上 下
40 / 76

四十話 理想の現実のために

しおりを挟む
 その後も義元公はご熱心に大原資良のご報告をお聞きになられたが、
 聞けば聞くほど信長の所行に義元公はご不快の表情を露わにされた。

 政務は家臣に任せ、開いた時間は遊び回っている。

 武家でありながら戯れに女の着物を着て女踊りを踊る。

 金を無駄使いし、国の借金を増やして無駄な道を作り、
 無駄な土木事業を次々とやった。

 それでも尾張は信秀の時代よりも収益があがっていた。

 「惑わされてはならぬぞ、これは信秀が美濃と仲違いしたために収益が下がり、
 信秀が死んだが故に一時的に利が回復しただけじゃ。
 君主が放蕩を続ければ、必ずや家は滅びよう」

 義元公は家臣らのそのようにご教授なされた。

 しかし、信長は遊び続け、収益は上がり続けた。

 不審に思われた義元公は尾張の事情に通じたる一向宗徒服部友貞を呼び、
 織田信長という男の素行を聞いた。

 「信長という男、尾張では無駄な道ばかり作るうつけと呼ばれておりまする」

 友貞は口元に笑いを含みながら言った。

 「してその素性はいかなるや」

 「拙僧も会うた事がございまするが、
 とんだ食わせ者にございまする。
 主君になってすぐ、貧しき庶民を救うと言うて銭を集めましたが、
 銭ではどうせ信長が放蕩に使うと思うて、
 拙僧は穀物と大鍋を大量に持って参りました。
 すると、信長はそれを受け取り、大釜を売り飛ばし、
 穀物も売り払って、それら集まった金で道を作ったのです」

 友貞の話を聞きに来た諸将がざわめいた。

 「御坊はその穀物を煮炊きして貧しき者らに振る舞おうとされたのであろう」

 「そうでございまする。
 貧しき民に食を振る舞うのも御仏の道。
 それを、何の銭にもならぬ道を作るなど正気の沙汰とは思えませぬ
 言うにことかいて、人は銭や飯など恵んでほしいとは思わぬ、
 己で働いて稼いでこそ、やりがいがあるものだ。我は道を作り、
 飢えた民に職を与えるなどと屁理屈を言う」

 「信長は道を作るのが好きか」

 「はい、それはもう、道と堤を作るのがなにより好きでございまする。
 どうせ賤しき土手方に裏から銭でも貰うておるに違いございませぬ。
 土木業者と癒着して腐敗しておるのでございまする。
 まことにけがらわしい」

 「それでよう民がついてくるのお」

 「それが怪しき技で民をたぶらかしておりまする」

 「怪しき技とは何ぞ」

 「賤しき河原者の真似をして無知蒙昧な民の前で演劇をやりまする。
 己が天人に分し、家臣が眷属に扮装して、
 己が第六天魔王であると信じ込ませておりまする」

 「第六天魔王は、はるか昔南朝方が後醍醐天皇が化身したと吹聴して
 民を騙し、騒乱を起こしていた手口ではないか。
 そのような古き手口を蒸し返し、
 旧南朝方の古き欲情を目覚めさようとしておるか」

 「その通りでございまする。
 この世の真の理想など民には知るべくもなく、
 ならば物語を演じ、それを見せる事で正しき道へと
 導くのだと無茶苦茶な事を言うておりまする。
 教養ある者であれば、この世には義があり、
 真実と理想がある事が分かっておりまする。
 究極の正義がある事を知っておりまする。
 それをあの信長はみな虚構であると、
 すべては物語であると、
 頭の悪いことを言っておるのでございまする」

 「それはさすがに頭が悪い。
 されど、勉学は努力せねば身に付かず、
 怠け者の民にはかえって、そのような欺瞞が受け入れられるものじゃ。
 かような天下の害悪は、いつか退治して正義の理想を貫かねばならぬ」

 「真に仰せの通りでございまする」

 義元公のお言葉に友貞は納得したようにうなずいた。

 「ならば、すぐさま信長を討ちましょう。この孕石元泰、
 必ずや信長の首取ってみせましょう」

 孕石光尚に同行し、列席を許されていた孕石元泰が叫んだ。

 このような場所では若輩の新参者は口を謹むべき処であったが、この親子は何かと煩い。

 「勇ましきかな。
 その心がけ、武家として感心である。
 されど、兵法は戦わずして敵を屈服させるが善の善なり。
 まずは織田の得意と致す商いを潰してやろうぞ。さて、御坊」
 義元公は友貞に視線を送る。


 「ははっ」
 友貞が答える。

 「これより友野二郎兵衛、一宮宗是らとかたらって
 今川家中の悪銭をことごとく集めよ。
 そしてそれを尾張熱田や尾張津島の商人たちに融資するのだ」

 元実は驚いた。

 義元公は敵方の商人を助けると仰せか。

 今は米不作や戦乱によって物不足の時勢である。

 この時期は多少高くてもよいので銭を使って物を買い占めることこそ得策。

 融資をすると言えば、商人だれしも喜んで融資を受けるであろう。

 今、尾張商人の物を買い占められれば駿河者の利益が減る。
 
 「お待ちください、御屋形様。敵の商人を助けるのでございまするか」

 「さしで口控えよ元実、御前なるぞ」

 父、是宗が一喝した。

 「よいよい」

 義元公は柔和な笑顔を見せられた。

 「話はこれで終わらぬ。
 一向宗から津島、熱田の商人には望むがまま借金をさせよ。
 足りぬ銭は今川家でご用立ていたす。
 悪銭であれば、全て無利子で長島願証寺にご用立ていたす」

 「ありがたきお言葉、それでは早速……」

 服部友貞は顔に気色を浮かべ、
 目を見開いてその場を動こうとした。

 それを義元公は手のひらを出して制止された。

 「待たれよ、ただし条件がある」

 「条件とは」

 「こちらから悪銭として貸した銭を尾張商人が返金せし時は
 必ず良銭をもってなすこと。
 すべて良銭でなくば返金叶わず」

 「なるほど、これは名案でございまする。尾張は面白きことになりましょうぞ」

 友貞は肩を揺らしながら笑顔を見せた。

 父、宗是も笑顔で頷いている。

 ただ元実だけが意味が分からなかった。

 義元公は友貞に申しつけたあとゆっくりと今川の諸将を見渡した。

 「そなたらに申しておく。
 これより尾張衆には莫大な借金をさせるが、
 そなたら努々借金などしてはならぬぞ。
 経費を切り詰め、質素倹約を貫き、
 断じて借金をしてはならぬ。
 欲深き尾張商人共がいかようになるか、見ておくがよい」

 「ははっ」

 今川の諸将は頭を下げた。

 東海地方では長らく冷夏が続き、
 米の不作によって米価は高騰し、
 民が苦しめられていた。

 しかし、伊勢神宮の式年遷宮を過ぎた頃より次第に気候も暖かくなり、
 米の実りもよくなってきた。

 天文二十年を過ぎた頃よりは豊作の年も珍しくなくなった。

 そうなると、米余りが起る。

 駿河、遠江、三河でも米が自給できるようになり尾張から米を買わなくなった。

 尾張でも忽ち米価が下がり、それに引きずられて諸物価が下落した。

 物を売って利益を得、借金を返済していた尾張商人たちは大量の在庫を抱え、
 物資を売っても安くでしか売れず、
 資金繰りが滞ってたちまち苦境に陥った。

 ついには津島神社の神官、氷室氏まで財政破綻に至る大混乱を引き起こしたのである。


 天文二十年十月には尾張の国人丹羽氏勝と丹羽氏秀が水利権争い事を起こしたが、
 この件において信長が丹羽氏秀に道理があると裁定を下したため、
 義元公は甲賀衆を使い、敗訴した丹羽氏勝に火槍と火薬を大量に渡した。

 僻地の国人にしてみれば、見たこともない最新兵器を大量に見せられ
 意気高揚したのか、信長の裁定に逆らって、
 丹羽氏秀を攻めた。

 これに怒った信長は丹羽氏勝討伐の兵を起こしたが、
 火槍の火薬が炸裂する音に織田の雑兵が驚き、
 算を乱して逃げたので、
 信長軍は丹羽氏勝を討伐できず撤退する事となった。

 この合戦によって弾正忠織田家の権威は地に落ち、
 織田信秀が目をかけていた山口教継まで謀反を策謀する有様であった。

 義元公は御自ら戦うことなく、織田信長を衰弱へと導いたのである。








しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

小童、宮本武蔵

雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
兵法家の子供として生まれた弁助は、野山を活発に走る小童だった。ある日、庄屋の家へ客人として旅の武芸者、有馬喜兵衛が逗留している事を知り、見学に行く。庄屋の娘のお通と共に神社へ出向いた弁助は、境内で村人に稽古をつける喜兵衛に反感を覚える。実は、弁助の父の新免無二も武芸者なのだが、人気はさっぱりだった。つまり、弁助は喜兵衛に無意識の内に嫉妬していた。弁助が初仕合する顚末。 備考 井上雄彦氏の「バガボンド」や司馬遼太郎氏の「真説 宮本武蔵」では、武蔵の父を無二斎としていますが、無二の説もあるため、本作では無二としています。また、通説では、武蔵の父は幼少時に他界している事になっていますが、関ヶ原の合戦の時、黒田如水の元で九州での戦に親子で参戦した。との説もあります。また、佐々木小次郎との決闘の時にも記述があるそうです。 その他、諸説あり、作品をフィクションとして楽しんでいただけたら幸いです。物語を鵜呑みにしてはいけません。 宮本武蔵が弁助と呼ばれ、野山を駆け回る小僧だった頃、有馬喜兵衛と言う旅の武芸者を見物する。新当流の達人である喜兵衛は、派手な格好で神社の境内に現れ、門弟や村人に稽古をつけていた。弁助の父、新免無二も武芸者だった為、その盛況ぶりを比較し、弁助は嫉妬していた。とは言え、まだ子供の身、大人の武芸者に太刀打ちできる筈もなく、お通との掛け合いで憂さを晴らす。 だが、運命は弁助を有馬喜兵衛との対決へ導く。とある事情から仕合を受ける事になり、弁助は有馬喜兵衛を観察する。当然だが、心技体、全てに於いて喜兵衛が優っている。圧倒的に不利な中、弁助は幼馴染みのお通や又八に励まされながら仕合の準備を進めていた。果たして、弁助は勝利する事ができるのか? 宮本武蔵の初死闘を描く! 備考 宮本武蔵(幼名 弁助、弁之助) 父 新免無二(斎)、武蔵が幼い頃に他界説、親子で関ヶ原に参戦した説、巌流島の決闘まで存命説、など、諸説あり。 本作は歴史の検証を目的としたものではなく、脚色されたフィクションです。

鵺の哭く城

崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。

織田信長に逆上された事も知らず。ノコノコ呼び出された場所に向かっていた所、徳川家康の家臣に連れ去られました。

俣彦
歴史・時代
織田信長より 「厚遇で迎え入れる。」 との誘いを保留し続けた結果、討伐の対象となってしまった依田信蕃。 この報を受け、急ぎ行動に移した徳川家康により助けられた依田信蕃が その後勃発する本能寺の変から端を発した信濃争奪戦での活躍ぶりと 依田信蕃の最期を綴っていきます。

まぼろし藤四郎 鍛治師よ、なぜ君はふたつとない名刀の偽物を鍛ったのか

西紀貫之
歴史・時代
鍛治師よ、なぜ君はふたつとない名刀の偽物を鍛ったのか。 秀吉秘蔵の刀蔵に忍者が忍び入り、討たれる。 その手には名刀『一期一振』――その偽物。ふたつとない名刀を再現し、すり替えようと画策した者は誰か。また、その狙いは。 隠密、柳生宗章は越後へと飛ぶ。迎え撃つは真田ゆかりの忍者、佐助。 豪傑剣士と希代の忍者の戦いをお楽しみください。

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

鄧禹

橘誠治
歴史・時代
再掲になります。 約二千年前、古代中国初の長期統一王朝・前漢を簒奪して誕生した新帝国。 だが新も短命に終わると、群雄割拠の乱世に突入。 挫折と成功を繰り返しながら後漢帝国を建国する光武帝・劉秀の若き軍師・鄧禹の物語。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 歴史小説家では宮城谷昌光さんや司馬遼太郎さんが好きです。 歴史上の人物のことを知るにはやっぱり物語がある方が覚えやすい。 上記のお二人の他にもいろんな作家さんや、大和和紀さんの「あさきゆめみし」に代表される漫画家さんにぼくもたくさんお世話になりました。 ぼくは特に古代中国史が好きなので題材はそこに求めることが多いですが、その恩返しの気持ちも込めて、自分もいろんな人に、あまり詳しく知られていない歴史上の人物について物語を通して伝えてゆきたい。 そんな風に思いながら書いています。

敵は家康

早川隆
歴史・時代
旧題:礫-つぶて- 【第六回アルファポリス歴史・時代小説大賞 特別賞受賞作品】 俺は石ころじゃない、礫(つぶて)だ!桶狭間前夜を駆ける無名戦士達の物語。永禄3年5月19日の早朝。桶狭間の戦いが起こるほんの数時間ほど前の話。出撃に際し戦勝祈願に立ち寄った熱田神宮の拝殿で、織田信長の眼に、彼方の空にあがる二条の黒い煙が映った。重要拠点の敵を抑止する付け城として築かれた、鷲津砦と丸根砦とが、相前後して炎上、陥落したことを示す煙だった。敵は、餌に食いついた。ひとりほくそ笑む信長。しかし、引き続く歴史的大逆転の影には、この両砦に籠って戦い、玉砕した、名もなき雑兵どもの人生と、夢があったのである・・・ 本編は「信長公記」にも記された、このプロローグからわずかに時間を巻き戻し、弥七という、矢作川の流域に棲む河原者(被差別民)の子供が、ある理不尽な事件に巻き込まれたところからはじまります。逃亡者となった彼は、やがて国境を越え、風雲急を告げる東尾張へ。そして、戦地を駆ける黒鍬衆の一人となって、底知れぬ謀略と争乱の渦中に巻き込まれていきます。そして、最後に行き着いた先は? ストーリーはフィクションですが、周辺の歴史事件など、なるべく史実を踏みリアリティを追求しました。戦場を駆ける河原者二人の眼で、戦国時代を体感しに行きましょう!

処理中です...