どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

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一話 下駄の雪

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 月明かりの夜道、左兵衛(さひょうえ)が跳ねた。

 溶けかけた霜柱を下駄で踏むとしゃりしゃりと音がする。

 日和で溶けかけた霜柱が夜になって凍りついているので、
 足で踏むと小気味良い音がする。

 駿河は温暖であるがゆえに、
 さして雪が積もることはないが、
 日中溶けて水たまりが出来た道を草履で歩くと草履に冷水がしみこんで足が皹になる。

 こういう日には下駄が重宝する。
 
 駿河守護職今川氏親(いまがわうじちか)公がご子息、
 梅岳承芳(ばいがくしょうほう)様を夜中に近所の寺までお迎えに行き、
 善徳寺までお届けするのだ。

 おかわいそうに後々跡目相続の争いが起らぬよう、
 わずか四才にして善得寺に預けられた。

 梅岳承芳様は聞き分けがよく、態度も静粛で、
 お寺に帰る時もただ黙って左兵衛に付いてくる。

 幼いながら夜中までよく学び、学識があるというて、

 それをひけらかして無体な問答を仕掛けてくることもなく、
 
 ただ、黙々とお歩きになられる。

 ただ黙って送り届けるだけなので楽なものだ。

 本当に良き童であらせられる。

 左兵衛ら近臣も誇らしい事であった。

 一宮左兵衛は、飛び跳ねて霜柱を潰しながら歩いた。

 潰れて音が鳴るのが楽しい。
 無論、梅岳承芳様の御前では左様な不埒な振る舞いはいたさぬ。

 行きだけの戯れだ。
 
 今川家三男、梅岳承芳様は利発なお子様である。

 教育係である九英承菊様のご言いつけも守られ、
 決して口答えされず、喜んで勉学に励まれる。

 梅岳承芳様が目上に対して口答えをした事を
 一度も見たことがない。

 常に従順で、率先して働く。

 学んでおられる寺で大掃除があると真っ先に駆けつけてお手伝いをされる。
 
 高貴なお方がそのような事をなされてはなりませぬと
 左兵衛らお付きの者がたしなめると、
 民の労苦を知らずして人の上に立てようか、
 とかえってたしなめられるくらいだ。

 まだ幼いのに多くの史書を読破し、
 先人の知恵を学んで教訓とされている。
 特に太史公書には深く傾倒され、
 古来唐土では酒に溺れ女に狂い、
 惰眠をむさぼることこそ滅びの道であると臣下に常々日頃より説かれた。

 驕る平家久しからず、平清盛を悪しき教訓とし、
 八幡太郎義家公を良き教訓として、
 武家とは常に質素倹約でなければならぬとも、のたまわれている。 

 さすが母上様のご実家藤原北家、
 勧修寺流の中御門家のお血筋を引いておられるだけの事はある。

 おとなしく上品で聞き分けがあり、
 寺の学僧から何を申しつけられても素直に言うことを聞く。

 決して自分から疲れたと弱音を吐くことはない。
 いつ寝ているのだろうかと思うほどに勤勉にいつも学び、
 いつも働いておられる。左兵衛は常々楽をさせてもらっていた。

 それに引き替え、今川家次男坊の気性の荒いこと。

 遠州高天神衆の血筋を引いておるゆえ武芸百般には秀でているものの、

 やらまいかと仰せになっては御父君に差し出口をなされる。

 よって後々の家督争いを懸念した御父君によって、
 出家させられ、花倉の遍照光寺に入れられた。

 玄広恵探という僧名はあるものの駿河衆からは花倉殿と呼ばれている。

 遠州者の福島一門などは今日に至っても未練がましく

 若様と呼んでいるようであったが、
 すでに出家されたものを左様に言いつのるのも善し悪しであろう。
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