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三十四話 義、無くば立たず

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 天文十六年になると京より招きたる公家より、
 朝廷が織田信秀を三河守に任官したとほう報を知らせた。

 宴席では義元公は笑顔でそのお話を聞いておられたが、
 公家が帰ってから俄に怒りを発せられた。

 何故なら天文十二年に織田信秀が三河守任官を欲して
 朝廷に四洗貫文献上したとのお話をお聞きになり、
 義元公は五千貫文を朝廷に献上して信秀を三河守に任官せぬよう
 御願い申し上げたのである。

 それが時を経て、何故今頃に三河守任官かと
 不審に思われた義元公が甲賀衆を使って調べさせた処、
 織田信秀は式年遷宮に必要な莫大な数の
 材木を伊勢神宮に納めていることが分かった。

 これにより伊勢神宮が朝廷に要請し、
 三河守任官が決定されたのである。

 金の動きは詳細に押えていたものの、
 先の天文十二年、三河守任官を阻止された事に鑑み、
 織田信秀は銭ではなく材木を物納する形で、
 しかも朝廷ではなく伊勢神宮へ奉納して任官を得たのだった。
 これで織田信秀は朝廷の威を借りて三河侵攻の大義名分を立てることができる。

 「織田信秀小賢しきかな。ならば力で押し潰すのみ」

 大原資良から報告をお受けになった義元公は
 涼しい顔でのたまった。

 その自信に満ちたお姿を見て家臣らも安堵した。

 「されど……」

 小声で義元公がつぶやかれたので、家臣らは耳を澄ました。

 義元公は虚空を眺めてのたまった。

 「将軍家など何の役にも立たぬ事がわかった」

 臣らは驚いて顔を背けた。

 誰もが聞かぬふりをした。

 真に恐れ多いことである。

 いや、元実も何も聞いておらぬ。これは空耳である。

 
 天文十六年九月、今川軍は松平軍を伴って
 織田方の支城三河田原城を攻略し、
 難なく奪取した。

 この戦いにおいて戸田康光はよく働き、
 今川軍を指揮しておられた田原雪斎様から感謝の意が述べられた。

 これほど厚く今川方は三河衆を遇しているにも拘わらず、
 十月に入ると上和田城の松平忠倫マツダイラタダトモ
 上野城の酒井忠尚サカイタダナオ
 次々と織田方に寝返って松平広忠の岡崎城を攻めた。

 忠倫、忠尚の謀反を座してお聞きになった義元公は、
 評定において平静であられた。

 義元公の左隣にお控えになった田原雪斎様も
 いたって平静であられた。

 孕石光尚が眉をつり上げて何やら言っている他は、
 諸将も呆れたご様子でさして露骨に怒る者はなかった。

 三河の謀反には慣れてしまわれたに違いない。

 「至急後詰めを御願いたしまする。
 事は急を要しまする。
 即刻援軍を賜らねば我が君主、松平広忠、嫡子竹千代の命が危のうございまする」

 義元公は涼しげな面持ちでその伝令を眺めておられる。

 「それはお気の毒である。
 岡崎がそのような危なき処であるなら、
 当家でご嫡子、竹千代殿をお守りいたそう」

 「はっ、何と」

 「竹千代殿は駿河で責任をもってお守りすると申しておる」

 「それどころでは、後詰めを」

 「竹千代殿を駿河にお連れいただけるかな」


 「竹千代殿」

 義元公は満面の笑みを浮かべられた。

 「されば、早速三河に立ち返り、返事をお届けいたします」

 三河の伝令は拳を握りしめ、
 体を小刻みに震わせながら足早のその場を退席した。

 「粗野よのお」

 小さな声で義元公がつぶやかれた。

 義元公はしばし考え事をされた。

 これは珍しいことである。

 本来、用事が済めばすぐに次の用事に取りかかられるのが常である。

 「さて、伝令は帰ったか、様子を見て参れ」

 義元公は実元に目配せされた。

 「はい」

 元実は今川館の外まで出たがすでに
 松平の使者は出立したようであった。

 すぐに義元公にその事をご報告もうしあげる。

 「さて、諸侯よ、今より戦支度じゃ、兵を集めよ」

 義元公は立ち上がって仰せになった。

 「お待ちあれ、まだこちらに松平竹千代殿は到着しておりませぬ。
 出兵は人質と交換との約定でございまする」

 雪斎殿が厳しい声で仰せになった。

 「我は盟友松平広忠殿を見殺しにするつもりはない。
 松平の使者を追い返すまでは雪斎の言に従ったが、
 これよりは松平が世継ぎを寄越そうと、寄越すまいと、広忠殿を助ける」

 「そのように甘やかせば益々三河者共はつけあがりましょうぞ」

 雪斎様が珍しく声を荒げられた。

 「義、無くば立たず」

 義元公はそう言い捨られ、その場を立ち去られた。

 「御屋形様」

 雪斎様の厳しい叫び声が響く。

 義元公と雪斎様が不和となれば何としよう。
 
 実元はただ狼狽して義元公の背中を目で追った。

 困惑して振り返り、雪斎様の顔を見れば、
 なんと雪斎様は笑っておられるではないか。
 
 訳が分からぬ。

 雪斎様と元実の目が合うと、雪斎様はすぐに表情を厳しくされ、
 嘆息を吐かれて思案に暮れる素振りを見せられた。
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