上 下
104 / 109

牡丹のように美しい人①

しおりを挟む
「こうした言葉を交わすのはいつ振りでしょうか……」

 暖かな春の日差しが降り注ぐ庭園でアンゼリカは横にいる人物へと声をかけた。
 庭園には牡丹が盛りを迎えており、まさに百花の王に相応しい優美な姿を見せている。

「また、貴女とこうして話すことが出来て大変嬉しく存じます。……」

 アンゼリカの隣に座る佳人は、咲き誇る牡丹の花よりも華やかな笑みを浮かべた。
 虚ろだった彼女の瞳には木漏れ日のように眩しい光が宿っている。

「ええ、わたくしもよ。またこうして……昔みたいに貴女と言葉を交わしたいと、どれだけ願っていたことか……」

 ミラージュの紫の瞳に自分が映っている。それが嬉しくてアンゼリカは口元を綻ばせて微笑んだ。

 それはまるで普通の少女のような、無邪気な笑み。
 滅多に見られないアンゼリカの柔らかな微笑みにその場にいた使用人達は目を見開いて驚く。

「こうしていると……あの頃に戻ったようだわ。毎日が楽しくて輝いていたあの頃に……」

 そう呟き、ミラージュは遠い目を向けた。

「ありがとう、アンゼリカ。貴女のおかげでわたくしはこうして元の状態まで回復出来たのよ。勿論お父様やお母様、お兄様や使用人達にも感謝しているわ。それでもわたくしが一番感謝しているのは貴女なの。貴女だけは……あんな状態になったわたくしを憐れまないでくれた。それが何より嬉しかったわ……」

「あら、だって意味がありませんもの。いくら憐れんだところで現状が良くなるわけでもありません。それよりも、貴女と再び言葉を交わせるようになるためにはどうしたらよいか、その方法を模索して実行する方が遥かに有意義ですわ」

 アンゼリカのハッキリとした物言いにミラージュは声を上げて笑う。

「ふふっ……貴女のそういうところが大好きよ。それに、貴女が模索した“方法”は正解だったわ。それのおかげでわたくしは元の状態にまで戻れたのだもの」

「ええ、この“話”を貴女に聞かせる度に目に輝きが戻ってきておりました。効果があったようでようございましたわ」

 精神を壊したミラージュの耳にアンゼリカが聞かせていたこと。
 それはだ。

 元王太子の側近、そしてその側近の婚約者、元王太子の浮気相手ルルナ、そして主犯ともいえる元王太子。それらの落ちぶれていく様子を語り聞かせていくうちにミラージュは徐々に生気を取り戻したのだ。

「他人の不幸を耳にして元気になるなんて、わたくしも大概よね……」

「あら、別にいいではないですか。貴女を不幸した他人の“不幸”を喜んで何が悪いというのです?」

 アンゼリカが彼等に報復を企てたのは自分の為だ。決してミラージュの為という大義名分のもと歪んだ正義を振りかざしていたわけではない。ただ純粋に自分が彼等に腹が立ったからそうした、それだけだ。

 そしてそれらを単なる世間話のつもりでミラージュに聞かせたのだが、その時彼女の目に光が灯ったのをアンゼリカは見逃さなかった。

 もしかして……と思い、ミラージュに彼等の末路を聞かせ続けた結果、彼女は以前の姿を取り戻したのだ。淑女の鑑と謳われた、才色兼備で非の打ち所がないミラージュ・サラマンドラの姿を。

「でもね、わたくしはもうから外れてしまったわ……。高潔で、清廉で、慈愛深い。それを持ち合わせた者を貴女は好むのでしょう?」

「え……?」

 自分の好みを正確に言い当てられたアンゼリカは目を丸くして驚いた。

「貴女がわたくしのどういった部分を慕ってくれていたのか、理解していたつもりよ。わたくしはそれが嬉しくて、貴女に好かれる人間であろうとした。でも……駄目ね、根っこの部分は他人の不幸を喜ぶような腐った人間なのだもの」

「ミラージュ様、わたくしは貴女が他人の不幸を喜んだとしても、貴女に幻滅など致しませんわ」

「アンゼリカ……。ふふ、ありがとう……」

 真っ直ぐに自分を見つめてくるアイスブルーの瞳に嘘はない。
 それを分かっていながらも、ミラージュは胸が痛んだ。

 ───貴女の一番はわたくしだったのに……。

 自分を一心に慕う愛らしい令嬢の心を、いつのまにか自分の兄が攫っていってしまった。それはミラージュの心に重い痛みを味合わせるものであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

【完結】冤罪で殺された王太子の婚約者は100年後に生まれ変わりました。今世では愛し愛される相手を見つけたいと思っています。

金峯蓮華
恋愛
どうやら私は階段から突き落とされ落下する間に前世の記憶を思い出していたらしい。 前世は冤罪を着せられて殺害されたのだった。それにしても酷い。その後あの国はどうなったのだろう? 私の願い通り滅びたのだろうか? 前世で冤罪を着せられ殺害された王太子の婚約者だった令嬢が生まれ変わった今世で愛し愛される相手とめぐりあい幸せになるお話。 緩い世界観の緩いお話しです。 ご都合主義です。 *タイトル変更しました。すみません。

七年間の婚約は今日で終わりを迎えます

hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

気がついたら無理!絶対にいや!

朝山みどり
恋愛
アリスは子供の頃からしっかりしていた。そのせいか、なぜか利用され、便利に使われてしまう。 そして嵐のとき置き去りにされてしまった。助けてくれた彼に大切にされたアリスは甘えることを知った。そして甘えられることも・・・ やがてアリスは自分は上に立つ能力があると自覚する

王命を忘れた恋

須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』  そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。  強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?  そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

私が死んだあとの世界で

もちもち太郎
恋愛
婚約破棄をされ断罪された公爵令嬢のマリーが死んだ。 初めはみんな喜んでいたが、時が経つにつれマリーの重要さに気づいて後悔する。 だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。

処理中です...