれるがよろしかろう」
「休むなどとんでもない。恐れ多くも龍王丸様の傅役が
そのように怠けた態度を取っておっては家中に示しがつかぬ」
「病とあれば別儀にござる、たれか、水を持て」
家中の者が慌てて奥に下がった。
「いや、ご心配めさるな、ご心配」
内匠助殿は小脇に抱えた書状をとりおとされる。
ばらばらとそれは舞いながら地に落ちた。
「ああ大事な書状が……」
内匠助殿はそれを拾わんと手を伸ばされるがそのまま崩れ落ち、
しゃがみ込んでしまわれた。
「今すぐ休まれよ、御身が危ない」
「大丈夫、大丈夫でござる。
これしきの事、気力でえはああっ、あうあ、」
言葉を発せられなくなったか内匠助殿は両手で頭を抱えられた。
そのまま、館の玄関で前にのめるように倒れられた。
「何事じゃ」
騒ぎをお聞きつけになられた義元公が奥よりお出ましになられる。
その時、内匠助殿は大声で高いびきをかいておいでであった。
「このような衆人の見る前で昼寝など、なんたる不調法」
義元公は眉をひそめられた。
「お待ち下さい、内匠助殿はあまりにもお疲れのご様子
、安静にして薬師と家人を呼びましょう」
「内匠助、そなたほどの者がこのような場所で寝こけるとは、
起きよ、そなたなら起きられるはずじゃ、起きよ」
義元公が何度呼びかけられても内匠助殿はそのまま大いびきをかいて寝続けた。
「もうよい、ずっと寝ておれ」
義元公は呆れられ、奥に引き退かれた。
その後、内匠助殿は奇跡的に一命をとりとめられた。
しかし、義元公のご勘気はとけず、
守り役の責をとかれ、蟄居謹慎を申しつけられた。
三浦内匠助殿から引き離されたと知るや
龍王丸様は狂ったように泣き叫ばれ、
屋敷の奥に引きこもられ勉学も武芸も何もされなくなった。
義元公が怒り、折檻して叱っても傀儡のように体の力を抜き、
何の抵抗もされず、ただ殴られるだけであった。
これには義元公もかなりお心に堪えられたようであった。
久々に一宮の館へ内密においでになり、
宗是の前で息子が心配だとのたまい、
お嘆きであられた。
義元公はまるで鉄人のようなお方である。
その鉄人もご自分のご子息のこととなればままならぬものであるのだ。
またこれほどのお方であろうと息子のために涙をお流しになるのだなあと思い、
元実としても感慨深いものがあった。
「分からぬ、なぜ努力せぬのか分からぬ。
我は幼き頃より進んで勉強をした。
武芸もした。
名門今川家の嫡子ならば当然の事と思うて
何の苦もなく学び続けた。
遊んだことも怠けた事も一度もない。
それが、我が血を引く息子は何故これほどに怠けるのか。
かわいい龍王丸の行く末が心配で心が裂けそうである」
「それは我ら譜代の家臣、秀逸な師であらせられる
太原雪斎様がおいででありましたゆえ、
お心にお迷いが無かったのでしょう。
龍王丸様にもお支えする近臣が必要かとぞんじまする」
「それは高名な僧がよいか」
「されど、今はお心を閉ざされておられますので、
親しき者を付けられ、お慰めするのがよろしいのではと
臣は愚考いたしまする」
「わかった、そのように計らおう。
それにしても大事な龍王丸をこのように甘やかして育てた
三浦内匠助の失態やいかばかりかあらん。断じて許しがたい」
「恐れながら、龍王丸様は三浦殿にいたくご執心であられました。
決して龍王丸様の傍ではそのような事のたまわってはなりませぬ。
また龍王丸様のお心が立ち直られるまでは
ご随意にしてさしあげるのが宜しいかと。
このままでは龍王丸様のお心が死んでしまわれます」
「うむ、そうであるな、大事な嫡子が自害でもしようものなら、
悔やんでも悔やみきれぬ。
しばし様子を見ることとしよう」
義元公は宗是の助言を受けて帰ってゆかれた。
「子育てには兵法書がないからの」
義元公が帰られてから父が元実に言うた。
「勉強は本を読めば答えが載っておる。
だから努力してそれを学べば良い。
しかし人の世というものは答えの分からぬ事も多くあるということじゃ」
「親父様は某を育てる時も苦労され、悩まれたか」
「ふふふ、それはそなたが父になれば分かろう」
「何やら逃げられた気がいたしまする」
「言うたろう、子育てには兵法書はないと。
某の答えを教えたとて、
そなたの子供には役に立つまい。
己が頭で考えよ」
「これは手厳しい、ははは」
「わはは」
元実は父と一緒に笑った。
他人事だから笑っていられる。
義元公のご心労いかばかりや。
義元公は三浦内匠助殿を御信任なされていただけに、
その失望は大きく、
お怒りも尋常のものではなかったようではあるが
龍王丸様のお気持ちをおもんばかられ、
家禄没収や追放はまぬがれた。。
守り役としての立場は大きく制限され、
補佐として龍王丸様が親しくしておられるご学友、
大原資良の息子、大原右衛門佐がつけられた。
また大原は素性賤しきと蔑まれることも多かったので、
大原右衛門佐に三浦内匠助の養子とし、三浦義鎮とした。
表では皆この義元公のご判断をご賢明と褒めたが、
内々では三浦内匠助殿に同情せぬ者は無かった。
雪斎様より兵糧集めたる事申しつかった元実は、
その準備万端整いたるをご報告もうしあげるため今川館に参上した。
おりしも、三浦内匠助殿と偶然に道でお会いし、
今川館に参上されると聞き、共に参らんという事になった。
内匠助殿は小脇に大量の書状を抱えておられた。
織田信勝の軍費調達の借書を買い集める任を義元公より仰せ使ったとのことであった。
龍王丸様のご教育、勘定方の政務、それに加えて、
借書の蒐集とは、まさに八面六臂のご活躍である。
今川館に到着すると内倉助殿は実元に先に御屋形様に拝謁するように、
とお勧めであった。
両人一緒に参っては御屋形様にお気を使わせる、
とのお心使いである。
実に細部にわたって心使いの行き届いた賢臣であると実元は感心した。
元実が先に義元様に拝謁し、兵糧の事ご報告もうしあげ退席したあと、
門前でお待ちの内匠助殿をお呼びもうしあげたが、
門前で立ちたる内匠助殿のご様子がおかしい。
真っ青な顔で顔から脂汗が流れておる。
「これはお具合が悪いのではあるまいか、
少し休まれるがよろしかろう」
「休むなどとんでもない。恐れ多くも龍王丸様の傅役が
そのように怠けた態度を取っておっては家中に示しがつかぬ」
「病とあれば別儀にござる、たれか、水を持て」
家中の者が慌てて奥に下がった。
「いや、ご心配めさるな、ご心配」
内匠助殿は小脇に抱えた書状をとりおとされる。
ばらばらとそれは舞いながら地に落ちた。
「ああ大事な書状が……」
内匠助殿はそれを拾わんと手を伸ばされるがそのまま崩れ落ち、
しゃがみ込んでしまわれた。
「今すぐ休まれよ、御身が危ない」
「大丈夫、大丈夫でござる。
これしきの事、気力でえはああっ、あうあ、」
言葉を発せられなくなったか内匠助殿は両手で頭を抱えられた。
そのまま、館の玄関で前にのめるように倒れられた。
「何事じゃ」
騒ぎをお聞きつけになられた義元公が奥よりお出ましになられる。
その時、内匠助殿は大声で高いびきをかいておいでであった。
「このような衆人の見る前で昼寝など、なんたる不調法」
義元公は眉をひそめられた。
「お待ち下さい、内匠助殿はあまりにもお疲れのご様子
、安静にして薬師と家人を呼びましょう」
「内匠助、そなたほどの者がこのような場所で寝こけるとは、
起きよ、そなたなら起きられるはずじゃ、起きよ」
義元公が何度呼びかけられても内匠助殿はそのまま大いびきをかいて寝続けた。
「もうよい、ずっと寝ておれ」
義元公は呆れられ、奥に引き退かれた。
その後、内匠助殿は奇跡的に一命をとりとめられた。
しかし、義元公のご勘気はとけず、
守り役の責をとかれ、蟄居謹慎を申しつけられた。
三浦内匠助殿から引き離されたと知るや
龍王丸様は狂ったように泣き叫ばれ、
屋敷の奥に引きこもられ勉学も武芸も何もされなくなった。
義元公が怒り、折檻して叱っても傀儡のように体の力を抜き、
何の抵抗もされず、ただ殴られるだけであった。
これには義元公もかなりお心に堪えられたようであった。
久々に一宮の館へ内密においでになり、
宗是の前で息子が心配だとのたまい、
お嘆きであられた。
義元公はまるで鉄人のようなお方である。
その鉄人もご自分のご子息のこととなればままならぬものであるのだ。
またこれほどのお方であろうと息子のために涙をお流しになるのだなあと思い、
元実としても感慨深いものがあった。
「分からぬ、なぜ努力せぬのか分からぬ。
我は幼き頃より進んで勉強をした。
武芸もした。
名門今川家の嫡子ならば当然の事と思うて
何の苦もなく学び続けた。
遊んだことも怠けた事も一度もない。
それが、我が血を引く息子は何故これほどに怠けるのか。
かわいい龍王丸の行く末が心配で心が裂けそうである」
「それは我ら譜代の家臣、秀逸な師であらせられる
太原雪斎様がおいででありましたゆえ、
お心にお迷いが無かったのでしょう。
龍王丸様にもお支えする近臣が必要かとぞんじまする」
「それは高名な僧がよいか」
「されど、今はお心を閉ざされておられますので、
親しき者を付けられ、お慰めするのがよろしいのではと
臣は愚考いたしまする」
「わかった、そのように計らおう。
それにしても大事な龍王丸をこのように甘やかして育てた
三浦内匠助の失態やいかばかりかあらん。断じて許しがたい」
「恐れながら、龍王丸様は三浦殿にいたくご執心であられました。
決して龍王丸様の傍ではそのような事のたまわってはなりませぬ。
また龍王丸様のお心が立ち直られるまでは
ご随意にしてさしあげるのが宜しいかと。
このままでは龍王丸様のお心が死んでしまわれます」
「うむ、そうであるな、大事な嫡子が自害でもしようものなら、
悔やんでも悔やみきれぬ。
しばし様子を見ることとしよう」
義元公は宗是の助言を受けて帰ってゆかれた。
「子育てには兵法書がないからの」
義元公が帰られてから父が元実に言うた。
「勉強は本を読めば答えが載っておる。
だから努力してそれを学べば良い。
しかし人の世というものは答えの分からぬ事も多くあるということじゃ」
「親父様は某を育てる時も苦労され、悩まれたか」
「ふふふ、それはそなたが父になれば分かろう」
「何やら逃げられた気がいたしまする」
「言うたろう、子育てには兵法書はないと。
某の答えを教えたとて、
そなたの子供には役に立つまい。
己が頭で考えよ」
「これは手厳しい、ははは」
「わはは」
元実は父と一緒に笑った。
他人事だから笑っていられる。
義元公のご心労いかばかりや。
義元公は三浦内匠助殿を御信任なされていただけに、
その失望は大きく、
お怒りも尋常のものではなかったようではあるが
龍王丸様のお気持ちをおもんばかられ、
家禄没収や追放はまぬがれた。。
守り役としての立場は大きく制限され、
補佐として龍王丸様が親しくしておられるご学友、
大原資良の息子、大原右衛門佐がつけられた。
また大原は素性賤しきと蔑まれることも多かったので、
大原右衛門佐に三浦内匠助の養子とし、三浦義鎮とした。
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