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閑話 ある女の後悔

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 どうして……どうしてこんなことになったのだろう……。

 私はただ……あのお高く止まったお嬢様の、悔しがる顔が見たかっただけなのに……。

 朽ち果てた石に腰を掛け、私はひたすら涙を零し続けた。

「どうした? 何を泣いている?」

 黒髪に金目の男が私に問いかけた。
 一見こちらを心配しているような台詞だが、これはただ疑問に思ったから聞いただけだと分かっている。

 
 だから人の心の機微など理解出来ないし、相手に寄り添うことも出来ない。

 私が泣いている理由を話したって慰めてくれるわけでもないし、憂いを払おうとしてくれるわけでもない。

 人情が欠落しているのではなく、男の正体はきっと人ではないのだ。
 だって、人は何かの移動手段を用いず何処かに移動することは出来ない。
 徒歩や馬車等を使わないと、他の場所へ行くことは出来ないのだ。
 
 なのに、この男は一瞬で私をここへ連れてきた。
 瞬きの間に私はあの場所からこの朽ち果てた廃墟へと連れてこられてしまったのだ。

 何度も逃げ出そうとしたけど逃げられなかった。
 外へ逃げても何故かこの場所に戻ってきてしまう。
 ここには……出口というものが存在しない。

 “身の丈に合った生活を望みなさい。強欲が過ぎれば破滅しますよ?”

 頭の中にあのお嬢様の言葉が木霊する。
 彼女の言う通り、身の丈に合った生活を望んでいればこんなことにはならなかったのになあ……。


 恋人が貴族のお嬢様より私を選んでくれた時、得も言われぬほどの高揚感に包まれた。高貴なお嬢様よりも、平民の自分の方が女としての価値が高いのだと。

 あの日、見せつけるつもりで婚約者とデートの約束をしていた彼についていった。
 婚約者に自分以外の女がいると分かった時のお嬢様の絶望した顔は最高だった。
 彼に選ばれなかった惨めな女の顔は、私の優越感を満たしてくれたのだ。

 あのままお嬢様が惨めに落ちぶれてくれていればよかったのだ。
 なのに、彼の弟と婚約し、何事もなかったかのように貴族夫人の座に就くというではないか。

 私に負けたくせに、私よりも高い地位に就くことは許されない。
 その時は本気でそう思っていた。愚かにも彼女を見下し、自分より立場の低い女だと認定していた。
 よく考えればそれがおかしいと分かっただろうに……。

 新しい男を奪い、またお嬢様が絶望する顔が見たかった。
 それにその男を篭絡すれば今度こそ貴族の夫人になれると思った。

 だから奪おうとした。
 今の彼にしたように、弟もちょっと言い寄れば簡単に靡くだろうと思っていた。
 だけど……

「ふしだらな……僕は貴女みたいな人を軽蔑する」

 蔑むような目でそう冷たく言い放つ彼の弟。
 弟は兄と違って簡単に靡いてはくれなかった。
 
 なんで? どうして私には冷たいくせに、その女には優しくするの?

 自分が見下している女が優遇されている姿なんて見たくない。
 もうこの頃にはなりふり構ってはいられなくなった。

 何としても私のものにしてやろうと、あのお嬢様から奪ってやろうとして、私は強硬手段に出た。
 媚薬を取り寄せて彼に盛り、無理やり関係を結んでやろうとしたのだ。

 だがそれは呆気なく父にばれてしまい、私は家から勘当されてしまった。
 しかも今の彼と結婚しろとまで命じられて。

 冗談じゃない! 跡継ぎでもない、お嬢様の婚約者でもない彼と結婚しても何の旨味も無いのに!

 だから逃げ出した。
 花嫁衣装に身を包んだまま、彼の弟ジョエルの元へと向かった。

 この時の私の頭はどうかしていたんだと思う。
 花嫁衣装の私は見ればジョエルは一瞬で虜になり、そのまま妻に迎えてくれるだろうと疑わなかった。

 よく考えれば花嫁衣装で会いに来る女など頭がおかしいと判断される。
 惹かれるどころか引かれてしまうと、この時の私は気づきもしなかった。

 そうして向かった教会で見たのはと、

 それを見てハッとした。
 まさか、今日はあの女とジョエルの結婚式なのだと。

 それが真実だったかどうかは分からない。
 勝手にあの花嫁をあの貴族のお嬢様だと思い込んだが、今考えてみると背格好が大分違うように思える。

 でもあの時の私はそう思い込んでしまい、馬車に乗り込んだ彼等の後自分が乗って来た馬車で追った。
 彼等の馬車を仰々しい恰好をした騎士が守るように馬で並走していた様を異様に思ったが、それだけお嬢様が大切に守られているのだと苛ついた。

 あの女だけが幸せになるなんて許せない! 結婚式なんて壊してやる!

 衝動のままに私はお嬢様の式を壊そうと思った。
 花嫁衣裳の女が現れれば式はきっと台無しになると思い、彼女の式に乱入しようと後を追ったのだ。

 今考えると正気の沙汰じゃない。
 どこかで正気に戻っていれば助かったのに、頭に血が上った私はもう止まらなかった。

 その後、馬車は森だか山だか分からない木の生い茂った場所に停まった。
 そして中から花嫁が降りてきて、老人や騎士とともに木の生い茂る先へと進んでいく。

 ここで変だと思うべきだった。
 どう考えてもこんな場所で結婚式など挙げるわけがないと。
そしてそのまま引き返せばよかったのだ。

 でも、花嫁が手に持っていた箱を見て我を忘れた。
 あれは、以前ジョエルがお嬢様に渡していた箱だ。
 それを受け取っていたお嬢様の反応から、中身はきっと結婚指輪だろうと思い込んだ。

 だから奪ってやったのだ。
 ただ、彼女の悔しがる顔見たいというそれだけの理由で。

 その時だった、空の上からあの黒髪の青年が現れたのは。

 “カロリーナ!!”

 この世の物とは思えないほど美しいその青年は、
 だから「はい」と答えたのだ。すると青年は私に向かって嬉しそうに両腕を広げた。

 人外の美貌の青年に求められ、私は自分が彼ほどの男に選ばれたのだという優越感のもとその胸に飛び込んだ。

 怪しいとも思わず、その男が何者かと思うこともせず。

 彼は恐ろしく見目のいい男だった。
 きっとこの国で一番、ううんおそらくこの世で一番の美貌だといっていい。
 
 世界一美しいこの男から寵愛を受ければ、私はと思った。

 それが勘違いだったと気づいたのはこの場所に連れてこられてすぐだった。

 苔むした古い石造りの廃墟。とても人間が住めるような場所ではないここが住処だと男は言った。

 こんな場所に住めるわけがないでしょう!?

 私が声を荒げても男はただ首を傾げるだけだった。

「大丈夫だ、前の妻もすぐに馴染んだからな。ああ、もしかして調度品が必要か? だが今は力が弱っているからそれらを調達することは無理だ、諦めろ」

 調度品? 違うわよ! こんな廃墟のベッドや椅子なんか置いても何の意味もないのよ! そうじゃなくて、もっとちゃんと屋根があって壁がある家じゃないと住めないって言っているのよ!

 それに“前の妻”ってなによ!?
 私の前で前妻の話をするなんて失礼よ!

 喉が潰れるんじゃないかってくらい叫んだ。
 だってこんな場所に住むなんて冗談じゃないから。
 ここに住めるのなんて動物くらいよ、こんな雨も風も凌げない場所に住めるはずないじゃない!

 でも、私がどれだけ叫んでも男はちっとも聞いてくれない。

 連れてこられてすぐは分からなかったが、今なら分かる。
 この美しい男は人ではないのだと。

 比喩ではない。だって、時折が見えるから。

 ふとした瞬間、男の姿が黒い毛に覆われた獣に見えるときがある。
 またすぐにいつもの美しい青年の姿に戻るが、それが男の本性なのだと思うともう無理だ。

 男は嬉しそうに私を“花嫁”と呼ぶ。
 でも、私は花嫁というより“生贄”だと思っている。

 男の気が向いた時に抱かれるだけの毎日。
 他にすることなど何もない。
 初めの内はきっと誰かが助けにくるだろうと信じていたが、最近ではもう諦めた。

 この場所には動物はおろか虫一匹すら見当たらない。
 ああ、きっとこの場所は自分と男以外の生き物は存在しないのだと悟った瞬間全てがどうでもよくなった。

「何処で間違ったんだろうな……」

 それでも時折こうして後悔の言葉を口にしてしまう。
 誰も答えてはくれないというのに……。
 
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