どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

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二十九話 将棋倒し

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 天文十一年一月末。

  将棋盤の上に将棋の駒を並べる。

 一列に並べて一番端を倒すと一斉に倒れてゆく。

 「うきゃあ」

 龍王丸様の喜ぶお声が聞こえた。

 「まあ龍王丸様は天賦の才をお持ちですわ、
 ご幼少のみぎりにこのようなお遊びを思いつかれるのですもの」

 お付きの女房たちが騒いでいる。

 こちらはそれどころではない。

 元実は今川館の奥、今川義元公のおわす座敷に早歩きで向かった。

 「恐れ入りまする」

 「入れ」

 「一大事です。井伊直宗殿、織田の田原城攻めのおり、敵の矢に撃たれてお討ち死に」

 「左様か」

 義元公は平然としておられ、勘定方の書状を書いておられる。

 「して、いかがなされます」

 「お悔やみを出しておけ、文言は右筆にまかせる。書き終わったら我が花押だけ書く」

 「ご葬儀はいかがなさいます」

 「忙しいので出ぬ。代行を手配せよ」

 「かしこまりました」

 元実が退場しようとすると義元公が筆を止められた。
 
 「待て」

 「はい」

 「井伊直盛家督相続の儀、認めるが嫡子は井伊直満の子、
 亀之丞にいたせしこと、努々忘れぬよう釘をさしておけ」

 「心得ました」 
 

 
 義元公のご意向を伝えるため、
 元実は遠州まで出向いた。不測の事態にそなえ、
 五十人ほどの郎党を引き連れて参ったが、
 井伊本家の家臣らは意気消沈して何か事を起こすような雰囲気ではなかった。

 出迎えは次男井伊直満の郎党が出てきた。

 豪勢な馳走を用意してもてなしてくれる。

 井伊直満は些か神妙な面持ちはしているものの、
 口元は緩んでいるように見えた。

 嘘のつけぬ性分の御仁らしい。

 この度家督を継ぐ井伊直盛はよほど口惜しいらしく、
 井伊直満の息子が嫡男と決まった直後に出来た娘に次郎法師と男の名を付けていた。

 直盛は素直に義元公のご意向を受け入れ、
 井伊直満の子を嫡子としようとしていたようだが、
 本家の直臣たちは口々に異を唱え、特に小野道高は、
 直盛に嫡子ができるまであとしばらく待ってほしいと食い下がったが、
 ならば直接義元公に諫言するよう勧めると黙った。

 結局の所、直盛の直臣が騒いで紛糾したため、
 井伊直満の息子亀之丞と次郎法師の婚約を行い、
 直盛の直系の子孫を亀之丞の次の世継ぎとすることで話が収まった。


 この天文十一年の暮れも押し迫った二十六日、
 松平広忠に男子が生まれた。

 このことに義元公は大層喜ばれ、
 今川館に広忠を呼び、盛大な宴席を開いた。

 三河松平家は広忠の父である松平清康の時代より義元公に傾倒し、
 まだ今川氏輝公が今川家当主であり、
 義元公が僧籍であった頃より率先して義元公の推奨する政を学び、
 それを実践してきた。天文三年には開放政策の改革に抵抗する
 勢力である猿投神社の伽藍を焼き払い、義元公を大いに喜ばせた。

 松平広忠の一族は、その頃より義元公から最も信頼をされた存在である。

 広忠も父の教えを忠実に踏襲し、
 父と同じ政をしようとしていたため、
 義元公より手厚く遇されていた。

 それに反して、松平広忠の政に事あるごとに反抗し
 義元公の理想とする政を邪魔する他の松平一族に強い嫌悪をお感じのようであった。


 天文十二年になると、
 早々に松平広忠の正室の実家である水野信元が織田方に寝返った。

 忠広は即座に正室を離縁し、今川家への忠節を示した。

 今川館に群臣が次々と駆けつけ、
 すぐにでも水野信元を討伐すべしとの進言が飛び交った。

 されど義元公は冷静に対処され、時が来れば攻めると仰せになられ、
 諸将をなだめられた。我こそは先鋒にと名乗り出た将の
 半分くらいは皆が行くのに己だけ駆けつけないのは
 やる気がないと見られるのではないかとの皮算用があったのではなかろうか。

 そうでなければ義元公が一度なだめられただけで
 落ち着いて早々に帰ったりはしないだろう。

 一宮元実も父に誘われて今川館に駆けつけたが、
 まあ、だいだいそのような感じであった。

 そうした騒ぎも収まって、
 しばらく経てから、義元公は父、一宮宗是の館を
 ご訪問になられた。

 たまたま前を通りかかったと仰せであったが、
 実際はそのようではなかったようであった。

 「さようことほどに我が治世は悪いか」

 義元公が愚痴をこぼされた。

 日頃群臣の前では常に冷静で穏やかなお方であるが、
 このような場所でなければ愚痴もこぼせぬとあれば、
 これはお気の毒な事であった。

 「滅相もございませぬ。我ら他国から安き米を買い、
 他国に思うがまま物を売り、某の家も益々繁栄してございます」

 「ならば何故水野は裏切ったのか」

 「さて、それは」

 「我思うに、甘すぎたのだ。我が怠けすぎていたのだ。もっと働かねば」

 「そのような事はございませぬ。
 御屋形様はもう十分以上にお働きでございまする」

 「ならば何故じゃ」

 「さて」
 
 「まあよい、そなたは口が硬い故安心じゃ。
 ここで言うたことは決して外には漏れぬ。我は甘すぎたのだと思うておる。
 己にも他者に対しても。もっと厳しく武家の手本とならねばならぬ」

 「御心のままに」

 父、宗是は相槌をうったのだと思う。

 ふすま越しに息を殺して聞いていたので子細状況は分からなかった。


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