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二十話 武田の姫様

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 結局の処、武田は今川と盟約を結んでも他国の米を入れようとしなかった。

 必死で大地主である譜代の家臣を守ろうとした。

 米の値段がつり上がり、民は物価の高騰に難渋したが、
 信虎殿に近しい側近は米を売って豊かになった。

 それでも冷夏による飢餓で民が逃散しはじめると他国へ攻め入っては
 乱取りというて他国の村々から食料を略奪して庶民の飢えをしのいだ。

 しかし、今川と同盟し、北条とも膠着状態、
 信濃の小名らか略奪するにも限界がある。

 信虎殿に対する怨嗟の声は駿河まで聞こえた。

 それを聞くにつれ、義元公の賢明なる市場開放策のありがたみを
 家臣領民ことごとくかみしめるのであった。
 
 そうこうしているうちに、
 武田より義元公の御正室様がお輿入れになられた。

 目がまん丸で黒目が大きく、せわしなく周囲を見回しておられる。

 まるで野鼠か兎のようであったが、そのような失礼な事は言うまい。

 御名をジョウ様と仰せになった。

 定様は空気が読めぬお方であった。

 お迎えの宴席で義元公がご飯を少し残されたのをご覧になったおりである。

 「御屋形様は猫残しをなされてもったいない」

 「まあ」

 寿桂尼様が驚きの声をお上げになったので、
 居並ぶ群臣の顔色が変わった。

 「これは姫様、今川家は裕福なお家柄でございますゆえ、
 もったいないはございませぬ」

 近くに居た瀬名氏貞が必死に作り笑顔でその場を納めようとする。

 「裕福であっても食べ物を粗末にしてはなりませぬよ、
 お百姓の魂が篭もっておりまする」

 定様は言い返えされた。

 瀬名氏貞殿は顔を真っ青にして下を向く。

 幸い義元公は平然としておられる。

 だが、本来、女が男よりたしなめられて口答えするだけでなく
 多口をなして語るなど良家の淑女の行いとして認められるものではなかった。

 「ほほほ、勇ましい事ですね、まるで朝日将軍のよう」

 「はい、武家の娘なれば勇ましゅうございます」

 寿桂尼様のお言葉に定様は笑顔でお答えになった。

 さすがに寿桂尼様も呆れられたか、
 それ以後、顔を背け、語られることはなかった。

 朝日将軍とは木曾義仲の事であり、転じて馬鹿という意味だ。

 義元公は定様に視線を送った。

 「そなたには少し教養が足りぬようじゃ、
 これからよく学べ。欲する本があれば全て揃えさせる。
 まずは平家物語を読むがよかろう」

 「いいえ、源氏物語がようございます」

 その場に緊迫した空気が流れた。

 「左様であるか、ならば早速源氏物語を用意させよう」

 義元公が優しくお笑いになり目を細められたので、
 その場は何事もなく収まり、諸将胸をなで下ろしたのである。

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