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終話 馮氏一門
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「平伏のまま、首を刈り取られたいのか? ならば、それもよかろうな」
凍てついた、慕容垂の言葉。
ここまでの日々が、いかに苛烈であったのかを察するに余りある。
馮安は、弾けるように頭を上げた。
「なるほど、それも重畳! とは申せど、身に死を賜るお方のお姿を知らぬままというのも味気なくござるな!」
往時より、いささかやつれたであろうか。無理なからぬことではある。荒れ狂う燕地を統御するのには、並ならぬ労苦を負ったことであろう。
とは言え、その威容に衰えはない。むしろ研ぎ澄まされさえしたかのようでもある。
慕容垂。燕の雄飛に大いに資し、老境に至ってなおその驍武にてその名を天下に轟かせるもの。
馮安は、示しうる限りの笑顔にて、包拳を呈じた。
「燕主よ! 謹んで申し上げる! 主より賜りし、燕帝庇護の任! この老骨、みごと全てを失い申した! いっそすがすがしき心地にござる!」
慕容垂のもとに、たどり着けた。
それで良い。尊崇すべきお方の求めに応えようと試み、叶え果せなかった。それが全てである。
「なればこそ、燕主よ! この身、いかようにても――」
「いたずらに、散らせようてか?」
低く、轟くが如き、言葉。
慕容垂が馬より降り、まっすぐに馮安のもとにやってくる。真正面に立つと、その指で、くい、と馮安の顎を持ち上げる。
「まばゆき笑みだ。いったいいかほどの自責、懊悩、悔悟を押し殺せば、斯様に笑えるのかな」
そして、がばと抱く。
「なるほど、馮安。そなたはおれよりの命を果たせなかった。ならば罰は下さねばなるまい。しかし、これだけは言わせてくれ。そなたが帰ってきてくれた。しかも、慕容二十万をも引き連れて。これに増す喜びなぞ、ない」
「!」
その言葉は、たやすく馮安が抑え込んでいたものを突き崩すのだ。
押し込みに押し込み、詰めるだけ詰めた、思いの丈。それらが涙となり、叫びとなって、表に現れる。留められるはずもない。
馮安は、泣いた。
慕容垂とともに、泣いた。
数多のますらおを率いる、二人の老丈夫は、まるでひと目もはばかることなく、泣き叫んだ。
――垂進軍入城,永奔北門,為前驅所獲,於是數而戮之。
晋書慕容垂載記は、長子城の戦いの顛末を、上のように記している。
戦において、敗れた軍主に待ち受けるのは、処刑。珍しきことではない。ただし処刑に際し、「數」字が見られるのは稀である。
「數」は「せ-める」と訓ぜられる。罪状を数え上げ、糾弾する、の意である。
それが具体的にいかなるものであるかを窺い知ることはできない。史書はただ、敢えてその字を載せる必要があった、とのみ告げる。
西暦 394 年のことであった。
○ ○ ○
馮安の処分は、軍権取り上げの上官位剥奪、庶人として和龍にて蟄居、というものであった。ただし和龍は北魏との最前線である中山、燕地流通の要である薊という二大城塞に守られ、また和龍自体も堅固な守りを備えた城である。慕容垂の意図は明確であった。
馮安の目の前に、息子の馮跋が居住まいを正し、座っている。その燃え上がらんばかりの強き眼差しは、はて、誰に似たものか。
「跋よ。繰り返すぞ。もはや、燕は亡国。彼の国では拓跋珪になぞ、到底抗えまい。父として、お前をみすみす死地に飛び込ませるのは気が進まん」
慕容永滅亡の、翌年。
慕容垂は、息子の慕容宝に大軍を預け、北魏軍に先制攻撃を加えた。しかし拓跋珪は慕容宝軍を自国深くにまで引き込んだ上、完膚なきまでに破砕。史上、参合陂の戦いと呼ばれる。
この大敗に怒った慕容垂は自ら軍を編み、反攻を試みた。しかし、そのさなかに、死亡。
あとを継いだのは、敗軍の将、慕容宝であった。
慕容垂でようやく、五分。それが若き拓跋珪の将才である。到底慕容宝でどうにかなる相手ではなく、たちまち大いに攻め込まれ、都の中山を拓跋珪に囲まれている。
「燕帝は、父上に義をお示しくださいました。ならば、その息子である私が義もって応じることに、なんの不思議がありましょうか」
「まったく、よく回る口だ」
「長子城での父上のお言葉は、いまだこの跋の胸にて息づいております」
「敗者の戯言よ、早々に打ち捨てよ」
「では、そのように振る舞いまする」
気炎、だけではない。
如才のなさをも備えている。
かくもしなやかな才気を、よくぞ、と思う。
ならばこそ、と言いそうになり、かぶりを振る。
馮安には、馮安の生があった。
ならば馮跋にも、馮跋の生がある。
「良かろう、ならば、この父よりふたつ、頼みがある。ひとつは、この父に訃報を届けぬようにして欲しい。もうひとつは、」
ふと、慕容永の顔が浮かんだ。
やつの野望に、早くに気付けておれたならば、未然にやつを討ち果たしてさえおれたならば。詮無き振り返りである、しかし、馮安の心に刺さった棘は、死してなお外れるものでもないのだろう。
「――常に、自らの義に従い、戦って欲しい。この老骨のごとき悔恨の中に、お前には沈んでほしくはないのだ」
馮跋は平伏する。
「お言葉、深く胸に刻みまする」
その言葉を聞くと、馮安は大きくうなずき、安堵の嘆息を漏らすのだった。
○ ○ ○
燕入りした馮跋は、親譲りの武幹をもって北魏よりの大攻勢をよくしのいだ。
とは言え、徐々に押し込まれ行くのは避けがたきことであった。やがて燕人らは慕容の主を見放し、新たな主を求めた。このときに馮跋が選ばれたのは、いかなるめぐり合わせであったことか。
馮跋の存命中、北魏は最後まで燕地を侵せずに終わる。
馮跋死後の燕はやがて国威を衰えさせ、北魏の傘下に下る。とは言え馮氏一門は北魏に重んじられ、一人の娘が、ついには皇后の座を射止めさえする。
――文成文明皇后、馮氏。
北魏は彼女の手により、最盛期を迎えることとなるのである。
凍てついた、慕容垂の言葉。
ここまでの日々が、いかに苛烈であったのかを察するに余りある。
馮安は、弾けるように頭を上げた。
「なるほど、それも重畳! とは申せど、身に死を賜るお方のお姿を知らぬままというのも味気なくござるな!」
往時より、いささかやつれたであろうか。無理なからぬことではある。荒れ狂う燕地を統御するのには、並ならぬ労苦を負ったことであろう。
とは言え、その威容に衰えはない。むしろ研ぎ澄まされさえしたかのようでもある。
慕容垂。燕の雄飛に大いに資し、老境に至ってなおその驍武にてその名を天下に轟かせるもの。
馮安は、示しうる限りの笑顔にて、包拳を呈じた。
「燕主よ! 謹んで申し上げる! 主より賜りし、燕帝庇護の任! この老骨、みごと全てを失い申した! いっそすがすがしき心地にござる!」
慕容垂のもとに、たどり着けた。
それで良い。尊崇すべきお方の求めに応えようと試み、叶え果せなかった。それが全てである。
「なればこそ、燕主よ! この身、いかようにても――」
「いたずらに、散らせようてか?」
低く、轟くが如き、言葉。
慕容垂が馬より降り、まっすぐに馮安のもとにやってくる。真正面に立つと、その指で、くい、と馮安の顎を持ち上げる。
「まばゆき笑みだ。いったいいかほどの自責、懊悩、悔悟を押し殺せば、斯様に笑えるのかな」
そして、がばと抱く。
「なるほど、馮安。そなたはおれよりの命を果たせなかった。ならば罰は下さねばなるまい。しかし、これだけは言わせてくれ。そなたが帰ってきてくれた。しかも、慕容二十万をも引き連れて。これに増す喜びなぞ、ない」
「!」
その言葉は、たやすく馮安が抑え込んでいたものを突き崩すのだ。
押し込みに押し込み、詰めるだけ詰めた、思いの丈。それらが涙となり、叫びとなって、表に現れる。留められるはずもない。
馮安は、泣いた。
慕容垂とともに、泣いた。
数多のますらおを率いる、二人の老丈夫は、まるでひと目もはばかることなく、泣き叫んだ。
――垂進軍入城,永奔北門,為前驅所獲,於是數而戮之。
晋書慕容垂載記は、長子城の戦いの顛末を、上のように記している。
戦において、敗れた軍主に待ち受けるのは、処刑。珍しきことではない。ただし処刑に際し、「數」字が見られるのは稀である。
「數」は「せ-める」と訓ぜられる。罪状を数え上げ、糾弾する、の意である。
それが具体的にいかなるものであるかを窺い知ることはできない。史書はただ、敢えてその字を載せる必要があった、とのみ告げる。
西暦 394 年のことであった。
○ ○ ○
馮安の処分は、軍権取り上げの上官位剥奪、庶人として和龍にて蟄居、というものであった。ただし和龍は北魏との最前線である中山、燕地流通の要である薊という二大城塞に守られ、また和龍自体も堅固な守りを備えた城である。慕容垂の意図は明確であった。
馮安の目の前に、息子の馮跋が居住まいを正し、座っている。その燃え上がらんばかりの強き眼差しは、はて、誰に似たものか。
「跋よ。繰り返すぞ。もはや、燕は亡国。彼の国では拓跋珪になぞ、到底抗えまい。父として、お前をみすみす死地に飛び込ませるのは気が進まん」
慕容永滅亡の、翌年。
慕容垂は、息子の慕容宝に大軍を預け、北魏軍に先制攻撃を加えた。しかし拓跋珪は慕容宝軍を自国深くにまで引き込んだ上、完膚なきまでに破砕。史上、参合陂の戦いと呼ばれる。
この大敗に怒った慕容垂は自ら軍を編み、反攻を試みた。しかし、そのさなかに、死亡。
あとを継いだのは、敗軍の将、慕容宝であった。
慕容垂でようやく、五分。それが若き拓跋珪の将才である。到底慕容宝でどうにかなる相手ではなく、たちまち大いに攻め込まれ、都の中山を拓跋珪に囲まれている。
「燕帝は、父上に義をお示しくださいました。ならば、その息子である私が義もって応じることに、なんの不思議がありましょうか」
「まったく、よく回る口だ」
「長子城での父上のお言葉は、いまだこの跋の胸にて息づいております」
「敗者の戯言よ、早々に打ち捨てよ」
「では、そのように振る舞いまする」
気炎、だけではない。
如才のなさをも備えている。
かくもしなやかな才気を、よくぞ、と思う。
ならばこそ、と言いそうになり、かぶりを振る。
馮安には、馮安の生があった。
ならば馮跋にも、馮跋の生がある。
「良かろう、ならば、この父よりふたつ、頼みがある。ひとつは、この父に訃報を届けぬようにして欲しい。もうひとつは、」
ふと、慕容永の顔が浮かんだ。
やつの野望に、早くに気付けておれたならば、未然にやつを討ち果たしてさえおれたならば。詮無き振り返りである、しかし、馮安の心に刺さった棘は、死してなお外れるものでもないのだろう。
「――常に、自らの義に従い、戦って欲しい。この老骨のごとき悔恨の中に、お前には沈んでほしくはないのだ」
馮跋は平伏する。
「お言葉、深く胸に刻みまする」
その言葉を聞くと、馮安は大きくうなずき、安堵の嘆息を漏らすのだった。
○ ○ ○
燕入りした馮跋は、親譲りの武幹をもって北魏よりの大攻勢をよくしのいだ。
とは言え、徐々に押し込まれ行くのは避けがたきことであった。やがて燕人らは慕容の主を見放し、新たな主を求めた。このときに馮跋が選ばれたのは、いかなるめぐり合わせであったことか。
馮跋の存命中、北魏は最後まで燕地を侵せずに終わる。
馮跋死後の燕はやがて国威を衰えさせ、北魏の傘下に下る。とは言え馮氏一門は北魏に重んじられ、一人の娘が、ついには皇后の座を射止めさえする。
――文成文明皇后、馮氏。
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