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名を知られてはいけない

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「……随分とかかったな。それで話は済んだのか?」

 ジョエルとカロラインが戻ると、教皇は呆れた声でそう尋ねた。
 それに対しジョエルは満面の笑みで「はい、おかげさまで」と答え、教皇は白けた目を向ける。

「それはよかったな……。待ちくたびれたせいで喉が渇いた。ジョエル、お嬢さんと儂に茶を淹れてこい」

 教皇がジョエルを部屋から追い出した後、カロラインは改めて謝罪した。
 先ほどまで好きな人と両想いになったことで浮かれていたが、冷静に考えると元王族でもある教皇を待たせるなど正気とは思えない行動だ。

「教皇猊下……お待たせしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」

「ああ、構わんよ。アレも男だ、好いた女と二人きりにさせたら触れたくもなるのは自然なこと。時間がかかることはある程度予想していた、お嬢さんが気に病むことはない」

 直接的な物言いにカロラインは恥ずかしくなり頬を真っ赤に染める。
 教皇はそんな彼女の表情に目を細め、ぽつりと呟いた。

「……お嬢さん、ジョエルのことは好きかい?」

 唐突な質問にカロラインは「えっ!?」と思わず叫びそうになった。

「は、はい……。わたくしはジョエル様をお慕い申し上げております……」

「そうか……それはよかった。あれは良い男だよ。きっと君を幸せにしてくれる……儂と違ってな」

 教皇の目はカロラインを通した別の誰かを見ているようだった。
 彼はまだ失った婚約者のことを想っているのだろう。

「時にお嬢さん。一つ聞きたいのだが、貴女は件の神を自称する男に?」

「え……? 名前ですか? いえ、あの青年はずっとわたくしを“カロリーナ”と呼んでおりますので、名は知られておりません」

「ふむ、それはよかった。ああいった存在に名を知られてしまうと厄介なのでな」

「!? そうなのですか……?」

「ああ、名を知られるともう逃げられない。存在を感知され、どこまでも追ってくる。そうなるとすぐに巣へと連れ去れてしまうだろう。お嬢さんがいまだ捕らわれずにすんでいるのは名を知られていないからだろうな」

 教皇の言葉にカロラインは身を震わせた。
 あの悍ましい男にどこまでも追われ、捕らわれる様を想像するだけで身の毛がよだつ。

「……あら? ならばどうしてあの青年はいまだにわたくしの名を尋ねてこないのでしょう? 名を知れば簡単にわたくしを捕らえることが可能ですのに……一度も聞かれたことがありませんわ」

 こちらの名さえ把握してしまえばいい話なのに、未だにそれをしないのは何故なのか。カロラインはそれが分からず首を傾げた。

「それはな、所詮は奴がだからだよ。人の形をとり、人の真似事をしようとも結局中身は獣。知能もその程度でしかない。ああいった存在は何かを考えて動いているというより、本能で動いていると言った方が正しい」

「なるほど。確かにあの青年彼の言動は不可解などうも人間の常識に当て嵌めると可笑しなものばかりでしたが、動物の本能だと言われるとしっくりきますね」

 やたらと若さに固執したこともそうなのだろう。
 動物の雄は種の存続のために妊娠可能な若い雌を求めるもの。それは自然の摂理といえる。
 だが、これを人間に当て嵌めると下劣で下衆な行為になる。
 人間には理性があるし、世間体もある。それを無視した言動を人が不快に思うことは自然なことだ。

 あの青年は人の形をした獣なのだとしたら、その言動を人であるカロラインが不快に思うのは当然なのかもしれない。やたらと若さに固執するのも、人間ならば軽蔑されることだが動物であれば自然なこと。動物の雄は種の存続のために妊娠可能な若い雌を求める。

(あの青年に感じていた何ともいえない違和感の正体はこれかもしれない……)

 初めて会った時も夢で見た時もカロラインはあの青年に奇妙なものを感じていた。
 相手の名を聞くという基本的なことすらしない不作法さ。
そして伴侶に若さのみを求め、それが無くなった途端にあっさりと捨てる非道さ。
人間にもこういう行いをする者は確かに存在するが、それとはまた違うように思えた。

「あの青年にとって“伴侶”とはどういう存在なのでしょう……」

 あの青年が何のためにカロリーナを攫い、そして今もその生まれ変わりであるカロラインを求めているのかが分からない。
 
 そこまで欲した割に大切に扱うこともせず、いらなくなったらゴミのように捨ててしまう。それが人の真似事だというのなら、人を馬鹿にしているとしか思えない。

「奴にとって“伴侶”とは長き時間を過ごす中での暇つぶしでしかない。獣でもない、人でもない、神でもない半端な存在ゆえに寂しさを感じておるのだろうよ」

「そんな……! そんなことのために女性を攫おうとするなんて……」

「お嬢さんの怒りは至極真っ当だ。儂もそんなことの為にカロリーナを攫ったあの獣を許すことはできぬ……」

 見れば教皇は険しい顔で強く両手を握っていた。
 彼にとってはあの青年は元婚約者の仇。その怒りはカロラインよりも重いのだろう。
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