王妃となったアンゼリカ

わらびもち

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エドワードの出生

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 数時間程の会合の後、国王は心労でそのまま寝込んでしまった。
 そういった話し合いや議論の場には慣れていたはずだが、相手はこの世で最も苦手とするグリフォン公爵。しかも王位を奪われる結果に終わったのだ。流石の国王も精神的なストレスが限界に達してしまった。

 国王が寝込んでいると聞いても見舞いに訪れるのは宰相のみ。
 実の息子であるエドワードさえ自分の様子を見に来ないという現実に国王は自虐的な笑みを浮かべた。

「……余は哀れな王だな。息子でさえも見舞いに訪れないとは……」

 業務の報告も兼ねて見舞いに訪れた宰相に国王はそう呟いた。
 その寂しげな呟きに宰相は「……ええ、全く」と返す。

「陛下があれだけ庇い、守ってきたというのに……薄情な御方だ」

 彼の声には憤りが混じっていた。息子を王位に就けるためにと、方向性は間違っていたものの奮闘してくれた父親に対する情はないのかと。

「見舞いに来る者が少ないというのは中々に堪えるな……。ミラージュ嬢もこのような寂しさを感じていたのだろうか……」

「ミラージュ嬢が?」

 何故ここで王太子の元婚約者の名が出てくるのだろう、と宰相は驚いた顔を向けた。

「ミラージュ嬢が療養中、見舞いに訪れたのはアンゼリカ嬢だけだったそうだ。彼女以外の親しくしていた令嬢は誰一人として来なかったと聞く。その事実はきっと堪えただろうなと、この状態になって初めて実感したよ」

「そうだったのですか……。あんなに取り巻きの令嬢が沢山いたのに、薄情者ばかりですね」

「ああ。彼女を追いこんだ元凶の父親である余が言う資格はないかもしれんが、所詮は未来の王妃という権力に群がるハイエナだったということだ。……上に立とうとする者こそ、孤独なのかもしれんな」

「そうでもないですよ。アンゼリカ様という友が一人いれば、百人の友にも勝りますので」

「はは、そうだな……。結果としてミラージュ嬢を傷つけた者は全員罰を受けた。元凶であるエドワードも、取り巻きの令嬢たちも、そして余も。全てをアンゼリカ嬢が成し得たわけではないが……彼女が一役買っていたのは確かだな」

 考えれば考えるほど末恐ろしい少女だ。まだ十代でそこまで暗躍できるのなら、年を重ねればどこまでいくのか……。

「余は……其方の助言にもっと耳を傾けるべきであった。アンゼリカ嬢が婚約者のままならばエドワードは間違いなく王位に就けた。そしてその治世に憂いは無かったはずだ……」

 まず間違いなく傀儡の王とはなるだろうが、国は平和に保たれることは間違いなかった。そう考えると後悔は尽きない。

「ええ、更に言うのなら、ミラージュ嬢が妃となれば献身的にエドワード殿下をお支えしたでしょう」

「ああ、そうだな……。あの時に件の男爵令嬢をしておけばよかった……。そうすればミラージュ嬢が追い詰められることもなかったし、余も王位を手放さなくて済んだ。つくづく選択を間違えてばかりだな……」

 そう自嘲する国王を宰相はじっと眺め、しばしの沈黙の後再び口を開いた。

「陛下……一つお聞きしたいことがございます」

「うん……? 申してみよ」

「ありがとうございます。エドワード殿下のことなのですが……」

 言い辛そうに視線を彷徨わせた後、やがて決心したかのように宰相は国王の方に真っすぐ視線を向けた。

「ずっと気になっておりましたが、殿下は……亡き王妃様の御子ではないですよね?」

 宰相の言葉に国王の顔は見る見るうちに強張った。
 ハクハクと口を開閉させ、震えるような声で「何故それを……」と漏らす。

「やはりそうでしたか……」

「宰相……何故其方は?」

「いえ、確信はありませんでした。そう考えたのは陛下があまりにもエドワード殿下にからです。失礼ながら生前の王妃様とは……そこまで仲が良くなかったように見えましたので、その御子であるエドワード殿下に甘いのは何故なのかと不思議に思っていたのですよ。まるで、であるかのように……」

 顔を青褪めさせて目を逸らす国王に、宰相は自分の予想が当たっていたことを確信する。

「それに生前の王妃様はあまりにも殿下に構わなすぎました。いくら忙しいとはいえ、世話係に任せっぱなしでろくに顔すら見にこなかったではありませんか? そのせいかどうかは分かりませぬが、王妃様の生家であるサラマンドラ家ともそれほど交流はなかったですし……。何より、殿下は王妃様に全く似ておりません」

 数年前に亡くなった王妃は現サラマンドラ公爵の実妹。
 それゆえエドワードとサラマンドラ公爵は伯父と甥の関係にあるが、初めて顔を合わせたのはミラージュとの婚約の際だ。母親の生家とそこまで交流がないことは珍しい。

 エドワードは父親である国王と同じ目と髪の色をしていたから間違いなく王家の血を引いてはいるはずだ。そこばかりに目が行くせいで気づかれないが、エドワードの顔つきは国王とも王妃ともあまり似ていない。

「そうだな……そこまで気づかれてしまっては黙っておくわけにもいくまい……。玉座から降りる前に、其方には真実を話しておこうか……」

 やがて観念したように顔を上げた国王は、ぽつりぽつりと過去を語り始めた。



「まず、余と亡き王妃は一切閨を共にしておらん。勿論初夜も済ませていない」

「はあ……!? ですが、それでは……」

「ああ、初夜を済ませていなければ王家の一員として認められない。だがなあ……対外的には初夜は無事済んだことになっている……」

 言っている意味が分からず宰相は困惑した。
 まさか王妃と初夜が済んでいないなどとは想像もしていない事態だ。

「あの日……結婚式が無事に終わり、初夜の準備を済ませて寝室へ向かうとそこには王妃と、彼女の護衛騎士、そして彼女の侍女がいた」

 宰相は国王の言葉に違和感を覚えた。
 初夜の床に侍女がいるのはまあ分かる。諸々の準備に同性の使用人が必要だろうと想像がつくからだ。だが、護衛騎士が室内にいるというのはおかしい。普通は扉の外で警護をするものだ、室内にいる意味がない。

「王妃の護衛騎士は男だ。初夜の寝室に夫以外の男がいるなど普通は有り得ん。男の存在に訝しむ余に王妃は事も無げに言ってのけたのだよ。『彼はわたくしの唯一無二の存在です』とな……」

「え? すみません……意味が分かりかねます」

 初夜の寝室で夫以外の男を『唯一無二の存在』と宣言して何がしたいのだろう?

 大人しい淑女に見えた王妃がそんなにも非常識な人間だったことに宰相は驚きを隠せない。

「要はその護衛騎士は王妃の恋人だったというわけだ。で、その男に操を立てるから余と床を共にすることは出来ないと。そう宣言してきたのだ。そして自分の代わりに侍女に子を孕ませろと……」

「え? あっ……もしや寝室にいた侍女がその……」

「ああ、そうだ。可哀想に……年若いその侍女は青い顔で震えていたよ。王妃の代わりに王の子を産むなどという大それたことを命じられては無理もない」

 予想を超えた事実に宰相は驚愕した。てっきりエドワードは国王の愛人が産んだ子供とかいう話だと思っていたのに、まさかの。いくら亡くなったとはいえ、とんでもない醜聞であることは間違いない。

「それで陛下はどうなさったので……?」

「余は状況を飲み込むのに精一杯だった。確かにその護衛騎士は婚約時代からずっと王妃の傍にいたものの、婚約者が不貞をしているとは思わないだろう?」

 確かにそうだ。純潔を尊ぶ王族の婚約者が不貞をしているとは考えられない。

「唖然としているうちに王妃は護衛騎士と共にさっさと寝室からいなくなってしまった。寝室にその侍女と二人残されてしまったよ。しかし妻以外の、それも初めて会った女を相手に初夜を済ませろと言われても出来るはずもなくてな……。とりあえず王妃を追いかけようとしたのだが、その侍女に泣きながら止められてしまった」

「一介の侍女が陛下を止めようとするなど不敬な……」

「まあ、そうだな。だが……余と初夜を済ませないと殺されると泣いて縋る彼女を放っておけなかった。結局、その侍女と初夜を済ませたよ」

「ええ……受け入れてしまったのですか?」

 何でそんな状況下を受け入れてしまえるのかと宰相は渋い顔を見せた。
 そんな彼に国王は照れ臭そうに答える。

「どうしてそんな状況を受け入れたか……。まあ、それはあれだ。その侍女に一目惚れしたからに他ならない」

「は……? その状況下で?」

「そんな顔をするな。そうでもなければ受け入れるわけがないと思わないか?」

「それはそうですが……。そんな状況下で一目惚れしてしまうほどその侍女は美しかったのですか?」

「ああ、目が覚めるほどの美女だった。エドワードは母親の美貌をしっかりと受け継いでおるよ」

「……ということは、その侍女との間に子が出来たと。そしてそれがエドワード殿下だというわけですか?」

 頷く国王に宰相は渋い顔でため息をついた。

「あの王妃様が王宮で堂々と愛人を囲っていたなどと気づきませんでした。陛下がそのような重い秘密をお一人で抱えていたことに気づかず申し訳ございません……」

「お前が謝ることではない。それに一人ではないぞ。先代のサラマンドラ公爵と現公爵もその秘密を知っている」

「え!? そうだったのですか……?」

「ああ。生まれたエドワードを見て一つも王妃に似ていないどころか、王妃の侍女と瓜二つだと気づいたようだ。それで彼等は王妃を問い詰め、真実を知った。そこからだな……サラマンドラ家が王家に頭が上がらなくなったのは」

「まさか……ご息女があのような目に遭ってもサラマンドラ公爵が王家に強く抗議しなかったのは……」

「この件のせいだ。自分の妹が愛人つきで王家に嫁ぎ、侍女に世継ぎを産ませたことが公爵の中で負い目になっている」

「いや……それはそうでしょうね……」

 娘が王太子によってひどく傷つけられたとしても、王家に強く出られなかったのは腰抜けだからではなかった。先に実の妹が王家に対してとんでもない不敬な真似を仕出かしたからだ。

「あ……もしかして、王妃様が亡くなられたのは病が原因ではなくて……」

「事実を知った先代公爵によって護衛騎士ごと毒殺されたからだ。それでミラージュ嬢をエドワードに嫁がせると言われたよ」

「え!? お二人の婚約はそのような理由で決まったのですか?」

「表向きは資金援助と謳っているが、真実はそうだ。ミラージュ嬢は叔母の尻拭いとして王家に嫁ぐことが決まった。彼女は何も悪くないのに……申し訳ない事をした。しかし王家が資金援助を必要としていることは確かなのでその婚約はありがたかったよ」

 想像を遥かに超えた真実に宰相は言葉を失った。
 思えば違和感は沢山あったのだ。
 エドワードの外見についてはもちろんのこと、サラマンドラ家がどうしてあそこまで王家に頭が上がらないのか。公爵が甘いからだと言ってもまるで弱みを握られているかのようではあった。

「ちなみにエドワード殿下はこのことをご存じで……?」

「いや、あやつは何も知らぬ。自分は王妃の子だと疑っておらぬし、余もこれは墓場まで持って行くつもりだ。それにもう……王族ではなくなるのだから、出生など知らずともよいだろう」

「左様ですか……。それにしても、血は繋がっていないのにエドワード殿下は王妃様と同じような性格をしていらっしゃいますね」

「周囲に悟らせなかった分だけ王妃の方が賢い。エドワードがああなったのは、余がだからと甘やかして何でも許したせいだろう……」

「……ちなみに、その侍女は今どうしているので?」

「エドワードを産んですぐに遠くへと逃がしたよ。産後に無理をさせたくはなかったが、あのまま王宮にいれば王妃に口封じとして殺されかねないからな」

 しばし、二人の間に沈黙が流れる。

 国王は誰かを想うかのように遠くを見つめ、宰相はとんでもない秘密を知り茫然としている。

「……宰相、其方は余の退位と同時に職を辞するらしいな」

「ええ……その予定です」

「其方はまだ引退するには早かろうに……」

「いえ、陛下が退位なさるのでしたら私も共に。私は陛下の臣下であり、友でもありますから……」

 目尻に涙を滲ませた宰相が震えるような声でポツリと呟く。

 国王はそれを聞き、ただ静かに「ありがとう……」とだけ呟いた。
 
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