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二話 もうダメかもしれん
しおりを挟む 美しい女神を垣間見たものの、小高い丘の上にある山崎の城に帰ってくると、
あいもかわらず殺風景。
城といっても藁ぶき屋根の質素な作り。
塩害で米もほとんど取れず、収益は塩田からとれる塩を売った稼ぎだけだ。
その塩も本当に値段が安い。
塩なら海にくさるほどある。作ろうと思えば誰でも作ることができる。
近隣を流れる山崎川も、河口近くなので、よく上流からゴミや汚物が流れてくる。
こんなもの飲み水には使えない。
これも、我らが佐久間一族の中でも最弱だから侮られてこのようなへき地に追いやられたのだ。
「もうダメかもしれんね」
左京亮は呆然としながらつぶやいた。
「何がダメなものか、ここは絶好の地ではないか」
後ろから声がした。
振り返ると、そこには兄の信盛がいた。
「何が絶好なのですか」
「考えてもみよ、ここは河口ぞ、その先は海だ。どれほど汚物を流そうが誰も文句を言ってはこぬ」
「しかし、皆々様は己が領地で汚物を流し放題でござる。我ら立場が弱く文句も言えませぬ」
「いや、そこはものの考えようじゃ。今しがた、熱田の革職人の座と盟約を結んだ」
「いかな盟約でござるか」
「なめし皮は大きな盥に革と塩と油を入れてかき混ぜぬ。それを水にさらさねばならぬ。
しかし、どこの領主も、己が川が塩と油に汚れることを嫌がり、それをさせぬ。そこの領主が
了解しても、その下流の領主が文句を言って許さぬ」
「ああ、兄上も、先ごろ、川上の領主に文句を言って、革ざらしを止めさせて、革職人らから
嫌われていましたものな。それがようも盟約を結べたものですな、よほど図太いお心を持っておいでのようで」
「いやいや、それも考えあっての事。甲冑を作るにはなめし皮は必須じゃ、しかし、さらす場所もない。
そこでワシは我らが領地の山崎川を使う許可を与えた。革職人どもは喜んでおったわ」
「して、いかほどの使用料を取ったのでござる」
「ただじゃ」
「何と仰せか、タダと」
左京亮は口をあんぐりとあけた。
それでは何のための盟約か、はたまた、兄は熱田の職人どもに侮られてのせられたか。
「まあ聞け、革ざらしはタダだが条件がある」
「ほう、その条件とは」
左京亮がそう言うと信盛はニンマリと笑って太い眉を上下に動かした。
「革と混ぜる塩は佐久間の塩のみを使うこと。油は織田信秀殿の油のみを使うこと」
「おお、それはよい、塩は誰にでも作れるが故、買いたたかれておった。専売となれば
安心して作れる」
喜んだのもつかの間、左京亮は首をかしげた。
「しかし、なぜ、織田の神官様の油を使わせたのです」
「それよ、織田は津島の港にとどいた油を美濃の明智に届ける荷受けを一手に請け負っておられる」
「それは、ほどの値引き合戦をして荷受けを落札されたのでしょうな、無理をなさる」
「いや、代金は他の業者の倍じゃ」
「なんと、それではなぜ美濃の明智は信秀殿を使われたか、もしかして阿呆でござるか」
「いや、信秀殿は他の業者が支払いを金銀にこだわったのとは別に、油で受け取ったのじゃ。
さすれば、明智としても運ぶ油の量が減り、荷を運ぶ代金も減る。信秀殿は実質的に利益が倍になる。一挙両得じゃ」
「それは頭がいい。と、言いたいところだが、それだけの大量の油、どうなさる。売れなければ、
ただの在庫じゃ。倉庫の代金もバカにならぬ。ゆえに他の業者は在庫代のかからぬ金銀にこだわったのでござろう。信秀殿はかしこバカでござるな」
「そこでこの信盛よ。熱田の革職人が使う油を信秀殿専用とさせた」
「おお!それで、兄上はいかほどの紹介料を得たのか」
「タダじゃ」
「またタダでござるか、そんな事をしておられる故、我らはいつまでたっても貧乏なのじゃ」
「したが、我は信秀殿の信用を得た。信用は金で買えぬ」
「う~む、兄上のおっしゃることはよくわからぬ。信用で腹はふくれまい」
左京亮がそう言うと信盛は目を丸くした。
「ははははは、今に見ておれ、この信用がいまに千金を生むことになるのだ」
「また兄上の断言か、それでいままでどれだけ人に侮あられ損をしてきたのだ。迷惑するのは
我ら一門ぞ」
「今度こそ、今度こそワシの勝ちじゃ、今に見ておれ、必ずワシは勝ってみせるぞ」
そう言って兄、信盛はふんぞり返って胸をはった。
いつだって自信満々、そしていつだってうまくいった試しがなかった。
それが我らが惣領、佐久間信盛の兄者であった。
あいもかわらず殺風景。
城といっても藁ぶき屋根の質素な作り。
塩害で米もほとんど取れず、収益は塩田からとれる塩を売った稼ぎだけだ。
その塩も本当に値段が安い。
塩なら海にくさるほどある。作ろうと思えば誰でも作ることができる。
近隣を流れる山崎川も、河口近くなので、よく上流からゴミや汚物が流れてくる。
こんなもの飲み水には使えない。
これも、我らが佐久間一族の中でも最弱だから侮られてこのようなへき地に追いやられたのだ。
「もうダメかもしれんね」
左京亮は呆然としながらつぶやいた。
「何がダメなものか、ここは絶好の地ではないか」
後ろから声がした。
振り返ると、そこには兄の信盛がいた。
「何が絶好なのですか」
「考えてもみよ、ここは河口ぞ、その先は海だ。どれほど汚物を流そうが誰も文句を言ってはこぬ」
「しかし、皆々様は己が領地で汚物を流し放題でござる。我ら立場が弱く文句も言えませぬ」
「いや、そこはものの考えようじゃ。今しがた、熱田の革職人の座と盟約を結んだ」
「いかな盟約でござるか」
「なめし皮は大きな盥に革と塩と油を入れてかき混ぜぬ。それを水にさらさねばならぬ。
しかし、どこの領主も、己が川が塩と油に汚れることを嫌がり、それをさせぬ。そこの領主が
了解しても、その下流の領主が文句を言って許さぬ」
「ああ、兄上も、先ごろ、川上の領主に文句を言って、革ざらしを止めさせて、革職人らから
嫌われていましたものな。それがようも盟約を結べたものですな、よほど図太いお心を持っておいでのようで」
「いやいや、それも考えあっての事。甲冑を作るにはなめし皮は必須じゃ、しかし、さらす場所もない。
そこでワシは我らが領地の山崎川を使う許可を与えた。革職人どもは喜んでおったわ」
「して、いかほどの使用料を取ったのでござる」
「ただじゃ」
「何と仰せか、タダと」
左京亮は口をあんぐりとあけた。
それでは何のための盟約か、はたまた、兄は熱田の職人どもに侮られてのせられたか。
「まあ聞け、革ざらしはタダだが条件がある」
「ほう、その条件とは」
左京亮がそう言うと信盛はニンマリと笑って太い眉を上下に動かした。
「革と混ぜる塩は佐久間の塩のみを使うこと。油は織田信秀殿の油のみを使うこと」
「おお、それはよい、塩は誰にでも作れるが故、買いたたかれておった。専売となれば
安心して作れる」
喜んだのもつかの間、左京亮は首をかしげた。
「しかし、なぜ、織田の神官様の油を使わせたのです」
「それよ、織田は津島の港にとどいた油を美濃の明智に届ける荷受けを一手に請け負っておられる」
「それは、ほどの値引き合戦をして荷受けを落札されたのでしょうな、無理をなさる」
「いや、代金は他の業者の倍じゃ」
「なんと、それではなぜ美濃の明智は信秀殿を使われたか、もしかして阿呆でござるか」
「いや、信秀殿は他の業者が支払いを金銀にこだわったのとは別に、油で受け取ったのじゃ。
さすれば、明智としても運ぶ油の量が減り、荷を運ぶ代金も減る。信秀殿は実質的に利益が倍になる。一挙両得じゃ」
「それは頭がいい。と、言いたいところだが、それだけの大量の油、どうなさる。売れなければ、
ただの在庫じゃ。倉庫の代金もバカにならぬ。ゆえに他の業者は在庫代のかからぬ金銀にこだわったのでござろう。信秀殿はかしこバカでござるな」
「そこでこの信盛よ。熱田の革職人が使う油を信秀殿専用とさせた」
「おお!それで、兄上はいかほどの紹介料を得たのか」
「タダじゃ」
「またタダでござるか、そんな事をしておられる故、我らはいつまでたっても貧乏なのじゃ」
「したが、我は信秀殿の信用を得た。信用は金で買えぬ」
「う~む、兄上のおっしゃることはよくわからぬ。信用で腹はふくれまい」
左京亮がそう言うと信盛は目を丸くした。
「ははははは、今に見ておれ、この信用がいまに千金を生むことになるのだ」
「また兄上の断言か、それでいままでどれだけ人に侮あられ損をしてきたのだ。迷惑するのは
我ら一門ぞ」
「今度こそ、今度こそワシの勝ちじゃ、今に見ておれ、必ずワシは勝ってみせるぞ」
そう言って兄、信盛はふんぞり返って胸をはった。
いつだって自信満々、そしていつだってうまくいった試しがなかった。
それが我らが惣領、佐久間信盛の兄者であった。
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